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【現実世界・湾岸再開発エリア/オルタリンクタワー前】
風が冷たい。
湾岸の夜は、ビルのガラスに反射して増幅される。
光が多いのに、温度だけが足りない。
オルタリンクタワーは、光を抱えたまま立っていた。
高層のガラス面が、街を映す。
映しているはずなのに――
その一部だけ、まるで“別の夜”を映しているみたいに暗い。
サキのスマホが、まだ熱を持っている。
画面は消えているのに、手の中で生き物みたいに脈打つ。
《ようこそ》
さっき出た文字が、指先に焼き付いて離れない。
木崎が低い声で言った。
「……招かれてる。気に食わねえが、
入口が開くってんなら入るしかねえ」
ハレルは頷く。
胸元のペンダントが、じわりと熱い。
昨夜の熱とは違う。
もっと“合図”に近い熱だ。
(こっちが観測したら、向こうが確定する)
(でも――観測しないと、日下部は戻らない)
薄緑のコアケースは、ハレルのバッグの中にある。
従来どおり薄緑。
……なのに光が薄い。脈が、途中で途切れかける。
さっきから、黒い粒が混ざる。
一瞬だけ、薄緑が濁る。
すぐ戻る。 戻るたびに、何かが削れていくみたいに。
「……お兄ちゃん」
サキが小さく言う。
「これ、また来てる」
スマホが短く震えた。
音は鳴らない。画面だけが点く。
《右》
《二つ目の扉》
《音を立てるな》
木崎が苦い顔で笑った。
「親父さんのアプリ、指示が細けえな」
ハレルは返事をせず、タワーの右手、
搬入口に近いサービス導線を見た。
監視カメラの位置。
死角。城ヶ峰が渡してきた情報の線が、頭の中で重なる。
「行く」
それだけ言って、ハレルは足を出した。
タワーの足元は、冷たい石だ。
――いや、一瞬だけ、石畳に見えた。
目を瞬く。
コンクリに戻る。
でも戻りきらない。
端の方だけ、別の質感が残っている。
「……今、見えた?」
サキが息を呑む。
「見るな」
木崎が短く言う。
「見たら固定される。
……お前らは“必要なところだけ”見ろ」
それは忠告であり、命令でもあった。
◆ ◆ ◆
【
異世界・王都/解析室】
ノノ=シュタインは、境界地図を睨みつけていた。
赤い点が増えている。増え方が、昨日までの“増加”じゃない。
「……やばい」
口から出た声は、自分でも乾いていた。
水晶板の端に表示される数値が、ひとつずつ“合わない”。
合わない、じゃない。 誰かが、合わないように“回してる”。
「リオ! アデル! 聞こえる!?」
イヤーカフに指を当てる。
返ってきたのは、風の音の奥に混じる低い声。
『聞こえる』
リオ。短い。
『地下へ入った』
アデル。切り捨てるように。
ノノは息を吸って、早口で言う。
「塔の根っこ、三本刺さってる!」
「黒ローブの杭! 昨日の焼け跡の“傷”を足場にしてる!」
「これ、上で防衛しても意味ない!
根っこから引きずられる!」
『場所は』
アデルが問う。
ノノは水晶板を叩きそうになって、堪えた。
「基礎区画の下! 床の古い陣の――“縫い目”のところ!」
「右の杭が上書き。真ん中が引きずり込み。左が固定」
「右から折って! 真ん中は最後! 反動くる!」
リオが舌打ちする音。
『分かった。……そっちは?
現実側、動いたか』
ノノは視線を赤点の束へ走らせた。
その束は、ひとつの“高い座標”に集まっている。
まるでガラスの塔へ、群れが吸い寄せられるみたいに。
「……動いてる」
ノノは言った。
「もう入口、開いてる。たぶん今夜――重なるよ」
一瞬だけ、解析室の空気が冷えた。
ノノは唇を噛む。
(間に合って)
(間に合え。こっちが折らないと――あっちが落ちる)
◆ ◆ ◆
【異世界・オルタ・スパイア/塔内部・地下階段】
塔の内部は、外より静かだ。
風の音が薄くなり、代わりに“塔が軋む音”が聞こえる。
石と金属が混ざったみたいな、嫌な軋み。
地下へ向かう階段は狭い。
壁に刻まれた古い紋が、薄く光っている。
昨日は光っていなかった。
光っている=揺れている。
リオの右手首の腕輪が熱い。
熱が皮膚に食い込み、骨の内側まで伝わる。
「……臭い」
リオが吐き捨てる。
「焦げた臭いがする」
アデルは剣の柄に手を置いたまま、淡々と言った。
「焼痕標の延長だ。消しきれなかった傷に、杭を打った」
「座標を縫い止める気だ」
扉が見えた。
石の扉の隙間から、赤い光が漏れている。
――黒ローブ。
アデルが低く命じる。
「不用意に“見るな”」
「連中は、見た瞬間に座標を引く」
リオは短く頷き、息を整える。
(姉さん……)
ユナのことを考えかけて、噛み潰した。
今は違う。
今は――日下部だ。奪われた器。
そこに別の意識を流し込まれる。
扉を押し開ける。
基礎区画。 円形の空洞。床には古い魔術陣。
その上に新しい焼け跡が重なり、赤黒い線が脈打っている。
杭が三本。
黒い杭。赤い紋が走り、空気の膜を縫っている。
見えない糸で、別世界へ針を通しているみたいに。
ノノの声がイヤーカフから跳ねる。
「右! 右が上書き!」
「まず右を折って!」
リオが腕輪に魔力を通した。
〈閃撃・第二級〉
光の線が走る。
右の杭の紋を貫き、赤い光が跳ねた。
――“ビキッ”と、空気が割れる音。
その瞬間だけ、壁の石目が、ガラスみたいに変わった。
向こう側が見える。
白い廊下。数字みたいな光粒。 そして――
制服の黒が、薄く揺れた。
少年と少女。 もう一人、白い影。
リオは息を呑んだ。
(
ハレル……?)
アデルがすぐに言う。
「見るな。固定される」 言いながら、自分も視線を切る。
だが、見えてしまったものは消えない。
「……同調が進んでる」
リオが低く言う。
「進ませるな」
アデルは即座に返す。
「根を折る。今夜、こちらが主導権を握る」
真ん中の杭が、赤く強く脈打った。
引きずり込み。
ここが生きている限り、現実側は“落ちる”。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー/サービス導線】
二つ目の扉は、想像より重かった。
木崎がカードを通し、ハレルが押す。
金属が鈍く鳴る。
サキのスマホが震える。
《止まるな》
《三歩、左》
《カメラ》
ハレルは言われた通りに動く。
監視カメラの死角へ滑り込み、配管の影に身を寄せる。
カメラのレンズが“こちらを見ている”気配がするのに、
視界の端でしか見ない。見たくない。
「……ここ、冷えすぎだろ」
木崎が小声で言う。
「地下の空気じゃねえ」
確かに冷たい。
皮膚が粟立つ冷たさ。
病院の冷たさとも違う。
“向こう側”の冷たさだ。
ハレルの胸元のペンダントが、短く脈打った。
熱、熱、沈黙。
まるで、誰かが向こうから叩いているみたいに。
バッグの中。
薄緑のコアが、ふっと弱くなる。
ハレルは立ち止まりそうになって、堪えた。
止まったら観測する。
観測したら固定される。
(……日下部)
(持ってるのに、遠い)
サキが、バッグを見た。
分かっているのか分からないのか、唇が小さく動く。
「……今、光――」
「言うな」
ハレルが小声で遮った。
「言葉にしたら、確定する」
サキは頷き、息を飲み込む。
通路の先で、金属扉が見えた。
重い。無骨。中枢手前の扉。
その周囲だけ、壁材の色が違う。
白い。薄く光っている。
病院で聞いた“白い廊下”の話が、背中に貼り付く。
木崎が足を止め、目だけで周囲を見た。
「……ここだな」
サキのスマホが、震えた。
画面が点く。
《開けるな》
《まだ》
《……向こうが先に折る》
ハレルは息を止めた。
向こうが先に折る? 何を?
バッグの中で、薄緑が濁った。
黒い粒が混ざる。
脈が――途切れかける。
ハレルは反射でバッグを開けかけて、手を止めた。
見るな。
でも、見ないと――消える。
ペンダントが熱を増した。
熱が、“痛み”に近い。
木崎が低く言った。
「……おい、さっきからコアが――」
言いかけて、木崎も止めた。
言葉にしたら確定する。
木崎でさえ、それを理解している顔だった。
金属扉の向こうから、微かな音がする。
風じゃない。機械の稼働音でもない。
――“縫い目”が鳴る音。
サキが、小さく呟いた。
「……向こう側、近い」
その瞬間、扉の周囲の白が、ほんの一拍だけ強く光った。
白い廊下の気配が、こちらへ漏れる。
ハレルのペンダントが、短く一度だけ脈打つ。
同時に、薄緑のコアが弱く跳ねた。
途切れかけた脈が、ぎりぎりで繋がった。
(……まだ、いる)
(まだ、戻れる)
サキのスマホに、最後の一行が出た。
《今、向こうが折った》
ハレルは扉に手を掛ける。
冷たい金属。掌は熱い。
木崎が、背後で囁いた。
「開けるなら、短く開けろ」
「覗くな。――入るなら入れ」
ハレルは頷いた。
息を吸う。
扉が、軋んだ。
◆ ◆ ◆
【異世界・オルタ・スパイア/基礎区画】
右の杭が折れた瞬間、空気の膜が緩んだ。
それを逃さず、アデルが左手を床に叩きつける。
「〈封縫・戻り線〉」
光の線が走り、杭の紋の“縫い目”を上書きする。
赤い光が呻くように揺れ、真ん中の杭が一瞬だけ弱まった。
ノノの声が跳ねる。
「今! 真ん中、行ける!」
「でも反動くる! リオ、抑えて!」
リオは歯を食いしばり、腕輪に魔力を通す。
鎖の術式が床に走り、真ん中の杭を絡め取る。
「……引っ張るなよ」
誰に言っているのか分からない。
真ん中の杭が、赤く脈打った。
そして――
ガラスの壁が、もう一度だけ現れた。
白い廊下。
数字の光粒。
金属扉に手を掛ける少年の影。
(……来る)
リオは低く言った。
「ハレルが――来る」
アデルは冷たく頷く。
「来させる。来た瞬間、こちらで受け止める」
塔が、軋んだ。
二つの世界が、もう息を合わせ始めている。