イスケンデル食堂でバイトを始めた頃、まだ国境は雑木林手前の草むらの中にあった。ここで働き始めたのには訳があった。家に極力いたくないこと、お金を貯めて向こうの国へ引越したいこと、大学行きのバス停が近くにあって通いやすいこと、ちょうどバイトを募集していたこと、などなど。じっくり捜せば、他にもっといいバイトはあっただろうけど。
勤め出して一、二ヶ月ほど経ってのことだった。国境ラインに変遷があり、食堂が自由共和国に編入された。それと前後して、店主のおばさん、厨房のおじさんの誠実さに気付いたのだった。店を閉じてからはじまる、夫婦二人三脚の研究。野菜、肉、魚など素材の吟味、仕入先の吟味。煮加減、焼き加減の微調整。調味を変えてみる。塩を減らしてみる、スパイスの調合を変えてみる、肉の切り方を変えてみる。ヨーグルトのトッピングを旬のアーモンドに変えてみる。数時間から数日間たっぷり時間をかけての仕込み。これだけの下ごしらえをしておいて、リーズナブルな値段設定を変えない。学生には特別料金を取らずに量を多く出していることも知った。その労力を表情一つにすら出さず、主張しない気丈さ。向こう側から見ていた頃は全く知らなかった。そんなことに気付いたら、国境がこの店を越えていた。
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