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★剣持刀也が不老不死になる前の物語(妄想です)許せる方のみ閲覧ください★
彼は、生まれながらにして身体の弱い人だった。
あの頃はまだ、命の値打ちは今よりずっと軽かった。病に伏せる者は珍しくもなく、そしてその多くは、静かに置いていかれた。
医療など遠い世界の話だ。
薬は金持ちのものだったし、俺たちには山の草木と、根拠のない祈りしかなかった。
だから俺は、山へ入った。
朝露に濡れた草をかき分け、手を傷だらけにしながら薬草を摘んだ。効くと聞けばどんなものでも探したし、誰かが噂するだけの草でさえ持ち帰った。
馬鹿げていると思いながら、それでもやめられなかった。
それを差し出すたび、彼は笑った。
今日も来たの、お狐様は優しいね、と。
その声はいつもかすれていた。
少し息をするだけで苦しそうなのに、俺を見ると笑うのだった。
俺は、その笑みに救われていた。
恋ではなかった。
少なくとも、そんなひと言で片づけられるものではなかった。
もっと静かで、もっと始末が悪くて、ずっと前から俺の内側に巣食っていたものだ。
もしそれが恋だったとしても、告げるつもりはなかった。
彼の命は、もう永くない。
終わりへ向かう人に、自分の願いを預けるほど、俺は傲慢にはなれなかった。
季節が巡るたび、彼の身体は目に見えて衰えていった。
春には庭先へ出られた足が、夏には縁側までになり、秋には布団の上からほとんど動かなくなった。
冬が来るころには、咳ひとつで肩が震えた。
薄い胸が上下するたび、命そのものが削れていくようだった。
指先に触れれば驚くほど冷たく、手首は折れそうに細かった。
それでも彼は、笑った。
まるで、俺のほうを気遣うみたいに。
雪の降る夜だった。
障子の向こうが白く滲んでいた。
俺は彼の枕元に座り、その呼吸を数えていた。
ひとつ、
またひとつ、
途切れそうになる息を。
何ひとつ守れなかった。
山を駆け回った足も、血だらけになった指先も、集めてきた薬草も、何の役にも立たなかった。
俺は無力だった。
その事実だけが、雪よりも静かに降り積もっていた。
やがて彼が目を開ける。
細い息の隙間から、声がこぼれた。
最後に、名前を教えてください。
俺は返事ができなかった。
ずっと名乗れずにいた。
お狐様のままでいれば、いつかいなくなっても、彼の記憶のなかで少しは美しいものとして残れる気がしたからだ。
けれど彼は続けた。
魂は巡るというでしょう。
来世でまた会う時、呼べないと困ります。
困ったな、と笑った。
たぶんその時、初めて泣いていた。
伏見ガク。
そう言うんすよ、俺。
よかったら、呼んでください。
彼は目を細めた。
まるで、その名の形を確かめるみたいに。
ガク。
ただ二文字。
それだけなのに、胸の奥深くへ沈んでいく。
いい名前ですね、と彼は笑った。
それから、もう二度と息をしなかった。
しばらく、何もわからなかった。
雪だけが降っていた。
音もなく。
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止むこともなく。
やがて、喉の奥から笑いが漏れた。
おかしかったわけではない。
信じられなかった。
たった今、名前を呼んだ人が、もうどこにもいないことが。
皮肉だった。
最後の最後でようやく名を知って、それきり二度と呼べないなんて。
ガク、と彼の声が耳の奥で繰り返される。
そのたびに、何かが壊れていった。
だから俺は願った。
来世では、どうか長く生きられるように。
いや、違う。
長生きなどでは足りない。
病にも奪われず、
老いにも攫われず、
誰にも終わらされない命を。
十六で時を止め、そのまま永遠に朽ちない身体を。
出会えるかどうかはどうでもよかった。
探せばいい。
何度巡ろうと、何百年かかろうと、必ず見つけ出せばいい。
それが祈りでないことくらい、俺がいちばんよく知っていた。
雪明かりのなかで、冷えきったその手を握りながら思い出す。
――お狐様は優しいね。
彼が生前、幾度となく俺に向けた言葉だった。
優しい、だなんて。
そんなものではない。
もし本当に優しいのなら、彼の来世にまで手を伸ばしたりしない。
死すら終わりとして許さず、この先の人生ごと縛ろうとしたりしない。
俺は、彼の幸福を願ったんじゃない。
ただ、失いたくなかっただけだ。
だから、静かな部屋で、返事のない亡骸に向かってひとり呟く。
――俺は、優しい人間じゃないっすよ。
コメント
1件
うわ……これ、凄く好きです。冒頭の「命の値打ちが軽かった時代」という空気感からもう引き込まれました。お狐様と呼ばれる語り手が「恋ではなかった」と言いながら、彼の来世にまで執着してしまう構造が本当に切ない。 「優しくない」と自分で言い切るラストの一行が、それまでの全ての行動を塗り替えてしまう。彼の幸福より自分が失いたくないだけだった——その歪んだ祈りが不老不死の原点なんだな、と背筋が凍りました。 名前を教えた直後に、もう二度と呼ばれなくなる皮肉も、美しくて辛いです。ありがとうございました、とても胸に残るお話です。