「ここに来た犬は、一週間経ったら殺されるんだよ。」
これが、りんの答えだった。「…え?」僕は不安になった。ポリー、ルイ、喜々助が幸せだったら嬉しい。でも、僕だって死にたくない。みんなにまた会いたい。
僕は泣き出した。そんな僕にりんは近づいてきた。そして、ぺろっと僕の顔を舐めてくれた。
「りん‥」「‥それからね、今日、私達が来て何日だと思う?」「えっと‥あ!一週間だ‥」「そうだよ」りんの顔が悲しげに歪んだ。「薄々そうだとは思ってた。本当にそうだったなんて‥」「…」りんはもう、それ以上言わなかった。「そっか。お母さんが言ってたことってそういうことだったんだ‥」
僕のふとしたつぶやきにりんは素早く反応した。「お母さん?ララ、お母さんと暮らしてたの?」「そうだよ?」
僕は、それが当たり前だと思って、何が不思議がわかんなかった。「輪は?お母さんと暮らしてるんじゃないの?」「…私はね、純血のミニチュア・シュナウザーなんだ。お父さんはアメリカのチャンピオンの血統、お母さんはイギリスのチャンピオンの血統なんだ。だから私のご主人は生まれてすぐに耳と顔と毛並み、色が一番良かった私を選んだ。そして私はご主人の家族になったんだけど‥」
「りん‥」
僕は悲しくなった。「でもね、ご主人はきっと迎えに来てくれるよ!ううん。きっとじゃない。絶対!いつもご主人は必ず『いい子だねいい子だね、りん。』って褒めてくれるもん!」
りんは明るくなった。最後まで主人を信じている。「うん!そうだよ!きっとりんを迎えに来てくれれる!」って僕も言った。
ゴゴゴゴゴゴゴ‥
大きな重低音がして大部屋のケージの扉が上に上がって開いた。「わ!」僕は驚いて一番奥側に逃げた。
「ご主人!?」
りんの明るい声が聞こえ、僕はケージの扉を見た。りんは、きらきらとした顔で投げ出されたように飛び出した。「……あれ?ご主人は?」
りんのがっかりとした声が聞こえた。りんのご主人、いなかったのかな?そんなことをつらつらと考えていると、僕が寄りかかっている、お客さんらしき人が通る側の扉も、音がした。でも今度は僕らを追い立てるようにしてこちらに向かってきていた。
僕は、僕とお母さん、弟妹を捕まえようとした青い服のおじさんたちを思い出した。なぜか、それと壁が重なって見えた。
「…怖い‥」
僕はそう思って逃げた。まっすぐ逃げると、上にあがっていた扉がガシャン!と音を立てて落ちてきた。
僕は怖くて声も出なかった。尻尾はいつの間にか股の間にかちこちに固まって収まっていたし、無意識にぶるぶると体が震えた。
ゴゴ‥ゴゴゴゴゴ‥
またあのような音がした。僕は恐る恐る後ろを振り返った。「か、壁!!」僕は怖くて泣きそうだ。だって、一番奥の壁がゴゴゴって音を立てて近づいてくるんだもの。
唯一の逃げ口はただ一つ。一番奥には大きなスペースがある。ここにいる犬たち全員ちゃんと入りそうだ。それに、壁よりも出入り口は小さい。ここに入れば襲ってくるあの壁に押しつぶされないですむ。
そう思うのに、なぜか体が動かなかった。恐怖からではない。僕の本能が、
「ダメダメ。絶対に行っちゃだめ。行ったら最後だよ。行っちゃいけないよ。ここにとどまった方が絶対にいいよ」
って厳しく諭してきた。だから僕はとどまっていた。足先が震えて崩れそうだけど僕は僕の本能に従った。
でもそんな僕に、壁は容赦なく襲ってくる。他の子は怖がって我先にあのスペースに入っていく。僕は怖くて、仕方なくて入った。
ガタン
扉が、跳ね上がるようにして閉まった。「え?何?」
僕は混乱した。りんに至っては声も何もでず、奥でぶるぶると震えるばかり。その震えに重なって首輪についた赤いいちごのキーホルダーがしゃしゃらと音を立てている。その音が、死神の足音のようにも聞こえた気がした。
あれ?
僕は少し立つとなにかに気づいた。
息が苦しい。なんで?なんで苦しいの?怖いよ。僕、どうなっちゃうの?
恐怖と混乱でパニックになりかける中、ふと、お母さんの優しい声が聞こえた。「少しでも近づいたら最後、絶対にお母さんには会えなくなるからね。それに、最後は殺されちゃうんだ。」っていうお母さんの教えを思いだした。
殺されちゃうのかな?
怖くなってくると、余計に息が苦しくなる。僕らは上を仰ぎ始めた。
仲間の鳴き声が聞こえる。いつも僕のそばにいた黒い柴犬の子は口を噛み切って、バタリと倒れ伏した。
りんはハッハッハっと必死に息を吸っている。そして、倒れたかと思うと、前足で張って行って窓がある所から外を覗いた。
僕も、だんだん息が少しもできなくなってきた。
「ご、主人‥」
りんが呟いたのが小さく、でもはっきりと聞こえた。そうか。りんはご主人を待っているんだ。りん。きっとご主人は来るよ。りん、大好き!会いたかったよ。これからはずっと一緒だよって言ってくれるよ。幸せになってね。りん‥
僕がそう思った時、りんが、「もうすぐで会えますね。ご主人‥」と言ったのが聞こえた。よかった。りん。もうすぐご主人と会えるんだね。
そう思ったとき、僕も倒れた。なんとか意識を保ち続けていても、僕はもう動けなかった。
僕、もう一度、お母さんたちに会いたい。お母さんたちと一緒にさくさくとした芝生の上を歩きたい。美味しいご飯をお母さんたちと一緒に頬張りたい。
でも、それが叶わないのなら、せめて、お母さんたちが幸せであってほしい。
薄れゆく意識の中で僕はぼんやりとお母さんと弟妹を思い出した。
お母さんが優しく笑って僕の弟や妹を舐めているのが見えた。
妹のポリーが無邪気に尻尾をちぎれんばかりに振っているのが見えた。
弟のルイが元気に芝生の上で駆け回って遊んでいるのが見えた。
もう一人の弟、喜々助が、目をきらきら輝かせて美味しそうなご飯をたくさん頬張っているのが見えた。
「みんな、きっと、幸せになれるね‥」
僕はふと、そう感じた。僕は、ゆっくりと目を閉じた。
家族は幸せになれる。
そう信じて、穏やかな顔で息を引き取った。
家族のことを想い、自分の命が無駄にならないことを信じて。
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