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後ろから「ダンくーん」と呼ぶ人間の声がした。
ダン君と呼ばれた犬は、必死の形相で雄叫びを続ける僕の横を通って、何事もなかったように越えのする方に走っていった。
一体何が起こったのか、僕はポカンと口を開けたまま、黒い犬の左右に忙しく揺れる尻尾を見送っていた。
「ダンくん、ひとりで出かけていったらダメでしょ。猫ちゃんの怒ったような声が聞こえてきたから、急いで来てみたのよ。ダン君、あなたまた、猫ちゃんたちを怒らすような事したんじゃないの? ごめんなさいね、猫ちゃんたちたち。うちのダン君、猫ちゃんが大好きなの。それで、猫ちゃんを見ればすぐに遊ぼうってじゃれついていくのよ。だけど、ちょっと遊び方が激しいんで、猫ちゃんたちを怒らせたんじゃないかしら? ごめんね」
すぐには何のことか理解できなかった。
ー猫ちゃんが大好き。じゃれついていく。遊び方が激しい。ごめんね……?
僕とももちゃんは、あんぐりと口を開けたままで顔を見合わせた。
ーえ? そんなこと……。そんなこと言われたって……。
こういう時、一体なんて答えればいいんだろう?
ダン君という名の、このどでかい犬は、大好きな猫ちゃんたちと遊んでいたらしい。
もう、いい加減にしろと言いたい。
そうならそうと、始めから言ってくれれば良かったのに。もう泣きたいくらいだよ。
僕の心臓は、まだドキドキしてるし、足だってガクガク震えてる。
さっきは必死だったから感じてなかったけど、今になって恐怖がよみがえってきたよ。
怒りで、めまいがする。
「まるちゃん、あなたって勇敢で本当に素敵だったわ」
ももちゃんが、耳元で囁きながら、僕のガタガタ震える肩をそっと舐めてくれた。
間もなく僕の恐怖のドキドキは、別のドキドキに変わっていった。
ーだけど、良かった。何でもなくてホッとしたよ。やれやれ。
ホッとしたら急に恥ずかしくなった。
僕は、あわててお腹のあたりを舐めようとした。
が、緑の苔でベトベトなのを見て、舐めるのを止めた。
さっきの死に物狂いの戦いは、一体何だったのかと改めて思ったら、余計恥ずかしくなった。
ももちゃんも同じ思いだろうが、その気持ちを追い払うかのように、僕の肩のあたりを一生懸命に舐めてくれている。
ダン君という名の黒い大きな犬は、迎えに来た人間に頭を撫ででもらいながら、僕たちに向かってまたワンワン言っている。また遊ぼう、とでも言ってるんだろうか?
「私たち、人間の言葉はどうにか理解出来ているんだけど、犬語はわからないのよね。だから」と、ももちゃんが言いかけた時
「あら? そのにゃ~んという声。どこかで聞いたことがあると思ったら、あなた達、れれさんちの猫ちゃんたちじゃない?」
そういえば、この大きなダンくんがベッタリと寄り添っている人間は、れれの友達だ。
何度か、うちに来ていたのを思い出した。
「れれさん、うちの猫が行方不明だって、ものすごく心配して探し回ったわよ」
ああ、そうだ。僕達は、れれが玄関にいる間に、庭から脱走してきたんだ。
「それにしても、まるちゃんたら、そんなに泥んこになるまで、よく遊んだのねぇ」
なんて言われても、こちらからは説明ができない。
「ところで、ちいちゃんはどこ?」
れれの友達が、心配そうに僕達の顔をのぞき込んだ。
犬のダン君が答えるように、楠の木の上に向かってワンワン吠えたてた。
「あら、大変」
れれの友達が見上げた先に、不思議そうなな顔をして僕達を見下ろすちいがいた。
そうだ。こんなところでデレデレしている場合じゃないんだ。
「ちい! 大丈夫だから、ゆっくり降りてきて!」
僕は、ちいに向かって呼びかけた。
ちいはゆっくりと枝から幹の方に移動し、前足で幹を掴もうとしたが、
「わぁダメだ! こわいよ~」
慌てて前足を引っ込めた。
僕たち猫は、木に登るのは得意なんだけど、降りるのはからきし苦手なんだ。
機会があったら、僕たち猫の爪の形をじっくり見てもらいたい。
僕がここで説明するよりも、よくわかってもらえると思う。
とにかく今、三階建ての家の屋根より高いところにいるちいに「降りてきて」なんて言っても絶対に無理なんだ。
「ちいちゃん、そこにじっとしててよ。私、管理人さんの所に行って、梯子を借りてくるから。それから、れれさんにも知らせて くるね。ダン君は、猫ちゃんたちとここにいてよ」
言い終わらないうちに、れれの友達はダン君を置いて駆けて行った。
あとに残った僕とももちゃんは、さっきまで死にものぐるいで戦っていた犬のダン君と一緒に、楠の木の根元から
「ちい、頑張れよ! 梯子が来れば、大丈夫だからね~」と、木のてっぺんのちいに向かって励まし続けていた。
ところで、梯子を借り行く管理人さんというのは、ダン君の住んでいるマンションの管理人さんのことだ。果たして、管理人さんがこんな高い所まで届く梯子を持っているだろうか、と不安がよぎった時
「あ、良い考えがある」
僕は外で暮らしていた時、人間が高い木に登って、その後降りてきたのを見たことがある。
人間は、登った時と同じ格好で降りてきた。
つまり、登る時も降りる時も頭が上、足が下、そのままの姿勢でバックして降りてきた。
その様子を少し離れた所から見ていた僕は、思わず 「人間は賢い」とつぶやいていた。
あれをまねれば良いんだ。
僕たち猫は、後ろ向きに降りることに慣れてないんで、初めは考えつかなかったが、人間流の降り方をすれば、うまくいくはずだ。
「もしもの時のために、ももちゃんとダンくんは、なにかクッションになる物を木の下に集めてきてね。草でもゴミでも、柔らかい物なら何でも良いんだ。僕は、ちいを連れて降りてくる」
「まるちゃん大丈夫?」
ももちゃんが驚いて言った。ダン君も、つられてワンと言った。
「お前のせいでこんなことになったんだ!」と言いたい気持ちをグッとこらえた。
犬語がわからない僕にも、ダン君が心配していることが伝わってくる。
「僕に良い考えがあるんだ。とにかく、何か柔らかい物を大急ぎで集めてきて」
僕は、楠の木の太い幹をしっかり掴みながら、ぐいぐいとちいに向かって登った。