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ゾルダークの庭園の四阿に紅茶を用意させキャスリンを待つ。僕と過ごして欲しいとキャスリンに先触れを出した。どちらかの自室ではなく開けた場所で邪魔する者がいない庭に決め、トニーも側に置いていない。キャスリンは護衛騎士を連れ僕に近づいてくる。僕は四阿の脇に侍るキャスリンの騎士に命じる。
「声の届かないところまで離れてくれ」
騎士はキャスリンを見て、彼女が頷くのを確認してから離れていく。静かな庭に僕らだけの空間で、許されなくとも謝罪しこれからを共に生きて欲しいと懇願するために用意した場所。
「こんな場所に呼び出してすまなかったね」
キャスリンは、いいえと返事をする。
「庭を散歩するだけで四阿で休むことなどなかったの。いいものね」
キャスリンは庭を眺め微笑んでいる。僕の愚行を話しても許してくれそうな笑顔だが、あの時も許してはいなかった。彼女は僕の失態を一度も許してはいない。ゾルダークへ嫁ぐんだ、厳しくなくてどうする。
「僕は君に謝らなくてはならない」
表情から笑顔が消える。今度は何をしたんだと思っているんだろう。僕は彼女に謝ってばかりだな。
「初夜の日にキャスリンに告げた言葉は真実ではないんだ。他の女性を愛しているから君と閨ができない、ではなく僕の弱さのせいでできなかったんだ」
キャスリンはただ黙って聞いている。感情の消えた顔で僕を見て次の言葉を待っている。
「母上は幼い僕に閨は痛くて嫌だ、子なんていらなかったと話し続けて、それが婚姻前に悪夢になって甦ってきた。あの日は寝室へ向かう足が震えてしまった。恥ずかしくて逃げたくてあんなことを言ってしまったんだ。君を騙してしまった。本当にすまない」
僕は頭を下げた。キャスリンが頭を上げていいと言うまで下げているつもりでいた。彼女は動かず言葉も発しない。もう紅茶はすでに冷たくなっているはずだ。沈黙が続く。
「おしまい?」
僕は頭を下げたまま話す。
「婚約時代も君を傷つけてすまなかった。ハインスの夜会の夜もすまなかった」
また静寂が訪れる。僕に見えるのはキャスリンの足元だけ。
「僕は二度と君を傷つけない。約束する。アンダルよりリリアンよりキャスリンが大切なんだ。君が許してくれるなら、普通の夫婦になりたい」
キャスリンは何も言ってはくれない。もう無理なのか。婚姻して日も浅い、諦めたくない。
「私達は夫婦よ」
事実夫婦だ。僕が言いたいのは。
「正しい夫婦になりたい」
初めからやり直したい。やり直させて欲しい。
「閨を共にと言っているの?」
頭を下げたまま頷く。僕はキャスリンとの子が欲しい。
「私は断れる?」
頭を上げそうになるのを止めるのに体を強ばらせてしまう。夫婦なんだ断ることはできない。でも僕は初夜に拒絶したんだ、ここで頭を横に振ることはできない。僕は頷いて答える。
「断るわ」
キャスリンは立ち上がり四阿を出ていった。僕は頭を上げられず、そのままキャスリンの足音が聞こえなくなるまで、聞こえなくなっても僕は動けなかった。キャスリンは悩みもしなかった。僕を拒絶した、こんなに辛い。こんな思いをさせてた。いつまでそうしていただろうか、足音が近づき四阿の脇で止まる。
「カイラン様。邸に入りましょう。冷えてきました」
トニーがいつまでも動かない僕を心配して迎えに来てくれたようだ。それでも動けない。キャスリンが僕を許せなくてもゾルダークとディーターのために閨は共にすると過信していた。それは彼女の望みだと。それを拒んだ。それほど僕を受け入れられないのか。トニーは黙想している僕に触れ話しかける。
「諦めてはなりません。何年かかってもと私は言いました」
僕は漸く頭を上げトニーを見る。
「キャスリンは閨を断ると」
僕は消え入りそうな声で告げる。
「それはキャスリン様の許しを得てからでしょう。許されないまま共にしては辛い思いをされます」
父と母のような関係は御免だ。妻にあんな言われかたをされる夫にはなりたくない。何年かかっても許しを乞う。それしか残されていない。
「トニー、スノー男爵から手紙が来たら読んで捨ててくれ。面倒事なら対処を頼む」
僕の言葉にトニーは頷く。
キャスリンを大切にすると誓ったんだ。不安にさせるようなことは二度としない。ゾルダークのために働き、キャスリンに認めて貰うまで、許しを貰えるまで僕は贖罪を続けるしかない。
カイランから呼び出され庭の四阿へ向かい、聞かされた話は少し驚くほどで怒りは湧かなかった。謝られたから何か問題を起こしたのかと不安だったけど、初夜の日の真相を語られ、リリアン様のことは好きだったけど初夜を拒否するほどではなかったという事実を知っただけ。亡くなった母親の話を聞いても、酷い母親ねと思うだけ。今、真実を告げられても、カイランはリリアン様を愛してはいない、と私の認識が変わったのみ。正しい夫婦になりたいと言われても、私達は夫婦よ、この形の夫婦。閨を共にしない夫婦になった。初夜の日に真実を告げられていたら?私はハンクに相談せず、夫婦の問題として向き合ったわ。カイランの言う正しい夫婦になっていたかもしれない。カイランが私を信じなかった、それだけ。もし、嘘をつかれなかったら、ハンクと今の関係にはなっていなかった。背筋が凍る。あの満たされた気持ちをカイランが与えてくれるかしら。きっとあれ以上満たされない。カイランには感謝している。私にハンクを会わせてくれたのだから。閨は共にできないけど、小公爵夫人としてカイランを支える。
「お嬢」
ダントルが小声で私を止める。ぼんやり考え事をしながら歩いていたから前から近づくハンクに気づかなかった。横にずれ頭を下げ道を譲る。ハンクは立ち止まり私に声をかける。
「待ってろ」
上からの声に無言を貫く。私を通り過ぎ歩くハンクを確認して顔を上げる。やはり私を満たすのはハンクだけ。私もそんな存在になりたい。
今日のカイラン様とキャスリン様の四阿で会う約束を主には報告している。特段変わった様子もなく淡々と書類を捌いている。トニーからはカイラン様がキャスリン様と歩み寄りたいと望まれて、行動に移すと聞いている。家人の目に付きにくい四阿を選ばれた。執務室からは当然窺えない。半時程経ち、無言の主が立ち上がり部屋を出る。邸を歩き向かっている方向には、主に気づかず考え込んでいるキャスリン様が歩いている。ダントルに教えられ主に気付き、端に寄り頭を下げ、通り過ぎるのを待つキャスリン様の前で止まり、話しかけ再び歩き出す。黙って付いていくと四阿の見える位置で立ち止まり、カイラン様を確認し不自然に見えぬよう執務室へと戻って行く。カイラン様の項垂れる様子から決裂したのは確実。それを見て何を思ったのか、無表情の顔からは何も感じず、今夜はどうなるのか、と少し心配なソーマである。
待ってろと言われたものの、いつ来るのかはわからないためいつものように過ごし、湯に浸かり体を磨く。ジュノにカイランとのことを話した。
「カイランはリリアン様に操を捧げないそうよ。お義母様に閨は痛くて嫌いと聞いて怖くなって逃げたみたいなの」
ジュノは初夜の日から私を支えてくれていた。彼女が側にいなければ怒りに潰れていた。私の髪を拭いているジュノは手を動かし続け鏡越しに私を見る。
「怒られてないですね」
私は微笑み答える。
「そうね、驚いたけど特に怒りはなかったわ。今さら言われても困る、と話してしまいそうだったくらい。怖いなら怖いと言ってくれたらよかった。そうしたら二人で話して良い方へいけたのに、私を信じてなかったのね。それが残念なの。カイランの信頼を婚約時に得られなかった私の落ち度よ」
お互いの気持ちがどうであれ、成された婚約。多少の問題を共に解決できなくてどうするのよ。カイランにはゾルダークの素質がない。素質があるなら、妻との閨の許可など取ろうとせず、ただ私の寝室に来て有無を言わさず閨を共にするわね。そうなれば私は拒めないもの。臆病者で優しいカイラン。強い意志と覚悟がなければ継ぐことなどできないのよ。私は間違えないわ。私の子は必ず強い。
ハンクは訪れず、急な用事でもできたのかもしれないと寝台に入り横になる。燭台の蝋燭はまだ灯ったままだったが、カイランと話して疲れていたようで簡単に眠りに落ちてしまった。