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飛んでいる竜の顎が、ぎちぎちと嫌な音を立てながら大きく開いた。
空洞になった喉奥――そこに、じわり、と光が集まっていくのが見える。
(――竜の息吹《ドラゴンブレス》)
見慣れた現象だった。回帰前、何度も命を奪われかけた光景。
骨に肉片が張りついたようなゾンビ竜でも、そこに込められている“質”だけは、生前と変わらないのだろう。
同時に、肌を刺すような重圧が辺りに満ちた。
「っ……!」
息が止まるような感覚。
振り返ると、他四人は膨大な魔力から発される圧に押し潰されるように、その場で固まっていた。
肩は震え、顔は引き攣ったまま。指一本すら動かせていない。
(そうか――【竜の威圧】!)
この場でまともに動けるのは、【竜体】と同質の気配を抱えた私だけ。
考えるより先に、私は【八剣】を展開した。
空中に花弁のように並ぶ八本の剣。そのうち一本を掴み、竜の開いた口めがけて、全力で投げつける。
次の瞬間、耳を劈くような音がダンジョン内に響いた。
――盛大にガラスを叩き割ったような、あの音。
竜の口内に生じかけていた魔力の構造が砕け散る。
同時に、こちらへ押し寄せていた【竜の威圧】に、自分の中の同じ力をぶつけた。
竜と、私。
二つの【竜の威圧】が正面からぶつかり合い、ぎゅうっと空気が軋むような感覚の後――ぱん、と弾けるように圧が消える。
重く淀んでいた空気が、急に軽くなった。
「はっ、はぁ……っ」
「っく、はぁ……!」
喉を押さえながら、大きく息を吸い込む音が後ろから聞こえる。
四人とも、まだ息は荒いが、呼吸は再開したようだ。
「あ、あーちゃん……? その力……」
カレンがかすれ声で私を呼ぶ。
「ごめん、説明は後」
短く返し、視線は空に釘付けのまま。
「何故? 何故ですかねぇ!? 下等生物《にんげん》如きが【竜の威圧】の中で動くだけではなく、同じく【竜の威圧】を出して相殺? ありえない。ありえなイ!!!」
甲高い絶叫が上から降ってきた。
見上げると、竜の頭上に立つリンドが、髪を振り乱しながら喚き散らしている。
カレンも、横で同じ疑問を抱えている気配があった。
けれど、今は説明している暇はない。
完全に復活したのか、沙耶と七海が同時に竜に向かって技能を放つ。
いつの間にか、小森ちゃんが全員に【支援】スキルで上昇効果を掛けてくれていた。
「【炎球】【土槍】【炎槍】!」
「【速射】【強射】【貫通】!」
杖の先と、弓の先から、夥しい量の魔法と、強力な魔力を込めた矢が次々に放たれていく。
炎と土と光の軌跡が空を走り、竜めがけて殺到する。
それらが命中した瞬間、巨大な爆発が起こった。
轟音と共に、黒煙が竜の巨体をすっぽりと覆い隠す。
「ん、私もやる。【炸裂する闇】【喰い散らす悪夢】【血槍】」
隣で、カレンが軽く手を翳した。
沙耶と七海の魔力が火花なら、カレンの魔力は爆発だ。
桁外れの密度を持つ闇と血の技能が、黒煙の中の竜へと突き刺さる――はずだった。
だが、その直前。
薄紫色の半透明な膜が、ふっと空間に現れた。
それはまるで、天蓋のように竜を包み込み、迫る全ての攻撃を拒むように煌めく。
「……あれを防ぐのか」
私たちの攻撃を受けたはずの空間で、膜だけが静かに波打った。
黒煙が薄れ、竜の輪郭だけがかろうじて見えてくる。
そこへ、上から粘つく声が降ってきた。
「おや、おやおや。この魔力はザレンツァの放蕩皇女ではありませんか!! 何故下等生物とご一緒に? あぁ、聞くまでもありませんね……」
「アラミスリド。今日と言う今日は許さない。七竜が全て顕現する前に闇竜を殺すなんて……!」
カレンの声が、いつになく低く、鋭かった。
「信仰が古いんですよ、ザレンツァは。古代竜を基軸とした七竜信仰は過去の遺物……そろそろ我が主の寵愛を受けるべきなんですよ」
「胡散臭い魔王なんて存在は信用に値しない。古より強者として生き続けている七竜こそが正義」
空中で、カレンとリンドが互いに叫び合う。
その間、竜からの攻撃は来ず、私たちも打ち返さない。
ただ、空に浮かぶ二人の言葉の応酬を、下から見上げるしかなかった。
どうやら本当に、二人の間には国を挟んだ確執があるらしい。
アラミスリドとザレンツァ。
さっきから出てくる単語だけでも、ただの顔見知り以上の因縁を感じさせる。
しばらくして、カレンがふうっと長く息を吐き、頭をがしがしと掻いた。
「ごめん、あーちゃん。あいつは私に任せてほしい」
「分かったよ。思う存分やってきな」
カレンの声は、いつもの気の抜けた調子に戻っているようで、その実、底の方で冷たく静かな怒りを湛えていた。
「ん。闇竜のゾンビは……任せた。魂を世界に返してあげて……」
「了解」
短い言葉を交わした瞬間――カレンの姿が、ふっと掻き消えた。
気配を追うより早く、いつの間にかカレンは竜の頭上へ移動していて、リンドの襟首をがっしり掴んでいた。
「向こうで、本気で戦おう」
「相変わらずクソ馬鹿力ですねぇ!!」
悲鳴に近い抗議も無視して、カレンはリンドを竜から引きはがし、そのまま別方向へ容赦なく蹴り飛ばす。
支配者を失った影響か、竜の動きが一瞬ふらついた。
そして――鈍い咆哮を上げ、真紅の眼窩を私たちへと向けてくる。
「沙耶、七海、小森ちゃん。竜は翼膜で風の技能を使って浮いている。実際に戦闘した時はそうだった。ゾンビになっても変わらないはず」
「了解、翼に技能を打ちまくって竜を落とせばいいんだよね?」
「そういうこと」
「単純っすね」
回帰前に戦った古代竜の時ほどの、骨の髄まで凍るような威圧感はない。
ゾンビとなった時点で、生きている時ほどの思考能力は残っていないのだろう。
それでも油断すれば即死しかねない相手だが――“届く”相手であることは間違いない。
地面に落とせさえすれば、あとは私の仕事だ。
息吹も、私が物理的に叩き落とせばいい。
「沙耶と七海は左右に展開! 小森ちゃんは七海の方へ」
矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、私は前へ一歩踏み出す。
左右に駆けた沙耶と七海が、それぞれ射線を確保するように位置を取り、小森ちゃんが七海の背へぴたりと張り付く。
次の瞬間――左右から放たれた技能が、竜の翼に向かって一斉に炸裂した。
風を震わせる爆音と、焼けた骨と腐肉の臭い。
私は竜の動きから目を離さないようにしながら、並行して遠くで暴れ始めた“もう一つの戦場”に意識を割く。
(カレンの方は――大丈夫だろうか……)
心のどこかでそう呟きながら、私は目の前の竜へと剣先を向けた。