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...なんとなく情景が思い浮かぶ...(
『親なんて‥』
その姿を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
まろが隣におるのに、心臓がぎゅっと掴まれるみたいに息苦しい。俺の視線の先、そこには十年以上も会うことのなかった人間が立っていた。
――親。
その二文字だけで、喉がひりつく。思わず声が出た。
「親なんて……」
口からこぼれた言葉は、怒りでもなく、涙でもなく、ただ乾いた吐息やった。
まろがちらりと俺を見る。心配そうに眉をひそめながら。けど俺は視線を合わせへん。ただ、目の前に現れた「親」を睨みつけることしかできなかった。
俺の親は、物心ついたときからほとんど家におらんかった。
仕事や、遊びや、理由はいろいろ言っとったけど、結局は「子どもに構うのがめんどくさい」ってやつやったんやと思う。
小学校に入ったばっかりの頃。運動会の日、赤白帽を深くかぶって、誰も座ってへん観客席を探したことがある。周りの子らは、笑顔の親に向かって手を振っとった。俺はただ、空っぽの席を見て立ち尽くしとった。
先生が気づいて声をかけてくれたけど、俺は笑って誤魔化した。だって、「うちの親は忙しいから」って言う方が恥ずかしくなかったから。
誕生日の日も同じや。ケーキはコンビニのカットケーキ。プレゼントなんて当然なし。
冷蔵庫にはインスタント食品ばっかり。帰ったらテーブルに置き手紙があって「ご飯は勝手に食べなさい」って書かれとる。
それが、俺の日常やった。
けど――。
ある日、学校でいじめられたとき、俺を助けてくれたのがまろやった。
「お前ら、なにしてんねん! かかってこんかい!」
その声が、俺を引き戻してくれた。
気づいたら、俺はまろの後ろを歩くようになってた。家には居場所がなくても、まろと一緒におる時間だけは、ちゃんと俺が俺でいられた。
そんな俺の親が、今になって現れるなんて。
「……今さら、何しに来たんや」
低い声が勝手に出た。
俺の手が震えているのを、まろがそっと握ってくれる。温かい手やった。
「ないこ……落ち着け」
「落ち着いとるわ」
そう言いながら、全然落ち着いてなかった。心臓は暴れ馬みたいに暴れとる。
親は何も言わん。ただ俺をじっと見て、ふっと口角を上げた。
「大きくなったな」
その一言で、また胸がえぐられる。
――大きくなった? 当たり前や。ほっとかれて、必死に生きてきたんや。
「親なんて、いらんかった」
俺は吐き捨てるように言った。
まろがぎゅっと俺の手を握る力を強める。
親は少しの間黙ったあと、不気味に笑った。
「……そうか。けど、お前はまだ知らんことがある」
その言葉に背筋が冷えた。
まろも一瞬、俺を見て息を呑む。
「知らんこと……?」
「お前のことや。お前が何者なのか、なぜ私が――」
そこで親は言葉を切った。そして、踵を返す。
「また会う日が来る。そのときに全部話してやる」
残された俺とまろ。
俺は呆然と立ち尽くし、まろの手のぬくもりだけを頼りに、その場に踏みとどまっていた。
「ないこ……大丈夫か?」
まろの声で我に返る。気づけば、俺は震えながらまろの胸に額を押しつけてた。
「大丈夫なわけないやろ……なんなんや、あいつ……」
親が言った「知らんこと」。それが何を意味するんか分からん。けど確かに、俺の心に黒い影を落としていった。
まろは俺の背中を優しく叩きながら言った。
「大丈夫や。お前はお前や。それだけでええ」
その言葉に少しだけ救われた。けど、不安は消えへん。
――俺はほんまに「俺」なんか? それとも、親の言う「知らんこと」に縛られた存在なんか。
夜風が吹き抜ける。空を見上げたら、雲に隠れた月がぼんやりとにじんでいた。
親の影は消えても、心に刻まれた言葉は消えへん。
まろと二人で歩き出しても、胸の奥に重たい何かを抱えたままやった。