「え? 地味? はい??」
ギルド長に連行され、応接室に入った私と
イスティールさんだったが……
彼の説明というか指摘に、パープルの髪をした
彼女は戸惑っていた。
白髪交じりの筋肉質のアラフィフの男は、頭を
ポリポリとかきながら
「目にも止まらぬ速さで戦ったヤツはいたが、
見えない、となるとなあ。
もう少し観客にわかりやすくしてもらわないと、
盛り上がらないんだよ」
「ええと……
どうして見世物というか興行前提で
話さないといけないんでしょう?」
ですよね。まずそこですよね。
外ハネのあるミディアムボブの髪を微動だに
しないまま―――
イスティールさんは困惑とも呆れとも取れない
表情を見せる。
「そりゃあお前さんの方から、武者修行したいって
言って来たんだからよ。
少しはこっちの要望も聞いてもらわにゃ」
カラカラと笑うジャンさんと、眉をひそめる
彼女の表情が対照的で……
一通り笑ったギルド長がふぅ、と一息付き、
「目くらましも立派な戦術だ。
だからそれを否定するつもりは無い。
だけどよ、それだと目くらまし前提で
相手を選ばなければならねえ。
それって腕試しになるのか?」
「それは……」
彼女は言いよどむ。
視界妨害が前提の戦い……
それは確かにたいていの戦いを有利に
進められるだろう。しかし―――
「相手あってのものだろ。
その条件で戦ってくれる相手はそうそう
いないと思うぜ?」
彼が両腕を組んで鼻からフー、と息を漏らす。
それもそうか、とも思う。
『戦ってください、ただし目隠しした状態で』
では、当然名乗り出る人間も限られる。
「それに―――
シンには効かなかっただろう?
その状態からのスタートなら、
相手をちゃんと選んで出してやるって
言ってるんだ」
ジャンさんの指摘にイスティールさんは
ハッとなり、
「そ、そうでした!
突然私の霧魔法が強制的に解除されて……!
あれはいったい?」
「い、いえまあ、その……
私は『抵抗魔法』だけは強力なので」
しどろもどろになりながら、何とか言い訳する。
「(抵抗魔法……!?
私が人間に……?
そんな、もしや魔力が衰えているとでも)」
独り言のように小さな声でブツブツ言いながら、
考え込む彼女に、ギルド長が声をかける。
「で、どうすんだ?
霧魔法無しじゃ戦えないと言うのなら、
話はここで終わりだが」
その言葉にイスティールさんがジャンさんの
方を向いて、
「安い挑発ではありますが……
乗って差し上げましょう。
霧魔法は封印します。他には?」
「そうだな―――
お前さん素手だったし、武器無しといこうや。
相手や詳細は決まったらすぐ知らせる」
そこでお互い不敵に笑うと、
「わかりました。
では、お待ちしております」
彼女は軽く会釈すると、そのまま応接室を
出ていった。
後に残されたのはアラフィフとアラフォーの
男2人で―――
「よーし、これで……
久しぶりに模擬戦が組めるぞ!」
満足そうにガッツポーズを取るギルド長に、
私は片手を上げて
「何やかんや言ってましたけど―――
結局はそのためだったんですね」
「そりゃあこんなオイシイ機会、きちんと
生かさないとダメだろうが。
とは言えどうすっかなー。
俺もやりてえが、前回出ちまっているし」
ラミア族のエイミさん・タースィーさんと、
ジャンさん・私のコンビでタッグ戦を行った
アレか。
(62話 はじめての たっぐまっち参照)
「ジャンさんの言う通り、複数いれば良かったん
でしょうけど」
「まあ、やり方はいろいろある。
それで今回、シンはどうする?」
私は首を左右に振って応え、それを見た彼は
苦笑いする。
「ていうか、私はすでに1回戦って
いるでしょうに」
「わかったわかった。
今回はパスって事で。
もしかしたら対戦以外で協力してもらう事が
あるかも知れんが―――
その時はよろしく頼む」
裏方や料理で手伝うのは今までもしてきたし、
それは問題無いだろう。
こうして私はやっと解放され―――
冬休み終了後の『ガッコウ』再開に向けて、
現場へと戻る事にした。
―――それから3日後。
私は冒険者ギルド支部の訓練場、関係者だけが
入れる最上段の席にいた。
今回、私は対戦相手にはならないという約束を
ギルド長は守ってくれたおかげで……
観客サイドにいるのだが、
「えー、それでは……
当ギルドの『模擬戦』を行います!
今回は武者修行中の新入りを交えた対戦!
名のある盗賊を倒してきたという事で、
その実力は本物!
イスティールさんです!!」
黒髪・褐色の次期ギルド長―――
レイド君の拡声器を使った放送により、
観客席は盛り上がる。
もっとも、舞台となった訓練場の上の彼女は
困惑しているっぽいが……
「そして、その相方となるのは―――
当ギルド長・ゴールドクラス……!
ジャンドゥ!!」
次いで、丸眼鏡のライトグリーンのショートヘアを
持つ女性……
レイド君の妻、ミリアさんの説明が入る。
相方―――
つまり今回は、ラミア族との対戦よろしく
タッグマッチとなる。
当然相手もタッグを組んでいるわけで……
「イスティール・ジャンドゥ組―――
彼らの対戦相手となるのはこの2人!
当ギルド所属にしてシルバークラス!
メル・アルテリーゼ組です!!」
どうしてこうなった―――
確かに協力するとは言ったけれども。
しかも何か2人ともノリノリだし……
(※ラッチは児童預かり所)
「おー、本当にシンの嫁2人が出るのか!」
「前はどっかの貴族さんとやったんだっけ」
「今回はギルド長とあのネーちゃんが相手か。
さてどうなる?」
ロングヘアーとセミロング―――
黒髪の2人の妻が、観客席へ向かって手を振る。
観客も、久々の『模擬戦』だからか、
それなりに盛り上がっており、そして……
「おおー。
こりゃまた珍しい組み合わせだー」
私やレイド夫妻の頭上を、ミドルショートの
透き通るような髪を持つ―――
氷精霊様がぷかぷかと
浮かんでいた。
「やっぱり精霊様に取っても珍しいですか?」
「そりゃーねー」
模擬戦とはいえ、ドラゴンが混じっての戦い
だしなあ。
めったに見られるものではないだろう。
「ちなみに―――
強さとしてはどんなものでしょうか」
「んー……」
そこで彼女は眼下にある4人を見て、
「人間の姿になって弱くなっているけど、
やっぱりアルテリーゼさんが一番かな。
ただあのギルド長の方が戦いの経験
多そうだから―――
この状態でどっちも武器無しなら……
わからないと思う」
確かに戦闘経験や場数はジャンさんの方が
多く積んでいるだろう。
でもアルテリーゼも人間の姿になって弱体化
しているとはいえ―――
シーガル様ですら歯が立たなかったのに。
(42話 はじめての まりょくそくてい参照)
それで互角というのは……
やっぱりギルド長の実力というのは桁違いなのだと
改めて実感する。
「後はメルさんだけど……
あの人もすっごく強い。
人間の魔力じゃないよーアレは」
彼女は私経由でアルテリーゼの影響を受けて
いるからなあ。
以前パック夫妻に見てもらった時も―――
魔力暴走が収まったナイアータ殿下と同じくらいと
言われていたし。
(77話 はじめての さいだー参照)
ん? となると―――
一番弱いのはイスティールさんって事に……?
氷精霊様を見上げると、彼女は私の疑問に
気付いたようで、
「言っておくけど、イスティールさんも弱くは
無いよー。
魔力だけなら、ギルド長より上かも知れない」
ゴールドクラス以上だって!?
とんでもない実力者って事じゃないか……!
いったいどういう戦いになるのか―――
私は固唾を飲んで試合場を見下ろした。
「2対2、ですか。
でも私は勝手に戦いますからね」
「おう。
即席で組んだんだし、連携なんざ求めていねぇ。
だが相手を舐めるなよ」
未だ納得していないイスティールとギルド長が、
視線と言葉を交わし、
「こっちは遠距離の水魔法で様子見するから、
接近してきたらアルちゃんにお願いするね」
「心得ておる、メルっち」
メル・アルテリーゼ組も―――
臆する事なく試合についての方針を語る。
「それでは両者構えて―――」
「……開始っ!!」
レイド夫妻の合図で観客席が沸き上がる。
ここでプロレスのゴングのような物が
欲しいと思う私はオッサン―――
という事はさておき。
氷精霊様の分析では、それなりにみんな
相当の強さという事だが……
ジャンさんも妻2人も空気を読んでくれる
だろうけど、唯一の部外者がイスティールさんと
いう事を考えると―――
そこはパートナーであるギルド長が、試合を
上手くコントロールしてくれる事を祈るしかない。
「4人とも何も持ってないが」
「まさか武器も魔法も無しって事は……」
そういえば、今まで武器無しって『模擬戦』は
した事がない。
観客がどよめくのも無理はなく―――
「では行きますっ!」
……!
メルから仕掛けたか。
もともと、彼女が得意とするのは水魔法だったが、
シーガル様との戦いでも見せたように―――
私のアドバイスで、水弾による水鉄砲と、
上空待機その他の戦術が可能となっている。
「ハッ!」
イスティールさんはそれを身を宙へ一回転
させるようにかわし、
「ぬんっ!!」
かわすまでもない、とでもいうようにギルド長が
拳で水弾を粉砕する。
アレかなり威力高いはずなんだけどなー……
さすがゴールドクラス。
「ん……!?」
少し目を離しただけなのに、視界から
イスティールさんの姿が消えた。
「お!?」
と、メルが一言発した時にはすでに、彼女の
目の前に迫っており―――
その手が届くかと思った瞬間、イスティールさんは
反転して後方へ距離を取る。
そして彼女がいた場所に、水のカーテンが轟音と
共に降り注いだ。
「ほお、カンが良いな」
「結構やりますねえ」
妻たちがイスティールさんの実力を認めるように
感想を口にする。
そしてジャンさんの元まで戻った彼女は―――
……ジャンさんは?
「よそ見はいけねえなあ」
「!」
いつの間にか、彼がアルテリーゼの腕を
つかんでいた。
「服と腕の間に隙間があれば、抜ける事は
出来るだろうが……
この場合はどうする?」
ギルド長は彼女の肌が露出している部分を
つかんでいた。
関節技の対処方法は、ジャンさんにも伝えて
いたが、これで条件は五分。
身体強化が使える者同士―――
ましてや、人間の姿の戦いなら彼の方に分が
あるのは疑いようもなく。
「アルちゃん、回って!」
「わかっておるわ、メルっち!」
と、妻2人が何やら言葉を交わしたかと思うと、
アルテリーゼがその場で前方一回転を行い、
「うおおっ!?」
ギルド長は驚くと共に、バックジャンプで
距離を取り―――
今度こそイスティールさんと2人、同じ場所に
戻った。
「外した!?」
「無茶苦茶だろ……!」
ギャラリーが結果を見て驚愕の声を上げ、
また2対2で対峙する状態になる。
腕を内側へ曲げられた際、人間の体の構造上
前へ屈むようにするしかない。
だが自ら前へ回転すれば、その拘束から
逃れる事は出来る。理論上では……
ドラゴンの身体強化でそれを行えば―――
ゴールドクラスでも逃さないようにするのは
無理だったようだ。
「マジかー。
どうしたものかな」
「ずいぶんと落ち着いてますのね……」
即席タッグとはいえ、一筋縄ではいかない事を
彼女は身をもって実感し―――
パートナーに話しかける。
いきなり2対2の対戦形式。
相手は自分の霧魔法を抵抗魔法で無効化した
男の妻、しかも1人はドラゴンと―――
多過ぎる情報量にウンザリし、また心のどこかで
本気でとらえていなかったが……
彼女はその認識の甘さを痛感していた。
「(悔しいですけれど、私の実力はあの
水魔法使いの女性と同程度……
ドラゴンであるアルテリーゼとはもちろん、
このギルド長とも格段の差があります。
いくら戦力を確認するための調査とはいえ、
このままおめおめと引き下がるわけには
いきません……!)」
イスティールは相方である初老の男の方を向いて、
「……相手を交換しませんか」
「んん?」
聞き返すギルド長に対し彼女は続けて、
「2対2であれば、私とジャンドゥ殿、
どちらかが―――
あの2人の一方に負けを認めさせれば
いいのでしょう?」
「まあ、そりゃそうだが」
怪訝そうな顔をする彼に説明を継続し、
「私ではアルテリーゼさんには敵いません。
メルさんの相手がせいぜい……
しかし、ジャンドゥ殿でもドラゴン相手では
拮抗(きっこう)するでしょう。
そこで、私がドラゴンの相手をします。
長くは持たないでしょうが……
その間にジャンドゥ殿がメルさんを―――」
イスティールの、それまでのプライドや
見栄を捨てた申し出に、彼はニッ、と笑い
「俺に勝負を預けるって事か。
そりゃ何としても勝たねえとな。
じゃあいっちょやるぜ!」
と、同時に2人はダッシュをかけた。
「ん!」
私が声を上げると同時に、レイド君や
ミリアさんも驚き、
「交差した!?」
「相手が……!」
斜めに、そして最短距離で―――
ジャンさんがメルに向かい、イスティールさんは
アルテリーゼへと急接近する。
なるほど。相手を『入れ替えた』か。
確かに実力が互角なら戦闘は長引く。
それならいっそ、勝ち目のある方へ全力を使う。
ギルド長なら今のメルでも……
ただしその代償として、イスティールさんが
アルテリーゼを抑えるのが前提だ。
さて、彼女たちはどう出るか―――
「ほぉ? 我に来るか」
「ぎぇー!! ギルド長来たー!!」
対照的な声を上げるシンの妻2名。
それまでの戦闘バランスが崩れた事を
悟ったのか、それぞれが迎撃態勢を取る。
早く合流したのはイスティールとアルテリーゼ。
と、人の姿をしたドラゴンの目前まで行った彼女は
ほとんど垂直にジャンプし、
「何じゃ?」
天井近くまで飛んだ彼女を見上げる
アルテリーゼ。
だが、イスティールの行動はそれなりの
計算と理由があった。
「(直接打ち合えば、恐らく私の方が圧倒的に
不利……!
でも、宙へ飛べば落下してくるまでの間、
時間は稼げる!)」
攻防がお預けになったような状態の一組の横で、
「ちょっ!
アルちゃんこっち来てー!!」
「わ、わかっておる!
しかし……!」
およそ、あらゆる戦闘において、『上を取られる』
というのは明確に不利である。
それに、イスティールは素手だがメルのように、
遠距離攻撃の手段が無いとも限らない。
さすがにアルテリーゼも即応出来ず、
その間にジャンドゥは一気に距離を詰め―――
「あわわわわっ!
シ、シンから教わった―――
『点では無く面の制圧』!!」
メルは水弾をさらに細かくし、狙撃から
ばら撒く方式へと切り替えた。
「こいつは面倒だな……うぉっ!?」
連続して打ち出される水弾を彼はかわすが、
すぐに状況を理解し飲み込んだ。
自分が不利だという事を。
メルを中心に半径およそ数メートルは、彼女の
水魔法の結果濡らされており……
当然、通常の足場よりは滑りやすく―――
少なくとも満足な動きは出来ず、機動力が
妨げられていた。
「まったく……
いい感じに育ってきてくれて何よりだ」
彼はいったん距離を取り、その横では―――
「たーっ!!」
「むう!?」
着地地点を狙っていたアルテリーゼだが、
強烈な風を叩きつけられ、思わず身構える。
「何あのおねーちゃん!?
風魔法も使えるの!?」
「また飛んだ!?」
イスティールは落下途中で、自分の着地地点に
風魔法で強風を叩きつけ―――
再度宙へと浮かび上がった。
「―――霧魔法!!」
そして天井付近が霧で埋まり、彼女の姿は
その中へと消える。
「なんと、これがシンの言っていた霧魔法か。
確かにこれでは何も見えぬな」
ドラゴンもさすがに見上げながら困惑し、
一方でメルとギルド長の方は、
「よーしよしよし。
ジャンさんは遠距離攻撃の魔法持ってないし……
近付けさせなければダイジョーブ!
あー良かった武器無しで」
間合いが遠いためか、彼女は安堵のため息をつく。
「じゃあこっちも、シンから教えてもらった事……
いっちょ試してみるか」
足場が濡れていないところまで移動したギルド長は
ゆっくりと利き腕である右腕を曲げて下ろし―――
左手の手の平を前へ突き出す。
「何だ、ギルド長のあの構えは……?」
「いや―――
遠距離攻撃の類は、使えなかったはずだが」
ざわめく観客席と、その動揺はメルにも
伝わって、
「え、ちょ、何?」
そしてジャンドゥが左腕と右腕の構図を交換
するように、左腕のヒジを曲げて下げると
同時に、右腕を前へと放つ。
「―――かあっ!!」
「うひょっ!?」
と、メルが仰向けにひっくり返った。
彼女の足場も濡れており、そこへ前方から
強烈な風圧を喰らった結果で―――
「しま……っ」
慌てて倒れた上半身を起こしたところ、
目の前にはギルド長の拳があり……
「……まいりましたっ」
メルは両手を上げて降参を宣言し、ふと
横を見ると―――
攻撃モーションに入ったアルテリーゼと、
それを防ごうとしたままのポーズで固まっている、
イスティールの姿があった。
「ジャンおじさんの勝ちだー!!」
「あー……
メルおねーちゃん、負けちゃったかー」
目の前の光景を素直に受け入れる子供たちとは
別に、大人たちは、
「いや、これはどうなんだ?」
「メルが降参を宣言したし―――
ギルド長・イスティール組の勝ちじゃねえか?」
「あれ? でも確か霧魔法って」
観客席から、困惑と戸惑いの言葉が飛び交う中、
拡声器からレイド夫妻の声が入り、
「えー、ただ今の『模擬戦』……
メルの降参宣言により、勝負は着きましたが」
「事前に決められていた、霧魔法の使用禁止を
途中でイスティールさんが破ったため―――
今回は引き分けといたします!」
一瞬、会場となった訓練場は静まり返り―――
そして……
大歓声と拍手が沸き起こった。
「えー!?
ジャンおじさんの勝ちだよー!!」
「あー、でも使っちゃいけない魔法を
使っちゃったから」
「武器無しって条件もあったんだから、
そっちも守らなきゃダメでしょ」
それでも子供たちは不満半分、納得半分という
ところで―――
「それにしても、最後……
ギルド長は何をしたんだ?」
「メルがすっ転んだよな?」
「まさか、新しい魔法を獲得したとか」
大人たちは、『決着』がついた試合の
最後の局面を分析・推測し……
久しぶりの『模擬戦』は―――
こうして幕を閉じた。
「ほ、本当にすいませんでしたジャンドゥ殿。
私がルールを忘れてしまって、つい―――」
応接室に着くと……
イスティールさんが、ジャンさんにぺこぺこと
頭を下げて謝罪していた。
「あー、霧魔法はダメって話だったよね」
「あれを使われていては厄介だったのう。
でも確かに興行には向かないわ」
メルとアルテリーゼも一息付きながら、
試合後の対戦者同士として話し合う。
「そういえば……
ジャンさんが最後に使った魔法、
何だったんですか?」
私が会話に割って入り、恐らく観客の疑問でも
あろう事を質問する。
「それについては、シンが来る前にちょっと
話していたが―――
ありゃタダの身体強化だぞ?」
それを聞いた女性陣3人が、目の前で
片手を垂直に立てて左右に振る。
「いや、そんな事言われてもねー」
「タダの身体強化の掌底で―――
人一人の体を揺るがすほどの風を作ったと
申すか」
「理論上可能、事実上不可能という言葉を
知っておりますか?」
私より先に説明を聞いたであろう彼女たちは、
驚きを通り越して呆れるように語る。
まあ実は……
私が絡んでいたりするんだけど。
中国武術における鍛錬方の一つ、井拳功―――
漫画やアニメでは百歩神拳という名前の方が
有名か。
井戸の底へ正拳突きを繰り返す修行の一つであり、
1年以上続ける事で、底の水に波紋を生じさせる
事が出来れば成功……
イスティールさんの言う通り、現実には存在
し得ない技だ。
雑談の中でギルド長に話した事があるんだけど、
まさか本当にやるとは思わなかったよ。
「でもシン、何か遅れて来たけど……
用事でもあったの?」
メルの質問に、私は扉の方へ振り返り、
「あ、そうだった。
レイド君、ミリアさん。
入ってきて」
そこで、キッチンワゴンに各種料理を乗せて、
レイド夫妻が入ってきた。
「シンさんの新作料理ッス!」
「ひと試合終えてお腹が空いていると
思いまして、『クラン』に頼んでいました」
運び入れられる料理を見て、元から室内にいた
4人が口を開く。
「お! 気が利くじゃねえか」
「ウン! 運動もした事だし、ちょうど
小腹が空いていたんだよねー」
「しかも新作料理とは楽しみじゃのう」
イスティールさんだけは目を丸くして、
「これは……うどんですか?
でも平べったいような」
「あ、キシメンはまだ食べた事ありませんか?」
そこで各自に器に入ったキシメンが配られ、
「あれ? シン、これスープが入ってないよー」
「これから入れるんだ。
ちょっとだけだけど」
メルの問いに、熱々のスープを麺を濡らす程度に
入れていく。
そしてそれぞれに卵が配られ……
「ではそれを、割って入れてください」
「?? 生卵を入れるだけか?」
聞き返すジャンさんに、レイド夫妻はニヤニヤと
視線を向ける。
「ふむ……ただの卵ではないようじゃな」
アルテリーゼが卵をつかむと、他の面々も
それに続き、
「えっ!?
な、何ですかこれ!?」
割った卵からは―――
とろっとやや形がくずれた液体状の中身が
出てきて、キシメンの上にかけられる。
「何コレ!?
ゆで卵と生卵の中間のような……!」
「それで合っています。
半熟って言うんですけどね」
卵はふんだんにあるので―――
これまでは単体だと、ナマかゆで卵の2つしか
選択肢が無かったが……
今回の釜玉風うどん製作のため、調理法を
追加した。
やり方自体はいたって簡単で……
一度沸騰させたお湯に1/5ほどの水を入れて
温度を下げ、そこに生卵を投入するだけ。
時間にして10分も入れたままにすれば、
半熟・温泉たまごの出来上がりとなる。
「それをキシメンにからめてもらった
後は……」
私はもう一つの新しい料理が入った容器を、
テーブルの中央に置く。
「んん?
天ぷら……か?」
ギルド長の疑問に、私はそこへスプーンを
差し入れ、
「正確にはその衣部分だけのようなもの、ですね。
小麦粉を水で溶いたものに酢を加え―――
それを油でちょっとずつ揚げたものです。
天かす、もしくは揚げ玉と呼ばれています。
入れる量はお好みで」
各々がトッピングのように自分の器にふりかけ、
新作料理の完成、となった。
「では、頂きます」
私の言葉が合図であったのかのように―――
全員が口に入れる。
「うまっ!!」
「フム……!
これはなかなか」
まず、メルとアルテリーゼがその美味しさに驚き、
「あっちで味見しましたが……
料理と混ぜると格段にンまいっ!!」
「このメンはただの小麦粉で作ったと聞いて
いますが、こんなに美味しいなんて」
続いて、ミリアさん・イスティールさんが
味を絶賛する。
「このサクサクした食感は面白ぇな。
そういや、こういうのにすぐ飛び付きそうな
精霊サマはどこ行ってんだ?」
「俺たちの後についてきて、宿屋『クラン』に
行ったままッス。
多分まだそこにいるんじゃないッスかね?」
あちらでこの料理を作ってもらったからなあ。
今頃、そこで食べまくっているんだろう。
しかし目ざといと言うか何というか……
「しかしまあ、何だ。
新作料理には違いないが、やけにあっさりと
しておるのう?」
「ウン、何か安っぽい」
アルテリーゼはやや控えめに―――
メルがストレートに言い放つ。
「何か結婚してからメルさん、
シンさんと結構本音全開で話すように
なったッスね」
「だって妻だもーん」
レイド君のツッコミをメルは受け流す。
他の女性陣は、それを聞いて微妙そうな
表情になった。
「ま、まあ安いのは事実です。
というより、クレアージュさんに頼まれて
いたんですよ」
「ん? そりゃまたどうして」
聞き返してくるジャンさんに私は視線を返して、
「基本的に公都は、来る人拒まずでやって
いますけど―――
着の身着のままでっていう人も多い
らしいんです。
特に子連れの家族とか……
何も入れていないうどんやご飯なら、安く
提供出来るんですけど、『安くて量もあって
美味しいものは出来ないかい?』って
言われたので」
それを聞いた妻2人が食べるのを中断して、
「またシンはそんな無茶ブリを……
でも確かに、卵はいっぱいあるし、
子供優先の方針で動いているからね」
「この天ぷらの欠片も、小麦粉と水と酢で
出来ておるのなら……
これ以上なく安上がりじゃ」
そこへイスティールさんが割って入り、
「あの、卵が異常なほど安いと聞いては
おりましたが、それは―――」
どうして? という言葉より先にレイド夫妻が
先回りして、
「この公都では魔物鳥の『プルラン』を、
卵用に大量に飼育しているッス。
だから卵がすごく安価で出回っているッスよ」
「あと、ここの方針で―――
子供たちはいろいろと優遇・優先されて
いるんです。
卵は1日1個ならサービスされますからね。
こういう形で使うならアリだと思います」
説明を聞いてポカンとするイスティールさんを
置いて、今度はギルド長が
「貝はどうだ?
アレだってほぼ無尽蔵に増えるだろ?」
「いやー、それも考えたんですけど。
ただ調理に手間がかかるというのも問題で……
安いというのは人手もかけられないので」
その話に妻2人も参戦し、
「ダシ汁はちょっぴりでいいし、あの卵と
絡めればそのまま卵の味になるしね」
「天かすの、あのサクサクした食感は子供も
喜ぶであろうし―――
何より食いでがある。
なるほど、考えられているのだのう」
「だけど材料費で考えるのなら、貝の方が
安いんだよねー。
もっと手軽に料理出来ればいいんだけど」
こうしてしばらく、低コスト料理の議論が
続き―――
時間は過ぎていった。
―――その夜。
自分に用意された冒険者ギルド支部の職員寮の
一室で―――
イスティールが一人、思考を巡らせていた。
「……何なのでしょうか、ここは。
事前情報、いえそれ以上に―――
ドラゴン、魔狼、ラミア族、ゴーレム……
ワイバーンに至るまで『共存』している。
生活レベルもさることながら―――
まさにここは『理想郷』と呼んでも
差し支えないところ……!」
公都『ヤマト』に到着してから、まだそれほど
日は経ってはいない。
しかし、この短期間で彼女が経験した事は、
それだけ衝撃の大きいものだった。
そこへノックの音が室内に響いた。
扉からではなく、窓から。
「お邪魔していーいー?」
「あなたは……」
彼女は窓を開け―――
外に浮かんでいた少女を招き入れる。
「やっぱりイスティールでしょ? 久しぶりー」
「それはお互いに、です。
……私の正体に気付いていたんですね」
「だってねぇ、本名だったし?
ね、魔王軍幹部『イスティール』?」
精霊と魔族―――
少女と女性は、室内で対峙した。
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