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身支度のため別室へ移動すると、公爵家から連れてきた専属侍女のアンナが待機していた。
「おはようございます、お嬢――」
アンナの言葉がピタリと止まった。大きな黒い瞳をパチパチさせ、こちらを凝視してくる。
「……って、お嬢様!? うわぁっ!?」
「何よ、その大げさな反応は」
「だって! もう、びっくりですよ!」
「大したことないわ」
「大したことありますって! まさか、あの冷徹な殿下が……お嬢様にメロメロになっちゃうなんて!」
「勘違いしないで。ただの仮面夫婦よ」
「はいはい。そういうことにしておきますね!」
アンナはにんまりと笑った。
「その顔、絶対信じてないでしょう」
「あっ! そういえば、今はもう皇太子妃殿下でしたね!」
「いいのよ、アンナ。今まで通り気楽に呼んでちょうだい」
「はい、お嬢様!」
***
朝食の時間になり食堂へ向かうと、そこにはすでに「氷の仮面」を被り直したカイル殿下が待っていた。
「……遅い。皇室の朝食を何だと思っている」
表情は能面のように硬く、視線は鋭い。さっきまで布団の中で丸まっていた男と同一人物とは思えない豹変ぶりだ。
(なるほど。人前ではあくまで『冷徹な夫』を貫くつもりなのね)
少しくらいからかっても、バチは当たらないでしょ?
私は、ドレスの裾を摘んで一礼した。
「申し訳ございません、殿下。……昨夜はなかなか眠らせていただけなかったものですから」
「ブッ……!!」
しれっと爆弾を投下すると、スープを飲んでいた彼が盛大にむせた。
「殿下っ!?」
給仕たちが一斉にカイル殿下に注目する。
「あら?」
私は何食わぬ顔で首を傾げる。
「ただ寝不足だと申し上げただけですけれど?」
「な、なな、何を……っ! 貴様、人前で……!」
控えていた使用人たちが、驚きつつも、生暖かい視線を送ってくる。
カイル殿下は私を睨んだが、耳が根元まで赤く染まっていた。
その時、食堂の扉が開いた。燃えるような赤髪の青年が、ずかずかと入ってくる。
快活な笑みを浮かべた筋骨逞しい騎士――騎士団長のギルバートだ。母親は皇族の傍系にあたる家の出で、カイル殿下の乳母を務めていたらしい。二人は兄弟同然に育ったと聞いている。
彼は私に軽く片手を挙げて挨拶すると、そのままカイル殿下の肩を親しげに――いや、遠慮なくバシバシと叩いた。
「殿下、本日の演習の件で……」
ギルバートが顔を覗き込む。
「おや。なんだか朝から顔が赤いっすね。もしや……相当『公務』が長引きましたか?」
「…………」
カイル殿下の動きが、ぴたりと止まった。
「ははは! 図星っすか!」
「黙れ!!」
《……くそ、どいつもこいつも! 絶対わざとやってるな。俺の弱みを握って楽しんでいやがる……!》
とうとう耐えきれなくなったのか、カイル殿下は勢いよく立ち上がる。
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そしてギルバートを引き連れて食堂を後にした。アンナがスッと寄り添い、周囲に聞こえないほどの小声で囁く。
「お嬢様、お見事です! 殿下の顔がボッて赤くなって、面白かったですね!」
「ふふ、いい見ものね。アンナ、次の作戦の準備もお願いね」
昼は塩対応、夜は砂糖対応。
(どうやら、退屈しない新婚生活になりそうね)
***
その頃――カイルの執務室では。
「……ギルバート。一つ聞きたい」
「お、珍しいっすね。公務の相談っすか?」
書類を整理していたギルバートが顔を上げる。
カイルはしばらく黙り込んだ末、ひどく真剣な顔で口を開いた。
「女性……いや、ソフィアのような女は、何を贈れば喜ぶのだ?」
「……は?」
ギルバートの手が止まった。
「贈り物がしたいってことっすか?」
「か、勘違いするな!」
その問いを予想していたのか、カイルはすかさず用意していたらしい理屈を並べ立てた。
「俺が皇太子妃として理想的だと思うのは、民を救う聖女のような女性だ。だが、ソフィアはすでに俺の妻だ。関係が険悪なままでは今後の公務にも差し支える。精神的な摩擦を減らし、事務的な関係を円滑に保つためにも、皇太子妃として必要なものを整えるのは当然で――」
(……要するに、ソフィア様との時間をもっと充実させたいってことだろ。御託がなげぇんだよなぁ)
ギルバートは喉元まで出かかった本音を、辛うじて飲み込んだ。
「へぇ~。『関係改善のための先行投資』ってことっすね」
「そうだ!」
「それなら、ドレスや宝石みたいな型通りのもんより、毎日使えるものの方が喜ばれるんじゃないっすか?」
「毎日使えるもの?」
「最高級の香油とか、肌触りのいい寝間着とか」
「寝間着……」
カイルがぴたりと固まった。何かを思い出したのか、視線を泳がせる。
「……た、確かにな」
「ん?」
「昨日の寝間着は……少しごわついて、肌触りが悪そうだった」
「…………」
「皇太子妃にふさわしい品質へ改めるべきだ」
(はあ。朝から一体何を聞かされてんだ、俺は)
ギルバートが遠い目をするのも知らず、カイルは至極真面目な顔で手帳を開いた。羽ペンを走らせる。
『寝間着――柔らかい生地。着心地のいいもの』
(この主君……もう手遅れだ…)
***
私はアンナを連れ、意気揚々と皇太子妃の私室へ戻っていた。
扉を閉めるなり、アンナが小リスのような瞳をキラキラさせて飛び跳ねる。
「殿下のあの顔! もう、笑っちゃいますね!」
「ふふ。そうね。人前であんなにむせるなんて、殿下もまだまだだわ」
ソファへ深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべる。
「お嬢様、今絶対悪い顔しましたよね!」
「ふふっ。何のことかしら?」
その時だった。コンコン、と部屋の扉がノックされる。
「失礼いたします」
現れたのは、カイル殿下付きの侍従だった。
その両手には、リボンをかけられた大きな箱が仰々しく捧げられている。
「妃殿下。殿下より、お届け物にございます」
「……私に?」
思わずその箱を二度見した。
(カイル殿下から……?)
昨日、私を「暗殺者」扱いして警戒し、今朝は氷のように冷たく接してきたあの男が?
私は眉をひそめた。
「……あいつ、一体何を企んでいるの?」
コメント
1件
「昼は塩、夜は砂糖」ってタイトルからもう最高だわw 朝食でのソフィアの爆弾発言、カイルがむせるところで笑った。ギャップ萌えってこういうことか…! ギルバートのツッコミも渋いし、カイルが真面目に寝間着メモってるところがもう手遅れ感あって可愛い。退屈しない新婚生活、確かにこれは楽しみすぎる🔥