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その宴は計画されたものではなかったが、一度始まってしまえば煮炊く者や拵える者、饗す者の力によって大宴会となり、真夜中にも関わらず多くの人間が参加し、まるで大都市の市場のような賑わいとなり、同時に多くの使い魔が参入することで由来も分からぬ古から続く祭典のような雰囲気を醸し出した。多くの人間が居合わせながらも、酒と神秘に酔っているためにぼやけた現実は魔性を招き入れる空間を形成している。
しかしそもそもなぜ宴など始めたのか、レモニカには分からなかった。
「何があったのかしら? ソラマリア、何か聞いてる?」
たまたま広場の外縁を通りかかったレモニカは宴を見つめる。人混みに入るつもりはなかったがソラマリアに寄り添う。
「いいえ、特に何も。ここでの目的が達成されたのでしょうか? 船を待っているという話でしたが」
二人は宴の熱気に揺らぐ港を眺める。水平線近くの煌めく星々に縁取られた帆群れの黒い影が波間に揺れている。
「それらしいものは見当たらないわね。何隻か停留しているけれど、いつもと変わらない」
その時、二人の元に近づいてくる者たちがいた。屍使いの長フシュネアルテとイシュロッテだった。
「おめでとうございます、レモニカ様」と言うフシュネアルテの表情は堅く、少しもめでたさを感じなかった。
陽気な祭りの背景とは対照的に葬儀から帰って来たかのような陰気を放っている。それは姉のフシュネアルテの方だけでイシュロッテはいつも通り無感情な表情で姉に追随していた。
「すみません。わたくしたちここに来たばかりで」とレモニカは困惑した表情で尋ねる。「一体何がめでたくて宴を開いているのですか?」
「そうでしたか。私も人づてに聞いただけなのですが……」そこまで言ってフシュネアルテは言い淀む。そして代わりに妹イシュロッテが口を開く。
「ラーガ様とベルニージュがご婚約されたとのことです」
「ええ!? 早過ぎませんか!?」と口走り、レモニカは不躾な物言いをしてしまったことに気づいて縮こまる。「申し訳ございません。その、あの、お気持ちも考えずに」
「お気になさらず。しばらく前から気づいていましたから。私と違って、ラーガ様と大きく距離を縮めるベルニージュに」そうは言ってもあいかわらずフシュネアルテの表情は石のように堅いままで変わらない「どうか、私のことはお構いなく、お兄君にお祝いのお言葉をおかけくださいませ」
少しばかり同情したが、慰める言葉も見つからなかった。悲劇としてはありふれたものだろう。
「そうですか。そうですね。では、失礼します」レモニカはそれだけ言ってソラマリアの手を強く握りしめ、人混みに向かう。
戦士たちももはや慣れたもので、下手にレモニカに近づかないようにそそくさと道を開けた。それが配慮だということは分かっていたが、嫌われ者と同じ扱いであることにレモニカは気づく。が、もはや一々傷つかない。
宴の真ん中で、大量の豪勢な料理を前に、沢山の戦士たちに囲まれ、豪快に陽気に酒を呷る兄と不満げに食事をつついている赤髪の義姉の元へと近づく。婚儀と葬儀を同時に執り行っているかのような様子だ。
「ご婚約おめでとうございます。お兄さま。ベルニージュさま」レモニカは礼儀をつくし、開口一番二人を祝福する。
「何もめでたくないよ」とベルニージュは睨み上げるようにして答えた。
「まだ知られたくなかったんだと」とラーガは心底可笑しそうに笑う。「これが最初の夫婦喧嘩だ」
「まだ結婚してない」とベルニージュは冷たく言い放つ。
「これで五人姉妹ですわね」とレモニカは冗句で返す。
「おいおい、俺はもう男に戻ったぞ」とラーガは愉快そうに文句をつけた。
「ソラマリアには妹がいるんだよ」とベルニージュ。「そういうことでしょ? レモニカ」
そういうことではなかった。兄ラーガの受け止め方が冗句の正しい解釈だった。
「あ、いえ、その」レモニカは自分の血の気が引くのを感じる。完全にソラマリアの亡くなった妹ネドマリアのことを失念していた。「ご、ごめんなさい。ソラマリア」
「いえ、お気になさらず。めでたい席ですので」
そうやって気を遣わせたこと自体が恥だ。
「ありがとう。では、お二人とも喜ばしいことですが、よく冷えますのであまり浮かれて羽目を外さないでくださいませ」
ベルニージュはまたもや何か言い返していたが、その場から離れることしか考えていなかったレモニカには聞こえていなかった。
冷静になって考えると、このような場で故人の名を出すベルニージュの方がどうかしているのではないか、とレモニカは鬱屈した気分を募らせる。あるいはその誤解釈と失言こそベルニージュもまた浮かれていることの証左なのかもしれない。
しばらくソラマリアと港の端で宴の雰囲気だけでも味わおうと佇んでいると、酔っているかのような使い魔やご機嫌な戦士たちが椅子だの机だの食事だのを運んできてくれた。
レモニカは頭の中でさっきの失敗をぐるぐると考えていて、ほとんど食事も進まなかった。
「お酒のお代わりはいかがですか? お食事も何品か新たにご用意されていますが」
召使いらしき者のその声や話し方、目の端に僅かに見えた振舞いに何か既視感を覚え、レモニカは思わず手を伸ばす。
「メールマ?」
手を伸ばされた使い魔は小さな悲鳴をあげて飛び退く。気づけばレモニカは犬に変身していた。狼のような体躯だが尻尾も毛も短い。
レモニカは慌ててソラマリアの方に身を寄せて元の姿に戻った。
「確かに、少し雰囲気が似ていますね」と呟いてソラマリアが頷く。
目の前に召使いの格好をした少女がいた。見た目は似ても似つかなかったが、どこか不安げな表情や身を抱えこむような佇まいはレモニカの幼馴染の召使いメールマに似ていた。
「仕える者と申します。初めまして。お会いできて光栄です。レモニカ様、ソラマリア様」
「光栄? まるで本当に王家に仕える召使いのようだな」とソラマリアが疑わしげに言った。
「ええ、それに近いものです」仕える者は大切なものについて語るような声色で言う。「仕える者は召使いの使い魔で、かつ長らくライゼンの貴い血筋、武門の奥方に仕えていましたから。レモニカ様のことは失礼ながら存じ上げておりませんでしたが、ソラマリア様のことはよく耳にしておりました」
ライゼンには王家以外にも多くの古い血筋、家系がある。そのどこかに仕えていたのだ。
「休憩がてら一緒に食事しましょう? 仕える者」とレモニカは誘いかける。「何だか無性にライゼンの話をしたくなったわ。付き合ってくれない?」
「め、滅相もございません。それに、【命令】下ですし、お気遣いいただいて有難く存じますが、仕える者は召使いの使い魔ですから全く苦ではなくて、むしろこうして働いている時が一番楽なのです」
「封印なんて貼り直せるわ。それに楽しくたって疲れるものよ」
「ライゼンのお話なら戦士の皆さんがいるではありませんか? なにも仕える者でなくたって」
今にも逃げ出しそうな仕える者の手を掴むのを堪えつつ、レモニカは恥ずかしげに苦笑する。
「正直に言えば、友人に雰囲気が似ているあなたとただ話していたいのよ。駄目かしら?」
「も、申し訳ございませんがそろそろ仕事に戻らせていただきます」と仕える者ははっきりと断る。
ある程度解釈に幅を持たせられる使い魔に対する【命令】だったのかもしれないが、仕える者自身が自分は怠けていると認識すれば働きに戻らざるを得なくなるのだ。レモニカは諦めて身を引く。
「引き留めてごめんなさい。また時間があればお話ししましょうね?」
「え、ええ。いつでもお呼びたてください。その際の【命令】次第ですが、すぐに馳せ参じます」
仕える者の背中を見送ってレモニカは呟く。
「本当にメールマと久々に話したかのような気分だわ。実際に再会すればこんな風には話せないだろうけれど」
独り言とでも受け取ったのか、ソラマリアは何も言わなかった。
メールマの視力を回復させ、最も嫌っていた怪物の姿で怯えさせた後は一度として言葉を交わしていない。あの時はメールマのためを思って距離を取ったつもりのレモニカだったが、要するに怯えて逃げたのは自分の方だったのだと今更思い知る。