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体育館の壇上から降り、証書を抱えて席に戻った。拍手の音、保護者のカメラのフラッシュ、クラスメイトの泣き笑い——
全てが夢みたいに遠く感じた。
先生は壇の横で、相変わらず冷静な顔をしている。
……でも、私にはわかる。
あの目は、私を探している。
式が終わり、最後のホームルーム。
黒板には「卒業おめでとう!」のチョーク文字。
花束や手紙を手にしたクラスメイトたちが先生に群がる中、私は言葉を見つけられずにいた。
校門を出たあと、クラスメイトたちは写真を撮ったり泣きながら抱き合ったりしていたけれど、私はこっそり裏庭へ向かっていた。
そこには、待っていたかのように先生が立っていた。
いつもより少し緩んだネクタイ、春の風に揺れる前髪。
「……来たな」
その声を聞いただけで、涙が込み上げてくる。
「……今日で、もう我慢しなくていいんだよな」
そう言った先生の目が、ほんの少し震えていた。
気づけば、腕を引かれて抱きしめられていた。
胸に顔を埋めた瞬間、あの日の約束がよみがえる。
——卒業するまで我慢するから、お前も我慢してくれ。
「……やっとだな」
耳元でささやかれた声があまりにも優しくて、堪えていたものが決壊する。
「先生……ずっと、好きだった」
震える声と一緒に涙が頬を伝い、先生の胸元に染みをつくった。
先生は私の顔を両手で包み込み、真っ直ぐ見つめる。
「俺もだよ、〇〇」
次の瞬間、唇が触れた。
最初はそっと、確かめるように。
でも次第に、離れたくないと願う気持ちが深く重なっていく。
唇が離れたあとも、お互いの額を合わせたまま動けなかった。
もう、我慢しなくていい。
それがこんなにも自由で、幸せなことだなんて——今日まで知らなかった。
唇が離れたあとも、先生の手は私の頬から離れなかった。
お互いに何か言葉を探すけれど、胸がいっぱいで声にならない。
「……なぁ、ちょっと行くか」
先生が小さく笑って、私の手を引いた。
校門の前を通ると、まだ友達が騒いでいたけれど、先生の隣を歩く私を誰も咎めなかった。
——もう、卒業したんだから。
タクシーに乗って辿り着いたのは、海沿いの小さなカフェだった。
窓の外には、春の柔らかい陽射しを受けてきらきら光る海。
「前から、お前と来たかったんだ」
そう言って、先生はカップを手渡してくれる。
その何気ない一言が、心の奥まで温かく染みていく。
ふと、海を見ていた先生が私の方を向いた。
「……今日からは、隠さなくていいんだな」
その言葉に胸が熱くなって、また涙があふれた。
「泣くなよ、せっかくの卒業記念なのに」
そう言いながら、先生は私の涙を指でそっと拭った。
そしてもう一度、今度はゆっくりと唇を重ねる。
海の音と、先生のぬくもり。
この瞬間が永遠に続けばいいと、心から思った。
カフェを出て、海沿いの道をゆっくり歩く。
夕方の風が少し冷たくて、自然と先生のほうに寄り添ってしまった。
「……これからは、〇〇って名前で呼んでもいいか?」
不意にそんなことを言われ、胸がどくんと高鳴る。
「え……今までは?」
「“生徒”として呼ばなきゃいけなかったからな」
そう言って笑う先生の横顔が、夕日に染まってやけに綺麗だった。
「じゃあ……私も、名前で呼んでいいですか」
「もちろん」
たったそれだけの会話なのに、頬が熱くなる。
信号待ちで立ち止まったとき、先生がふと私の髪を耳にかけた。
「泣き顔も笑った顔も、全部俺のものだ」
その低い声に心臓が跳ねる。
そして——
人通りの少ない道に差しかかった瞬間、先生は立ち止まり、私を引き寄せた。
「……最後じゃないけど、今日はこれで締める」
唇が触れ合った瞬間、世界が音を失った。
夕焼け色の光の中で、ただ先生の温もりと心音だけが響いていた。
離れたあと、私は少し涙ぐみながら笑った。
「……ずっと、離れませんから」
「俺もだ」
その約束を胸に、私たちは並んで歩き出した。
新しい未来へ、もう迷わずに。
第16話(最終章)
ー完ー