テラーノベル
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撮影最終日。
ロケ地は、海に突き出た古い桟橋だった。凍てつくような冬の夜風が、俺たちの着ている薄手のコートを容赦なく叩きつける。視界の先には、漆黒の海と、遠くで冷たく明滅する街の灯り。この数ヶ月、俺と仁人が「航平」と「直実」として生きてきた世界の、これが本当に最後の場所だった。
「最終シーン、位置についてください!」
助監督の声が静寂を切り裂く。
俺は桟橋の先端へと向かう仁人の背中を、少し離れた場所からじっと見つめていた。
冬の海風に揺れる小さな肩。この数ヶ月、俺たちは数え切れないほどの言葉を交わし、肌を重ねる芝居をしてきた。けれど、今日このシーンを撮り終えてしまえば、俺たちは「運命に翻弄される恋人たち」ではなくなる。明日からはまた、M!LKのメンバーとして笑い合い、バカ騒ぎをする日常に戻らなければならない。
……本当に、そんな日常に戻れるのだろうか。
仁人の背中を見つめる俺の心臓は、寒さのせいではなく、痛いほどの愛おしさと執着で激しく脈打っていた。
こんなにも近くにいるのに、俺の手で抱きしめていない仁人はどこか儚くて、気を抜いたらこの冬の海風に浚われて消えてしまいそうだ。胸の奥がぎゅっと締め付けられる。役じゃない。俺は、俺自身が、吉田仁人という人間を誰よりも愛おしく思っていた。
「シーン102、本番……スタート!」
カチンコの音が響くと同時に、意識を「航平」へと沈めながらも、俺の視線はずっと仁人から離れない。
航平との別れを決意し、背を向けて歩き出す直実。……仁人。その華奢な腕を、俺は夢中で掴み寄せた。
「……待てよ。勝手に決めるな。俺が、お前なしで生きていけると思ってんのか」
吐き出した声が海風に乗って震える。振り向かせた仁人の顔を見た瞬間、俺の中の堤防が決壊しそうになった。台本に書かれた「航平」の感情なんて、とうに超えている。俺の目の前にいるのは、愛しくて愛しくてたまらない、世界で一番大切な仁人だ。
「航平……離して。俺がいたら、君の未来は……」
涙を含んだ仁人の声が耳に届くたび、胸が狂おしいほど痛む。離すわけがない。役だろうが現実だろうが、お前を放してやるつもりなんて端からどこにもないんだ。
「未来なんて、お前がいないならただの空白だ! 頼む、直実……俺を置いていかないでくれ」
俺の両指が、仁人の両肩に強く食い込む。痛いかもしれない、強すぎるかもしれない。それでも、俺の手から仁人をすり抜けさせたくなくて、必死で力を込めた。見上げる仁人の瞳がじわりと涙で滲んでいくのを見て、愛おしさが限界を超えて溢れ出す。
「……好きだ。世界中の誰よりも、お前を愛してる」
航平の言葉を借りて放ったそれは、紛れもない俺の本音だった。そのまま引き寄せて、仁人の唇を塞ぐ。
これまで何度も繰り返してきたキス。けれど、今夜のこれは違う。役の演技という免罪符を使って、俺の中の貪欲な感情をすべて仁人にぶつけていた。吐息が白く混じり合い、寒さなんてどうでもよくなるほどの熱が体中を駆け巡る。唇を割り、仁人の柔らかな口内をなぞる。せがむように舌を絡めると、仁人が俺のコートをぎゅっと強く握り返してきた。
その健気で必死な反応が可愛くてたまらない。カメラが回っていることも、スタッフが囲んでいることも、すべてが遠い世界の出来事のように思えた。ただ仁人の熱を感じていたい。この愛おしい時間を、永遠に止めてしまいたかった。
「…………はい、カット! オッケー!!」
監督の大きな声が響いても、俺は仁人を放せなかった。唇を離すことすら惜しくて、数秒間、お互いの額を押し当てたまま荒い呼吸を重ねる。目の前で息を乱す仁人の顔があまりにも愛おしくて、俺の頭はどうにかなりそうだった。
「……チェック終わりました。オッケーです! 全編、これにて終了! クランクアップです!!」
歓声と拍手が沸き起こり、ようやくゆっくりと顔を上げた。俺を見返す仁人の瞳には、まだ役の余韻と熱い光が宿っている。そんな顔をされると、今すぐここから連れ去りたくなる。
スタッフから大きな花束を渡され、二人で頭を下げる。「最高のラストだったよ」と肩を抱く監督に感謝を伝えながらも、俺の意識の半分は隣に立つ仁人に向けられていた。
そこへ、駆けつけてくれた太智、柔太朗、舜太の三人がやってくる。
「仁ちゃん、勇ちゃん! おめでとー!」と抱きついてくる舜太や、「あんなに熱いキス、見てるこっちが恥ずかしくなっちゃった」とニヤニヤ冷やかす太智。そんな賑やかな声のなか、柔太朗だけが少し離れた場所で俺と仁人を交互に見つめ、静かに微笑んでいた。
「……お疲れ。二人とも。今日は、ゆっくり休みなよ」
#そのじん
𝐬𝐨𝐫𝐚
15
はる☻
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み!
2,206
その意味深で察しの良い言葉に、俺は心の中で柔太朗に感謝した。そうだよ、今日は二人きりになりたいんだ。
控室に戻り、衣装のコートを脱ぐ。自分の気持ちを抑えきれなくなった俺は、仁人の控室のドアを軽く叩いた。
「……仁人、入るぞ」
返事を待たずに中へ入ると、鏡の前でどこか切ない表情をした仁人が立っていた。机に花束を置き、迷わず仁人の前へと歩み寄る。
「勇斗……お疲れ様。すごかったね、最後」
「……ああ。なんか、まだふわふわしてるわ」
嘘だ。ふわふわなんかしていない。俺の頭の中は、仁人への感情でギラギラと冴え渡っていた。仁人の柔らかな髪にそっと触れる。指先から伝わる彼の体温が愛おしくて、離したくなかった。
「この後さ、二人で打ち上げ行かない? スタッフさんたちのはまた後日あるけど、今日は……二人だけで」
不意をつかれたように胸を跳ねさせる仁人。「二人で? いいけど……三人は?」と戸惑う仁人に、俺は少しだけ悪戯っぽく笑ってみせた。
「柔太朗に頼んで、うまく言ってもらった。あいつ、察しがいいからさ」
仁人の瞳から戸惑いが消え、どこか腹を括ったような光が宿る。「……わかった。行こう、勇斗」そう答える仁人の唇には、まださっきのキスの熱が残っているように見えた。
撮影現場の喧騒から逃れるように向かったのは、都内にある個室居酒屋だった。
暖色の柔らかな光が灯る静かな室内は、外の冷え込みが嘘のように温かい。
「……お疲れ、仁人」
「お疲れ様、勇斗」
グラスを合わせ、生ビールを喉に流し込む。「ぷはぁ!」と声を上げてみせるが、俺の胸の中は全く落ち着いていなかった。向かい側に座る仁人が、どこかぎこちなく突き出しの小鉢をつついている。
「……なんか、変な感じだな。二人きりで打ち上げなんて」
「そうか? 昔は二人で飯なんてよく行ってたじゃん」
「それはそうだけど。今は……なんていうか。さっきまで『あっち側』にいたからさ」
仁人が零した『あっち側』という言葉。
撮影が終わっても、俺の手のひらには仁人を抱きしめた感触が、唇にはあの柔らかさが、熱烈に残っていた。戻れるわけがない。「航平」という役の皮を被っていたから許されていた接触を、俺はもう素の「佐野勇斗」として仁人に求めずにはいられなくなっていた。
「仁人、酒。進んでないぞ。もっと飲めよ」
自分のグラスを飲み干し、仁人のグラスに日本酒を注ぐ。
「……勇斗こそ、ペース早くない? 明日も早いんでしょ」
「いいんだよ。今日は、酔わないとやってらんねーし」
酔いに任せなきゃ、こんなにも愛おしくてたまらない目の前の仁人を、今すぐここで抱きしめてしまいそうだったから。
アルコールが回るにつれ、言葉の端々に隠しきれない本音が滲み出していく。
「……なぁ、仁人。お前、撮影中……いつから俺のこと、そういう目で見るようになった?」
直球すぎる俺の問いに、仁人の手がぴたりと止まった。
「……そういう目って、何だよ」
「惚れてる目だよ。……芝居じゃねーだろ、あれ」
テーブル越しに仁人の瞳を射抜く。逃がすつもりなんてない。俺に向けられているその瞳の熱が、単なる役作りじゃないことくらい、ずっと気付いていた。
「……お互い様でしょ。勇斗だって……あの雨の日のキス、アドリブだったじゃん。あんなの、台本になかった」
「あれは……そうしなきゃ、俺が壊れそうだったからだよ。お前が、あまりにも直実として俺を受け入れるから。……いや、直実じゃねぇ。吉田仁人として、俺を見てたからだろ」
核心を突かれた仁人が、ぐっと言葉を詰まらせて俯く。
真っ赤になった耳元も、戸惑いに揺れる大きな瞳も、全てが愛おしくて俺の理性を削っていく。
「……もう、終わりなんだね」
ぽつりと寂しそうに零されたその言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた。
「明日からはまた、M!LKのメンバー。……隣にいても、あんな風に抱きしめることも、名前をあんな熱量で呼ぶことも、しちゃいけない」
勝手に終わりなんて決めつけるなよ。
俺は耐えきれなくなって席を立ち、迷わず仁人の隣へと歩み寄った。
「……仁人。隣、座っていいか?」
「……ん」
かすかに頷く仁人の隣に腰を下ろす。肩が触れ合う距離。私服の生地越しでも、仁人の緊張と熱量がびしびしと伝わってくる。
「……仁人、こっち向いて」
顔を上げさせた仁人は、お酒のせいか瞳を潤ませていて、酷く艶やかだった。俺の指先が仁人の後頭部に伸びる。引き寄せる手に少しだけ強引な力を込めた。
「俺さ、ずっと確かめたかったんだ。……カメラが回ってないところで、お前が俺にどう反応するか」
「……っ、勇斗……」
甘く震える声で俺の名を呼ぶ仁人。その唇に、迷いなく自分の唇を重ねた。
桟橋での必死で切実だったキスとは違う。仁人の柔らかな唇の感触を味わうように、愛しさを噛み締めるように、何度も何度も角度を変えて重なる。
「ん、……ふ……ぅ……」
仁人の喉から漏れる吐息が、たまらなく甘い。舌を割って押し入れ、口内をゆっくりとなぞる。仁人の身体がびくっと跳ね、微かな熱を帯びていくのが分かった。
「……は、……仁人、かわい、……」
一度唇を離し、赤く染まった仁人の顔を見下ろす。胸の奥から湧き上がる愛おしさと酷虐な欲望が混ざり合う。もうそこに「航平」はいない。目の前の仁人を独占したい「佐野勇斗」しかいなかった。
「芝居じゃ、こんな声出さねーだろ?」
「……うるさい。勇斗が、変なことするから……」
「変なこと、もっとしたいんだけど。……いい?」
仁人のシャツの襟元に手を掛けながら囁く。仁人は激しい鼓動を全身でさせながらも、俺の首にそっと腕を回してきた。
「……もう、引き返せないよ」
「最初から、引き返すつもりなんてねーよ」
仁人の返事をかき消すように、再び深いキスを落とす。酒の味と仁人の甘い体温を味わい尽くすように、何度も深く、深く。
密室の個室で、俺たちの境界線は完全に崩れ去っていた。
「……仁人。ここじゃ、足りない」
耳元で熱く囁きかける。
「……俺の家、来るだろ?」
仁人は言葉の代わりに、握っていた俺の手をギュッと力強く握り返してきた。その愛おしい答えに、俺の胸は熱い感情で満たされていた。
タクシーの中でも、静まり返ったエレベーターの中でも、二人で交わす言葉はなかった。
けれど、繋いだ手のひらから伝わる熱と、隣で微かに速くなっている仁人の息遣いが、俺の理性をギリギリのところで繋ぎ止めていた。
カードキーをかざし、重厚なドアが開く。
仁人が室内へ一歩足を踏み入れ、背後でオートロックがカチリと閉まった瞬間、俺はもう我慢の限界だった。
「……っ、ん、……勇斗……っ」
靴を脱ぐ暇さえ与えず、壁と俺の体で仁人を挟み込むように押し付け、唇を塞ぐ。
居酒屋での優しく確かめるようなキスじゃない。呼吸すらさせないくらい深く、舌を押し入れて仁人の口内を貪った。俺以外の何も考えられないように、俺の熱だけで塗り潰したかった。
「……は、ぁ、……まって、勇斗、急ぎすぎ……」
押し返そうと胸に当てられた仁人の手は力なく、むしろ俺のシャツを必死に掴んでいる。その無自覚な甘え方が、たまらなく愛おしい。
「急いでないよ。……ただ、これ以上我慢してたら俺が壊れるって言っただろ?」
「それは……っ。でも、まだ心の準備が……」
「準備? 撮影であれだけ予行演習したのに? それとも何、まだ俺が『航平』に見えてる?」
不貞腐れたように俺を見上げる仁人の瞳。その奥に揺れる迷いを、俺は見逃さなかった。
至近距離で重なる視線。仁人の頭の中には、まだあの桟橋で泣きそうだった「航平」の残像が残っているんだろ。演技の延長なのか、それとも俺個人としての熱なのか、境界線を壊すのを恐れて逃げ道を探している。
「……そんなこと、ない。勇斗は勇斗だよ」
「嘘つけ。……お前、今考えてること全部顔に出てるぞ。仁人」
仁人の唇を指先で軽く弾く。愛おしくて、同時にちょっぴり意地悪したくなる。
「『これは演技の続きじゃないか』『勇斗は役から抜けてないだけじゃないか』……そんなこと考えて、また逃げ道作ろうとしてんだろ? お前はいつもそうやって、肝心なところで臆病になる」
「臆病なんかじゃ……っ!」
「じゃあ、なんで俺の目を見ない。……俺を見て、名前を呼べよ。役の名前じゃなくて、俺の名前を」
上着を脱がせ、手首を掴んでリビングを通り抜け、寝室のベッドへと押し倒す。
見上げる仁人の視界を、俺の体で覆い尽くした。
「……勇斗、余裕だね。俺のこと、からかって楽しい?」
「余裕? 冗談だろ。……俺が今、どれだけお前を滅茶苦茶にしたいか、わかってて言ってんの?」
シャツのボタンを一つずつ外していく。露わになる滑らかな白い肌に触れると、仁人がびくっと身体を跳ねさせ、小さな声を漏らした。
「……ぁ、……ふ、ぅ……」
「仁人、身体は正直じゃん。……ここ、撮影の時よりずっと熱いぞ」
「……うるさい。それは、お酒のせい……っ」
「へぇ……お酒のせいね。じゃあ、もっと酔わせてやるよ」
首筋に顔を埋め、吸い付くように痕を残していく。仁人の甘い匂いと愛おしい体温が俺の五感を狂わせる。
(……航平と同じにするわけねぇだろ)
航平は直実を気遣い、傷つけないように大切に触れていた。
でも俺は違う。目の前にいる仁人を、俺の男として一生手放さないために、力任せに抱き締めたい。俺の手なしじゃいられない体に仕込みたいんだ。
「……仁人。お前、まだ何か考えてるだろ」
顔を上げ、濡れた瞳で俺を見つめる仁人をじっと覗き込む。
「考え事できる余裕があるなんて、俺の攻め方が甘いってことか?」
「……違う。違っ、……あ、ん、……っ!」
仁人が一番弱い場所に指を滑らせると、可愛らしい悲鳴と共に腰が跳ねた。
「っ、ぁ、……はや、と……っ、まって、……っ」
「待たない。お前がその余計な思考を止めるまで、止めないからな」
理性のタガが外れる音がした。
太陽みたいに笑ういつもの相棒でもなく、役の航平でもない。
ただ一人の男として仁人を奪い尽くすために、俺は深く、激しく、愛で満たしていった。
「……あ、……ん、……はや、と、っ」
喉から漏れる甘い声を隠すように、仁人が腕で顔を覆い隠す。その照れ隠しの仕草すら愛おしくてたまらない。俺はすぐさまその腕を掴み上げ、枕元へと押し留めた。
「隠すなよ。……仁人、今、俺のこと見てただろ。……航平を見てた時の目じゃなくて、もっと、欲張りな目」
顔を数センチの距離まで近づける。仁人の瞳には、逃げ場のない焦燥と、俺を欲しがる熱がくっきりと浮かんでいた。
撮影中の航平なら「大丈夫か?」とおずおず尋ねる場面だ。でも俺は違う。お前が俺の手で狂わされていく姿を、余すことなく焼き付けたかった。
「……っ、そんな目、してない……。俺は、ただ……」
「ただ、何? まだ演技の余韻だって言い訳するつもり?」
耳朶を軽く噛んでやると、仁人が背中を大きく逸らして身悶えた。
「……お前、さっきから考えすぎなんだよ。演技中もそうだったけど、考え始めると眉間にシワが寄る。……まだ、そんな余裕あんの?」
「余裕なんて、……あるわけ、ないだろ……っ」
愛おしさが爆発しそうになりながら、一番熱を溜めた敏感な場所を容赦なく攻め立てる。
思考を全部真っ白にして、俺のことだけを求めさせたい。暴力的なくらいの愛撫で、仁人の強がりを削ぎ落としていく。
「……あ、……ひぅ、……あ、っ! はやと、……まって、……やだ、っ」
「嘘つけ。身体は『もっと』って言ってる。……仁人、正直になれよ。お前、ずっとこうして欲しかったんだろ?」
一筋縄ではいかない強がりな部分も、本当は怖がりで甘えたがりなところも、俺は誰よりも知っている。
撮影中、指先が触れ合うたびに仁人が息を呑んでいたこと。俺の手から逃げたいくせに、どこか寂しそうに視線を彷徨わせていたこと。そのすべての答えが、いま目の前で俺にすがっている仁人の姿だった。
「あ、ぁ……っ! は、やと、……はやと、……っ!!」
俺の名前を何度も切実に叫びながら、仁人が快楽の波に呑み込まれていく。
もうそこには役の直実なんてどこにもいない。ただ俺を求め、俺の手の中で果てる仁人だけがいた。
「……っ、……あ、……ぁぁ……っ!」
限界を迎えた瞬間、仁人が俺の肩に強く爪を立て、夢中でしがみついてきた。
開いた瞳から溢れ落ちる熱い涙。俺を受け入れてくれたその証が愛おしくてたまらなくて、その涙を丁寧に唇で救い上げた。
荒い息を吐き出しながら、しがみついてくる仁人の身体を抱きしめる。
首筋に顔を埋め、背中をゆっくりとなで下ろしながら、少しずつ呼吸を合わせていった。
「……仁人」
「…………なに」
「やっと、素直になったな」
顔を上げると、我ながら呆れるくらい安堵した笑顔になっていたと思う。仁人は顔を真っ赤にして、恨めしそうに俺を見つめてきた。
「……ひどいよ、勇斗。……わざと、あんな意地悪な言い方して」
「そうしなきゃ、お前はずっと逃げてただろ。……ほら、ちゃんと言えよ」
濡れた頬を指で拭い、鼻先を寄せる。
仁人は少しだけ息を整えると、今度は逃げずに俺の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。
「……うれしい、よ」
消えそうなほど小さな声。けれど、はっきりと俺の胸に届いた。
「……勇斗に、……こうして触れられて。……俺を、全部、見てくれるのが……。すごく、幸せ」
言い終えるなり真っ赤になって俺の胸に顔を埋める仁人。
愛おしすぎて胸が痛い。壊れ物を扱うように、でも力いっぱい抱きしめ返した。
「……遅ぇんだよ、言うのが」
声が震えるのを隠せなかった。
「……俺も、ずっと……撮影の間中、お前がいつ『演技』を止めて俺を見てくれるか、そればっかり考えてた」
重ねた唇は、もう何も演じていない。ただお互いを愛おしく思い、求め合うためのキス。
映画で演じたどんな感動的なシーンよりも泥臭くて、温かくて、確かだった。
「……勇斗。明日、メンバーに会う時……俺、普通にしてられるかな」
「無理だろうな。お前のその顔、今の俺なら一発でわかる」
「……お前のせいじゃん」
拗ねたように唇を尖らせる仁人が可愛くて、また何度も唇を重ねた。
映画のラストシーンは綺麗に撮り終えた。
でも、俺と仁人の物語は、この部屋のベッドの上で、誰にも邪魔されずに永遠に続いていく。
解けることのない指先を固く絡め合わせながら、俺は愛おしい仁人をもう一度強く抱きしめた。
冬の低い陽光が、遮光カーテンの隙間から細い光の線を部屋に引き込んでいた。
腕の中で仁人が微かに身悶え、「……っ、……ん、」と小さく声を漏らす。その途端、俺の意識は一気に覚醒した。
(……あ、起きた)
腰に回した自分の腕にぐっと力を込め、仁人の体を引き寄せる。
腕の中から逃がすつもりなんて毛頭ない。背中からすっぽりと包み込むように抱き寄せると、昨夜、俺の指や体を受け入れて掠れた声で啼いていた仁人の姿が脳裏に蘇り、朝から身体の奥がじんわりと熱くなった。
仁人は止まっていた呼吸をゆっくりと吐き出し、ただじっと天井を見つめている。
何かを後悔しているような、必死に頭を整理しようとしている空気感が背中越しに伝わってきて、なんだかそれが無性に愛おしくて、同時にちょっぴり意地悪したくなった。
(「俺、何やってんだよ」……とか思ってんだろ、どうせ)
撮影終了の解放感のせいだとか、酒の勢いだったとか、またそうやって自分に都合のいい言い訳を作って逃げようとしてるのが手に取るように分かる。
そっと俺の腕を外そうと伸ばされてきた仁人の手を、逃がさずぐっと抑え込んだ。
「……起きてんなら、大人しくしてろよ」
耳元でわざと低く、掠れた声を囁いてやる。びくっと仁人の肩が跳ね、心臓が激しく脈打つのが伝わってきた。まだ目は閉じているフリをしていたけれど、俺の胸の中は昨夜の熱狂の余韻で満たされていた。
「……勇斗。もう朝だぞ。離せよ」
「やだね。……お前、昨夜あんなに俺にしがみついてた癖に、朝になったらまたそうやって澄ました顔すんのか」
うっすらと目を開け、仁人の柔らかな髪と首筋に顔をうずめた。深く息を吸い込むと、俺の部屋の匂いと、俺が昨夜たっぷりと付けつけた匂いが混ざり合って漂ってくる。最高に愛おしい。俺の所有物になった証拠だ。
首筋に俺の息が当たると、仁人はビクッと身体を震わせて必死に顔を背けた。
「……あれは、その。……役から、抜けきってなかっただけで……」
出た。またそれだ。
思わず呆れと愛おしさで胸がいっぱいになる。どこまでも強がりで、どこまでも臆病な俺の可愛い相棒。
「まだそんな嘘つくのか? ……お前を中から滅茶苦茶にしたのは航平じゃない。俺だよ、仁人」
逃がさないように身体を強引にこちらへ向けさせた。
至近距離で重なる視線。潤んだ大きな瞳が俺を捉える。もう役の「航平」としての優しさなんて見せてやるつもりはない。お前を完全に手に入れた一人の男――「佐野勇斗」としての剥き出しの独占欲を、真っ直ぐに仁人にぶつけた。
「……はぁ。……わかった、わかったから。……もう、仕事行かなきゃ。今日は午後からレッスンでしょ」
「ああ、そうだな。……でもその前に」
言い訳を並べて逃げようとする可愛い唇を、顎をクイと持ち上げて塞いだ。
「ん…………、ふ……ぁ…」
昨夜みたいな激しさはないけれど、仁人の内側まで俺の存在で塗り潰すように、ゆっくりと執拗に舌を絡める。
抵抗しようと伸ばしてきた仁人の手が、身体の痛みのせいで力なく俺の胸板を弱々しく掴むだけになる。その健気で可愛い反応に、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
ようやく唇を離すと、仁人は息を弾ませながら、真っ赤な顔で俺を睨みつけてきた。
「……本当、お前……いい加減にしろよ」
「無理。……お前、鏡見てこいよ。……すごいことになってるから」
可愛くてたまらなくて、つい勝ち誇ったような笑みが漏れる。仁人の真っ白な首筋を指さすと、嫌な予感がしたのか、仁人は重そうに身体を起こして洗面所へ向かっていった。
鏡の前で絶句している仁人の背後にそっと立ち、鏡越しにその姿を眺める。
白い肌に刻まれた、数え切れないほどの赤紫色のキスマーク。昨夜、俺が夢中になって刻みつけた「俺のもの」という証だ。それがあまりにも色っぽくて、満足感で胸がいっぱいになる。
「……っ、勇斗!! これ、どうすんだよ!」
「どうもしねぇよ。……隠したきゃタートルネックでも着れば? ま、俺は隠さなくてもいいと思ってるけど」
本気で頭を抱えている仁人が愛おしくて、意地悪く笑ってみせる。これからレッスンでメンバーに会うのが相当プレッシャーなんだろう。吉田仁人としてのプライドと、俺に滅茶苦茶にされた身体を抱えて慌てる姿すら、俺にとっては愛おしい愛劇だった。
仁人は逃げるようにシャワー室へ駆け込んでいった。
バタンと閉まったドアを見つめながら、俺はフッと口元を緩めた。
さあ、今日はどんな顔をしてメンバーの前に立つつもりなんだろう。困り果てる仁人の顔を想像しながら、俺もレッスンへの準備を始めた。
ダンススタジオのドアを開ける前、廊下で仁人が小さく深呼吸をしてタートルネックの襟を引き上げているのが見えた。背中越しからも緊張がひしひしと伝わってくる。
(必死すぎだろ、可愛すぎる……)
「……よし。大丈夫。いつも通りだ」
自分に言い聞かせるように呟いて中に入っていく仁人の後ろ姿を、俺は少し離れた場所から愛おしく見つめていた。すでに太智、柔太朗、舜太の三人は揃っている。
「おっはよー! 仁ちゃん、クランクアップお疲れ!」
「仁ちゃん、顔色悪いよ? 飲みすぎ?」
無邪気に駆け寄る舜太や、ニヤニヤしながら弄る太智。仁人が「……勇斗は?」と俺の存在を気にしたタイミングで、俺は自販機で買ったスポーツドリンクを片手にスタジオへ戻った。
「お、仁人。来たか」
あえて何事もなかったかのような平然とした顔で近づき、当たり前のように仁人の肩に腕を回す。
「……勇斗、近い。離れろ」
身を固くして小声で突っぱねてくる仁人。その慌てようがたまらなくて、俺は仁人の耳元に顔を寄せ、二人だけにしか聞こえない音量で低く囁いた。
「いいじゃん。……お前、さっきから首元触りすぎ。そんなに気になるなら、俺がもっと上手く隠してやろうか?」
昨夜の熱を思い出させるような言葉に、仁人は一瞬で顔を真っ赤にして、俺の腹に肘打ちを食らわせてきた。痛くもないその抵抗すら、愛おしくてニヤけてしまう。
「……黙れ、バカ。……レッスン、始めるぞ!」
強引に場を仕切ろうとする仁人を見て、俺はフッと口元を緩めた。
そして、レッスンが始まっても俺の攻めは終わらなかった。
新曲の振り付けで、俺と仁人が鏡越し、あるいは直接視線を合わせるパート。これまではプロとして完璧に「仕事の顔」を作れていた。だけど今日の俺は、メンバーや先生の視界に入らない絶妙な角度で、仁人にだけわかるように熱っぽく煽るような視線を投げかけた。
(……逃げられると思うなよ、仁人)
「……っ」
俺の視線を受けた瞬間、仁人のステップが露骨に乱れ、足をもつれさせた。すかさず駆け寄り、その細い腰をしっかりと腕で受け止める。
「おっと、危ない。……仁人、集中しろよ」
「……っ」
掌から体温を伝えるように、腰をグッと引き寄せてやる。昨夜、何度もこの手で抱き寄せ、乱れさせた感触が蘇る。仁人は顔を真っ赤にして、息を弾ませながら「……お前のせいだろ」と蚊の鳴くような声で毒づくのが精一杯だった。
動揺を必死に隠そうと汗を流す仁人の姿は、どんな衣装を着ている時よりも艶っぽくて、俺の所有欲をどこまでも満たしてくれた。
休憩時間になり、仁人は逃げるように一人で壁際に座り、水を飲んでいた。
そこへ柔太朗がすっと歩み寄り、仁人の隣に腰を下ろすのが見えた。
(……あいつ、察しがいいからな)
少し離れた場所から二人の様子を伺う。柔太朗が仁人の耳元で何かを囁き、仁人が焦ったように視線を泳がせている。柔太朗のあのどこか面白がっているような、でも温かく二人を見守るような目線。間違いなく勘づいているな、と察した。
柔太朗がクスクス笑いながら仁人の肩を叩いて立ち去ったのを見届け、俺はタオルを手にして仁人の元へと向かった。
今度は誰の目も憚ることなく、仁人の隣にどっかりと座り込み、その華奢な肩に頭を預ける。
「……疲れたぁ」
「……離れろって。みんな見てるだろ」
そう言いながらも、本気で突き放してこない仁人。
「いいじゃん、休憩中なんだし。……仁人、さっきの振り、もっと力抜けよ。緊張しすぎ」
「誰のせいだと思ってるんだよ……。お前が、変な目で見るから……」
小声で文句を言ってくる仁人の可愛さに耐えきれず、俺はクスクスと喉を鳴らして笑った。そして、メンバーの視線から隠すように、仁人の手をギュッと強く握りしめた。
「……映画が終わって、寂しくなるかと思ったけど。……昨日より、今日の方がずっとお前が近くに感じるわ」
演技という仮面を脱いで、素の俺たちのままで心も身体も繋がれたこと。それが嬉しくてたまらなかった。素直な気持ちを口にすると、仁人は握り返す手に少しだけ力を込め、静かに窓の外を見上げた。
役を終えて日常に戻ったはずなのに、俺たちの距離は以前よりもずっと深く、確かなものになっている。
そのとき、仁人が意を決したように俺の方を振り向いた。
「……ねぇ、勇斗」
「ん?」
「……今日の帰り。……また、お前の家、行っていい?」
不意打ちだった。
いつも強がりで、俺に迫られてばかりだった仁人が、真っ赤な顔をして自分から誘ってきたのだ。胸の奥が熱い感情で激しく跳ね上がった。一瞬目を見開いたあと、俺の口元は自然と解けていった。
「……当たり前だろ。一生帰さないつもりだけど、いい?」
「……バカ」
照れ隠しに吐き捨てられた言葉すら愛おしくて、俺は握りしめた手にもっと強く力を込めた。 明後日の方向を向く仁人の横顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。
自分から「家に行っていい?」なんて誘っておきながら、俺の返答にキャパオーバーを起こしている姿がたまらなく愛おしい。握りしめた手に少しだけ力を込めると、仁人は振り払いもせず、そっとその力を握り返してきた。
レッスンが終わり、各自着替えを済ませてスタジオを後にする。
「仁ちゃん、勇ちゃん、お先〜! 明日ね!」
舜太と太智が明るく手を振って去っていき、最後に残った柔太朗が、俺と仁人を交互に見つめてフッと柔らかく笑った。
「……じゃあね、二人とも。勇ちゃん、仁ちゃんのこと壊さない程度にしなよ」
「おい柔太朗、言い方!」
仁人が慌てて声を上げるのを横目に、俺は「分かってるって」と笑って手を振った。あいつの察しの良さには本当に助けられる。
スタジオを出て、タクシーに乗り込む。
後部座席に並んで座り、ドアが閉まった瞬間、車内の静寂が急に密室の熱を帯び始めた。昼間の陽光はすっかり落ち、窓の外には冬の夜の街灯りが流れていく。
仁人は膝の上に置いた自分の手をじっと見つめていた。その指先が微かに震えているのに気づき、俺は車内灯の届かない暗がりでそっとその手を包み込んだ。
「……緊張してんの?」
「……してない。……嘘、ちょっとだけ」
素直に認めた仁人が可愛くて、俺は親指で彼の甲を優しくなぞった。
「昨日は酒の勢いもあったし……今日は、ちゃんと素の俺たちだから」
「……分かってるよ。だから……誘ったんじゃん」
消え入りそうな声で返された言葉に、俺の胸の奥が熱く跳ね上がる。タクシーがマンションの車寄せに到着するまでの数分間、俺はただ仁人の手を離さずに握りしめていた。
部屋に入り、カチリとオートロックの音が響く。
昨夜は靴を脱ぐ間さえ惜しんで壁に押し付けたけれど、今夜は違った。俺はゆっくりと仁人のコートを脱がせ、ハンガーに掛ける。その丁寧な仕草に、仁人はどこか拍子抜けしたような、でも同時に緊張感を漂わせていた。
「……勇斗?」
「焦んなくていいよ。今夜は朝までたっぷり時間あるんだから」
仁人の手を取り、ゆっくりと寝室へ向かう。
ベッドの縁に腰掛けさせ、俺はその前に膝をついた。見上げる位置から仁人の瞳をじっと見つめる。タートルネックの隙間から覗く、昨夜俺が刻みつけた赤紫色の痕。それが今夜の照明の下で、さらに艶っぽく映えていた。
「……仁人。今日、レッスン中ずっと考えてた」
「……何を?」
「お前が俺の目を見て、『勇斗に触れられて幸せ』って言ってくれたときのこと。……あれ、夢じゃなかったんだなって」
俺の手が仁人の頬に触れる。仁人は気持ち良さそうに瞳を細め、俺の手のひらにすり寄ってきた。
「夢なわけないだろ。……俺、本気で言ったんだから」
「知ってる。……でも、何回でも聴きたいし、何回でも確かめたい」
仁人の首元に手を掛け、タートルネックの生地をゆっくりと押し下げる。現れたキスマークにそっと唇を寄せると、仁人が「あ……っ」と小さく息を吐いた。
「……勇斗、……昨日より、優しい……」
「当たり前だろ。昨日はお前が逃げようとするから意地悪したの。……今日は、お前が自分から俺のところに来てくれたんだから、とびきり甘やかしてやる」
仁人の顎を持ち上げ、深く、柔らかなキスを落とした。
役の航平でもなく、強がりな直実でもない。目の前にいるのは、俺だけを求めてここにいる吉田仁人だ。その事実が、俺の胸を愛おしさで破裂しそうにさせていた。
「……ん、……ふぁ、……勇、斗……っ」
重なる唇から漏れる仁人の声は、昨夜の苦痛や焦燥が混じったものとは全く違っていた。俺を全身で受け入れ、愛おしさに蕩けた甘い響き。それが俺の理性を優しく、けれど確実に溶かしていく。
タートルネックの裾から手を入れ、熱を帯びた仁人の肌をそっと撫で上げる。
昨夜、俺の手で激しく乱された場所を愛でるように指先で辿ると、仁人は可愛らしく身体を跳ねさせ、俺の肩に首をうずめてきた。
「……勇斗、……んっ……あったかい……」
「お前が熱すぎんだよ、仁人……」
ベッドの上に仁人をゆっくりと倒し、その上から覆いかぶさる。
見上げる仁人の瞳には、もう逃げ場を探すような迷いも、役の残像も一切なかった。ただまっすぐに俺――佐野勇斗だけを映し出し、愛おしそうに俺の頬に手を添えてくる。
「……撮影が終わったときさ、ちょっとだけ怖かったんだ」
仁人がぽつりと、胸の内に溜めていた想いを吐き出した。
「『航平』と『直実』じゃなくなったら、勇斗のこの熱い目も、優しい手も、全部なくなっちゃうんじゃないかって……」
そんな不安を抱えていたのかと思うと、胸が締め付けられるほど愛おしくなる。俺は仁人の手のひらにキスを落とし、愛おしさを込めてその瞳を見つめ返した。
「なくなるわけねぇだろ。俺が仁人を想う気持ちは、役なんかよりずっと前から、ずっと深かったんだから」
「……うん。今日、ずっと隣にいて……すごく分かった」
仁人がフッと柔らかく微笑む。その笑顔があまりにも綺麗で、俺は我慢できずに再び仁人の唇を塞いだ。
昨夜刻みつけた傷痕をひとつずつ唇で愛でながら、もっと深いところへとお互いの熱を溶かしていく。
「あ、……っ、……はやと、……好き……っ」
不意に仁人の口から溢れ出た素直な言葉に、胸の奥が震えた。
「……俺も好きだ、仁人。世界で一番愛してる」
言葉と体温を何度も交わしながら、俺たちは朝までお互いを抱き締め続けた。
そこに演技の言い訳も、偽りの境界線も存在しない。ただ、お互いを愛おしく思い合う熱気だけが部屋を満たしていた。
翌朝。
柔らかな光が部屋を満たす中、俺は腕の中でぐっすりと眠る仁人の寝顔を見つめていた。
規則正しい寝息と、俺の胸に押し当てられた小さな手。昨日までの焦りや執着は消え去り、心地よい充足感と愛おしさだけが胸に満ちていた。
「……ん……勇斗……?」
目を覚ました仁人が、パチパチと瞬きをしながら俺を見上げる。
「おはよう、仁人」
「……おはよう。……まだ、眠い……」
「二度寝していいよ。今日は仕事夕方からだろ」
俺が仁人の髪を優しく撫でると、仁人は嬉しそうに俺の胸に顔を埋め、再び目を閉じた。
映画としての「航平と直実」の物語は幕を閉じた。
けれど、こうして隣で笑い、温もりを分け合い、共に生きていく「佐野勇斗と吉田仁人」の物語は、ここから永遠に続いていく。
「……ずっと、離さねぇからな」
耳元で小さく囁くと、仁人は眠気の中でフッと満足そうに口元を緩め、俺の手をギュッと握り返してくれた。
コメント
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初めまして。 大変素敵な作品に出会えて心が踊っています。本当にありがとうございます。 役としてなのか、素の自分なのか、揺れ動く様に心がキュッとしました。二人幸せであれ……
前からずっと楽しみにしていた逆視点も、作者様の神筆さがひしひしと伝わりました…✨ 次回作も密かに楽しみにしてます!

何回も何回も読み返してた作品です、ありがとうございます。 初めてこれを見つけた時の衝撃と私も小説書いてみたいと思ったあの気持ちを鮮明に思い出しました。 完結おめでとうございます!