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第2章「三人の稽古」
放課後、最後のチャイムが鳴り響いた教室には、いつものように椅子を引く音と雑多なおしゃべりが溶け合っていた。
「今日も行くよね?」
水々葉がカバンを閉じながら、めぐみにそっと尋ねる。
「もちろん。なっちゃんも来る?」
「うん、あたしも運動したい気分」
夏菜が軽く伸びをしながら応えた。
――そのやり取りで思い出したように、めぐみがポツリと呟く。
「そういえばさ……。今日、廊下で1組の牧野さん見かけたんだけど」
「牧野さん?」水々葉が首をかしげる。
「あの子、自己紹介カードに『負けず嫌いで体を動かすのが好き』って書いてたでしょ?」
「あ〜! あのスラッとした子ね」夏菜が思い出したように言う。
「うん。気になっててさ……タイミングがあったら声かけてみようかなって」
「ふーん……めぐがそういうふうに誰かのこと言うのって珍しいかも」
「そ、そう?」
水々葉と夏菜がふっと笑い合う。
そんなやりとりをしながら、三人は昇降口へ向かった。
*
神社へと続く坂道を抜け、三人はいつもの土俵にたどり着いた。
「よし、今日もやるよ!」
めぐみがまわしを締めながら意気込む。
「まずは準備体操だね〜」
夏菜が伸びをしながらその場で軽く跳ねる。
水々葉も素直に腕を回して、肩をほぐし始めた。
腕を振って、足を曲げて、じっくりと柔軟をこなす三人。
めぐみが主導で、「次、開脚〜」と声をかけながらリズムよく動いていく。
「じゃあ、次は四股だよ」
めぐみが地面に足をしっかり下ろして、踏みしめるように腰を落とした。
土俵の俵が軽く揺れる。
「いち、に……」
左右交互に四股を踏みながら、めぐみの声が響いた。
「よし、じゃあ、次はいよいよ——」
めぐみが立ち上がり、構えようとした時。
「めぐ、それだけでいいの? すり足とかは?」
水々葉がぽつりと言った。
「えっ? すり足……?」
めぐみの顔がぽかんとする。
「えぇぇ……知らないの?」
夏菜があきれたように笑う。
「だって、去年も一人だったし……技の形ばっかりやってたから……」
「も〜、基本からでしょ。はい、まずこうして、腰を落として、足を引きずるように出すの」
水々葉が前に出て、すり足の動作を見せてくれる。
「すご……水々葉、なんか本格的」
「昨晩ちょっと調べただけ。でもこういう基礎ってちゃんとやっといた方がいいって」
「わ、わかった。うちもやってみる……!」
めぐみは見よう見まねですり足を始めた。ぎこちなく前へ進もうとする姿に、夏菜と水々葉はくすっと笑う。
「ほら、腰が高いよ〜!」
「えーっ、こんな感じ……? あっ、つま先……」
「あはは、でも初めてにしては上出来だよ」
「くっ、悔しいけどありがと……!」
しばらくして、三人のすり足の練習も落ち着いたころ。
「じゃ、そろそろ形やってみようか。今日も“がっぷり四つ”やろうよ」
めぐみが手を腰にあてて言う。
「またそれ〜?」
夏菜が笑う。
「めぐって、なんかそればっかだよね」
「うち、それ得意だから……両差しで胸を合わせて押すのが一番勝てたんだよ」
「でもさ、寄るだけじゃなくて投げもやってみたい」
と水々葉が口を挟んだ。
「そうそう、私はスピード勝負も練習したい!回り込んで突き出すのとか〜」
夏菜も同意する。
「うっ……うちは……寄り相撲しかしてこなかったから……」
めぐみは少し顔を伏せる。
「……順番にやってみよっか」
と、ふいに言った。
「いろんな技を知ってた方がいいし、お互いに教え合いながらやっていこう」
「おお〜、成長してる!」
夏菜が両手を上げて言った。
「じゃあ、まずは投げ技からいく? 下手投げとか」
「うん、投げってタイミングが大事なんだよね」
水々葉が真剣な目で構える。
「じゃあ、なっちゃん、うちの動き見てて。水々葉、ちょっと組もう」
「はいよ」
土俵の上でふたりが組み合う。
めぐみが腰を落として水々葉と腕を取り合う。だが、少し体を振った水々葉にバランスを崩され、ずるっと尻もちをつく。
「いったぁ……!」
「でも今の、綺麗に下手投げ決まってたね」
夏菜が手を叩く。
「うーん……これが相撲の深さか……」
めぐみは土の上に手をついて、空を見上げた。
「……うち、前はずっと一人でここにいてさ」
ぽつりと漏らすように呟いた。
「誰とも組まずに、負けた悔しさだけ抱えて稽古してて……でも、今こうして一緒に稽古できて、なんか……嬉しいなって」
「なーにしんみりしてんのよ」
背後から、がばっと水々葉が勢いよく抱きつく。
「うちらがいるじゃん。めぐはもう一人じゃないんだから!」
「そうだよー」
夏菜が笑いながら寄ってきた。
「これから毎日こうして、笑って練習すればいいの!」
「……うん!」
そのとき、森の奥にふと視線を送っためぐみの目に、細い影が映った。
木々の隙間を抜けるようにして、誰かが走り去っていく。
(今の……)
三つ編みが揺れていた。
(……牧野さん?)
めぐみは少しだけ驚いた顔をしたが、ふたりには何も言わず、そのまま視線を土俵に戻した。
春の陽が、ゆっくりと境内を包み込んでいた。
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