テラーノベル
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「新くん、これなに? すごいキレイな色……! さっきのと全然違う」
「『ベリー・ブリーズ』です。クランベリーの酸味を効かせた、甘酸っぱいカクテルです。さっきのカクテルは甘めだったので、今回はこちらのフルーツが瑞々しいスッキリした味のものにしてみました」
僕は洸くんの目の前にそれを置き、少しだけトーンを落として言った。
「うわぁ……! ほんまや、めっちゃスッキリしてて飲みやすい。俺、あんまりお酒飲めへんけど、これなら毎日飲めるかも」
以前空くんの家に差し入れられた、度数の低いフルーツのお酒。洸くんファーストの上重家の事だ。これはきっと洸くんが好きなお酒の味だと思っていたが、ここでその予想がドンピシャにハマるとは思っていなかった。心の中で小さくガッツポーズをしながら、余裕があるように微笑んで見せる。
その後、洸くんのパチパチとした瞬きが増えていき、やがて最後のお客様を送り出し、パタンと扉の鍵を閉めた時には。
洸くんはカウンターの隅で、僕の黒パーカーの袖に顔を埋めるようにして、すやすやとうたた寝を始めていた。
「……洸くん」
店内の明かりを落とし、間接照明だけにする。
薄暗い空間の中、カウンターに突っ伏して眠る彼の寝顔は、驚くほど無防備で、愛らしかった。
フードの隙間から覗く長い睫毛、少し開いた小さな唇。
手を伸ばせば、簡単に触れられる距離。
触れたい、抱きしめたい、僕だけのものにしたい。
そっと彼の隣の椅子に座り、ジィッと見つめる。
……ここにピカチュウがあったなら。直接手を触れる事が許されなくても、そのふわふわの腕で洸くんの柔らかそうなほっぺの感触を、少しでも試す事ができたのに。
……手袋ではどうやろう。仕込みの為に使うあの手袋。あれやったら直接触るわけではないし、もしバレたとしても嫌な気は……いや、そういう事ではないな。
自分のふざけた深夜テンションな思考に、少し呆れて洸くんをもう一度見つめる。
仕込みを見学してもらう約束はした。でも洸くんを寝させてもあげたい。もし、ここで仕込みを見逃してしまったら、もしかして、もう一度、今日のようにBARを訪れてくれるかもしれない。
僕は気持ちを切り替えてカウンターの奥のキッチンスペースへと向かい、ミートソースを煮込む作業に取りかかることにした。
フライパンにオリーブオイルをひき、じっくり炒めた玉ねぎと挽肉に、完熟トマトと数種類のハーブを合わせる。コンロの火を弱め、コトコトとソースを煮込み始めると、それまでの甘いチョコの香りに代わって、じっくりと深みのある、あまりにも美味しそうなミートソースの香りが店内に広がり始めた。
「……ん……っ」
その豊かな匂いに誘われるように、カウンターの隅で小さな声が上がった。
洸くんがゆっくりと頭を上げ、黒パーカーのフードを落とし、眠そうに目をこすりながらこちらを覗き込む。
「……あれ? めっちゃええ匂いする。……新くん、これ、俺の好きなやつ?」
「あ、起こしちゃいましたか? そうです。前に美味しいって言ってくれたミートソースを、今煮込み始めた所です」
そういって同時に、冷たいお水の入った新しいグラスを差し出す。
「お酒、弱いのに、沢山飲ませてごめんなさい。お水飲んでスッキリして下さいね」
「ううん、色んなお酒飲めて俺も嬉しくなっちゃって。普段出来ひん経験が出来たから楽しいよ。寝ちゃったのは、いつも12時には寝るから、身体が反応しちゃっただけ」
ふふふと可愛く笑う彼を見つめる。規則正しい生活に慣れているのに、僕の為にこんな時間に無理してこの店に訪れたくれた。そんな事すら愛おしく感じる。
「……でも、ミートソースの仕込み見逃しちゃったなぁ。残念」
これは、あの時起こした方が正解やったか。でも、僕にはまだ秘策がある。
「洸くん、仕込みは、試食込みで仕込みなんですよ? なので、あとでパスタの試食お願いします。テリーヌはまだ三時間ほどしか冷やして無いのですが、味見してもらえますか?」
「うん、したい!」
お店に出すものより、柔らかめのテリーヌを1人分切り、小皿に載せて差し出した。
「完璧に固まった時とは、また食感も違いますから、色々な味や食感が楽しめていいですよ」
僕が少し悪戯っぽく微笑んで言うと、洸くんはそれをフォークで丁寧にすくい、そっと口に含む。
「んん~っ! 濃厚……! こっちも柔らかくてめちゃくちゃ美味しい!」
両手を頬に当てて感動している洸くん。けれど、まだ柔らかいテリーヌを夢中で食べていたせいで、洸くんの唇の端に、少しチョコがついている。
こ、これは……あのプリンの時のデジャヴか!
僕はあの時と同じように、ティッシュを一枚取り、洸くんに捧げて見せる。
「……洸くん。口元にチョコが」
「ん? どこ?」
洸くんはあの時、隣に座っていた弦さんにしたように僕に向かって、んっと顔を向けまるで、「取って」とでもいうかのように催促した。
待ってくれ……僕は……僕的には……あのハムスターのようなティッシュぐしぐしをもう一度見れるだけで満足だった……!でも、今、僕に課せられているのは、洸くんの口元をたった一枚の薄いティッシュでぬぐわなければいけないという最大のミッションだ。
下手をすれば、その薄さから唇の感覚がこの指に伝わる。そんな事が起これば僕は正気でいられる気がしない。
細心の注意を払いながら、カウンター越しにそっと彼の口元へ手を伸ばした。
「ぱくっ」
洸くんのイタズラな声が聞こえたかと思うと、彼はあろう事か、ティッシュごと、僕の指を咥えたのだ。
「へっ!?」
思わずフリーズする僕に、「あ、ティッシュも食べちゃった」と笑いながら、口についているティッシュをはらっている。
なんなんだ、この人は……!常に僕の予想を超える可愛さを更新してくるんだが!
「いやや、今度はティッシュがついちゃった」
ニコニコと一生懸命それを払う彼をみて、思わずふふっと笑いが漏れる。
「もしかして、洸くん酔ってますか?」
「そうなんかな?今何してても楽しい」
そう笑った彼が愛おしくてたまらない。
今……少しだけなら、大丈夫かもしれない。
そっと彼の頬に手を伸ばし、親指で軽く、ティッシュのカケラを払ってあげる。まるで子猫がじゃれつくように気持ちよさそうに顔を動かす彼に僕の感情は限界を迎える。
「……取れました。あ、パスタも味見しますか? まだ途中ですけど、それも味わいが違って美味しいですよ?」
はち切れそうな心臓を隠し、恥ずかしさを誤魔化すように、僕は走るようにキッチンへと戻る。
すると洸くんは、さっきまでの甘い空気なんて何も無かったかのように、「やったあ!」と無邪気に嬉しそうな声を上げた。
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