コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
真冬の一時間目に体育の授業がある日ほど、憂鬱な日はない。
凍てついた空気が立ち込める教室の隅で溜息を吐くと、息は瞬時に白く染まった。
二〇一七年一月現在、るえむが通う、京都で最も古いといわれているこの校舎には、どの教室にもエアコンが備わっていない。
八坂神社の目の前、観光客向けに様変わりしていく祇園の一等地で、この学校だけが戦前から時が止まったかのように異彩を放っている。
アーチ形の正面玄関や窓、木の温かみを感じる長い廊下が、レトロで映えるとインスタに載せている生徒もいるが、
叶うのならるえむは、中学のとき模擬試験会場として訪れた、鴨川沿いにある高校のガラス張りの校舎に通いたかった。
だが、平均をだいぶ下回っていた自分の偏差値では、秀才が集まるその公立高校を受験すること自体無謀であり、このかもめ学園へ進学するほかに選択肢はなかった。
雑誌の付録でついてきたX-girlのトートバッグから体操服を取り出しながら、ふと窓の外に目をやる。
いつの間にか雪が降りはじめていた。きっと、体育館はもっと冷えるだろう。考えるだけで、憂鬱さが倍増する。しかし、どれほど憂鬱になったところで体育の時間はなくなったりしない。
るえむは男子更衣室へ行った
るえむは覚悟を決め、いっきに絆創膏を剥がすように勢いよく制服を脱いで下着姿になる。
速く着ようと思ってたいそうふくを手に取る。
すると声が聞こえてきた。多分女子更衣室からであろう。
このクラスのムードメーカーであり、問題児でもある、宮本きろる。
彼女は『きろる』という名でYouTuberをしていて、昨年の夏『女子高生の退屈な夏休み』という、タイトル通りの、なんでもない夏休みの一日を晒した動画を投稿したのを境に、いっきに人気に火がついた。
るえむは最初、きろるが苦手だった。というより、自分とは違う星の人間だと感じていた。
赤みがかった白髪ボブはウィッグのような不自然さで、首にはピンク色の猫耳ヘッドホンが掛けられており、制服のスカートからは、真っ赤なカラータイツを覗かせている。そのような奇抜なファッションセンスを持つ彼女と、友だちになれるとは思わなかった。
実際、友だちとは呼べない。彼女とはただのクラスメイトであり、それ以上でもそれ以下でもない。
けれど、好奇心で彼女の動画を視聴しているうち、その飾らないトークが癖になって画面上の彼女のことは応援していた。つい二日前に行われた、チャンネル登録者数十万人突破記念のライブ配信にも「おめでとう」と、コメントを送るくらいには。
「ねえきろる、そんな下品な姿、もし拡散されたら、あんた炎上するよ」
山崎せりが、下着姿で踊る羽凜を見上げ、机に頬杖をついたまま、気だるげに指摘する。
藤田ニコルのファンで『Popteen』というティーン向けギャル雑誌を愛読している彼女は、濃いアイメイクを好み、スカート丈は心配になるくらい短く、校則違反の金髪に近い髪色をしている。なのに教師たちが注意しないのは、こんな底辺校に通う生徒に誰も期待していないことに加え、リサを恐れているからに違いなかったし、亞里亞もいわゆるギャルである彼女のことがこわかった。
「セリセリ、あたしの人生が終わるときは、あたしが死ぬときだよ。炎上したくらいじゃ、あたしの人気は落ちないから大丈夫だってばよ。むしろ炎上して知名度上げたいくらいだね。てか、それいいな。よし! みんな、あたしのこの美しい乳、投稿していいよー!」
雪見だいふくのような真っ白な胸を寄せながら、きろるが教室にいる生徒たちに呼びかける。
「……あんたって、マジで救いようのないバカだね。あと、そのセリセリって呼ぶの、ダサいからほんとやめて」
せりは呆れたように言い放ちながらも、グラビアポーズを取るきろるの姿をスマホに収めては笑みをこぼしている。
「あ、更紗、おはよー」
教卓の上からきろるが下着姿のままで、教室の入り口に手を振る。無論、そこにいるのは一軍女子だ。
「え……朝から何やってんの」
はしたないと言わんばかりに、きろるを見上げ、須古みひろが苦笑している。
「きろるストリップ劇場」
「……何それ。はやく着がえなよ、風邪ひくよ」
「バカと天才は風邪ひかないんだよ」
「あんたそれ、どっちのつもりなの」
「じゃああたし教室行くから。」
「きろるくん、おはよ」
みひろが机に鞄を置きながら言う。席替えで隣になってからというもの、みひろは毎朝こうして、二軍の自分に自ら挨拶を投げかけてくれる。その行為に、特別意味がないことは知っている。だがどうしようもなく、きろるの気分は浮き立った。
「おはよ。今日、寒いね」
「うん、めっちゃ寒いー」
「それ、みひろちゃんのマフラー、もしかしてバーバリーっていうやつ??」
みひろが首から外した、ベージュブラウンに赤のラインが入ったチェック柄のマフラーを指差し、きろるは訊いた。
「そやで。昔、お姉ちゃんが巻いてたやつ、貰ってん」
「そうなんや、めっちゃ似合っとる。」
「ありがとー、うれしい」
努めて明るく会話をしながら、きろるはほんの一瞬だけ、自分も一軍になれたような気になる。