私はマイラ王女にお願いして茶会の開かれた庭でハンクを待たせてもらっている。座ったままだったから足を動かしたい。ダントルが日傘を持ち、花達に近づく。外に居すぎたわね、冷たい果実水が飲みたくなる。王宮の庭園も美しいけど、あの花園には勝てないわ。もう会議は終わったかしら。
「お嬢」
ダントルの声に振り向くと離れた場所からハンクが近づいてきた。私は笑顔でハンクに向かう。
「変わりないか」
はい、と答えハンクを見上げる。私はハンクの腕に手を添え馬車まで歩く。会議の終わった当主達が私達を横目で見ている。ハンクは目立つ上に私の歩みが遅いから照れくさいわね。お父様が見えた気がしたけれど、背を向けて遠ざかっていくわ。なぜかしら。
茶会で起きたことはダントルが報告するだろう。特に危険もなかった。たまに外に出るのは気分が変わっていいわ。すでに入り口にはゾルダークの馬車が控え、ハロルドが扉の横に立っていた。ハンクが先に乗り込み、伸ばされた手を掴み中へと乗り込む。扉が閉められ馬車が進む。ハンクは窓に布を掛け、外と遮断する。黙ったまま私を捕まえ膝に乗せる。
「楽しかったか」
「はい。久しぶりに令嬢達と話しましたわ。流行りの劇や歌など皆さんよく知っています」
そうか、と頭の上から声がする。
「誰かに触れられたか」
私は首を横に振る。ちゃんと守られていたわ。
「果実水が飲みたいです」
ふふ、と笑いながらハンクに告げる。ハンクは下腹に手をあて撫でる。
「寝ているな」
私は頷く。子は動いていない。痛みも張りもない。座ってばかりいたけど少し疲れたみたい、ハンクの鼓動を聞いていると眠くなる。私はそのまま眠りに落ちた。
話さなくなった。頭に口を落としても反応しない。小さな体が腕の中で眠りに就いたようだ。久しぶりに外に出した、疲れもするだろう。額に口をつけ、頬を撫でても起きない。これの騎士に茶会で起こったことは全て聞かねばならない。迎えに行く間にライアンの使いから渡された報告に目を通したが、ハインスは自滅したな。手は下すが。
赤い唇に触れる。合わせたいが起きてしまう。愛しい体を抱いたまま自身も目を瞑る。
馬車が邸に着いても起きない。深く寝に入ってしまった。扉を開けたハロルドに人払いを命じる。眠る体を抱いたまま馬車を降りる。奴が近づくが、軽く手を振り下がらせる。
これの自室へ向かう間、横を歩くソーマが深刻な顔をして、指先で胸を叩く。何かが届いたようだ。抱いている娘の部屋の扉を開けさせ寝室へ移る。抱いたまま寝台に腰掛け、耳飾りと首飾りを外しソーマに渡す。髪もほぐし、指で梳かす。赤い唇を少し開けて俺を誘っているな。
「どうした?」
「大旦那様から急ぎの手紙です」
「いつ来た?」
「旦那様が戻られる二刻前に」
手を振りソーマを下がらせる。小さな体を寝台に横たわらせ後ろから抱き込む。下腹に触れ温める。離れがたいが仕方ない。頭を撫で起き上がり、口を合わせ掛け布で包む。
居室にいるメイドに様子を見ておくように命じ、赤毛の騎士を連れて自室へ向かう。途中、待ち伏せていた奴が近づく。
「父上、何かあったのですか?」
顎を上げ付いてくるように促す。
執務室にはソーマ、ハロルド、ダントル、カイランがハンクに続いて入る。コートを脱ぎソーマに渡す。ソファに座りハロルドが差し出す酒を一気に呷る。騎士に向け何があったか報告させる。
「黒髪の女がカイラン様の愛人になりたいそうで、何度もキャスリン様に話してました。そのことに王女は怒って、黒髪の女の隣に座ってるのも一緒に帰らせました。あと、双子みたいな女が蜂だって近寄って来たんで、キャスリン様の合図で足を引っ掛けて転ばせました。そのくらいですよ」
詳しくはないが、だいたいわかった。黒髪がランザイトか、双子がハインス。ランザイトの隣の女は誰だ。ハインスのことはライアンに後で詳しく聞くか。ハンクはカイランへ向けて聞く。
「理解したか」
カイランは騎士に向かい尋ねる。
「酷いことは言われなかったか?」
「…特には、羨ましいと言われてましたよ。黒髪がカイラン様に守られたい、お世話がしたい」
カイランの顔が険しくなる。
「本当に蜂はいたのか?」
カイランの問いにダントルは首を横に振る。ハンクは手を振りダントルを下がらせた。
「お前も下がれ」
ハンクはカイランに用はない。頭を下げカイランは退室する。部屋にはハロルドとソーマが残った。ソーマは懐に仕舞った手紙をハンクへ渡す。ハンクは封を割り読み出し、静寂が続く。ハンクは手紙をソーマへ渡し、読む許可を与えた。
「いつ行かれますか?」
ソーマは読んだ手紙をハロルドへ渡す。
大旦那様が主を呼んでいる。主が家督を継がれてからこんなことはなかった。カイラン様の婚姻にも興味を示さなかったのに、今、早馬を使って呼ぶ理由は、キャスリン様だと主もわかっているだろう。主は答えない。キャスリン様を動かすことはできない。しかし、呼ばれているのは主、離れるしかない。ハロルドは主に酒を注ぐ。
「ハロルド、ついてこれるか」
「馬で行かれるおつもりですか?」
ソーマは問う。それは危険だ、護衛騎士を連れて行っても無防備になる。
「はい」
ハロルドの答えに主は頷き、決めてしまわれた。
「明日、日の出と共に出立する。護衛騎士を三人用意しろ。あれには夜に俺から話す」
道が良ければ日暮れにゾルダーク領に着けるが、難しいだろう。ハロルドは騎士と自身の旅の準備の手配に部屋から退室していった。ハンクは酒を呷る。
「ソーマ見張れ。あれを守れよ」
今、主が儚くなればゾルダークは衰退する。カイラン様は未熟だ。安全を期したい、馬車を使ってほしいが主は頷かないだろう。
「お気をつけて、旦那様に何かあればキャスリン様が悲しみます」
危険を冒さずキャスリン様の元に戻ってもらわねばならない。
「カイラン様にはいつ伝えますか?」
「明日の夕食まで気づかなければ放っておけ。気づいたら伝えていい」
疲れているだろうが、ダントルには働いてもらわねばならない。主が戻るまで傷一つつけられない。
目を覚ますと辺りはすでに薄暗く、日が落ちかけている時なのだと気づいた。寝室に侍っていたジュノが近寄る。
「お疲れでしたね、よく寝ていましたよ」
掛け布を捲ると茶会で着ていたドレスのままだった。
「旦那様がここまで運ばれて宝飾品も外してくださいました」
「どのくらい寝ていたの?」
「半時ほどです、着替えましょう」
ええ、と答え、起き上がる。ハンクも起こしてくれたらいいのに、馬車に乗ってから寝てしまったのね。
ジュノに手伝ってもらいドレスを脱いでいく。寝てしまったから皺が付いてしまった。膨らんだ下腹を撫でる。お腹が空いたわね。ジュノから果実水を受け取り喉を潤す。固く絞った布で顔を拭いてもらい、普段着に着替え居室へ移る。
「起きたかい?」
カイランが私の部屋のソファに座り待っていた。いつから待っていたのか。
「驚くじゃない、いつからいたの?」
ダントルはまだゾルダークの騎士服を着たままカイランの近くに待機していた。騎士のことなど考えないんだから。
「少し前だよ、疲れた?」
自分の隣を叩き座るよう促される。
「そうね、座ってばかりだったけど疲れたみたい。久しぶりに令嬢達と話したから楽しかったけどね」
ふふ、と笑いながらカイランに茶会のことを話すがカイランの顔は険しい。ダントルから何があったのか聞いたようだ。そんなに心配することはなかったのに。
「無理してないか?」
「してないわ。カイランがとても人気があると教えてもらったわ。ダントル、お疲れ様。着替えてらっしゃいな」
ダントルは首を傾げただけで動かない。カイランは私に傷をつけるようなことはしないと思うのだけど。
「カイラン、気をつけてね。アビゲイル様はしつこかったわ。近づかないようにね」
アビゲイル様は当分、表には出てこないだろうけど、焦ってカイランに近づかれても困る。
「ランザイト伯爵令嬢は愛人失格か」
「そうね、彼女は妖艶な感じよ。貴方は惹かれない類いね」
カイランに顔を向けると黒い瞳から涙を流していた。まさか、アビゲイル様がよかったのかしら。彼女は嫌よ。カイランの顔に手を伸ばし涙を払う。
「なんでもない。腹に触れていいか?」
ええ、と許可を出すが、いきなり泣いてなんだか怖いわ。カイランは手で触れず、ソファに寝転んで足を投げ出し、頭を私の膝に置き腹に顔を向けている。それは腹に触れてはいないわよ。ダントルが近づいたが、首を振り下がるよう伝える。濃い青を撫でると虚ろだった瞳を閉じ、また涙を流している。服に染み込むわ、何かあったのかしら。ゾルダークの後継は荷が重いわよね。それでも私の子が育つまで頑張ってほしいわ。私は何も言わずカイランが満足するまで放っておいた。
ソーマの言う通り、夫の勉強をしたほうがいい。あの美しいドレスは父上が贈った。邸を出る時には着けていなかった首飾りも父上が用意したんだろう。キャスリンを飾る物は手間と金をかけてる。よく考えれば、キャスリンがあんなに高価なドレスを頼むわけない。公爵家に嫁いでも、つつましく暮らしているじゃないか。彼女の喜ぶことをするのはいつでも父上だ。キャスリンは僕のことをなんとも思っていない。僕が愛人を作ることも、気になるのは女の階級と性格くらいだろう。僕が言ったんだ、愛する人ができたら話すと。そんなものこのままではできないだろう。僕はキャスリンが欲しいんだ。腹の子の父親になりたいんだ。
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