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「これは大変素晴らしい、平面を絵の具で塗ったその先に確かにこの絵の先にしかない世界を感じます」
「本当ですか、では私の絵を」
「申し訳ないけれど、それはできない」
「え」
「上手なだけで、面白さがない、オリジナリティが欠けているのですよ、この絵は」
着古した赤ワイン色のスーツの胸ポケットから、メモ帳とペンを取り出す。そこに、数字を書き、メモ帳から、紙を切り離し、ひどい災禍に見舞われたような顔をする彼に手渡す。
「だが、君にオリジナリティがないとは言っていませんよ、面白い絵が描けるようになったなら、また是非この私目にご報告していただけるとありがたいです」
アート、芸術とは複雑なものだとつくづく思う。幾千の絵を、くわえて幾万のアート作品を見て来た私が言うのだから、少しは信用してもらいたい。誰か著名な人間がこの作品は素晴らしいと言ってしまえば、言われた作品はそれだけで名作になる。しかし、人間は幾多のアート作品以上に複雑でより芸術的だ。故に、感じ方は似通る人間もいるだろうが、それまで自己を形成してきたものに影響を受け、細部は異なる。誰かが素晴らしいと言う作品が誰かからすれば、犬も食わないものに見えることだってある。
「あ、ありがとうございます」
曇っていた彼の顔には、日光が差し込んでいた。いや、今は夜だから、月光か。しかし、その月光は見掛け倒しの虚像、実像を望むことができるのは、ほんの一瞬でも才能を発揮できるものだけだ。その点で言えば私は彼にチャンスを与えたのかもしれない、嘘の連絡先を教えたのだから。絶望の淵に立たされた時こそ、人は真価を発揮する。私はそう思う。彼は程なくして、私の画廊を後にした。ここまでくると察しがつくと思うが、私は画商だ。かなり名の知れた画商だ。それは私の商売の仕方も影響していると思う。私は特定の画廊を持たない。ただ、場所を借り受けて、そこに作品を並べる、そういうスタイルだ。つまるところ、私の画廊を訪ねでもしない限り、わたしと相見(あいま)みえることはほぼできない。私は顔は広いが心が狭くて、知り合いと言える知り合いはかなり少ない。私は某ストリートアーティストのように、ミステリアスな存在に近いと言える。断言はしない。更に私を有名たらしめる理由は、私が見込んだ作品の作者の大半がそれなりに有名になっているのだ。あまり多くは語らない芸術家達も、私について話を広めたらしい。そもそもそうでもしない限り、私のへそ曲がりな商売スタイルで、人の目に留まることなどなかっただろう。若い芸術家の中では、私の画廊に飾られることが登竜門じみたものになっているらしい。芸術家がそういった型式ばっていては、控えめに言って芸術家失格だと私は思う。ある日の事だ。私は日本のある保育所に来ていた。何故かって、私は日本の芸術大学に用があったのだが、滞在中散歩をしていたら、通りかかった保育所で、お絵描き大会なるものをしていると言うのだから、私の爪先と鼻先がどこを向いたのかは言うまでもない。私は来場者として、名簿に名前を記載する。勿論偽名だ。会場では、幼児が、いや画家達が物思いにクレヨンを削って己の家庭や、好きなもの、友達やらを紙面に描く。ビリビリ、紙繊維が千切れる音がする。悲鳴は上がらない。職員含め見物者達の視線がある少女に集まった。次の瞬間職員に向かってこう言ったのだ。
「お兄ちゃん」
千切れた紙を手に掴みそう言う。今までにそう言った表現の仕方をする芸術家は数えるのを呆れるほどいた。通常だったならば私は目もくれず他の作品を見ていただろう。しかし違った。その少女は笑いながら泣いていた。こう言った物言いはあまりよくないが、数年の人生でそれほどまでに感性を育てられたことに驚きを覚えざるおえない。優れた道徳者、いや優れていなくとも、この場において、何かを申し立てられる人間はそういないだろう。しかしその場にはいた、私が。私は足早に駆け寄る。そしてこう言った。
「Could you give me your treasure」
少女は黙りこくった。涙と鼻水を飲み込んでいた。私は少ししてから気づいた。ここは日本だと。
「おっと失礼、お嬢さん、どうか私にその作品をお譲りいただきたい」
職員の横入れが入る。
「すみません、そう言ったのはちょっと」
「私はこのお嬢さんに聞いている。所有権、著作権共にこのお嬢さんにある」
「いいよ」
少女は言った。自分の作品を譲ることを惜しまない。その姿勢を含めこの少女は芸術家だった。
「いくらお支払いすれば良いかな」
「いくら」
少女は首を五十度ほど傾けて言う。私は少しばかり考えて、ハンカチを贈呈した。職員のもの言いたげな表情を背後に、私は逃げるように走った。次の画廊は日本にしよう、そう思った。私は少女の作品に明確な意図を勘ぐったが故より多くの人間に見てもらえる場所を探した。ということで私は日本の首都にある、公園に画廊を開くことにした。一度活動拠点に帰り、それまで持っていた作品を携えて再び日本国にやってきた。何の変哲もない普通の公園だった。もしその公園に特徴をつけるのだとしたら、その公園の数百メートル先に教会があるくらいだった。無理矢理にも特徴をつけた。今回の画廊では見物者から代金を頂かない。私は気まぐれなもので、時に私的な感情を優先してしまう。私は何人か臨時の警備員を募ることにした。主に芸大生に向けてだ。私は客を装って、画廊を見にきた人間の自然な感想を聞くことを密かな楽しみにしていた。その日もそうしていた。とても晴れていて気持ちの良い日だった。私は口に付け髭を蓄えて、腰を曲げて見物客として振る舞っていた。あの日本の芸術家の作品、あの少女が職員に掲げて見せたあの角度をなるべく再現しガラスケースに収めた作品に集客していたので、その中に混ざることにした。作品名はあの芸術家が名付けた通りだ。客の中にはキャンパスを抱えて誰かを探している多種多様な国の人間達がいたが、無視した。そして私は一人の青年を目の当たりにした。なんて事はない普通の日本人だ。手に何かを抱えている。(○○様の教え 我々の家族へ)という題名だった。その青年の格好がどう言ったものか、言及することも偲(しの)ばれる。そして青年はその作品をみてこう言った。
「何だこれ」
人間は芸術的である。