テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
そこは見渡す限り漆黒の世界。
まるで未来への希望を抱くことが出来なかった今までの私の人生そのもの。
でも、不思議と安らいだ気持ちになれた。だってここは現実世界とは違って私を傷つける言葉を吐きかける者は存在しない。ただそれだけで幸せだと心の底から思った。
その時、暗闇の中から幾つもの影が蠢くのが分かった。
見えたわけではない。何かがゆっくりとこちらに近づいて来る気配がした。
八つの気配が私を取り囲む。不思議と恐怖は感じなかった。
薄く目を開くと小さな赤い光が幾つも見えた。正確には16個の赤い光。
八つの影が一斉に伸びると私の身体に纏わりついて来る。一瞬だけ驚いてしまったけれども八つの影は私を傷つけようとする意図はないとすぐに分かる。全身に心地よい感触が伝わる。まるで私に甘えてくるようだと思った。
今まで味わったことのない感覚にほんの少しだけ戸惑いを覚える。
だって今までの私は醜い見た目の為に嘲られるか恐れられるかのどちらかの感情しか向けられたことがなかったから。謎の影からはそれら嫌な気配は微塵も感じられなかったのだ。
その時、私は八つの影の正体に気付いた。
ああ、この子達は私の……。
次の瞬間、赤く焦げたような禍々しい光が暗闇の世界を打ち消した。
目を開けると、そこは秘密基地近くにある川辺。沈みかけの夕陽が辺りを禍々しい赤色に焼き焦がし、静かに酉の刻を告げていた。
「大禍時……私、いつの間に眠っちゃったんだろう?」
現と幽世の世界が重なる時間。それが大禍時。もっとも妖が活発に活動する時間帯であり、まともな人間ならばこんな時間にたった一人で外をうろつくことはしない。周囲からは人の気配は全くしなかった。
私はハッとなる。たちまち胸の中は焦燥に塗れた。大禍時を恐れたからではない。それよりももっと恐ろしいもののことを思い出したからだ。
いけない。早く帰って夕飯の支度をしなきゃ。いや、半日分の家事をさぼってしまった。これではあの家族からどんな酷い折檻を受けるか想像するだけで背筋が凍り付く思いだった。
私は慌てて立ち上がると一気に駆け出した。
土手を駆け上がり橋を渡ろうとしたところ、私は後ろから声をかけられた。
「おい、お前⁉ 大禍時に一人で何をしている⁉ 早く家に帰るんだ。妖に喰われたいのか⁉」
若い男性の怒気を孕んだ声に私は驚いて咄嗟に振り返る。
「え⁉」
そこには白と黒の退魔士の隊服に身を包んだ二人の若い男性がいた。隊服には白蛇の紋章があり一目で高天家所属の退魔士であることが分かった。
恐らく彼等は巡回中の退魔士だろう。こうやって退魔士は一般人を妖から守るために24時間街の巡回任務についている。
今もきっと大禍時で危険な時間帯にうっかり外出してしまった一般人に注意を促すために私に声をかけたのだろうけれども。
彼等は私の顔を見るなりウッと顔をしかめると、忌々し気にチッと舌打ちした。
「何だ、本家の醜女か。声をかけて損をしたわ」
一人がそう吐き捨てると、二人は踵を返し歩き始めた。
「あの醜さでは妖や怪異の方が恐れて近寄って来ぬだろうよ」
もう一人がそう言うと、二人は、ぎゃはははははははは! と大声で笑いながらそのまま立ち去って行った。
私は彼等の背中を見送りながら下唇をキュッと噛みしめ服の裾を握り締める。
目頭が熱くなるのが分かり、私はそれを氾濫させぬように顔を見上げてグッと堪えた。
「醜い結構よ。泣いてなんかやらないんだから」
私は真っ赤に染まった空を見上げながら、優しく私を見つめる紅蓮の様な赤い瞳をふと思い出す。
その時、何故か優しく微笑みかけられたような気がして、一瞬で頬に熱が帯びるのを感じた。
自分の妄想が創り出した誰とも知れぬ幻影に対して胸をときめかせてしまった。
私ったら馬鹿ね。でも……。
「私なんかと違って綺麗な男性だったな……」
自然と口元が緩んだ。気を引き締める為にバン! と両手で頬を叩く。
「馬鹿な事ばかり考えていないでさっさと戻らないと」
あの地獄に戻った後のことを考えるだけで憂鬱な気持ちが氾濫しそうだったけれども、今はともかく私は駆け出した。
自分が創り出した妄想の産物に元気づけられるなんて想像もしたことなかったわ。
自然と笑みがこぼれた。自分が情けないと思ったからじゃない。ただそれだけで十分に幸せに感じたから。他人が聞いたら滑稽な話かもしれないけれども、そんなことはどうでも良かった。
可能な限り全力疾走で実家の本邸に戻った私は裏口から台所に飛び込んだ。
お昼の家事をさぼったことはもうどうしようもない。せめて夕食の支度に間に合えば折檻も軽く済むだろう。
私が身支度を整え手洗いをし夕食の献立表を見ようとした瞬間、一番会いたくない実妹白雪の怒声が響いてきた。
「双葉お姉様、何処にいらっしゃるの⁉」
怒声と共に白雪が台所に入って来る。
私は慌てて白雪に返事をした。
「ご、ごめんなさい! ちょっと寝過ごしてしまって……すぐに夕食の支度はするから少し待っていてくれないかしら?」
私は慌てふためきながら白雪に言う。
すると、白雪は苛立ってはいるようだったけれども、何故か少し焦った様子でチッと舌打ちすると私の腕を掴んで来た。
いつものように折檻される、と思ったのも束の間、白雪の口から意外な科白が飛び出て来た。
「そんなのどうでもいいから、こっちに来て。早く!」
「え、ええ、分かったわ。でも何処に?」
予想外の展開に私はただ呆気にとられる。
「当主の間よ。いいから早く……!」
当主の間? そこは私が出入りすることを強く禁じられた場所のはず。
高天家にとって神聖なる場所であり、私のような穢れた存在が立ち入って良い場所ではないと幼少期から言いつけられていた。
以前に一度だけ入ったことがあったけれども、その時は思い出したくもないような凄惨な折檻を受けたのだっけ。
何故、私を当主の間に? でも、言われた通りに行かないと白雪に何をされるか分かったものじゃない。
戸惑いつつも私は駆け出す白雪の後を追いかけた。
何事かと思いつつも私は当主の間の前に到着する。
「さ、双葉お姉様、とっととお入りになって」
先に到着していた白雪が当主の間の扉を開けると、顎で中に入るように促して来る。
私は息を呑み込むと、白雪の後を追う様に当主の間に入った。
〈いったい何が起きているの?〉
戸惑いよりも今は得体の知れない不安が勝った。
状況が把握できないまま、当主の間に入った瞬間、私は更なる混乱に見舞われた。
「お帰りなさい、双葉!」
突然、今まで見たことも無いような笑顔の母が私を出迎えた。
「え? え? あ、はい、お母様。遅くなりまして申し訳ございません……」
「そんなことはどうでもいいの。さ、こっちにいらっしゃい」
母が手招きする先には父の姿もあった。
私は混乱状態に陥っていたが、言われるがままに母の元に行く。
そして、そこで父もまた今だ見たことも無いような笑顔で私を出迎えて来た。今朝の無感情ぶりが嘘の様な笑顔を向けて来た。
「双葉、待っていたぞ」
「す、すみません。ちょっとうたた寝してしまって、今日は満足に家事をすることを怠ってしまいました。どうかお許しを」
「そんなことはどうでもいいのだ」
そう言って父はニコッと満面の笑みを浮かべた。
何が起こっているの? 両親の豹変ぶりに私は安堵よりも不気味さを感じずにはいられなかった。
「双葉、実は今宵、急遽として宴が催されることになった。それにお前も出席しなさい」
「宴? 何のですか?」
「喜びなさい。妹の白雪の婚約の義の宴だ」
父がそう言うと、母も満面に笑みを浮かべてうんうんと頷いて見せた。
白雪は何故か勝ち誇ったような笑みを私に向けて来た。そんな挑戦的にならなくても私は貴女と争うつもりはないのに、と心の裡で嘆息した。でも、皮肉なことに白雪だけは相変わらずだったのでちょっとだけ安心してしまった自分がいる。
どうやら私が狂ってしまったわけではなく、両親は本当に機嫌が良いだけみたいだ。
それにしても白雪が婚約だなんて。相手はどこの誰なのかな?
一応、高天家も序列最下位であっても退魔士としてはエリートの家系だ。両親の上機嫌ぶりからして相当上位序列の一族から婚約の申し入れがあったのだろう。
「それはおめでとうございます。本当に私も嬉しいわ、白雪」
私は心の底から嬉しいと思い、精一杯の笑顔を白雪に向けた。
すると、白雪はにやり、とほくそ笑むと、目を細めながら私を見つめて来た。
その視線があまりにも禍々しくて私は背筋に冷たいものを感じた。
「ありがとう、双葉お姉様。私、幸せになるから応援よろしくね」
「え、ええ、もちろんよ。実の妹の幸せを願わない姉はいないわ」
それは嘘じゃない。ただ白雪が結婚して家から出て行けば私に対する仕打ちも大分マシになる、とだけは思った。
「それで、白雪を見初めたのはどなたですか?」
私の質問の後、三人は同時に満面の笑みを浮かべた。
「序列1位九頭竜家次期当主、九頭竜紅蓮様だ」
その名を聞いた瞬間、私は驚きのあまり声を張り上げそうになった。
「九頭竜家の若様が白雪と⁉」
なるほど、それなら三人の異常なまでの上機嫌振りにも合点がいった。
没落した高天家の野望は上位序列に返り咲くこと。それに父が異常なまでの執念を燃やしていることは私も知っている。
九頭竜家との婚姻はその野望に一歩どころか大分近づくことになるだろうことは学の無い私にでも分かった。
それにしても、一つだけ分からないことがある。そのようなおめでたい席に私が出てもいいのだろうか?
今までは白雪の誕生会ですら穢れるという理由でその日一日だけは家から追い出されていたというのに。
「そのようなおめでたい席に私などが出てもよろしいのでしょうか?」
思わず私は疑問を口にした。
すると、父はまたもや今まで見たことも無いような穏やかで優し気な笑みを私に向けて来る。
「もちろんだ。お前は白雪の姉なのだから」
「お父様……」
私はまたもや目頭が熱くなるのを感じた。今度のは悲しいからでも悔しいからでもない。本当に嬉しいと思ったからだ。
家族から当たり前のことを言われて私は心の底から嬉しいと思った。
これが嬉しいってことなのね。今までも小さな嬉しいや幸せを探し感じつつもこの嬉しいは今までに感じたことのないもの。
「さあ、そういうわけだから、双葉も用意をしなさい。お前にも着物を用意しておいたから身を清めた後、着替えなさい」
「私に着物を……?」
「今まで双葉には苦労をさせてしまった。その詫びではないが、心よりの贈り物だ」
「私が後で着付けを手伝ってあげますからね」
そう言って父と母は優しく微笑んで見せた。
生まれて初めての家族からのプレゼントであることに気付き、私は全身が喜びで震えた。
「はい、ありがとうございます、お父様、お母様」
それは心の底から湧き出た感謝の言葉。
「礼は良いから、早く準備なさい。さあ、今宵は忙しくなるぞ」
「はい、分かりました」
私は目の端に浮かんだ涙を指で拭う。
これでようやく私も家族の一員になれたんだ。
その時、私は微塵も疑うこともなくそう喜んだ。
でも、その希望はあっけなく打ち砕かれることになる。
『私、幸せになるから応援よろしくね』
何故か白雪のその科白が耳にこびれついて離れなかった。
不意に嫌な予感が過ったが、幸せな気持ちが勝り私は気にも留めなかった。
その予感は最悪の状況で的中することになる。
この世で最も油断も信用ならない存在が家族であることを私は思い知らされるのであった。
コメント
1件