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ルークさんの案内のまま、私は一歩、また一歩と彼の後ろをついていった。
目の前に現れたのは、森の闇に沈む、禍々しくも荘厳な石造りの館。
蔦が血管のように壁を這い、外観は恐ろしげだったけれど
重厚な扉が開かれた先の世界は、私の予想を裏切るものだった。
「……入れ。埃ぐらいは積もっているが、雨風は凌げる」
一歩足を踏み入れると、そこには静謐な空間が広がっていた。
使い込まれているが手入れの行き届いた家具、高い天井から吊るされた豪奢なシャンデリア。
外見の荒廃ぶりとは裏腹に、中は驚くほど綺麗に整えられている。
時刻はすでに夜。
窓の外からは、夜の森特有の不気味な鳴き声が聞こえてくる。
「……腹が減ったな。早速だが一つ目の条件だ。食事を作ってもらえるか?」
ルークさんのその言葉が、私たちの奇妙な共同生活の合図だった。
私は預けられた台所で、備蓄されていた僅かな野菜と塩
そして彼が仕留めたであろう肉を使い、手早く料理を仕上げた。
没落してからというもの、父のために限られた食材で工夫を凝らすのは私の得意分野だ。
そうして、私たちの二人の生活が始まった。
翌朝
夜明けとともにルークさんは「狩りに出る」と言い残し、深い霧の立ち込める森へと消えていった。
「いってらっしゃい、ルークさん。く、くれぐれも気をつけてくださいね……!」
背後から声をかけると、彼は一度だけ足を止め
耳をぴくりと動かして、振り返らずに森の奥へと消えた。
相変わらず不器用な人───いや、獣人さんだ。
さて、彼がいない間、私は約束の「家事」に取り掛かることにした。
まずは、広大なホールの掃除だ。
ルークさんが「埃が積もっている」と言った通り
隅の方には薄く灰色の層ができていたけれど
それを拭い去るたびに、下に隠れていた美しい大理石の模様が顔を出す。
けれど、掃除を終えても彼が帰ってくるまでには、まだたっぷりと時間があった。
「……少しだけ、覗いてみようかな」
私は冒険心に駆られ、掃除道具を片手に館の中を散策し始めた。
歩けば歩くほど、不思議な感覚に包まれる。
どの部屋も、まるで昨日まで誰かが住んでいたかのように整然としているのだ。
寝室のシーツはパリッとしていて、銀食器は曇り一つない。
(ルークさん一人で、ここを維持しているのかしら……)
ふと立ち止まった廊下の壁に、一枚の肖像画が掛かっていた。
煤けていて顔までははっきり見えないけれど、そこには仲睦まじい様子の男女が描かれている。
なぜだろう、その絵を見ていると
胸の奥がキュッと締め付けられるような、懐かしくて悲しい感覚が込み上げてきた。
それから数日が過ぎた
私たちの距離は、食事の時間を重ねるごとに、ほんの少しずつ縮まっていった。
当初、ルークさんは獣人らしく、血の気の残る生肉に近い食事を好んで食べていた。
けれどある晩、私は彼のために、じっくりと時間をかけて煮込んだ温かい野菜スープを差し出した。
「……これはなんだ。俺は草など食わんと言ったはずだぞ」
ルークさんは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、私が
「私の自信作なんです。一口だけでいいですから」
と食い下がると、渋々といった様子でスプーンを口に運んだ。
一口、二口。
ふと、彼の動きが止まった。
琥珀色の瞳が大きく見開かれ、どこか遠くを見るような、切ない光を帯びる。
「……温かいな。…昔、これと似た味を……どこかで食べた気がする…」
絞り出すような彼の声に、私は胸を打たれた。
彼はスープの熱に、心の奥底に封じ込めていた「幼い頃の記憶」を呼び起こされているようだった。
それ以来、ルークさんは少しずつ、自分のことを話してくれるようになった。
会話が増えて分かったのは、彼が驚くほど博識であることだ。
図書室にある難しい歴史書や、星の動き
さらには失われた古代の言語まで、彼は何でも知っていた。
ただの「森の獣」だなんて、誰が言ったのだろう。
「ルークさんって、本当はとってもお詳しいんですね。本がお好きなんですか?」
「……暇潰しだ。森の中に一人でいれば、本を捲る以外にすることなどない」
彼はそっけなく答えるけれど、私は気づいていた。
#王子
彼が孤独を愛していると言い張るのは、誰からも傷つけられないための防衛本能なのだと。
本当は、誰かと知識を分かち合い、語り合う時間を、誰よりも求めているのではないか。
「孤独を楽しんでいるふりをするなんて、ルークさんは本当に不思議ですね」
「……お前、今なんと言った?」
「ふふ、なんでもありません。明日はもっと美味しいスープを作りますね」
私が微笑むと、ルークさんは耳を赤くして、ガツガツとスープを飲み干した。
薬の完成まで、あと数日
お父様のもとへ帰らなければならない日は刻一刻と近づいている。
それなのに、私の心には
この不器用な狼さんと過ごす時間が終わってしまうことへの
小さな「寂しさ」が芽生え始めていた。