小1時間ほど店の説明を聞き、その後あっさりと解放された。帰り際に――
「レインくん、クマってさ背中を向けて逃げると、追いかける習性があるんだよ」
下半身の事情で早く帰りたかったというのに、大倉さんはまたしてもクマの話を持ちだした。自分がクマに似てるって客に言われたのを、どんだけアピールしたいんだ?
渋々顔だけで振り返り、立ち止まってやった。
「あからさまに逃げるなら、突進して追いかけてあげる。こうやって」
間を置かずに背中に抱きつき、触れるだけのキスをするとか。
「ばっ! なに考えてんだよ!! 人目のあるトコで!」
某繁華街よろしく、ネオンや街灯が光り輝いているので、大柄の男が抱き合ってるのは奇異に映るだろう。躰にまとわりついてる腕を、慌てて振り解いた。
「大丈夫だよ。みんな酔っ払っているせいで、夢を見てるんだと思い込むから」
「勘弁してくれよ、おい……」
「おやすみのキス、したかったんだ。大好きな君に」
「そんなこと言われても困るし、されても困る」
毅然とした態度で言ってやったら、ふっと寂しげな表情を浮かべやがって、左手で俺のTシャツの裾を掴む。いい知れぬその雰囲気に、言葉を詰まらせてしまった。
「……ノンケのレインくんにしたら、ただの迷惑行為だっていうのは分かる。でも俺は君を好きになった。コンビニで、バイト情報誌を真剣な顔して読んでる姿に、心を奪われてしまったんだ」
「はあ?」
生活がかかっていたから、かなり必死になって読んでいたのは確かだけど、それを見て好きになるとか、やっぱ頭がおかしい。
「だから君に声をかけた。かけずにはいられなくって……その後いろいろ話をして、直接この手に触れてレインくんの体温(ぬくもり)を感じたら、もっともっと欲しくなってしまった」
「……恋人と別れたばっかで、肌寂しいだけじゃねぇのかよ…です」
吐き捨てるように言うと、へぇ……なんて間の抜けた返事をした。
「日サロの店長に聞いたのか。あの人、無駄におしゃべりだから。でも安心してくれ、ソイツとは躰だけの関係だったんだ」
(……そんな説明いらねぇのに。困った顔して弁解するなよ)
「別にどうだっていいよ、そんなもん。俺には関係ない」
「そんなの、イヤに決まってるじゃないか。好きな君にだけは、誤解されたくない。お願いだ」
「だったら俺からもお願い。これ以上、距離を縮めようとしないでくれ。アンタは店長で俺は従業員。それで終わりにしてくれ、頼みます」
Tシャツの裾を掴んでる大倉さんの手を外して、さっさと背中を向けた。マジで変な関係は、ゴメンだって思ったから。
なのに――
「キビキビ働く君の姿を、つい目で追ってしまうな。どうしてくれる?」
「お客様に向ける笑顔、俺にも向けてほしい……」
「好きだよ、レインくん」
等など、仕事中すれ違いざまに告げられ、困り果てる俺を楽しげに見つめてくる大倉さん。
慣れない接客業をこなすべく、必死こいてるトコに、こんな変なことばかり言われたんじゃ、落ち着いて仕事が出来るワケねぇよ。
なぁんて、強く言い訳したい。
しかも問題はそれだけじゃなくこの職場、今まで働いてきた中でも、最悪と言っていいんじゃないだろうか。何故か従業員同士で牽制し合い、ギスギスした雰囲気をそこかしこに漂わせていた。
その理由は、現在ナンバーワンが不在だからこそ、皆でそれを狙っているからだと、バカな俺でも分かったのだが。
そんな状況なのに、大倉さんは店長として口を挟まず、俺ばっかに声をかけまくるとか、何をやってんだって言ってやりたい。
先輩方にこき使われながら、大倉さんには言い寄られる毎日に、とうとう我慢の限界が来たとき、思わずそれを口を出してしまった。
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