「それでは本日のご予定を報告させていただきます」
いつもの業務連絡で一日が始まる。
「10時よりシステム開発部とのミーティング、13時からは横浜支社で上層部と会談、その後取り引き先を訪問して…」
今日も長い一日になるな、と思いながら真里亜はタブレットを確認する。
「…本日は以上です」
「分かった」
副社長が返事をして、真里亜もタブレットを閉じる。
すると、ふと住谷が真里亜を振り返った。
「真里亜ちゃん」
「は、はいっ!」
「秘書課の共有フォルダって、真里亜ちゃんもアクセス出来る?」
「いえ、私は権限がないみたいで」
「だよね。今、設定するから、パソコン借りるね」
そう言って真里亜のデスクまで来ると、身をかがめてパソコンを操作する。
「あの、どうぞ座ってください」
真里亜が立ち上がって席を譲るが、んー、大丈夫、と住谷は立ったままだ。
「いえ、あの。本当に座ってください。住谷さん、背が高いからやりづらいでしょう?」
「そうだなー。じゃあソファでやろうか。真里亜ちゃんにも説明したいし」
「え、あ、はい」
仕方なくパソコンを持ってソファに移動する。
「よし。これで真里亜ちゃんもメンバーになったから、いつでもこのフォルダ見られるよ。あとこのアプリからは会議室の予約状況や、共有したい資料、秘書課のメンバーの予定も分かる。毎日ここをチェックしてもらえると、仕事もやりやすくなると思うよ」
「はい、ありがとうございます。会議室の予約も、今後は私がやった方がよろしいでしょうか?」
「んー、いや、しばらくはこのまま俺がやるよ。でも、いずれは真里亜ちゃんにもお願いしたいな。長く続けてもらえるんでしょ?」
「あ、う、まあ、はい」
副社長の手前、自分は探りを入れに来た腰掛けだとは言えず、うやむやに頷く。
「良かった!頼りにしてるよ。これからもよろしくね、真里亜ちゃん」
住谷は真里亜ににっこりと微笑む。
が、その斜め後ろから、副社長の突き刺すような視線を感じて、真里亜は引きつった笑みを浮かべた。
「じゃあ、他のファイルも一緒に見てみる?分からないところは説明するよ」
「いえ!あの、あとは一人で大丈夫です」
「そう?」
「はい。ありがとうございました、住谷さん」
それでは、私は会議室の準備に行って参ります!と、真里亜はそそくさと副社長室を出た。
「もう!住谷さんたら。一体どういうつもりなのよ」
廊下を歩きながら、真里亜はぶつぶつ文句を言う。
「私が人事部の人間だってことも、ここにいる理由も分かってるのに、長く続けてもらえるんでしょ?なんて。どうしてあんなことを…」
それに、真里亜ちゃんと呼ぶのもやめて欲しい。
恋敵とばかりに睨んでくる、副社長のジロリとした視線が恐ろしくて堪らない。
「鬼軍曹のヤキモチなんて、シャレにもならない。あー、もう!やっぱり早く人事部に戻りたいよー」
仕事は頑張ろうと思えるようになったし、副社長と住谷の関係も応援したい。
だが、恋の三角関係に巻き込まれるのはゴメンだ。
「時期を見て、人事部の部長にそろそろ後任の人を募集して欲しいって話してみよう。今の副社長なら、案外誰とでも上手くやっていけるかもしれない」
うん、そうしようと頷くと、真里亜は会議室の準備を始めた。
「あーあ、逃げられちゃった」
真里亜が出て行ったあと、副社長室のソファの背もたれに住谷がドサッと身体を投げ出す。
「もう少し話したかったのになあ、真里亜ちゃんと」
「お前、何が目的なんだ?」
文哉がチラリと視線を上げる。
「それはもちろん、スパイの動向を探ってるんですよ」
「そうは見えなかったが…」
「おや?それはどういう意味でしょう」
「馴れ馴れしく言い寄ろうとしているふうにしか見えん」
ははーん、と、住谷はしたり顔になる。
「なるほど。だからあんなにも、私の背中に冷たい視線を突き刺していた訳ですね、副社長は」
はあ?と文哉が眉根を寄せる。
「俺がいつそんな…」
「あんなに恐ろしい目で睨んでおきながら、私が気づかないとでも?背筋に寒気が走りましたよ。おー、こわっ!」
思い出したように、住谷がぶるっと身震いしてみせる。
「さてと!私も会議室の準備をしてきますね。真里亜ちゃん一人では大変でしょうから」
思わせぶりな態度でニヤリと文哉に笑いかけてから、住谷も部屋を出て行った。
「こちらが現在構築中の新しいセキュリティシステムです」
10時になり、文哉は会議室でシステム開発部とのミーティングに臨んでいた。
「我々のチームは、ビジネス向けにビルやオフィスのセキュリティシステムを手がけています。要は、不審人物の侵入を防ぐ目的ですね。もう一つのチームは、主にハッキングなどに対するコンピュータセキュリティのシステムを開発しています。まず、前者からご説明しますと…」
スクリーンに映し出される資料を見ながら説明を聞いていた文哉は、ふと視線を横にずらす。
壁際に控えて資料に目を落としている真里亜に、住谷が隣から何やら話しかけた。
二人で顔を寄せ合い、小声でやり取りしながら、時折ふっと微笑み合っている。
(またあいつ、彼女にちょっかい出しやがって)
するとふと住谷が顔を上げ、文哉と目が合うと、何か?というように首を傾げた。
文哉はムッとしてジロリと住谷を睨みつけてから、また資料に目を落とす。
「私からのご説明は以上です。副社長、何かご不明な点は?」
「ん?ああ、いや。大丈夫だ」
「かしこまりました。では次に、コンピュータの不正アクセスに対するセキュリティシステムとして…」
会議は続くが、文哉はどうにも住谷達の様子が気になり、話に身が入らない。
(いかんな。あとでまた資料を詳しく見直そう)
そう思い、会議は手短に切り上げた。
(んー。さっきの会議、副社長はあまり納得されなかったみたいだなあ)
真里亜は会議室の後片付けをしながら思い返す。
会議中、いつもならじっと話に耳を傾け、曖昧な点はすぐに指摘して詳しく聞き出す副社長が、今日はずっと無口だった。
あとで担当者に聞いて補足しようと真里亜が様子をうかがっていたが、具体的にどの部分が、というより、全体的にぼんやりと聞き流しているようだった。
(珍しいな。いつもは前のめりにズバズバ質問する副社長が、あんなにうわの空になるなんて)
「あの、住谷さん」
「んー?なあに、真里亜ちゃん」
プロジェクターの電源を落としている住谷に声をかけてみる。
「副社長、どこか様子がおかしくなかったですか?何だか覇気がないというか…。住谷さん、何か心当たりはありますか?」
「へえー。真里亜ちゃん、副社長のこと心配してくれてるの?」
「それは、まあ。一応、秘書ですし」
「お!ついに認めたね。人事部じゃなくて、副社長の秘書だって」
「いえ、今だけはって意味ですよ?期間限定とはいえ、与えられた役目はきちんと果たそうと思って…」
ふーん、と住谷は宙を見ながら思案する。
「じゃあさ、もし誰か他に副社長の秘書をやってもいいって人が現れたら?真里亜ちゃん、席を譲るの?」
「それはもちろん。最初からそのつもりですし、後任の方が長く続けてくれるなら、私は安心して人事部に戻れます」
「そうなんだ。じゃあ、人事部の部長に話してみるよ。早く真里亜ちゃんが戻れるように、後任を探してくれってね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
真里亜は礼を言って頭を下げる。
ずっとそれを望んでいたはずなのに、嬉しさどころか妙な違和感を感じ、真里亜は、変だなと心の中で首を傾げていた。
午後になり、真里亜と文哉は住谷の運転する車で横浜支社に向かった。
副社長である文哉は、父親ほども年齢の違う上層部の面々と対等に意見を交わし合う。
そしてさり気なく、社内の雰囲気や社員達の様子もうかがっていた。
その後近くの取り引き先の訪問も和やかに済ませると、外はすっかり暗くなっていた。
「副社長。せっかく横浜まで来たんですし、食事してから帰りませんか?」
車に乗り込みながら、住谷が声をかける。
「ああ。俺はいいけど…」
文哉はそう言うと、チラリと真里亜に目を向けた。
「あ、真里亜ちゃんは?何か予定ある?」
住谷に聞かれ、真里亜は、
「いえ、何も」と答える。
「よし!じゃあ三人で食事してから帰ろう」
住谷は、どこに行くかはお楽しみーと、嬉しそうに車を走らせ始めた。
「うわー、すごく綺麗!」
海沿いの高級ホテルに車を停めると、住谷は、天井が高くテラスから海も眺められるレストランに文哉と真里亜を案内した。
ガラス張りの窓から、キラキラと月明かりに照らさせた海が見えて、真里亜は目を輝かせる。
「素敵なお店ですね」
「お気に召しましたか?真里亜ちゃん」
「はい、とっても」
真里亜は住谷と微笑み合う。
住谷にオーダーを任せたところ、お肉やお魚、デザートもとても美味しく、真里亜は久しぶりの贅沢な時間にお腹も心も満たされた。
「はあー、とっても美味しかったです」
「それは良かった。真里亜ちゃん、本当に美味しそうに食べてくれて、俺も嬉しかったよ」
食後のコーヒーはテラスに用意してもらい、海風を感じながら優雅なひとときを楽しむ。
夏の初めの夜風が少しひんやりしていて心地良い。
「本当に素敵なお店ですね。住谷さん、ここにはよくいらっしゃるんですか?」
「ん?ああ。デートで何度かね」
え、デート?!と、真里亜は途端に真顔に戻る。
(そ、それは副社長と…ってことよね?大変!お二人にとっては思い入れのあるレストランなのに、私なんかがお邪魔しちゃって)
今もまさに、自分は二人のデートを邪魔しているのだと思うと、真里亜は急にソワソワと落ち着かなくなった。
「あ、あの。私、お化粧室に行って来ます」
バッグを手に、そそくさと席を立つ。
(はあー、どうしよう。お料理が美味しくてつい忘れてたけど、そう言えば副社長、食事中もずっと無言だったものね)
きっと自分がデートを邪魔しているせいだ、と思うと、真里亜は二人のもとに戻るのも気が引けた。
やたらゆっくりメイクを整えると、渋々テラスの席に戻る。
するとテラスの柵に手を置いて、肩を並べて佇んでいる二人の姿が見えた。
(ひゃー!スタイルのいいイケメンが二人並んでる。絵になるわー!)
声をかけそびれて少し離れた所から見つめていると、あのー…と若い女の子が二人、モジモジと近づいて行く。
「あの、私達二人で食事しに来たんですけど、良かったらお茶だけでもご一緒しませんか?」
頬を少し赤らめながら、可愛らしい雰囲気の子が話しかけた。
「あー、ごめん。俺達、もう出るところなんだ」
住谷がやんわり断るが、女の子は引き下がらない。
「あ、それなら、別のお店にこれからご一緒に…」
「残念だけど、それは無理だな。今夜は俺達、とびきりのお嬢様を連れてるから」
そしてふと真里亜に気づくと、
「お、来た来た。真里亜ちゃん!」
と手招きする。
(ひ、ひえーー!!住谷さんたら、なんてことを!!)
女の子達の視線が怖くて、真里亜はくるりと向きを変え、他人のフリをして遠ざかる。
「ええ?ちょっと、真里亜ちゃん!」
後ろから聞こえてくる住谷の声に、ごめんなさい!と心の中で侘びた時、ふいに誰かにグッと肩を抱かれた。
「帰るぞ」
え…と真里亜が顔を上げると、文哉が真っ直ぐ前を見たまま真里亜の肩を抱き寄せて歩き出す。
「ああ!ずるいぞ、文哉!」
住谷は抗議の声を上げると、女の子達に
「ごめんね、そういう訳だから」
と謝り、慌ててあとを追いかけて来た。
「なんだよもう。お前、いっつもこういう時だけ真里亜ちゃんを利用して」
それを聞いて、文哉はハッとしたように真里亜から手を離した。
「すまん、悪かった」
「いえ、大丈夫です」
(私だって、お二人のデートの邪魔してるものね。利用してもらっておあいこだわ)
真里亜は文哉に、にこやかに笑ってみせた。
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