テラーノベル
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高校の古い木造校舎の3階、その一番奥にある美術室が、千尋(ちひろ)の聖域だった。放課後の美術室には、西日が強く差し込む。埃の粒が黄金色に光る中、千尋はキャンバスに向かって絵筆を動かしていた。描いているのは、どこか影のある、けれど力強い光を放つ街の風景だ。「また熱中してる。千尋、もう下校時間のチャイム鳴るよ」声をかけたのは、幼馴染の航(わたる)だった。サッカー部のジャージ姿で、手にはボールを抱えている。部活帰りに美術室を覗くのが、彼の毎日のルーティンだった。「あ、もうそんな時間? 航、待っててくれたんだ」「待っててあげたの。ほら、早く片付けな」千尋は慌てて筆を洗い、パレットを拭いた。実は、千尋には誰にも言えない秘密の悩みがあった。来月に迫った全国高校美術コンクールのテーマ「私の世界」に対して、どうしても納得のいく絵が描けずにいたのだ。今描いている絵も、どこか嘘っぽく見えてしまう。「ねえ、航」「ん?」学校の門を出て、夕焼けに染まる坂道を歩きながら、千尋はぽつりと言った。「私の世界って、何だと思う?」航は少し考えてから、抱えていたサッカーボールをぽんと上に投げ、器用にキャッチした。「そんなの、俺に聞かれても分かんねえよ。でもさ、千尋の絵って、いつもグラウンドから見ててもすぐ分かるよ」「え、どうして?」「なんか、すごく真面目で、でも時々、誰も見てない空の色とか、変なところにこだわってるから。千尋が世界をどう見てるか、そのまま出てるんじゃないの?」航の言葉に、千尋は足を止めた。誰も見ていない空の色。自分だけが綺麗だと思って、こっそりキャンバスの隅に混ぜた、あの群青色のことだろうか。「そっか……。私、みんなに良く見せようとして、教科書通りの綺麗な景色ばかり描こうとしてたかも」「だろ? 千尋はもっと頑固で、変なやつなんだから、そのまま描けばいいんだよ」「変なやつは余計でしょ!」千尋は笑った。胸の中にあった霧が、すうっと晴れていくのを感じた。その夜、千尋は自室の机で、新しいスケッチブックを開いた。描き始めたのは、美化された理想の街ではない。夕方の騒がしいグラウンド、必死にボールを追う泥だらけの背中、そして、その上に広がる、自分にしか見えていない深い群青色の空。一ヶ月後。美術室の壁には、銀賞の賞状が飾られていた。「金賞じゃなくて悔しい?」部活がオフの日に、美術室の椅子に逆向きに座った航が聞いた。「ううん、全然」千尋は晴れやかな笑顔で首を振った。「だって、これが今の私の世界だから」キャンバスの中で、少年が走るグラウンドの上には、世界で一番鮮やかな群青色の空が広がっていた。
コメント
3件
4話目も書いているので、楽しみにしといてください❗️
ありがとうございます❗️
うわ、いい話すぎて泣きそうになったわ……。 千尋が「みんなに良く見せようとしてた」って気づくシーン、すごく刺さった。航くんの「頑固で変なやつ」って言葉が、めっちゃあたたかいんだよな。結局、自分が本当に好きなものにこだわるって大事だよなって思わせてくれる話だった。 群青色の空、すごく綺麗に想像できた。次も楽しみにしてる🔥