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 晴れ渡る初夏の空をサングラスの下から見上げ、脳裏に焼き付いている灰色の空の下、己の身に訪れた幸運を信じることが出来なかったあの日を思い出して眩しさからかそれともそれ以外の理由からか目を細めたのは、夏の日差しよりは人目を避けるように顔全体を覆い隠す大きな鍔の帽子を被り、隣にいる男の腕に縋るように腕を回している女性だった。

 帽子の下から伸びているブロンドは少しくすんだ色合いだったが、初夏の光を浴びてキラキラと光っていて、彼女が着ている薄い水色のワンピースの背中に掛かっていた。

「……やっと、来る事ができたわね、ウィル」

「そうだね……予想以上に時間が掛かってしまったけど、来る事が出来たな」

 あの遠い昔、灰色の空が示すように鬱屈した未来しか存在しない国から二人手に手を取って亡命し、支援者の手を借りてこの街で新たに生まれ変わって二人で夢を叶えようと誓い合った街に戻ってきたと二人だけに分かる感慨を込めた溜息を吐くが、胸の奥底に封じ込めてきた過去からの扉が開き、そこから小さな小さな、握ることすらしなかった白い手が出てきそうで、その幻覚を打ち消すために咄嗟に隣にいる彼女の肩を抱き寄せると、不思議そうにどうしたと問われた彼が苦笑する。

「……マリー、助演女優賞ノミネートおめでとう」

 今では過去の遺物として観光客らが訪れるようになっている壁を支援者の力を借りて越え、この街へと逃げるようにやって来た夜に二人で決意した夢が漸く一つの形として結実し、もうすぐそれを手にすることが出来るが、今の気持ちはどうだと戯けつつも真剣な顔で問いかけた彼は、少しの沈黙の後に頬にキスをされて目を瞬かせる。

「私のノミネートよりウィルの受賞の方が嬉しいわ」

「まだ受賞が決定した訳じゃないよ」

 二人でただ純粋に昔暮らした街を訪れた懐古だけとは言えない複雑な気持ちになりながら一軒のカフェの前を通り過ぎた時、店内にいた女性客らが彼女を見て驚きに目を丸くし、カフェの店内に貼ってあるポスターと彼女の顔を見比べるように顔を左右に振るが、二人はそんな視線を気にも留めずにこの後もう一人の大切な人と待ち合わせをしているホテルに向けて歩いていく。

「あら、ほぼ受賞間違いなしでしょう?」

「そうだと本当に嬉しいけれど、どうだろうね」

 賞を貰えることは己が今まで文字通り命を賭けてやってきたことが認められた証でもあるが、賞などもらっていなくても良い写真を撮る人は沢山いると肩を竦める彼と同じく肩を竦めるが、通り過ぎる人達が彼女の顔を再確認するように振り返るのを尻目に待ち合わせのホテルのエントランスに到着した為、くすんでいても美しいブロンドの髪を搔き上げる。

「喉が渇いたから何か飲みたいわ」

「ラウンジで待っていればすぐに分かるだろう」

「そうね、そうしましょう、ウィル」

 ドアマンが開けてくれるドアを潜りサングラスを外して彼の手に預けた彼女は世界でも名の通った老舗ホテルのロビーをぐるりと見回すが、自身に集まる視線など意に解さない顔でウィルと呼んだ長身の彼を振り仰ぎ、二人が出会った頃から変わらない笑顔でラウンジへ行こうと誘いかける。

「もうすぐ来るかしら」

「さっきメッセージが届いていたからね。もうすぐ来るんじゃないかな」

 ラウンジの入口で丁寧に頭を下げるスタッフに笑顔で奥まった席を指し示した彼女は、もう一人来るからとも伝えて少し広めの席に通され、久しぶりにあの子に会えるのも楽しみだと心底それを待ち望んでいる顔で彼を見上げる。

 二人が待っているのは、自分達にとって何よりも大切な大切な一人息子であり、将来が有望視されている若手のフォトグラファーで、二人にとっては浅からぬ縁のあるこの街で久しぶりに再会することになったのだ。

 それがなければこの街に今のような気持ちで訪れることなど不可能だった。

 スタッフに案内された席に腰を下ろし、彼女が今この街を賑わしている年に一度のお祭りの関係者であることに気づいたスタッフが緊張した面持ちで注文を聞きに来たため、ノミネート記念だと笑った彼がボトルのスパークリングワインとチーズを注文する。

「ノミネートでこれだったら受賞したらもっと美味しいお酒を飲ませてくれるの?」

「そうだね……VIPご用達の店の食事とワインなんてどうだい?」

 ソファにゆったりと座り足を組んで頬杖をつく彼女の言葉ににこやかな笑顔で頷いた彼は、程なくして注文したワインとチーズが運ばれて来たことに気づいてスタッフに目を向けると、ノミネートおめでとうございますと笑顔で祝福の言葉を伝えられて彼女の代わりにありがとうと返す。

「映画祭は来週ですね」

「そうなの。時間が取れたから早く来たわ。……この街もあの頃と変わらないようで変わったわね」

「以前この街に?」

「ええ。随分と昔だけれど。ここのラウンジでお茶を飲むのが夢だったわ」

 それを今叶えられたと過去の苦痛など一切感じさせない顔で笑ってスタッフと話す彼女に頷いていた彼は、入口で人を探しているようにラウンジの中を見回す青年の姿に気付き立ち上がって手を挙げる。

「ノア、こっちだ」

 スタッフの案内を笑顔で断り立ち上がった彼の横に大股にやって来た青年、ノア・クルーガーは、テーブルの上のワイングラスとチーズに目をやり、自分にもグラスをと注文すると遠慮する事無く彼の横に腰を下ろす。

「久しぶりね」

「そうだな……最近ありがたいことに仕事が沢山入ってる」

 先日、若手フォトグラファーの登竜門的なコンテストで見事大賞を受賞したからか一気に仕事が増えてつい先日までスペインにいたと笑う息子のノアに二人が顔を見合わせるが、仕事で忙しいのは良いことだと頷きながら自分たちの息子が忙しく働いている様子に好意的に目を細める。

「それにしても、映画祭はまだ先なのに随分と早く来たんだな」

「少しウィルと一緒に歩いてみようと思って。こんなことでもなければきっとこの街には来なかったからでしょうし」

 ノアの言葉に彼女が肩を竦め彼も似たような面持ちでテーブルの上を見つめるが、己によく似た息子に見つめられていることに気づいて顔を上げる。

「そう言えば、昔この街にいたって言ってたな」

「ええ、そう。二年ぐらいだったかしら」

「……そうだね。何だかあっという間に時間が経ったけれど、ここは変わっていないね」

 スタッフが新たなワイングラスを運んで来るまでの間、他愛もない近況報告に花を咲かせていた三人だったが、グラスが3つ揃った時にそれぞれがそれを手に取り、一人の受賞と二人のノミネートの祝いをするために乾杯する。

「乾杯」

 ウィルと呼ばれた男、ヴィルヘルム・クルーガーの乾杯の声に、妻であり二人の中心で輝く太陽のような笑みを絶やさずに浮かべているマリーことハイデマリー・クルーガーとノアがグラスを目の高さに掲げ、喉の渇きを潤しながらきめの細かな泡の感触を楽しむ。

「マリー、母さん、助演女優賞ノミネートおめでとう」

「母さんは止めてっていつも言ってるでしょう?」

 ハイデマリーが息子の言葉に不満を訴えるように口を可愛く尖らせつつ己とそっくりなくすんだ金髪に手を当てて笑うノアに溜息を吐き、何度言っても聞き入れてくれないと少しだけ悲しそうな顔になるが、それでもすぐにその顔は笑顔に取って代わられ、クルーガーというラストネームを持つ家族の中では常に彼女が太陽のような役割を担っていることに夫と息子が気付く。

「そうは言ってもマリーは俺の母さんだからな」

 仕方がないと肩を竦めるノアにひとつ頭を振ったハイデマリーは、ノアの横で同じような顔で穏やかに笑う夫、ヴィルヘルムを軽く睨んであなたからも何か言ってと無言で訴える。

「せめてママと呼べばどうだい?」

「却下!」

 ウィルの提案をほぼ同時に二人が却下し、二人揃って却下しなくても良いのにと何とも言えない情けない顔に彼がなった時、気分を切り替えるようにハイデマリーがグラスをくるりと回しつつ今夜の予定を息子に問いかける。

「今夜はホテルに戻るだけかな」

「じゃあ夜はお店に予約を入れてあるからそこで食べましょう」

「楽しみだな」

 その店は予約の取りにくいレストランとしても話題になっている店で、自分たちがこの町で暮らした2年足らずの時にはまだ無かった店だと、スマホを取り出して店の情報をノアに見せると、雑誌か何かで見かけた名前の店だが行ったことが無いから嬉しいと素直に喜ぶ息子に両親が笑顔で頷く。

「家族三人揃うのも久しぶりだわ。今日はゆっくりしましょう」

「そうだなぁ」

「ノア、スペインでどんなことがあった? 聞かせてくれ」

 それぞれジャンルは違うが女優としてフォトグラファーとして大活躍している両親を前にまだまだ駆け出しのフォトグラファーであるノアが若干照れつつも自らの働きぶりを両親に伝え、疑問や感想を投げかけられては息子特有の大雑把な返事をしたり写真家としての疑問を父に問いかけたりと、家族水入らずの時間を過ごすことが出来るのだった。

 そんな三人がいるホテルのラウンジに映画祭のポスターが貼られているが、その下に映画祭を支えるスポンサーの名前もいくつか書かれていて、ドイツ国内では名前を知らない者はいないと思える大企業の名前もいくつか連なっているが、ポスターには太陽のような見るものもつい笑顔になる、そんな不思議な魅力を持つ笑顔のハイデマリーの顔と名前も掲載されているのだった。


 年に一度のお祭りであるこの街の名前を冠した映画祭を翌週に控え、日々をこの街で過ごす人達も、映画祭を目当てに訪れる観光客やビジネスパーソンらの頭上では初夏の太陽がいつまでも顔を出しているが、そんな日の下で三人を巻き込むだけではなく胸の奥に秘めていた過去も暴かれるような事件が起きることなど、この時の誰にも想像すら出来ないのだった。




Über das glückliche Leben.

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