コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「付き合い始めたきっかけは春陽から、結婚したのも春陽から言われたからだった」
「春陽さんにプロポーズされたの?」
「まあ、そうだな」
意外だった。雪斗はそんな受身な人間だと思わなかったから。
それにさっき気持ちが無かったって言ってたけれど、嫌なのに断れずに結婚するとも思えない。
「どうしてプロポーズを受けたの?」
雪斗は一瞬険しい顔をした。
「さっきも言ったけど春陽を本気で愛してた訳じゃない。でも当時はそのことに気付かなかった」
「気付かないって……自分のことなのに?」
「ああ。春陽は昔からの知り合いで気心が知れていて、一緒にいるとそれなりに楽しかったんだ。結婚しようと言われた時も、断る理由がなかった。俺もいつかは結婚するだろうし、妻にするなら春陽は申し分無い相手だと思ったんだ」
雪斗の言葉で以前真壁さんが言っていたことを思い出した。
あの真壁さんが春さんには適わないと思ったって言っていた。
きっとその通りなんだろう。
美しく魅力的で、あらゆる事に優れている彼女は雪斗と並んでも見劣りしない。
似合いの二人だったんだ。
「でもそんな結婚が上手く行く訳が無かった」
「……どうして?」
「ある日春陽に言われた。気持ちが無いなら別れたいって」
「別れたいって……どうして?」
結婚は春陽さんから望んこと事なのに。
気持ちが無いって言うくらいだから、雪斗が新婚早々浮気でもしたとか?
でもそれは無いんじゃないかな。雪斗が複数の女性と付き合ってたのって離婚した後だって話だし。
「何もしてない」
やっぱり。でもそれならどうして……。
「春陽にはそれなりに気を遣ってたし、蔑ろにした事も無かった。でも春陽は俺の気持ちが向いてないのに結婚は続けられないと言って出て行った」
「本当に春陽さんに気持ちが無かったの?」
「あの時は自分でも自覚してなかった。夢中になる程盛り上がる気持ちはなくても春陽以上の女はいなかったし、結婚なんてそんなものだろうと思ってた」
「でも、それは結婚する前から分かったんじゃないの? 恋人と自分の気持ちに温度差が有ったら直ぐに気付くと思うけど」
私はそれで何度も落ち込んだし。
好きな程相手の気持ちを知ろうとして、ふとした拍子に相手の冷めた態度に気付いてしまったりする。
「春陽さんだって分かっていて結婚したんじゃないのかな?」
「ああ、春陽もそう言ってた。俺の気持ちが心からのものじゃないと分かっていたって。でも結婚すれば変わるかもしれないと期待した。変える為の努力もしたって言われた」
春陽さんは雪斗の事を本当に好きだったんだ。
悲しい想いを抱えながら、それでも未来に期待をして結婚したのかもしれない。
「出来る事は全部やったけど、もう無理だと悟った。愛情の無い人とは一緒に居られないと別れを告げられた」
「それで離婚になったの?」
「いや、俺が納得しなかったから少し揉めた」
揉めたって……やっぱり雪斗は春陽さんを好きだったの?
雪斗は私の心を見抜いた様に言った。
「結婚したばかりで離婚なんて受け入れられなかった。でも春陽を失うのが恐かったからじゃない。見栄やプライド、今思うとくだらないものの為に春陽を引き留めた」
「……」
「でもそんな俺の考えを春陽は直ぐに見抜いた。結局俺に見切りをつけて出て行った。説得しても駄目だった、あいつは一度決心したら周りの意見なんて聞かないし、その辺驚くくらい潔いから」
「そうなんだ……」
私とは大違いだ。
同じ立場だったら引き留める雪斗を捨てる事なんて、きっと私には出来ない。
「春陽が出て行って俺も離婚に同意したけど、彼女に対する怒りは消えなかった。俺に特別な落ち度が有った訳じゃない、感情論ばかりで簡単に離婚に踏み切る春陽が許せなかった。プライドもへし折られた気分だった。結婚して一年も経たない内に逃げられるなんて想像もしてなかったからな……春陽には簡単に離婚を決めた訳じゃ無い、決心するまでに死ぬほど悩んで苦しんだって言われたけど理解出来なかった」
「……悩んだのは本当だと思うよ。好きな相手の気持ちが自分に無いのは悲しいし。春陽さんみたいな決断力とか行動力は私には無いけど気持ちは分かるよ」
雪斗と偽りの恋人だった頃、雪斗の気持ちが分からなくて虚しくて寂しかった。
妻になってまでそんな気持ちをしていたのだとしたら……。
私の言葉に雪斗は自嘲しながら頷いた。
「苛立ちを紛らわせようといろんな女と遊んだりしたけど何も変わらなかった。でもそんな時美月の存在を知って少しずつ気持ちが変わった」
そう言えば……私と雪斗の出会いっていつなんだろう。
雪斗は有名だから私は以前から知ってたけれど、雪斗が私を知る機会って無かったなじゃないかな。
事務的な手続きでメールや電話のやり取りは有ったかもしれないけど、個人的な関わりは一切無かったし。
過去を思い出してもピンと来る出会いは無い。
「私の存在を知ったって、ハンドタオル拾ってくれた時の事?」
あれは決して素敵な出会いじゃ無かったけど、他に接近した記憶は無い。
「いや、あの時より大分前。俺あの時美月の名前呼んだだろ?」
そうだったかな?
雪斗が不機嫌だった記憶しか無いし細かい事は覚えてない。
「じゃあ……いつのことなの?」
「株主総会の準備の時。俺は営業部代表で参加してたから」
株主総会の準備なら総務は全員駆り出される。
でも私は総会に出た訳じゃ無いし、裏方の事前準備だったから雪斗との接点は無かった気がする。
「美月は全く覚えて無いだろ?」
「……うん」
「俺はよく覚えてるけどな」
「そうなの?」
「ああ。何て真面目な女なんだろうって思った」
普通に仕事をしていただけなのに、自分がそんな印象を与えていたことに驚いた。
「飲み会にも一切参加しないで黙々と働いて。いつも完璧な仕事してたよな」
「そんなこと……」
「何となく気になって気付けば目で追う様になって、機会があれば話してみたいって思う様になってた」
雪斗が私を気にしてたなんて、少しも気づかなかった。
「実際話してみると実は気が強くてなぜか俺を異様に嫌っているから、一気に印象は悪くなったけど」
本当のことだから何も言えない。
あの頃の私は雪斗に対して本当に酷かったから。
「でも不思議だよな。嫌な女だって思いながらも目が離せなくて……やたらと話しかけたくなって気になって。しばらくしてから好きなんだって自覚した」
「全然気付かなかった」
「そうだよな。直後、藤原さんの事嫌いですって宣言されたし」
「……ごめんなさい」
あの頃の自分を振り返ると、もうそれしか言えない。
「いや。嫌いって言われても俺の気持ちは変わらなかったし。でも美月への気持ちが大きくなるに連れ、春陽の言葉を理解出来る様になった」
「春陽さんの?」
「ああ。春陽の言う通りだった。俺は何も分かってなかった、春陽がどんな気持ちで俺と結婚するって言ったのか、一緒に暮らしてたのか、別れるって言ったのか……結局俺は最後まで春陽と向き合うことすらしてなかった。自分が被害者って気分だったけど間違っていたと気付いたんだよ」
「間違ってた……」
「あのまま結婚を続けていても春陽も俺も本当の意味で幸せになれなかった。美月と出会った時春陽と結婚してたとしても、それでも俺はきっと美月に惹かれてた。春陽もそれが分かってたんだと思う。展示会で再会した後言われたんだ……本当に好きになれる人を見つけられたんだねって、良かったねって言われたよ」
春陽さんが雪斗にそんな事を言ってたなんて思いもしなかった。
私は悪い方にばかり考えて。強い決心をして雪斗から離れて行った彼女を恐れて疑ってばかり考えていて。
「春陽さんは凄い人だね。そんな風に言えるなんて」
私よりずっと心が強い人だ。
比べてしまうと自分が情けなくなる。
「春陽とはちゃんと話してけじめをつけたいと思った」
「それで会ってたの?」
「ああ。春陽に謝りたかった。それから実家には離婚の報告を正式にしに行ったんだ。そんなことも投げやりになってしてなかったから」
「そう……」
「春陽としっかりとけじめを着けてから美月に言おうと思ってた」
雪斗は一度言葉を切り真剣な目で私を見た。
「美月、結婚しよう」
「……雪斗」
まさか雪斗が結婚を口にしてくれるとは思ってなかった。
だって少し前にはもう駄目なんだって散々泣いたのに。
「……嫌か?」
少し不安そうな雪斗の声。
視界が再び滲むのを感じながら、私は首を横に振った。
「嫌な訳無い。私には雪斗しか居ないし……何度も言ってるでしょ? 雪斗が大好き」
言い終わると同時に雪斗の胸に引き寄せられた。
雪斗の鼓動が聞こえる。
いつもより早く強く脈打っていて……雪斗も緊張していたのかな。
「もう不安にはさせないから」
耳元で低く響く雪斗の声。
「うん……」
「必ず幸せにする」
「うん……私も……」
雪斗を信じて、二人で幸せになりたい。
雪斗を愛してる。
雪斗も同じ気持ちで居てくれている。
でもそれでも私は不安になって疑って、勝手に苦しい想いをして泣いた。
私達は言葉が足りなかった。
どんなに想い合っていても、少しの心の弱さが不安を連れて来る。
好きであればあるほど、辛くなる時がある。
でもそれを拭い去ってくれるのはやっぱり雪斗しかいない。
雪斗が心を見せてくれると、不安は安心に苦しさは幸せに変わる。
強く抱き締め合い、どちらからともなくキスを交わす。
触れるだけのキスから、だんだんと深いキスに。
眩暈のする様な陶酔感。私にとって至福の時。
雪斗も同じ様に感じてくれてたらいい。
触れ合ったところから心が伝わればいいのに。
雪斗が私の中に入って来る。
心も身体も震えて、涙が溢れる。
「……雪斗……このまま離れたくない」
熱に浮かされながら言うと、雪斗に再び口を塞がれる。
これ以上無いくらい重なり合って、もう溶けてしまいそう。
もう何も考えれられない。
「美月……愛してる」
雪斗の声を遠くに聞いた時、意識は真っ白に変わった――。