第1話のりょちゃん視点。
長々しくなっちゃうのが悩みどころ。
僕のお願いに元貴は嬉しそうに笑った。とてとてと近づいてきて、ぎゅぅ、としがみついてくる。かわいいなぁ、ほんとう。
「いいよ。明日は俺も涼ちゃんも午後からだし……、泊まってくでしょ?」
社長の計らいで僕と元貴の明日の仕事は午後からにしてもらっている。最後の夜くらい穏やかに過ごしなさいって言って。若井の仕事はどうしても変更できなかったと言っていたから仕方がないんだけど、本当は三人でご飯を食べたかった。
「そうだね、元貴が良ければ」
元貴を受け止めながら小さく微笑んで答えると、抱きついている腕に力がこもった。少しだけ痛いけど全身で甘えてくれることが嬉しかった。ちら、と顔を上げて悪戯っぽく笑った元貴が、
「お酒も飲んじゃう?」
と問い掛ける。もともとお酒が好きな僕だけれど、アルコールは薬との相性が悪いし、深く眠り込んだら困るからできれば飲みたくなかった。でも、素直に言うわけにはいかないから少し考えて、
「飲んだら元貴すぐ寝ちゃいそう」
疲れを色濃く滲ませる元貴が心配だったし、少しでも長く一緒にいたかったから眉を下げて見せた。するとどう捉えらたのか元貴がぐりぐりと僕の首元に顔を押し付ける。
「くすぐったいよ」
元貴の細い髪が首筋を撫でて、そのこそばゆさに小さく笑う。ぐりぐりと動く頭を止めるためにぽんぽんと撫でると、すぅ、と元貴が僕のにおいを嗅いだ。ちょっと、汗掻いてるからやめてよ。
「……俺も朝からじゃなければ泊まりたかった」
戯れ合う僕たちを眺めていた若井が残念そうに言った。僕と元貴が付き合い始めたと聞いたてから今まで、気遣いながらも変わらず接してくれたやさしい人。
素直に寂しいと表情に出す若井が可愛くて小さく笑うと、元貴がなぜか拗ねたように、恋人の甘い夜を邪魔するなと言って、若井がみんなで遊べてないじゃんと続ける。
みんなで、という言葉が胸に刺さる。毎日顔を合わせてはいるけれど、確かにご飯さえ行けていなかった。それぞれが忙しいのはありがたいことで、だけど、もう二度とご飯にも行けないと思うと申し訳なくて仕方がない。
「まぁ……どっかで時間作ろ。明日はしっかり働いてくださーい」
「働きますけどぉ……」
若井がしょんぼりと言うのに耐えられず、元貴の腕の中を抜け出して思わず抱き締めた。
なんて言おう。なんて言えばいいんだろう。僕のせいでごめんねなんて言えやしない。若井をこうやって抱き締めるのも、もうこれが最後になるのに。
最後だと思うと離れがたくて、だからと言って何も言わないのも変に思われる。顔を上げて、無理に笑顔をつくる。
「……頑張れそう?」
「ふは! うん、ありがと」
最後に笑顔が見れてよかった。ちゃんと記憶しておかないと。ふわふわの髪の感触も忘れないように、若井の頭を撫でる。
「帰ろっか」
拗ねる元貴と笑顔になった若井を促して、駐車場に向かった。マネージャーに挨拶をして乗り込み、まずは若井を送り届け、元貴の家に向かってもらう。始終元貴はご機嫌で、怪しまれないようにまだ何も知らないマネージャーさんも笑顔で送ってくれた。
降りるときにはいつも通り明日の時間を確認し、手を繋いで元貴の部屋へと向かう。引っ付きたいだけなんだろうけれど、暗くて見えにくくなってたから正直助かる。
「何か食べたいものある?」
少しだけ考えて、元貴のトマトパスタと答えた。またそれぇ? と言ってから、まぁいいけど、と続けてくれてほっとする。だって元貴と食べる、最後の食事だもの。元貴の作った、元貴が大好きなものが食べたい。
一緒にキッチンに立って調理を始める。手際よくトマトソースを作っていく元貴の姿をこっそりと盗み見る。
よくこうして一緒に料理したよね。味見しすぎて無くなっちゃったこともあったよね。凝り始めるととことんこだわるから無意味に寸胴鍋とか買ってスープからラーメン作ったよね。しかも途中で飽きたとか言うから結局インスタントラーメン作って、人類の進歩の味だとか言ってたよね。
全部覚えてるから、絶対忘れないから。
「涼ちゃん、パスタ湯切りしてー」
「はーい」
言われた通りに麺を茹でていた鍋を持つ。重いな、と思いながらセットしてくれたザルに向けて鍋を傾けたが、自分が思っていた以上にズレていて、このままだとヤバいと焦ったせいで鍋の水面が揺れた。
「あっつ……!」
その拍子にお湯が手に掛かって、熱さに驚いて鍋から手を離してしまった。ガシャン! と鍋がシンクに落ちる。
「ちょ、なにしてんの!」
「ごめ、麺が……」
「そんなんいいから!」
フライパンを見ていた元貴が慌てて僕の手を取り、水栓レバーを上げて流水にあてる。勢いよく流れる水に、無惨にもシンクにこぼれた麺が流れていく。
「冷やしててよ」
そう強く言って元貴はガス台の火を消した。水に浸った麺はどう見ても食べられそうにない。
「ごめんね……」
「気にしなくていいよ」
きっと元貴は、こんなんいつでも作ってあげるから、と思っているんだろう。食べられなくなった麺を片付けながら微笑んでいる。
「元貴のトマトパスタ食べたかったのに」
「また作ってあげるって」
「……うん」
ほらやっぱり。
でもね、その「また今度」はもう来ないんだよ。
「もう大丈夫」
お湯が掛かっと言っても少しだけだし、ヒリヒリした感じもしない。水ももったいないから止めると、見せて、と元貴に手を取られる。
「よかった」
濡れてひんやりしている僕の手を元貴の両手がつつむ。じんわりとあったかい。そのまま元貴がそっと唇を寄せてちゅ、と音を立てた。
王子様がお姫様の手にキスをするみたいな仕種がカッコよくて、頬が熱い。元貴は小さく笑って、赤くなってるだろう僕の頬にもキスをくれた。どこで習ったのそんなの……。
トマトパスタではないけれど、大森シェフが冷凍したご飯を解凍してなんちゃってトマトドリアを作ってくれた。
トマトソースは僕の火傷のせいで煮立ってしまってちょっと濃いめの味付けだったけど、シンプルなサラダがさっぱりとさせてくれた。すっごく美味しい、天才だとはしゃいで食べていたら、自分では上手に食べていたつもりだけど、気付かないうちにぽろぽろとこぼれていたようで、
「はいはい、あぁもうこぼしてるよ」
と甘く笑いながら僕の口の端についた食べかすを指で取ってくれた。外だったらいじられキャラの僕をからかうんだろうけど、プライベート空間だと元貴はただただ甘かった。甘えん坊のくせに甘やかすのも上手なんてずるいよね。
いい大人なのに、食べるのもへたっぴになっちゃったなと思うと少し悲しくて恥ずかしい。ごめん、と笑って謝った。
大森シェフにご飯を作ってもらったから洗い物ぐらいは任せて欲しかったのに、変なところで過保護な元貴がお風呂沸かしてと言うから、素直に過保護だなぁと呟いてバスルームに向かう。
バスルームに入って、シャワーでバスタブを軽く流しながら、ここで一緒にお風呂に入るのも最後なんだ、と考える。
フェーズ2が始まる前も始まった後も、何度となく一緒に入ったお風呂。そこまで広くないから若井と三人で、ぎゅうぎゅうになりながら入ったお風呂。僕の髪が伸びてきたときに、洗ってみたいっていうからお任せしたら、美容師さん並みに上手に洗ってくれたっけ。本当になんでもできる人だ。
僕のために用意してくれてあるシャンプーもトリートメントも、もう減ることはない。
「……ごめんね」
本人には伝えられない謝罪は、水と一緒に排水溝に流れていった。
リビングに戻るとソファに座ってスマホを見ていた元貴が、ぽんぽんと自分の横を叩いた。
元貴の横に座って元貴の肩に頭を乗せる。こうやってまったり過ごすのは、何ヶ月ぶりだろう。制作も映画もソロ活動まで行う元貴は忙しくて、病気が判明する前からしばらくなかった気がする。
「眠い?」
確認作業が終わったのか、元貴がやわらかい表情で言った。
「んー……眠い、けど」
「ん?」
寝たら、今日が終わってしまう。幸福な日常が崩れてしまう。もっと一緒にいたい。もっと、元貴を見ていたい。肌のぬくもりに触れていたい。
「寝るのもったいないから、寝ない」
僕の答えに、元貴がしっとりと濡れた深呼吸をした。こういう吐息を吐くときの元貴が何を考えているのかは分からないけれど、この後どう動くかは分かる。
持っていたスマホを置いて、僕の顎に指をかけ、覗き込むように近づいて唇が重なった。すぐに熱くてやわい舌が入り込んできて、くちゅ、と音が漏れた。
「ん……」
久しぶりの元貴の熱が気持ちがいい。触れたところから溶けてしまいそうな多幸感に、声があふれた。僕の肩を抱く元貴の指に力が籠る。
「……お風呂入っちゃおう」
我慢しています、と分かりやすく顔を歪める元貴にたまらず噴き出す。
「ふ、ふふ。我慢できなくなっちゃう?」
「そういうこと!」
元貴が僕で興奮してくれるのが嬉しい。僕を欲しがってくれるのが嬉しい。今だけは、その欲望を全部僕に向けて? 余すことなく、隠すことなく、全部僕にちょうだい。
バスルームに入ると元貴が豪快に服を脱ぎ捨てた。お湯を浴びてザブンと浸かって脱力し、気の抜けた声を出しながら深く長い息を吐いた。ゆっくりと堪能してもらおうと先に頭を洗う。
髪を充分に水で濡らし、シャンプーを泡立てていく。バスタブに腕と顔を乗せた元貴の視線を感じていると、
「あれ、涼ちゃん、そこ青くなってる」
元貴に指摘され、ドキッとする。
「え、どこ?」
「肘のちょっと上くらい。ぶつけたの?」
「えーどうだろう?」
素知らぬふりをする。身に覚えが全くないわけではないけれど、いつのものか分からないのは本当だし。
「気をつけてね」
心配してくれてありがとう。気をつけてこれなんだよね。
シャンプーを流して身体を洗い、元貴と入れ替わってバスタブに浸かる。わしゃわしゃと髪を洗い始めた元貴をじっと見つめる。
十年前と比べて太ったと言えど、体幹お化けの元貴の身体はきゅっと締まっていた。水を弾く白い肌のやわらかさも、腕の力強さも、手のやさしさも、全部、しっかりと見ておきたい。なにひとつとして忘れたくない。見えなくなっても頭の中で思い返せるように目に焼き付けたい。
あまりにじっくり見過ぎたのか、元貴がニヤッと笑ってこっちを見て、
「えっち」
とひどく色気のある声で言った。カッと急激に顔に熱が集まるのを感じる。
「なっ、元貴も散々見たでしょ!」
「はははッ、うそうそ、じっくり見ていいよ」
「見ません! もう!」
ふん、とそっぽを向く。ケラケラと楽しそうな元貴は甘い笑顔を浮かべる。
「顔真っ赤だよ。のぼせる前に出よ」
確かにちょっとくらくらしてきた。ザバっとバスタブを抜け出し、脱衣所でバスローブを羽織った。スキンケアやドライヤー、歯磨きまで全部済ませた。
そのままベッドに向かう前に、喉乾いた、とキッチンに寄ってもらう。冷蔵庫からペットボトルを二本取り出し、キャップを外して一本を元貴に渡す。
ありがと、と言って半分くらい飲むのを見て、僕も自分のものに口をつけた。
……ごめんね、元貴。翌日に響かないような薬を選んだからね、許してね。何も疑わずに飲んでくれてありがとう。信じてくれてありがとう。
ベッドにやさしく押し倒されて、元貴がぴったりと身体をくっつけるように僕の上に乗った。
「あー……しあわせ」
ぽつりとこぼした元貴の呟きに泣きそうになる。
「ふふ……、ほんとに?」
「ほんとに。めっちゃしあわせ、ずっとこうしてたい」
僕もだよ。僕も、ずっとこうしていたい。元貴とずっと一緒にいたい。元貴と一緒に幸福な日常を歩いていきたかった。
それを自ら壊す、愚かな僕を許して。
でもね、今この瞬間は、元貴の愛に包まれて、本当に、
「俺も、しあわせ」
しあわせだよ、元貴。
目を細めて微笑みかけると、グッと伸びてきた元貴が優しく唇を塞いだ。照明が落とされて薄暗くなったけれど、至近距離にある元貴の顔はよく見えた。
甘くて蕩けそうで、それでいて欲望を強く灯した眼差しに射抜かれて、元貴の頭に腕を回して抱き締める。深いキスをしながら、熱を分け合うように肌を重ねた。
どうか僕に元貴を刻みつけて。忘れることなんてないように。今だけは元貴の頭も心も全部僕だけでいっぱいにして。
このまま時間が止まればいい。幸福を抱いたまま、終わってしまいたい。
だけど元貴には伝えたい言葉があって、生み出さなくてはならない音楽がある。
だからどうか、明日になったら元貴の頭の中にある未来から僕を消してしまって。
愛を交わし合った後、ぐったりとする僕に代わってシーツを交換してくれた元貴は、ベッドに戻ってくると僕を抱き締めて、とろとろと眠りに誘われる僕の額や頬にキスをする。
「明日の朝何食べたい?」
明日……当然のように向けられる言葉に息が詰まりそうになる。明日の朝には、この世界は崩れてしまうのに。
「……元貴は?」
明日の約束なんてできない。未来の約束なんて意味がない。
でもおねがい、まだ気づかないで。
「うーん……ふわふわのパンケーキ食べたい。ちゃんとしたコーヒーも淹れてさ」
穏やかな朝の始まりみたいな風景が浮かぶ。
「……ふふ、いいね」
迎えたかったなぁ、と思ったら泣きそうになって、誤魔化すように笑って元貴にしがみつく。これ以上話していると、泣くのを我慢できそうになかったから、おやすみ、大好き、と囁いた。
目を閉じて寝たふりをすると、それに気づかなかったのか、元貴が僕の頭にキスをひとつして、
「俺も、愛してる」
と言った。元貴に悟られないように息を呑む。じっと元貴が僕を見つめているのを感じるから、まだ動いちゃいけない。
そのうちにぽすりと元貴の身体がベッドに沈み、すぅすぅと寝息を立て始めた。薄く目を開けて、すぐ近くの元貴の顔を見る。長いまつげがわずかに揺れ、形のいい唇はきゅむ、と閉じられている。
もぞ、と動いてみて、元貴の反応を見る。そんなに強くない睡眠薬だけれど、日々の疲労とさっきの運動で、眠りの浅い彼でも十分に効いてくれたようだ。
完全に寝入っているのを確認し、そろそろと身体を起こした。暗闇に支配されそうな視界の中、元貴の姿だけが浮かぶように僕の目に映る。
「……俺も、ずっと愛してる」
もう二度ときみに伝えられなくても、これだけは嘘偽りのない本心だから。俺のことを許さなくてもいいから、想うことだけは許してほしい。
最後だからと言い訳をして、元貴のかわいらしい唇にそっと自分のものを押し付けた。
離れがたくなってしまうからゆっくりと身体を離して、起こさないように気をつけてベッドを下りる。視界はほとんどないけれど、慣れ親しんだ元貴の部屋だ、手探りで音を立てないように寝室を抜け出す。
ソファに置いてあった荷物を手に取って、音を立てないように服を着込む。前後ろ逆かもしれないけれど、全裸じゃなければ問題ではない。なんとか着替えを済ませ、鞄の中からずっと前に書いておいた紙を取り出して、この部屋の合鍵と共に机に置く。
書きたい言葉はたくさんあったけれどなにを書いても嘘になるし傷つけるだけだから、ごめんね、しか書けなかった。謝るのだって僕の自己満足に過ぎない。だけどどうしても、これだけは言いたかった。
立ち上がって振り返ることなく部屋を出た。オートロックの部屋だから施錠の必要はない。玄関の外にはいつから待っていてくれたのか、チーフマネージャーの姿があり、びっくりして目を見開いた。
「……行きましょう」
泣きそうに笑ったチーフに、ごめんね、と僕も泣きながら笑った。
ごめんね、元貴。愛してるよ、ほんとうに。
続。
これ、どうやったら救われるんだろう……。
みなさま、やさしいお言葉ありがとうございます。
もうすこしお付き合いくださいまし。
コメント
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今回も2話更新ありがとうございます✨もうひとつのコメント、夜半テンションですみません😓かくれんぼ。読んで反省しました… ほんとに気持ちがギューってなりました…愛してるならずっと一緒にいたらいいのにって思ってしまうけど、ただ一緒にいるだけではダメなんだねって切なくなります😭
今思えば、肘の痣ってそういう事だったんですか...!天才すぎやしませんか✨ 藤澤さん、最後の日だから幸せを噛み締めておきたかったんですね...
💛ちゃん視点のこの日はもう😭😭😭 こんな思いで、💙の事抱きしめてたんだとか、もう込み上げものが多すぎて💦