夜の帳が降りる頃——。
夕焼けの残光が空から消え
静かに夜の闇が
街を包み込み始めていた。
初夏とは思えないほどの冷気が
ゆらりと漂い始める。
湿り気を帯びた空気の中で
ただ一箇所
双子の周囲だけが
僅かに冷えていた。
双子の吐息は白く霧散し
足元の石畳には
僅かな霜が浮かび始める。
手を繋ぎながら
エリスとルナリアは
喫茶 桜からの帰路を
静かに並んで歩いていた。
少し前まで
家族と過ごした時間が
胸に温かく残っている。
(制御が上手くなってきて
お父様やお母様
青龍と長く一緒に
居れるようになったね!
ルナリア!)
エリスの声が
言葉を交わさずとも
読心術を通してルナリアに届く。
(ええ。
もっと陰陽師として成長すれば
一緒に暮らせるかもしれませんね。
エリス)
心を通わせる双子のやりとりは
穏やかな夕暮れのように優しい。
だが⋯⋯
その静寂に
紛れ込んだ違和の気配があった。
(⋯⋯ねぇ。
気付いてる?ルナリア)
エリスが
僅かに視線を落としながら
問いかける。
(ええ、エリス。
尾けられてますね⋯⋯)
喫茶 桜を出てから
ずっと続いていた
粘りつくような悪意。
それは
誰かが意図的に放った気配——
双子を狙う視線だった。
(お母様を狙う、不届き者かしら?)
(そうでしょうね。
ならば⋯⋯駆逐するのみです)
静かに二人の
オッドアイの瞳が細められる。
瞳に冷たい光が宿り
手を繋いだまま
ふたりは何気ない足取りで
脇道へと逸れていく。
人通りの絶えた裏通り。
細く狭いその路地の先には
打ち捨てられたような空き地があり
雑草が生い茂り
月明かりすら
まばらにしか届かない。
「この辺で良いかしら?ルナリア」
エリスが振り返りながら
声を落とす。
「一般人の方々の気配はありません。
良いと思います。エリス」
即座に返された声に
二人は無言で頷くと
懐から護符を取り出した。
——ひゅううっ⋯⋯
通り抜ける風が一層冷たくなる。
その瞬間
二人の足元から霜がじわりと広がり
石畳の地面を凍らせていく。
エリスが静かに息を吸い込み
薄紅の唇を開いた。
「静寂に咲き誇る、氷華の花よ⋯⋯」
その声は
冷たくも澄み切っており
まるで空気すら震わせるようだった。
続いて、ルナリアが声を重ねる。
「その白き輝きにて、邪を討ち払え」
「清らかなる結界、此処に成る」
「氷華の円環⋯⋯結界成就!」
「「急急如律令!!」」
——ぶわッ⋯⋯
足元から立ち上がった
霧のような冷気が
周囲を包み込む。
白い結晶が瞬く間に円を描き
地を這うように広がっていく。
中央から隆起した
冷気の霧でできた巨体な蕾が
月の光を受けながら
ゆっくりと開花していく。
その花弁は
ダイヤモンドダストでできており
まるで宝石のように煌めいていた。
氷華の中心——
そこに立つ
エリスとルナリアの姿は
まるで氷の舞台に降り立った
対なる女神のようだった。
結界の内側は
ただ立っているだけで
呼吸が凍るような
冷気に満ちていた。
肌を刺すような寒さが満ち
空気は濃密で
張りつめた静寂が辺りを支配する。
氷の蔦が
壁に絡みつくように伸び
路地の出口を塞ぐように
結界を強固にし閉じていく。
逃げ道は、もうない。
「⋯⋯さぁ、出てきてください」
ルナリアの声が響く。
冷たく凛とした声音が
結界の隅々にまで染み渡った。
「逃げ道はありませんよ」
エリスが微笑む。
その微笑みは慈しみではなく
確信と覚悟の微笑みだった。
氷華の結界の中心——
ひりつく冷気の中
幼き容姿の双子は
決して揺らがぬ覚悟を
そのオッドアイの瞳に宿していた。
月の光が、彼女たちの背を照らす。
その先にある者を
決して逃がさぬように。
瞬間ー⋯
レーザーサイトの赤い点が
エリスとルナリアの身体に
いくつも重なり
じわりと揺らいでいた。
夜の空気は凛と張り詰め
氷華の結界の内側——
そこに浮かび上がる
無数の赤い光点は
闇の中に潜む敵意を顕にしていた。
だが
そのレーザーの赤い光は
双子の周囲に漂う冷気に震え
不安定に明滅し揺らいでいる。
そこには
二十人を超える男達の姿があった。
彼らは全身を
厚手の多層断熱スーツで覆い
ヘルメットに
酸素供給装置まで取りつけた
まるで極地探査員か
宇宙飛行士のような異様な出で立ち。
だが
その異様な威圧感の中心に立つのは
ただの幼子にしか見えぬ
双子の少女達。
(⋯⋯あらあらあら)
エリスが
にっこりと微笑みながら
内心でくすりと笑う。
(多分⋯⋯
ソーレンさんの
重力への対策だったのでしょうね)
ルナリアの声が冷静に脳内に響く。
(そして
私たちが出てきたのを見て⋯⋯
狙いを変えたのね)
(見た目で舐められてますね)
(本当はこの人達なんかより⋯⋯
ずっと歳上なのにね、私たち)
エリスが小さく笑い
唇を弧を描くように持ち上げた。
それはまるで
子共が無邪気に
遊びを始めるような仕草。
しかし
その瞳の奥には
凍てつくような決意が灯っていた。
ーアリアを狙う者は、徹底排除ー
それは、時也と青龍の教え。
絶対に破ることのできない、鉄の掟。
「そんな大層な物を着ていらしても⋯⋯」
「私たちの氷には⋯⋯」
「「無意味です」」
双子の声が
氷のように冷たく路地裏に響く。
その瞬間
二人は繋いでいた手を
強く握りしめた。
同時に——
その背に
左右対称に氷の翼が
咲き誇るように広がった。
不死鳥が胎内を通り過ぎただけの
片翼ずつしか持たぬ双子。
しかし今
その二つの翼が重なる時——
夜の世界に、冷気の嵐が爆ぜた。
——ビシッ!
——バキッ⋯⋯!!
路地の地面が
みるみるうちに凍りつき
霜の蔓が這い
男達の足元を白く染め上げていく。
氷は生き物のように地を這い
壁を登り
瞬く間に結界の内側を覆った。
——バリバリバリバリ⋯ッ!!
大地の奥から響くような音と共に
地面が盛り上がる。
その中心に
白い霜のうねりが集まり——
やがてそれは
巨大な蛇の姿となって
結晶の中から現れた。
冷たく、鋭い眼を持つ氷の大蛇。
身体は美しくも
禍々しい氷の鱗で覆われ
その口から放たれる吐息は
見る者すら凍てつかせる。
《シャアアァアアァァアアッッ!!》
咆哮が、夜の路地を震わせた。
その口から——
青く燃え上がる炎が
火柱のように男達に襲いかかる。
「う、うわぁぁああああッ!!」
逃げ惑う男の叫び声が
氷の結界の中で木霊する。
しかし
その悲鳴も
一瞬のうちに凍てつき
白い結晶に包まれた。
用意していた重装備は
なんの意味も成さなかった。
スーツは薄い氷のように砕け
露わになった肌から
細胞は一瞬で凍り
音を立てて——
——砕ける。
「や、やめろ⋯⋯っ!!」
蛇の尾が振り下ろされ
逃げようとした男の身体を絡め取った。
次の瞬間
触れられた場所から
身体中を凍てつく冷気が這い上がり
肌が白く霜に覆われていく。
「⋯⋯た、助け⋯っ!」
言葉を吐く間にも
彼の喉から白い息が零れ
瞳が氷で曇っていく。
——バキィィィンッ!!
音を立てて、その身体は砕けた。
何も残らない。
血も、肉も、声すら——。
ただ、霧散する霜だけが
その命の名残だった。
「血の一滴も、残してはなりませんよ?」
ルナリアが
氷よりも冷えた声で告げる。
氷の蛇は再び地を這い
逃げようとした男の足に噛みつくと
ずるりと呑み込み始める。
「や、やめ⋯⋯やめろぉ⋯っ!!」
身体が
ゆっくりと氷の中に沈んでいく。
膝まで、腰まで、胸まで——。
「いやだ、いやだぁぁぁぁぁっ!!」
男の絶叫は
やがて氷の中に封じられ
そのまま静かに砕けた。
「ふふ。
お友達と長生きしたかったら
お母様を狙わず⋯⋯
来世では真っ当に生きてくださいね?」
エリスが優しく
けれど残酷に笑う。
氷の蛇が最後の一人を呑み込んだとき、全てが静かになった。
白い霜だけが辺りを漂い
冷気はまるで煌めく夢のように
路地を満たしていた。
氷の蛇は
甘えるように双子にすり寄ると
そのままふわりと光の粒となり
空へと舞い上がっていく。
残されたのは、何もない白い道。
「⋯⋯さて、帰りましょうか」
「ええ。
もう、すっかり暗い⋯⋯
早く帰宅したと連絡しなくては
お父様が心配してしまいます」
「お父様ってば
電話は出る事だけしか
できないもんね!」
二人は護符を取り出すと
ひらりと空へと舞わせた。
——ビリリッ。
紙が裂ける音と共に
氷華の結界が音もなく霧散していく。
あれほどの惨劇があった場所は
まるで何事もなかったかのように
静寂を取り戻していた。
手を繋いだまま、双子は歩き出す。
その背に、風が吹く。
——その歩みは、氷よりも冷たく
——そして、炎よりも強く——
ただ、揺らがぬ意思と共に。
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