テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「遅くなってごめん」
俺が瑞奈の実家を訪ねることができたのは、午後七時を回った頃だった。夕食をご馳走になり、今は瑞奈の部屋にいる。
「別に。やることいっぱいあったから平気だよ」
瑞奈は手芸でもしていたのか、針と糸を片付け、ちらりと俺を見て、すぐに部屋の隅にある本棚の方へとその視線をはずした。
文庫本がぎゅうぎゅうに押し込まれている。ほとんどがミステリー小説だった。本棚の脇には、身長大ほどの縦長の箱が置かれている。箱の上部の蓋がずれるように浮いており、慌てて何かを箱の中にしまったように思えた。こういうところが、どこか瑞奈らしいところでもあった。
瑞奈の指先には絆創膏が貼られていた。
「指」俺が口にしかけるや、瑞奈は細かい説明は嫌なの、とでも言いたげに「ちょっと針を刺しちゃっただけ」と早口で会話を閉じた。
春奈さんの家を辞去したのが午後二時過ぎだった。午後六時には、長野駅に着いていたのに、俺はすぐに瑞奈の家に行くことができなかった。瑞奈に会う決心がつかなかったからだ。
怖かった。
瑞奈の喉に管がついた姿を想像しては、頭を振り続けた。おかげで首が少し痛い。それなのに、想像が止むことはなく、むしろその想像がエスカレートし、俺の心を蝕んできた。
足が瑞奈の家の方へと向かわなかった。駅を出て、反対方向へと目的もなく進んだ。
一歩一歩踏みしめるごとに疲労からくるものとは違う重さを感じた。陽が傾いた空がどうしてか俺には眩しかった。弱い光のくせに、俺を強く照らしてきた。まるで俺が頭の中で描いてしまった絵をはっきり縁取るように。現実というものをくっきりと浮きあがらせようとするように。
だから、瑞奈の実家に着いた時には、困憊していた。ただ歩いていただけなのに。大泣きした後のようなぐったりとした澱が俺の身体の中に沈殿していた。
「あのさ……」
春奈さんのことは、まだ瑞奈には喋っていない。話していいものか判断に迷っていた。
勝手に瑞奈のことに触れて、春奈さんに会いに行ったことは、俺にとっても、瑞奈にとっても果たして良策だったのだろうか。しかも、春奈さんは俺に伝えてきた。『瑞奈さんとお話をさせていただけませんか』と。そのことを瑞奈にどう切り出そうか。
瑞奈がつんとすました顔を俺に向けた。
「何?」
影が、蛍光灯ペンダントの紐の影が、瑞奈の顔から胸元にかけてかかった。
長細い影。
何故かそれが太い管のように思えた。喉から延びる管――シューシューと聞こえる人工呼吸器の音が耳のすぐ近くで震えるように鳴った気がした。俺は思わず目を瞑る。