静かな昼下がり。綺麗なピアノの音色が、廊下中に響き渡る。
その音は、音楽室から聞こえてくるものだった。誰も文句を言わない。なぜなら――大手企業の娘が弾いているからだ。
その大手企業の娘とは、私、白輝 璃奈である。
「つまんないな……」
つい言葉に出してしまうほど、退屈な日々が続く。
正直、私の親は金持ちすぎて、私に近づいてくる人なんて誰一人いない。
小説では、お金持ちはいつもたくさんの人に囲まれているのに。
――考えれば考えるほど、イライラする。
璃奈はため息をつき、ふと後ろから声が聞こえた。
「だろうね、笑」
驚いた璃奈は勢いよく立ち上がり、バランスを崩した。
倒れそうになる直前、誰かが手を差し伸べ、腕を掴もうとするのが見えた。
「助かった……」
そう思った瞬間――
ドサッ。
倒れる音が響き、璃奈の体に激痛が走った。
「イッ……」
久々に味わう強烈な痛みに、思わず声が漏れる。
なんで掴めるところで止まったの!?
文句を言おうと勢いよく顔を上げた途端、背後の壁に頭をぶつけ、さらに痛みが広がった。涙まであふれてくる。
「大丈夫……!?」
聞こえた声は、心地よい優しい声だった。
こいつ、絶対「凡骨だな」とか思ってるんでしょうね!
怒り出しそうな璃奈を気にする様子もなく、また同じトーンで繰り返される。
「大丈夫……?」
太陽の光に目を細めながらも、璃奈は目の前の人物をハッキリ見た。
黒髪ロングに、薄い茶色の瞳――とても綺麗な女の子だった。
その瞳に映っているのは、濃い茶色のツインテールに寝癖のついた、自分の姿。
視線を下ろすと、彼女の胸元に名札が見えた。
静樹 朱理――そう書かれていた。
その時、ドアの方から悲鳴が聞こえた。
――今度は誰よ!?
怒りながらドアを振り返ると、そこに立っていたのは音楽の先生だった。
「先生……」
思わず口をついた言葉に、先生は我に返ったようにこちらへ駆け寄りながら怒鳴った。
「ちょっと、何をしてるの!」
謝ろうとした璃奈だったが、先生の怒鳴り声は自分ではなく――
「静樹さん!!」
朱里を叱るものだった。
朱里は焦った様子で謝った。
「す、すみません……」
なぜ先生に謝るのに、私には謝らないの?
心の中に嫌な気持ちが湧き、ネガティブな考えが止まらない。
「白輝さん、大丈夫? 涙が出てるじゃない!」
先生に心配され、璃奈は慌てて答える。
「も、もちろんです。久しぶりに転んだので……」
ホッとする先生にお礼を言い、璃奈は朱里を探した。
そして見つけた彼女は、優しい目でこちらを見ていた。
――その一瞬だけ、どこか見覚えのある瞳に思えた。
「先生、ありがとうございます」
先生に腕を引かれ、立ち上がる。
怪我がないか確認され、授業開始の時間を伝えられ、璃奈は深く一礼して音楽室を出た。
廊下を歩きながら、璃奈は考える。
静樹さんのあの目、誰かに似ていた気がする――
けれど、思い出せない。
幼いころに事故で大半の記憶を失ったからだ。
あれは、いわゆる記憶喪失。
病院のドアを開けたのは、私の母だった。
無事を確認した母は、強く私を抱きしめる。
璃奈もそれに慣れたように、優しく抱きしめ返す。
喉から溢れそうになる感情を抑え、母の背中を軽く叩いて慰めた。
――今日は、珍しく事件が起きたな。
しかも、久しぶりに「知り合い以外」と話した気がする。
あの子は、たしか一週間前に転校してきたんだっけ。
綺麗な人だったな……また、話しかけてくれるかな。
そんなことを考えていると、だんだん眠気が襲ってきた。
「お母さん……ちょっと寝るね」
母の腕の中で、璃奈は眠りに落ちた。
人は、温もりに包まれると眠くなるものだ。
数分後、誰かに抱き上げられる感覚で目が覚めた。
見覚えのある匂い。目を開けずとも、誰だか分かる。
それは――兄、白輝 輝流。
警察官の兄は、いつも私の「心配しなくていいから」という言葉を軽く流してくる。
「起きた?」
「うん……」
嘘寝もすぐに見破られる。
母の姿が見えないことに気づき、尋ねた。
「お母さんは?」
「お前は、周りをよく見てるな」
「……褒めてる?」
「お母さんは仕事だ」
「そうなんだ」
予想通りの答えに、璃奈は小さく頷いた。
沈黙が続く中、先に口を開いたのは兄だった。
だが――その内容は、璃奈の予想を大きく裏切るものだった。
「お前、静樹 朱里ってやつ、知ってるか?」
――えっ、その子が何かやらかしたの!?
戸惑いながら顔を上げると、兄が立ち止まる。
「知ってるんだな」
「えぇ……その子が何かしたの?」
次の瞬間、兄が口にしたのは――
璃奈を震えさせる、衝撃の一言だった。
コメント
7件
え!え!最高の始まりです!!初見ですけど、もう好きかもしれません!つまらない内容から面白い内容に変わっていくの驚きです!!
えぇ!!真面目な話ですきぃぃ!続きが気になるぅ!!
一話から最高すぎますよMisaちゃん!!朱里ちゃんの前と家族の前の璃奈の態度が違いすぎる!!朱里ちゃんの前だと、少しその時にあったような性格の子だったのに、家族の前だと、大人びてて、少し冷静なのちょーいい!!