コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ゆっくり眠った翌日、いつもの服に着替えて出発の支度をする。
昼前ということで、ヤマヒメは彼女たちに弁当を用意して玄関で待っていた。三重の箱を包んだ風呂敷を二つ、両手に持って、上機嫌に鼻歌を歌いながら。
「ぬう、良い匂いがするのう……」
よだれを垂らして傍に立つイルネスをヤマヒメは睨んだ。
「駄目だ、駄目だ。こりゃあ出発して、祠の前で喰うんだよ。見晴らしが良い場所にあるから、向こうで食った方が美味いってもんだ」
「ぬ。どこで食っても同じではないかのう」
ただ食欲を満たせればそれでいいと思っているのに対して、ヤマヒメは「まずは体験。これが大事だ」と頑として聞かず、彼女に分け与えたりはしなかった。
「フ、君たちを見ていると姉妹のようだな」
「おう、準備は終わったかい、ヒルデガルド」
「待たせてしまったかな。もう大丈夫だ」
外ではノキマルが案内のために待って、声を掛けられると振り返って深々とお辞儀をし、「今日はよろしくお願いします」と丁寧な挨拶で答えた。
「よっしゃあ! イルネス、わちきの背中にしがみつきな!」
「ヒルデガルド殿はこちらへ。俺が運びましょう」
イルネスは遠慮なくぴょんと飛び乗ってしがみついたが、ヒルデガルドは少しだけ気恥ずかしそうにノキマルの背中につかまって「子供のとき以来だ」と言った。
「はっはっは! わちきも誰かを背負うのは久しぶりだ。しかも、あのイルネスを背負うことになるとは思わんかったがなあ」
「儂も、ぬしの背中にひっつくことになるとはのう」
ふたりもまた、殺し合った仲だ。どちらかが跪くか、そのうえで互いに、意味もなく死ぬのは勘弁だと決着を諦めた者同士。少しみないうちにヤマヒメが当時よりもさらに力をつけていたことに、イルネスはほんの少しだけ悔しさがあった。
「ヒルデガルドにも勝てる気がせんのに、ぬしまで、いや……儂よりも強い者たちが、世界にはおったんだのう」
「そういうもんさ。だけど全員が王様になりてえわけじゃねえ」
出発して、ヤマヒメとノキマルは都を駆け、外へ飛び出して、森の中を蛇のようにするすると木々に触れて邪魔されることなくすり抜けていく。
「だからよ、イルネス。てめえは最初から王たる器を持っていた。それだけで十分だと思うぜ、わちきは。強いからっつって、壊すだけが能のどっかの骸骨野郎とは話がちげえだろう? なにしろ求めたもんは、人間を滅ぼして世界そのものを手に入れようっつう、いわゆる魔物の楽園を作ることにあったんだからよ」
ヒルデガルドもうんうん頷いて話を聞きながら「そうだぞ、イルネス。人間だって強いだけで英雄になれるわけじゃないんだ」と言って、経験者は語るとでもいうべきか、イルネスは言葉が重たく圧し掛かるような感覚をおぼえた。
「ふん、ぬしらはええ気なもんじゃの。今じゃ王の器どころか水一滴でさえ失いそうなくらい貧弱だと言うのに。はよう元気になりたいもんじゃな」
「てめえはまだ気楽だろうがよ。そのへんにいる豚でも喰っとけ」
「ぬしが狩ってくれるならいくらでも喰うとも」
げらげら笑ったヤマヒメが、だったら狩るかと乗り気になる。たとえ敵同士であったとしても、今やひとりの友として迎え入れていた。
「そろそろ着きますよ。あの岩場にある祠です」
森を抜けて、大きな岩山を見つける。とんとん慣れた足つきで蹴って登っていき、頂上近くから入れる祠の前にすとんと足をつける。平らに整えられた広い岩場で、ヤマヒメは陽の昇る遠くを指差して「見よ、あれを」と嬉しそうに言った。
先に見えるのは、ホウジョウの都、マガトキの景色だ。
「ほお、綺麗だな。祠の前はこんなに見晴らしがいいのか」
「おうとも。わちきも昨日下見に来て知ったんだがよ? こりゃあ、たまんねえってんで、てめえらにも見せたくて、握り飯をこさえたってもんよ」
弁当箱をそっと置き、ノキマルに見張らせて「まずは中に入って、用が済んだらメシにしようじゃねえか」と、ヒルデガルドたちを連れて洞窟へ入っていく。光も差さず真っ暗だったが、奥へ進めば、大きな祠から放たれる淡い薄青の輝きが内部を照らしていた。そこに、ヒルデガルドは強い魔力を感じて近付く。
「……開けてもいいだろうか」
「構いやしねえさ。どうせ誰も管理してねえんだ」
恐る恐る祠の閉ざされた扉の鍵を開けて、ゆっくり開く。中には、ヒルデガルドの竜翡翠にも劣らない巨大な宝玉が飾られている。ただし、深い青色をしていて、指先で触れてみると、その成り立ちさえ異なっている印象を受けた。
触れた瞬間、ヤマヒメだけがハッとした表情をする。
「おう。こりゃあ、なんとも驚いたな」
「これが何なのか分かるのか、ヤマヒメ?」
「……ああ、分かる。馴染んだものみてえに」
彼女が宝玉に手を触れると、宝玉は赤黒く染まっていった。
「うん、やっぱりわちきが触れると汚ねえ色になる。こいつは神の涙だ」
「神の涙……というのはいったい何なんだ?」
「わちきがそう呼んでるだけで、これが何なのかはよく知らねえ。ただ……」
彼女が手を離すと、宝玉は元の色を取り戻す。
「こいつは魔物が触れると力を消滅させ、人間が触れると力を漲らせる不思議な石だ。わちきら魔物っつうのは、正直いって神様って連中が嫌いだからよ? それで神の涙って呼んでるのさ。ただ、力を漲らせるっつっても条件はあるみたいだが」
過去にも何個かあったが、人間がまだ健在だった頃に全て光を失って砕けてしまったので、ヤマヒメも久しぶりに見る代物だった。祠を見つけはしたものの、わざわざ開けようとは思わず、中に入っていたことに驚かされた。
「わちきがてめえらに見せた文献はかなり古いもんだから、当時にホウジョウにいた人間が祀ったものなんだろうさ。ご立派な……もしかしたら、魔核の再生に役立つかもしれねえし、まずは持ち帰ってみようじゃねえの」
「……えっ。祀ってるものを持ち出すのか?」
当然だろう、とヤマヒメが首を傾げた。
「この島の全てはわちきのもんだ。わちきが良いって言えば構いやしねえ。……なあに、問題があろうと知ったことか。こんなもんがご丁寧に祀ってあっても、結局は人間なんざ、島には一人も残らなかったんだから」