目撃者 上
――ザッ、ザッサッ、ガサッー――。
目まぐるしく景色が移り変わっていった。
ぐるん!ビュン!ヒュン!タッタッタ!
パルベニオン帝国の住宅街の隙間、ベランダ、外壁を利用して、音もなくソレは駆けていった。
――欲しい、食べたい!匂いがする!うまそうな匂いだ!
あちらこちらで、うまそうな匂いが漂っていた。
ここに来るまでに2度ソレは傷を負っていた。1回めは数ヶ月前に地上へきた時すでにできていたもの。もう1つはここにきてから負った傷だった。……早く回復させねばならなかった。
恐るべき事に、ソレには知性があった。
ソレは自分の姿を他人には見られてはいけないと学んでいた。
目の前に餌があっても本能に従って喰らいついてはいけない、と。
どうやらここの生命体は、この姿を見たら怯えるらしい。そして、弱りきっている今の自分が見つかれば、たとえ非力な力の集合体の攻撃であっても、致命傷になり得る。
生命体には個体差があり、力のあるものとないものがいて、……以前見た2体の生命体のうちその一体は、異様な気配を感じた。あれに見つかれば自分は確実に殺されると、ソレは本能で感じていた。
――音もなく、迅速に獲物を狩る必要がある。何がなんでも、生きるために。
ソレは運がよかった。今日は王位継承選挙開幕日であり、帝国内の人通りがいつもより少ない。暗躍するには絶好のタイミングだった。いくらか森から離れ、住宅街を出て物陰に体をかくし、辺りを伺う。
周囲を見ると一際大きいな鉄塔を見つけ、登った。そこから頂上をぐるり一望する。
――スゥゥゥ。
大きく息を吸う。
狙うなら今しかあるまいと、ソレは感じていた。
――何やら向こうが騒がしい。
人が集まっている。けれどなぜだろうか、このうまい匂いと一緒に混じっている嫌な匂いがすると、ソレは思った。
目を細めて遠くの闘技場を見た。
ゾワリとした感覚。
一歩間違えれば、自分が被食者となりうる、そんな感覚。
雲が太陽を覆い隠し、地上一面が一瞬、陰りをみせた。
また太陽が顔を覗かせた時、怪物は鉄塔から姿を消した。
闘技場。
彼らは静かに階段を上り、数人が王の候補席後ろへ、壁になるように配置した。中には女性であろう人たちもいる。
――ざわざわ。
黒服の人間に囲まれて移動している人物、それが王候補の人間達だ。遠目からだと王候補の人々はみな民に対し背を向けて階段を上っている為、誰がどんな顔をしているか分からない。
けれども、ただ階段を一段上るだけでその動作一つひとつが洗練されているのが、会場にいる全ての人間がわかるほどに浮世絵立っていた。
「あの人たちが後の帝国の、王になる器の方達……」
黒服の人間達と王候補が階段を上るのに続き、ぞろぞろと王宮の遣えている人達も階段下の踊り場へ、護衛を連れて参列し始めている。
黒服の袴のようなものを着ている屈強そうなその男女らは、全員特殊な動物や幾何学模様のような仮面をしており、顔が分からない。
分かる事といえば、その漆黒の背に∞と一を組み合わせたなんとも不思議な紋様の着物を着ている事ぐらいだ。
闘技場にいる民衆の人々はその様子をみると、一瞬にして静けさを取り戻した。皆が開幕まで間近だと分かった。
そして、時が来る――。
王候補者4人が席に着いた。
――――――
音もなくその者たちは目の前へ現れ、それぞれの王候補者の前でこうべを垂れた。
――――――
ハルトが瞼を開いた時、目の前に人がいた。背に薙刀を持つ人物と弓を持った人間が、静かに膝を突き俯いている。
「っ!ハルト様、」
「いい、マララ」
マララは反射でハルトを庇う形で前へ出たが、ハルトの制した声で下がった。そっと他の候補者を見る。自分以外の王候補者の前にも何人か現れ、皆少なからず目を見開いて驚いていた。
そして、自分の目の前にいる人間達。
「お初にお目に掛かります。次の王が決まるまで、貴方様の護衛を拝命されました。阿暁一門が出身、名を由良と申します」
「同じく、ウツミと申します」
「今後は王位継承が終わるまで、我々が貴方様の護衛をひき受けます」
「「どうぞ、よろしくお願い致します」」
そう言って、彼らは淡々と言い放った。
ハルトはもう一度周りを見た。
…………
「――吽暁一門が出身、名をタツミ」
「同じく、トワ」
…………
「――阿暁一門が出身、名をユギト」
「同じく、乱菊」
………………
どうやらそれぞれ王候補者4名に、護衛2名がつくらしい。
王の右腕と噂される阿暁一門と吽暁一門のどちらかがつくようだ。
「ひとつ確認だが、ずっと子守のように僕についているのか?」
「最低限ではありますが、貴方様のお側にいるようにと指示があります。近くにいなければ守ることもできませんので」
「はぁ。それはなんとも面倒だ。得体の知れない者が常に自分の背後にいるとはな……ストレスが溜まる」
ギロリとハルトは2人を見た。由良は仮面越しに眉をぴくりと動かした。
「私たちは影に徹します。空気のように扱って頂いて問題はありません」
ウツミと名乗った男は仮面ごしに淡々と言った。
「違う、そう言う事ではない。……王の右腕とも言われる両一族の片割れがいるんだ。君達ほどの力を持っていれば、悪意ある誰かが暗殺命令など出せば一瞬で継承選挙などけりがつきそうだ、と言いたいんだ」
「……恐れながら申し上げます。我々の役割はあくまであなたの護衛です。そして選挙に干渉する行為は両一門を含め、殺害、暴行、脅迫、諜報――それに準ずる行為は、一切お受けできないようになっています」
ウ ツミは言う。
「……それを信じろと?」
「ご安心ください、とまでは言いいません。不安になるお気持ちもお察しします。……これは不安材料を取り除くとまでは言いません。が、我々は天神の眼によって、それを保障しております。故に嘘はつけません。……それとも、自ら自殺願望がおありであるというのであれば話は別ですが、その際ははっきりお申しあげください。対処致します」
ピシャリとその場が静寂につつまれた。
「よせ、由良。失礼だぞ」
慌てたようにウツミが制する。
ゆらりと由良は立ち上がり、それに続いてウツミも立ち上がった。
「構わないウツミ――私はこの帝国の王を守れと言われているだけで、まだそうと決まっていない人から疑われ、喧嘩をふっかけてきた相手に対し、敬意を示す気は起きない」
皆、ハルトとその護衛のやり取りに耳を立てていた。
「……さっきの発言根に持ったのか?」
「別に」
すかさず由良は平然と言い放つ。
「……ずいぶんと――護衛とやらは生意気なやつらなんだな」
「出過ぎた発言をしてしまった事、このウツミが代わりに謝罪いたします」
「別に貴方が謝る必要はないわウツミ。謝るのは、この王候補者様よ」
「っお前は、その平然とした態度で人を煽るのをやめんか!」
「はぁ、まぁいい。……先程は疑った僕が悪かった、すまない」
「でしょうね」
「っ、もう黙らんか!――お前はもっと当主代理の自覚をもて!」
最後は小声で叱責したウツミ。だが由良は、そんな事は知らんといった表情をとっていた。そして、それは仮面越しであってもありありと想像できた為、ウツミはがくりと肩を落とし、ため息を吐く。
そのやり取りを見ていたハルトは、何とも言えない表情をするばかりだった。
「……とりあえず、僕の邪魔にさえならなければ近くで護衛してくれて問題ない」
「もとよりそのつもりよ」
「御意」
サッとハルトの発言で切り替えた2人は、スッとハルトの背後へ回った。
「「はぁぁ」」
マララは眼を細め、ハルトはため息をついた。
「(由良って子とハルト様、相性最悪だ……ウツミ殿も苦労してらっしゃる……あぁ、ハルト様の同年代のお友達増やそうよ作戦は、まだかかりそうですね」)
後方で一連の様子を見ていたマララは、ウツミの心中を察し、少なからず同情心が芽生えたとか、芽生えなかったとか。
1人の男がゆっくりと建物の踊り場から、王候補席へ移動し、民に向けて話し始める。
「――これよりパルベニオン帝国、王位継承選挙、開幕式を始める!!」
男は巻物のような紙を腕いっぱいに広げて、説明し始めた。
そう言って男が話し出すのと同時に、階段から2名の吽暁一門の護衛達と、それに挟まれている王候補者が民の前へ一歩出た。
瞬く間に人々は、現れたその人物へと視線を向けた。
「まず1人目、パルベニオン帝国――先王の弟君である、ペラルギア・ストラトス殿!!」
ペラルギア・ストラトスは、癖のある白髪混じりの短髪を、頭の前から後へなでつけた。そして民の顔を一周見やり、その場でニコリと笑い一礼した。
「続いて、ラリアラ・ロアンコック殿!」
次に無表情の女が立ち一礼する。年は30代前半といったところ。
翡翠色の瞳に、艶のある茶髪の長髪を靡かせながら、静かに礼をした。いずれも無表情である。
「続いて、カラン・カワラギ殿!」
「はい!あ、」
緊張しているのか、唯一返事を返したのは、カランと言う男の子。本人は顔を赤らめて俯いてしまった。周囲はくすりと笑ったが、そんなところも年相応で可愛いらしいようで、皆微笑ましく眺めていた。王候補者の中では一番歳が若かった。
「最後にハルト・ルネギルス殿!」
ハルトは、両目を見開いて同じく一礼をした。
その眼光は凛々しく、歳がいくつか近いであろう王族のカランと、本当に2.3歳違うだけかと思われるほど、品があり落ち着きはらった態度であった。
―――――
ハルトの姿を見た瞬間、ポッドは目を見開く。
「(どこかでみた気がする)」
鋭い眼光をどこかで見たことがあると感じたポッド。
――ドクン。
こちらをまっすぐ見通す黄玉の瞳だった。
ばっと、ポッドは顔を逸らした。どこからか冷や汗が流れ出した。
「!(まずい、なんか反射で目を逸らしてしまった……)」
闘技場に数多の人々がいるなか、遠くのハルト・ルネギルスと目が合った、気がしたのだ。
あの瞳―。
「……気のせいかな……似てる」
ふと、ポッドは以前出会った図書館の少年を思い浮かべた。
ゆっくりと顔を正面に戻して、候補者をもう一度見る。
「(……でも、見た目違うし別人なんじゃ……まさか変装してたとかか?!)」
ポッド、正解である。――だがここで回答してはくれる者は誰もいなかった。
なおも説明は続く。
「――以上4名が、事前に王宮選抜試験を抜け、候補者として挙がった者達である!なお、次期王は3ヶ月後の市民投票で最も多くの票を獲得した王候補者が『王位継承の儀』によって正式に次期、帝国の王となる!」
同•闘技場•観客席立ち入り禁止出入り口
「はぁ、ハァ間に合って――ないじゃないですか!!」
「何焦ってんのよ、このくらいの時間がちょうどいいのよ❤︎ダラダラと長い語りなんて聞くもんじゃないわ」
「またそんな事言って……ほらそろそろ課題が発表されますよっ!」
「分かってるわよ、やだもうみっともないわね息切れなんて、はやく整えなさいよ!鼻息が五月蝿いわ!」
「まったく、はぁ、誰のせいだとっ!」
補佐のワオウを放置して、ジャンマハオは王候補席の方を見た。
「……ワタシ達はいったいどこへ向かうのかしらね」
小声でジャンマハオは呟いた。
「はぁハァ……え、何か、いいましたか?」
「いいえ❤︎ほら始まるわよ。さっき言ったわよね、別に王族じゃ無くたっていいって思った事ないかって」
「は、はい」
「よく見ておきなさいワオウ。偽りの仮面を被った帝国の素顔を――その代表が決まるというのだから。さぁ……暴くわよ〜こっからの仕事は隠密❤︎分かったわね?」
「はい。てか偽りの仮面だなんて、他に聞かれたらまずいですよ」
「んふふ。そんなヘマしないわ。きっと周りは何の事だか分からないわ」
観客席とは異なるドーム最上階の出入り口で、もたれかかるオカマとワオウ。2人は王族候補者のいる櫓へ視線を移した。
同•闘技場•櫓の王候補席前
「なお、王候補者は王たる資格を見るために最終課題を行う。課題内容は、代々先王が決める。本日から各候補者は、課題の真の意味を市民に示さねばならない。民はその姿を見て3ヶ月後の投票の指針とする!」
「え、課題って先王が決めてんの?」
「そうらしいぜ、過去には王候補者に対して到底無理難題ふっかけたって話もある……」
「虹色に輝く人間を探しだせとか」
「古の都から、宝をとってこいとか」
「なんじゃそりぁ、。」
こそこそと民がざわつく。対して王候補4人は、一斉に空気を張り詰めたものへと変えた。
「では、発表する
最終課題はーーー
『力』である!
王候補4名は、各々課題である自身の力を示し、市民投票を獲得せよ!これが先王の放った最後の任命である!」
「……嫌なお題だわ。範囲が広すぎて絞れない。もっと狭めて下さればいいのに」
そう反応したのは、鉄の女と言われるラリアラ・ロアンコック本人だ。口紅の赤が際立っている。
「私も同じ意見です。シンプルで難しいですねぇ。いったい兄上は何を考えているのやら。……力といっても、在り方は千差万別だというのに」
「うーん、よくわかんないな。……どう思われますか、ハルト様」
そわそわと、顔色をうかがうように隣に座っているハルトへ声を掛けたのは、王位候補者の中で最少年であるカラン・カワラギ、11歳だ。
「僕には分かりかねます。ですが、いずれにせよ王たる器……その力を民に示せればそれで良いのではないかと思いますが……」
4人の心中は同じだった。
――いったい、誰が、何をする、何のための力なのか?対象が広すぎてわからない。
皆が頭を悩ませる中――それは突如、飛来してきた。
「?」
はじめに気がついたのは、群衆の1人。
雲が太陽を遮って、周囲を暗くさせていた。
今日は日差しがあるから、太陽が隠れてくれてよかったと、思って見上げた仕草だった。
だがそれが雲でないと悟った時、その人間の体は硬直し、喉からは細い声しか発せなかった。
「っな、なんだよ、あれはっ……!!」
隣の人間が、その引き攣った声を聞きとった。男は視線を辿るように空を見上げた。
勝色を帯びている鱗、全長が30Mから50Mはありそうな翼竜が、闘技場の真上を旋回していた!何度か空中を回った後、次の瞬間狙いを定めたかのように、一気に闘技場へ急降下してきた。
「ギョエェェェェ!!!」
なんとも歪な翼竜の鳴き声が、闘技場へと響き渡る。
その声に釣られて、気付いてなかった人々もその翼竜の存在を認識した。
「「きゃあぁ!!」」
「なんだよあれ!!」
「え、まさか力を証明しろって、物理的な方なのか?!」
「あ、あぁ!あれを倒せって事か?!」
「そんな事ある?!原始的すぎじゃね?!」
ばっと、会場の人間は王候補席を見た。
だがさっきまでハキハキと説明していた中年の男は驚愕の表情を浮かべて腰を抜かしている。
「っなんだね?!あれは――!!」
男の叫びに皆の心が1つになった。
「「(違うんかい!!ですよね!)」」
「え、まじであの化け物どうすんだよ……」
「警備はどうなってるんだ!!」
そして皆悟り始める。――これは異常事態なのだと。
瞬く間、正気に戻った人間がひとりまたひとりと、一斉に席を立ち出口へ我先に逃げようと駆け出していく。
王候補席。
悲鳴と共に、背に控えていた護衛のウツミは、既にハルトの前へ出ていた。
「ハルト様、お下がりください。由良、行けるか?」
「ええ、問題ないわ。ウツミはそのまま王候補者たちの安全を確保。その間、私はあれを倒す」
「承知。ご武運を」
2人はテキパキやり取りをすると、由良は地上何メートルか離れている櫓の手摺りを、軽々飛び超えて立ち去った。
「ハルト様!お早くっ!」
「あぁ」
マララは、ハルトを出口へ誘導しようと手を引いた。ハルトはもう一度、闘技場に現れた化け物をみやった。
会場は阿鼻叫喚で、今にも化け物は市民を襲おうとしている。
タッタタ――バタバタ。
「ハルト様!こちらへ避難を!おい! 護衛のもう1人はどうしたのかね?!」
王族の警備兵駆けつけて問いただす。
「ご安心ください。あいつはなすべき事を優先したまで」
ウツミは仮面越しに静かに言い放った。そこに慌てた様子は見られない。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!