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バナナミルク
18
アスファルトが白く爆ぜるような、三門市の八月だった。
「あー、クソあちぃ。脳みそ溶けそう。出水、それ一口ちょうだい」
自販機の電子音が響くのとほぼ同時に、米屋陽介は出水の持つ炭酸飲料へと手を伸ばしていた。
「あ? 自分で買えよ」
口ではそう毒づきながらも、出水公平は拒むことなく冷えたアルミ缶を渡す。米屋はそれを器用に受け取ると、喉を鳴らして炭酸を流し込んだ。汗の浮かんだ首筋、容赦なく照りつける太陽、そしてうるさいほどの蝉時雨。どこを切り取っても、それは十七歳の、健全で、ありふれた夏の景色のはずだった。
「ん、サンキュ。生き返った」
米屋が缶を返す。その際、冷えたアルミ缶を介して、米屋の濡れた指先が出水の手首に触れた。一瞬だけ、じっとりとした夏の熱とは違う、ひやりとした体温がそこに残る。出水は無言でそれを受け取り、残りの炭酸を飲み干した。ぬるくなった液体が喉を灼く。
「……さっきの合同ランク戦さ。おまえ、わざと隙作ったろ」
空き缶をゴミ箱に投げ入れながら、出水が何気ない口調で言った。今日の夕方に行われた、三輪隊と太刀川隊の合同訓練。その最中、米屋の動きにほんのわずかな違和感があった。他の奴が見ればただの反応の遅れで済まされるような、刹那の空白。米屋はフェンスに背中を預け、けろりとした顔で笑う。
「なんのこと?オレはいつでも全力全開、槍バカ丸出しですけど」
「嘘つけ。おまえが間合いを見誤るわけねぇだろ。おかげでおれがメテオラ叩き込むハメになった」
「あはは、結果オーライじゃん。おまえの弾、今日もキレキレだったし」
屈託のない笑顔。三輪隊の特攻、戦闘を愛する槍使い――それが周囲の評する米屋陽介だ。けれど、出水はその横顔をじっと見つめていた。米屋陽介は、太刀川慶のような天災ではない。自分の足で泥を払い、壁を穿ち、執念だけでこの前線まで這い上がってきた男だ。だからこそ、天才である出水の隣に立つために、彼がどれほどの熱量を注ぎ、どれほど計算高く動いているかを、出水は誰よりも知っていた。知っていて、それを心地よいと思っている。
「おまえがおれのカバーに回る瞬間が、一番綺麗に弾が通るんだよ」
出水がぽつりと言った。それは、相棒に対するこれ以上ない賛辞であり、絶対の信頼の証だった。けれど、その言葉の裏には、薄暗い特権意識が隠されている。
『だからおまえは、ずっとおれの斜め後ろで、おれの引き立て役として泥を啜っていろ』
そんな残酷な独占欲を、出水は爽やかな笑みの下に隠していた。他の誰の盾にもなるな。おれのためだけに、その槍を振るえ。
「へえ」
米屋は目を細めた。夏の強烈な光が、彼の茶髪を透かしている。
「じゃあさ、出水。オレが死ぬまで、その弾、オレ以外に打たせないでよ?」
悪戯っぽく笑う米屋の瞳。だが、その奥には、三門市の青空がただフラットに反射しているだけで、感情の揺らぎが何一つ見えなかった。
「……バカ言え。弾バカの弾は、全員に平等に降り注ぐんだよ」
出水は突き放すように言って、歩き出した。 背後から、米屋の「冷てぇなー!」という笑い声が追いかけてくる。その声が、なぜかひどく遠くの幻聴のように耳に届いた。
ボーダー本部の中は、外の酷暑が嘘のようにエアコンが効いていた。作戦室のソファに寝転がりながら、米屋はスマホの画面を眺めている。画面には、他の隊員たちと笑い合う出水の写真。SNSに上がっていた、別の部隊との飯会の様子だ。
「陽介、さっきから顔が怖いぞ」
デスクで書類をめくっていた三輪秀次が、怪訝そうに米屋を見た。
「え? そう? いつものイケメンなオレでしょ」
「……お前がそういう笑い方をするときは、大抵ろくなことを考えていない」
三輪はため息をつき、再び手元の書類に目を落とした。米屋はスマホをポケットに放り込み、天井の白い蛍光灯を見上げた。眩しい。眩しくて、少し吐き気がする。
出水公平という男は、誰にでも優しい。誰とでも飯に行くし、誰の訓練にだって付き合う。頼まれればシューターの指導をし、誰からも好かれるボーダーの至宝だ。それが、たまらなく気に食わない。米屋にとって、出水は友達だ。それ以上でも、それ以下でもない。ボーダーという狂った組織の中で出会った、最高の悪友。けれど、その友達という言葉は、米屋にとって世界で最も都合のいい呪いだった。
『友達なんだから、隣にいて当然だろう』
『友達なんだから、オレの我が儘を一番に聞いてくれるよな』
恋愛のような脆い関係ではない。裏切りや破局が待っているような生ぬるい繋がりではない。友達という強固な檻の中に、出水を閉じ込めておける。
もし、出水がその檻から出ようとしたら?
米屋は自分の右手をじっと見つめた。弧月を握り締め、幾多の近界民を屠ってきた手だ。出水が、自分以外の誰かを一番に据える日が来たら。その時は、その天才の両翼をへし折ってでも、自分の隣に留めておきたくなるかもしれない。
「……あーあ。早く、夜になんねぇかな」
米屋の呟きは、エアコンの作動音にかき消されて、三輪には届かなかった。
その日の深夜、三門市に局地的な警戒警報が鳴り響いた。夜の帳が降りた街は、昼間の暑さを吸い込んだまま、じっとりと湿っている。
「左から三匹。仕留めきれる?」
「誰に言ってんだよ。……千発百中」
出水の声とともに、夜空に無数の光の礫が咲いた。変化炸裂弾が、闇を裂いてネイバーの巨体を焼き尽くす。爆風の中を、米屋が迷いなく地を蹴って飛び込んだ。残党の首を、幻踊の一撃が正確に刈り取る。 ー鮮やかな連係。息をするように、お互いの次の動きがわかる。トリオン体が解除され、二人は生身の身体で、深夜の公園のベンチに座り込んでいた。時刻は午前二時。周囲には誰もいない。街灯の光だけが、二人の影を長く地面に伸ばしている。
「ふぅ……。夜でも暑いな、マジで」
米屋がシャツの襟元を引っ張り、首筋に風を送る。出水はベンチに深く腰掛け、夜空を見上げていた。星は見えない。どんよりとした雲が、街の灯りを反射して赤白く濁っている。
「なぁ、米屋」
「ん?」
「おまえ、もしおれがボーダー辞めるって言ったら、どうする?」
唐突な問いだった。出水公平がボーダーを辞める理由など、今のアタッカー順位や彼の性格からして、万に一つもあり得ない。だからこそ、それは純粋な試し行為だった。米屋は動きを止め、出水の横顔を見た。街灯の淡い光が、出水の端正な顔立ちを照らしている。その瞳は、昼間とは違って、ひどく冷徹で、何かを渇望しているように見えた。
「どうする、って……」
米屋はゆっくりと笑みを浮かべた。その笑顔は、昼間のそれとは全く違っていた。三輪が見たら、確実に警告を発するレベルの、底の抜けた笑み。
「そりゃ、出水の足を刺してでも止めるに決まってんじゃん」
「……冗談だろ?」
「冗談に見える?」
米屋はベンチの上で身を乗り出し、出水の顔に近づけた。 二人の距離が、急速に縮まる。息がかかるほどの距離。けれど、そこに色めいた空気は微塵もない。あるのは、ただ純度の高い異常性だけだ。
「出水さぁ。おまえ、自分のこと天才だと思って、みんなに良い顔してるけどさ。おまえのその綺麗な弾を、一番綺麗に使えるのはオレなんだよ。おまえがオレを置いてどこかに行くなんて、そんなの、オレの青春が許さないわけ」
米屋の声は優しかった。まるで、幼子に絵本を読み聞かせるような、穏やかさで。
「おまえはオレの友達で、オレの相棒。ずっと、このクソ暑い夏の中で、オレと一緒にバカやってなきゃダメなんだよ」
出水は、息を呑んだ。恐怖はなかった。むしろ、胸の奥から湧き上がってきたのは、暗い歓喜だった。
(あぁ、やっぱりそうだ)
こいつは、おれを縛り付けようとしている。そして自分もまた、こいつが自分以外の誰かに牙を剥くことを許さない。二人の間にあるのは、美しい友情などではない。友達という仮面を被った、共依存という名の病室だった。
「……かもな」
出水は、ふっと口元を綻ばせた。
「おまえに足を刺されるくらいなら、ここにいてやるよ。……夏が、終わるまではな」
「夏が終わっても、次の夏が来るじゃん」
米屋は満足そうに笑い、元の位置に戻った。
数日後。相変わらず三門市は、うだるような暑さが続いていた。本部の屋上で、二人は並んでフェンスに寄りかかっていた。手には、あの時と同じ炭酸飲料。
「今日、なんか雲が秋っぽいな」
米屋が空を指差す。確かに、鱗雲のようなものが遠くに見える。季節は確実に、進もうとしていた。が、出水にはそれが信じられなかった。この夏は、終わらない。終わらせない。米屋のあの引きつったような笑みと、自分の胸を焦がす独占欲がある限り、二人の時間は、この照りつける陽炎の中に永遠に固定されている。
「おまえ、何考えてんの?」
「いや。別に」
出水は缶のプルタブを引きちぎらんばかりの勢いで開けた。白い泡が、吹きこぼれて彼の手を汚す。
「あーあ、もったいね。ほら、貸せって」
米屋が笑いながら、出水の汚れた手を自分のハンカチで乱暴に拭う。その手の温もりを感じながら、出水は心の中で、静かに呪文を唱えていた。それは、 相手をこの場所に永遠に留めるための、優しくて、最も残酷な呪い。眩しすぎる青空の下、二人の少年は、どこまでも爽やかに、そしてどこまでも深く、歪んだ闇の中へと堕ちていく。蝉の声が、まるで終わりのない賛美歌のように、二人を包み込んでいた。
コメント
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【お知らせ】 現在作者多忙とネタ切れによりかなりの不定期更新となっています(; ̫;) 今週に中間考査がおわりますので、来週からはもう少し更新ペースも上げられるかと思います しかし本当にネタがありません、なのでリクエストを募集させてください… どの話のコメントでも構いませんので、もしございましたらどしどし書いていただけると助かります!!( > <꧞)
うわああああ待ってこれ最高すぎる……!!!😭💕💕 “友達”っていう檻に閉じ込めておこうとする米屋と、それに気づいて喜んじゃってる出水の共依存関係がもうエモすぎて頭おかしくなるかと思った!!表面的な爽やか夏風景の裏で渦巻く独占欲と異常性、このギャップがたまらんのよ…。特に「足刺してでも止める」「夏が終わるまではな」の掛け合い、鳥肌立ったよマジで…!! この歪な関係性がこれからどう転んでいくのか、続きが気になりすぎる…!さんま先生、神作品ありがとうございます🥺💕✨