カタカタ。カタカタ。
ジャネットの執務室の窓が、音を立てていた。広い窓のせいか、今日のように風が強いと、こうして騒々しい音を立てる。魔法で音を消すことは簡単に出来るが、ジャネットはそうしなかった。
「気が紛れるから良いのよ」
ただ、その理由だけで。仕事中は気が紛れない、いや散らない方が良いのではないか。けれど、本人がそう言うのならば、反対する理由はない。私もまた、気にならなかったからだ。
そういえばと、ユルーゲルはふと思い出したように、資料から目を離した。似たようなことが、別の日にもあったのだ。
あれは魔塔に戻ってから、間もない頃のことだった。建物の内部から人が動き回る物音が、外部からは爆発音までしていた。が、ジャネットは机の上で、書類の処理をしているだけだった。
気にならないのか、と一応尋ねてみたところ、
「何か気になることでもあるの?」
冗談で言っている様子はなかった。こんなの日常茶飯事よ、と笑い飛ばされたのだ。
確かに、あまり魔塔には寄り付かず、いたとしても、周りに防音を施していたため、気がつかなかったのかもしれない。
「こういう音を聞いているとね、平和だなぁって思うの。緊迫していると、皆ピリピリして、逆に音が一切なくなってしまうから、こういう音を聞いていると、安心するのよ、むしろ。特に子供たちの声なんて、まさにそれを物語っているわ」
だから、音が聞こえている方が良いのよ。それが雑音であっても。勿論、煩く感じることだってあるわよ。
王女である前に、一人の人間なのだから、そう思ってもいいのでは、と思ったが、その考え方が彼女の先祖とも言える、ジェシー・ソマイアと酷似していて、一瞬驚いた。
ジェシーも『そういう雑音から、ヒントを貰えるのだから、遮るなんて勿体ない』と言っていたのだ。学者の家系だったが、学者というより、芸術方面に興味を持っていたから、何かを作っている時などに、そう話してくれた。
けれど、こうなってしまったら、煩く感じるのではないですか。
執務室の机の上で、うつ伏せになっているジャネットに、思わず内心語りかけた。
図書館から運ばれてきた資料に、執務室が埋め尽くされて、三時間は経っただろうか。それまで聞こえてきた、窓から聞こえてくる音とは別に、ペンが走る音と書類を捲る音がしなくなったのだ。
ユルーゲルは、窓の音を魔法で遮断した。ジャネットをこのままの体勢で、上着などを掛けようか。数分悩んだ末、出した答えは、長椅子の上にある資料を片付けることだった。
そして、ジャネットを抱き上げて、長椅子に横たわらせた。
「やはり似ている」
ジェシーと同じ赤い髪の毛に、自然と手が伸びた。赤い髪はソマイア家の特徴だが、顔立ちから性格まで似ていると、生まれ変わりなのではないか、とさえ思ってしまう。
「ん……んん……」
髪を撫でていると、くすぐったかったのか、それともやめて欲しいのか、顔を背けられた。それで手を離すと、今度は何故かこちらに顔を向ける。
寝ている者に、どうして、などという質問は無意味だった。魔法とは違い、理論や理屈では片付けられないのだから。
とりあえず、机だろうが長椅子でも、寝台ではないのだから、ゆっくり休めないだろうと思い、メイドを呼びに行こうとした。
実はジャネットの執務室から寝室へは、隠し扉を使って入ることが出来るのだが、セキュリティ上、それを起動させるには、彼女自身の魔力が必要だった。
そのため、ユルーゲルに出来るのは、一度廊下に出てから、隣の寝室に運ばなくてはならない。
両手が塞がることや、その後の寝支度まで頼まなくてはならないため、メイドが必要だった。
それなのだが、ユルーゲルは扉へ近づくことが出来なかった。
「……!」
ローブをジャネットに捕まれてしまったからだ。今度はユルーゲルが、長い溜め息を吐いた。
「はぁ~~~」
ローブを脱ぐことは簡単だ。それをそのままジャネットに掛けることも。しかし、ローブを掛けたまま、運ぶ……のは、いらぬ誤解が生じそうだった。
そして、もう一つ問題なのが、ローブを纏っていない自分自身を、見られるのは困ってしまう。魔術師は貧相な体つきの者が多いが、ユルーゲルは特にそれを気にしていたからだ。
だが、ここで寝かせておくわけにもいかない。
ユルーゲルはしゃがみ込んで、ジャネットの顔を覗き込んだ。起きないように、そっと手をローブから外そう試みた。
すると、突然ローブを引っ張られた。しかし、貧相であっても、ユルーゲルは男である。体がジャネットの方へ行くことはなく、逆に彼女の体がユルーゲルの方へ傾き……。
「……っ」
ジャネットがユルーゲルの体の上に倒れ込んだ。受け止められはしたものの、この体勢にユルーゲルは慌てた。
「‼」
抱き上げた時とは違った密着した体勢に、耳まで赤くなるのを感じた。幼い頃から、魔法に没頭し続けていたため、そういった免疫がないことに、改めて実感させられた。
いや、ジェシーに似たジャネットが相手だからなのかもしれない。赤い髪が、ユルーゲルの顔の方まで流れていた。
知識としてはあったが……。いや、そんなことよりも、このままの体勢も不味い。先ほどの音で、扉の近くにいる警備が入ってでも来られたら、ローブを掛けるよりも怪しまれる。
ユルーゲルはジャネットの腰に手を乗せると、さらに密着したが、構ってはいられなかった。もう一度長椅子に寝かせた時には、ジャネットの手からローブが離れていた。
ほっとしたユルーゲルは、今度こそ落ち着いて、メイドを呼びに行こうとした。念のため、顔の色が元に戻っていることを確認してから。