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#海辺の町
#異能力
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新しい診療所の間取り図を広げながら配置を相談する時間は、静香にとって夢のような時間だった。
初めて自分が必要とされ、不足する知識は征一郎がすべて補ってくれる。
少し近すぎる距離がドキドキしすぎて困るけれど。
「友禅の仕立てが届いたな。夜会に間に合ってよかった」
「先日もドレスを買っていただいたのに」
「次は着物の方がいい」
夜会の主催者が友禅を好んでいると言われた静香は、社交界は大変なのだとしみじみ感じた。
征一郎が仕立ててくれた友禅は金彩や刺繍が一切なく、渋めの色彩と繊細な写実表現だけで勝負されたとても美しい着物だった。
「遠目には落ち着いた色無地に見えるのに、こんなに繊細な模様が」
「外側から内側へ向かうボカシの美しさが粋だろう?」
全ての工程を一人で仕上げる一貫作業で作られたこの着物は、派手な色彩や金箔を使わず、職人が技巧を凝縮した作品なのだと征一郎は静香に教えてくれる。
「私に着こなせるでしょうか……?」
「もちろんだ。静香に似合うものを選んだ俺の目を信じろ」
征一郎の過剰な愛に包まれた静香は、頬を林檎のように赤く染める。
以前は深夜にしか訪れなかった征一郎は、湖から帰って来た日から早めに静香の部屋へ来るようになった。
朝まで征一郎に抱きかかえられながら眠るのは恥ずかしかったが、何度頼んでも離してもらえない。
満月の日も、真珠は作らなくていいとハッキリと言われた。
征一郎は静香の祖母から言われた「この子の命と引き換えに生まれる真珠のことは誰にも言わないで欲しい」という言葉をずっと守ってくれていたそうだ。
充実した日々、甘い旦那様、やりがいのある仕事。
すべて順調だと思っていたのに――。
「相変わらず地味な格好をして、恥ずかしいわ」
金銀を散りばめた華美なドレスや豪華な振袖がひしめく夜会の会場で、先日誂えてもらった友禅を着た静香は、姉である麗華に大きな声で笑われた。
「そんな身なりで嵯峨様の隣に立とうだなんて」
不快な高笑いと共に、極彩色のドレスに身を包んだ麗華と不遜な笑みを浮かべた父が、静香と征一郎の前に立ちふさがる。
「嵯峨様、その女は我が家の恥。ただの『身代わり』ですのよ!」
私の方が美しい。私の方がふさわしいと大きな声でアピールする麗華に、征一郎は呆れた。
「婚姻の契約は麗華とです。どうぞ麗華を連れて行ってください」
その地味な身代わりはこちらで引き取りますと、まるで物の売買かのように父が話す。
どうせ姉が征一郎と結婚したいと言い出したのだろう。
先日の夜会でも、征一郎が素敵だと言っていたから。
父は昔から姉に甘い。
姉だけを大切にし、私はいつも姉の影に隠れるおまけだった。
だから祖母は私だけ別荘に呼び、数年間、可愛がってくれていたのだ。
「皆様、聞いてちょうだい! 嵯峨様の婚約者はこの私だったのに! 妹は泥棒猫なんです!」
周囲の視線が突き刺さる中、静香は凛と顔を上げた。
以前の自分だったら、震えて逃げ出し、家で泣き寝入りだっただろう。
でも今は隣に世界で一番信頼できる人がいる。
「征一郎様の妻は私です」
「あんたは私が妻になるまでの身代わりでしょ!」
地味な着物しか似合わないくせに、そんな姿で夜会に来るなんてと麗華は嘲笑った。
「身代わりではない。俺がずっと探し求めていた女性は静香だ」
征一郎は静香の肩を抱き寄せ、静香の顔を覗き込む。
「いやいや、嵯峨様。麗華の方が器量も良く夜会で映えますし、地味で取柄もない静香なんて何の役にも……」
私は私なりに努力はしてきたつもりだし、むしろ姉の代わりに刺繍や手紙だって代筆していた。
姉の女学校の課題もやっていたのは私。
完成品だけ持って行った姉につけられた評価は、実質私への評価なのに。
「お言葉ですが、お父様。お姉様が優秀と認められた習字や刺繍、絵画などの作品展はすべて私が代理で制作したものです」
「嘘をつくな。おまえに麗華のような才能があるわけがないだろう」
父は麗華だからこそ表彰されたのだと、姉を褒めたたえた。
「あらあら、なんの騒ぎかしら?」
「これはこれは、黒川夫人。今日はお招きありがとうございます」
細かい斑点模様に小さくワンポイントだけ柄が入った友禅の着物に身を包んだ初老の女性の登場に、父はペコペコと頭を下げる。
麗華も豪華なドレスを持ち上げ、これ以上ないほど優雅にお辞儀をしたあとニコッと微笑んだ。
「嵯峨閣下。やっと夜会に来たと思ったら、どうなさったの?」
「お騒がせしてすみません。黒川夫人、妻の静香を紹介させてください」
「まあまあ! 結婚したというのは本当だったのね!」
黒川夫人は瞳を爛々と輝かせながら、静香の元へ歩み寄る。
その視線は、静香が纏う「究極の引き算」で作られた友禅の着物に注がれているようだった。