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羽海汐遠
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ほわ🌇
‐本文20,396字‐
注意:一部に過激な描写を含みます。
10年前とある殺人事件が起きた。
その事件は悲惨なもので、当時どこもかしこも、そのニュースが表紙を飾り、知らない者などいなかった。
というのも、警察官が殺されたあげく、手足などがバラされた状態で発見された。
当時この事件の捜査に突然の打ち切りが言い渡され、まともに捜査もできないまま、10年が経過した───。
ダンッ!
扉が音を立てて勢いよく開く。
すると次は騒ぎ声が廊下に響き渡る。
「先輩!!ちょっと、待ってくださいよ!」
「うるせぇ!付いてくんじゃねぇ!」
同じ課の人間はもちろん、他の課の人間もが知る三人組。
あの三人が揃うとロクなことがないと皆、口を揃えて言う。
あと一人というのが───。
「井上!!お前はあまり後輩困らせんじゃねぇぞ!」
「げっ、あそこの三人、揃っちまった⋯。」
「言われてんぞ矢倉ぁ!!お前そこどけ!俺の通り道だ!」
「ふざけんな!テメェがどけ!」
井上猛、矢倉克樹、坂口雄真。
捜査一課の問題児三人組。
と言っても、坂口は井上、矢倉の仲裁役、いわば保護者のような⋯。
まあ、振り回されてることの方が多い。
だが⋯井上と矢倉を相手にまともに対応でき、あまり意味をなさないが、首輪をかけ、リードを握れているので、常人じゃないと問題児扱いされている。
言ってしまえば、巻き込まれた可哀想な奴である。
「お前たちは口を開けばワーワー、ギャーギャーと。いい加減にしないか。廊下を曲がった先にまで聞こえてくる。」
その声にその場の人間が息を呑む。
恐る恐ると声のする方向に向くと、上司である人間が立っている。
「さ⋯佐々木さん⋯。」
捜査一課警部、佐々木健一。
先程まで騒いでいた三人も、廊下にいた他の警官も、ピシッと姿勢を正し、頭を下げる。
「井上、年下を困らせてまでして、何をそんなに急いでる。」
「⋯10年前の警官殺し!あいつの情報が入ったんですよ!?ジッとしてられるとでも思いますか!!」
「先に言っておくが、上への尻拭いはこの私だ。仕事を増やさないでくれ。」
上司の背中を見届けたあと、矢倉が井上の肩を掴む。
掴んだあと、やや強めに頬を叩く。
「矢倉せんぱ⋯っ───?!」
「やめておけ。あの事件は上からの息がかかってんだよ、お前も知ってんだろ。俺らなんかに任せちゃくれない。佐々木さんのは警告だ。」
「誰が黙ってられんだよ、同僚殺されて⋯あん時は事件担当させてもらえなかった!今やるしかないだろう!?」
「じゃあ、なんでそれを俺に相談しなかった!?テメェはいつもそうだ!」
次第に激しくなる口論に坂口が間に入り、二人の口を塞ぐ。
突然の事に驚き、吐きかけた言葉を止める。
「静かにしてください!先輩たちの口喧嘩なんて所詮どんぐりの背比べですよ!」
二人は互いを見つめたあと、自分たちよりも背の低い坂口に目をやる。
「お前たまにとんでもねぇこと言うよな⋯。」
ぽつりと矢倉がつぶやくのを聞き、ハッとした顔をして一歩後ろに下がると、身振り手振り説明をする。
「変な意味ではなく⋯?そ、その、どっちもすごいという意味で⋯本当に⋯違って⋯。」
「矢倉ぁ、かわいい後輩イジメんなよ。坂口なりに考えてくれたんだ、なあ?」
井上は肩に置かれた手を払い、背を向けると息を吸って口を開く。
「⋯すまなかった。ついカッとなって。」
この時はまだ知る由もなかった。
後に悲劇が起こる事など。
───今回の情報の提供者は、少々面倒な事を言ってきたので、仕方がなく提供者の元へ向かうとする。
車に乗り込んで急いで発進させると、運悪く渋滞に巻き込まれた。
「それにしても不思議です。先輩たちついさっきまで口聞いてなかったのに。」
井上が運転する車の中、渋滞の無言をなくそうと後部座席から身を乗り出して話す。
「仕方ねぇだろ。こいつだって同じ同僚殺されてるワケだし。」
「井上はツンデレの寂しがり屋だから、一人で行きたくないんだとよ?素直じゃねぇなあ。そう思うよな?」
坂口は突然向けられた視線にへなっと笑い、仲良しですね、と返事をした。
「バカ言う暇があんなら渋滞回避のルートでも探せ。あれだけ言って付いてきたのはそっちだろ。」
「おいおい、お前は東京に何年いる。東京ナメてもらっちゃ困るぜ?⋯ちなみに、そこの角を右に曲がるとオフィス街から抜ける。」
「さっさと言え、アホか。」
30分ほど走らせ、情報提供者の自宅だろうところに着く。
そこまで古くない白で塗装された綺麗めなマンション。
よくある外観だ。さて、提供者はたしか六階だったか。
エレベーターはあいにく故障中なので、階段を使うことにする。
「10年前の情報って、どんなもんなんですかね。僕はこんな刑事三人で押しかけるほどの情報じゃないと思いますよ。」
「そう言い切んなって。聞くまで分かんねぇだろ。」
「詳しい事は直接来てくれないと話せませんって⋯当時の犯人の身なり全て覚えてるーとかじゃないと許されませんよ⋯!?」
「あまり焦るな、お前の悪い所だ。刑事ってのはどんなに小さな情報でも、一つの鍵として役立てないといけない。」
話しているうちに六階へと登り終え、今度は部屋まで廊下を少し歩く。
扉の前に立つと、矢倉がチャイムを鳴らした。
バタバタ中から聞こえてきた後、ガチャリという音と共に扉が開く。
顔を出したのは二十代後半ほどと思われる男。
茶髪で眉の上から左に流した、ストレートミディアムヘア。身長は175センチ前後といったところか。
「あぁ刑事さん。本当に来てくれたんですね、さぁ上がってください。」
男はニコリとした表情を浮かべて部屋に入るよう促す。
三人は一瞬顔を合わせ大人しく部屋に入る。
部屋の中はお世辞でも綺麗とは言えず、足の踏み場もほとんどない。
「お前よくこんな所で生活できてんな。」
井上が思わず悪態をつく。
すかさず二人がフォローを入れるが、男は明るい口調を変えずに軽く笑う。
「いいんですよ、よく言われます。それに事実ですし。」
なんとかゴミの中を進んでいくと、唯一床が見えるどころか整理整頓された部屋に案内された。
不思議そうにその部屋を眺めていると男がまた笑い口を開いた。
「俺でもよくわかんないんスけど、ココだけはキレイにしておきたくて。他もやれよ!って感じですよね。」
小さな丸い机を囲うように男と三人は座り、今回の事について話題を出す。
「実は言うと、10年前のコト、もうそちらにあるようなものしか、ないんですよね。」
「はぁ⋯?じゃあつまり意味もなく呼び出したと⋯?!」
「今回ばかりは先輩の言う通りですよ⋯!」
「井上。坂口。」
いかにも不服そうな顔をして井上は黙る。
しばらくそうしていろ、と言わんばかりに矢倉が睨みつけるとそれに応えるように井上が目を逸らす。
坂口はすみませんと一言だけ言い姿勢を整えて男に視線を戻す。
「仕事の邪魔をしてしまって申し訳ないとは思ってますよ。⋯ただ、聞きたいんです。あなたたちは10年前の事件をどう解釈しているか。」
「まあたしかに。他の仕事をできたかもしれないですね。我々は“警察官”という存在に相当な恨みを持つ人物だと、当時から変わらず考察しています。⋯なぜです?」
「言ってしまえば、単なる暇つぶしですよ。一応目撃者ではあるので役立たない情報ですけど、言っておきますね。俺の記憶が確かなら、身長は俺と同じくらいでグレーのパーカーを着てました。」
男はそれ以上何かを話すわけでも、こちらに何か聞いてくるわけでもなく、本当にただの暇つぶしだったのだろう。
部屋を後にし、階段を下りている途中、大きくため息をついたのは坂口だった。
「ありえません!!本当にありえません!!公務執行妨害で令状取りたいくらいです!!」
「おいおい、あれだけじゃ令状どころか公務執行妨害すら成立しねぇよ。一応、情報も出ちまったワケだし。お仕事だ、オシゴト。」
「はぁ⋯面倒くさい書類が増えちゃいましたよ。今回の件、井上先輩が書いてくれませんか?」
「ふざけんなよお前!誰がやるか!!矢倉も何とか言え!⋯矢倉?」
いつもならテメェがやってやれ、とかなんとか言うはずの矢倉が珍しくなんの反応もせず、顎に手を当てなにやら考えている。
立ち止まった二人にも気付かず進んでいく様子のおかしさに、先程まで騒いでいた井上と坂口は怖くなり慌てて茶化しを入れる。
「怒ってんのか?さっきの?いくらなんでも気にしすぎだろお前!」
「今日の昼メシ何食べようか迷ってるとか⋯!?」
「坂口そりゃねぇだろ⋯もっとマシなのなかったわけ⋯!?」
「え、ああ。どうした二人して珍しく仲良しだな。昼メシつったか?もう昼か?」
その言葉に驚き、最後の一段を仲良く踏み外す井上と坂口を見て心配よりも先に顔をしかめた。
「お前ら⋯なんかおかしいぞ。」
「テメェが言うな。」
───帰りの車の中、なにをそんなに悩んでいるのか尋ねる。
「お前は俺に言え言えうるせぇクセして、いざ自分がそっちの立場になったら結局言わねぇんじゃねぇか。」
「その事なんだが⋯なんでアイツ、警察が10年前の事件をどう解釈してるかなんて聞いてきたんだ。」
「あ、ソレ、僕も思いました。」
「言ってたろ、暇つぶしだ。ひまつぶし。こっちを弄んだだけだろう。」
そこで沈黙に落ちる。車のエンジン音と開けられた窓から入る風の音や外の音だけが空間に広がる。
「ただのゲーム感覚なんじゃねぇの。ほら、ネットにもいるだろ、そういうの色々考察して楽しむ若いやつらが。」
空間に響く音を遮るように井上も先ほどの男の発言に考察をして仮説を立てた。
「そうだな。今はお前の仮説でこの事は落ち着かせる。」
「なるほどー。井上先輩も案外、腑に落ちる事言えるんですね!」
いつもと変わらない坂口の言葉に二人でツッコミ、着くまでの間車の中は明るい空気だった。
───数日後、別の班の人間に井上が呼び出された。
ため息をつきながらも大人しくそいつの元へ行くと、顔を近づけるようにジェスチャーする。
それに従って顔を近づけるとドスの利いた低い声で耳打ちされる。
「テメェよ、俺の管轄でうろちょろしてんだって?他のヤツから聞いたぞ。あまり調子に乗んなよ、人の管轄すら分かんねぇなら、今すぐ刑事をやめるんだな。」
「ハッ、こちとら10年ものの事件追ってんだよ。お前らが情報全然集めてねぇせいだろうが。」
バチバチと火花を散らしながら睨み合う。
去り際、井上がさらにそいつを煽ってから戻った。
「お前はまぁた問題起こしたのか。」
戻るやいなやパソコンに目を向けたまま矢倉が井上に問う。
「俺の管轄で動き回るな、だとよ。」
「はあ、変わらねぇなあ。やってることコソ泥と一緒だぞ。それで、今度どんな余計なこと言ったか。」
「余計なんかじゃねぇよ。“うろちょろされたくないんだったらお前らがしっかり情報掴んで提供すりゃいいだろうが”。間違ってないだろ。」
「馬鹿かテメェは。」
呆れて言葉も出ないといった様子の矢倉を見て鼻で笑う。
ここ数日で集まった情報はあの男が最後だ。
電話も入らなければ、当時の現場付近から出るものもなし。まあ、当たり前だろう。
事は10年前に起きたのだから、当時に有力な情報はとっくに出揃っているはずだ。
出揃っていても見つけ出すことは困難だと、月日が証明している。
だからこそ今になっても追っているわけだが、証拠というのは記憶とともに消えるもの。
「今さらって感じだよなー⋯。場所から出る証拠なんてあるわけもないし、人の記憶も全て曖昧。」
コーヒーを啜りながら独り言のように言うと、矢倉には聞こえていたらしく返事をされる。
「まだ見つかってない証拠もあるかもしれないだろ?実際、まともに捜査されてねぇし。」
「そうだけどよ。」
10年前、この事件について全体で捜査されたのはたったの3ヶ月。
全体捜査の終わりを言い渡されたあとは正気を保てている者たちのみが捜査を続けた。
全員納得はしていなかった。
ありえないと思うかもしれないが、事実だ。
そしてそれを一番ありえないと思っているのは、一般市民ではなく、事件に関わったすべての人間。
あともう半年だけでも捜査を進めていれば、あと一歩という所まで近づけたかもしれない。あるいは、あんなにもむごい殺し方をした犯人を逮捕できたかもしれない。
「あの時、俺も担当にさせてもらえてたらな⋯。少しは違ったかもしれねぇ。」
「バカ言え!お前なんか人一倍感情的になって、それこそまともな仕事なんかできないだろうよ。」
パソコンから目を離してこちらに目を合わせると頬杖をついて続ける。
「この前だって、情報入った途端ガキみたいに騒いでたじゃねぇかよ。そんなのが戦力になるかっての。」
「ちぇっ、だから嫌ぇなんだよ、お前のこと。」
「よく言うわ。この甘ったれが。」
いつもと変わらない何気ない会話を交わす。
また明日も、明後日も、明々後日も。
昨日も一昨日も。ずっと続く仲がいいからこその会話を、仕事の疲れを吹き飛ばすために、お互いに相手の疲れを察してちょっかいをかける。
けれど、この日常はシャボン玉のように壊れて消えた。
───今朝、突然一本の通報が入った。
川沿いを散歩中に人が倒れており、最初は酔っぱらいかと思い、通り過ぎようとしたが、前を通りがかったところ───服は血で染まり、側には切り落とされた、本人のものと思われる腕があったそう。
その場の人間は、通報の内容に顔を青くした。
井上と坂口も、その中のうちの一人。
バタバタとする署内でそういえばと坂口が口を開いた。
「もう8時半を過ぎてるのに、矢倉先輩⋯来てませんね。」
「あいつが連絡よこさないなんてな⋯。まあ、寝坊でもしてんだろ。」
さてそれでは現場に向かいましょうと一歩踏み出した時だった。
井上の同期が走って向かってきたかと思えば、現場へは行かない方がいい。そう言った。
「はっ⋯?何言ってんだよ、お前。意味わかんねぇし、俺だって仕事上は⋯。」
「とにかく!お前は行くな!行くなら、坂口だけで行かせろ。 」
「理由言われてねぇのに大人しく、はいわかりました、で言う事聞くと思うかよ!?」
騒がしかった室内が、上げた声によって静かになった。
視線が声の元に集まり、次はひそひそと周りが話す。
“またあいつか。”、“今度は何があったんだ。”、“現場の前に喧嘩はやめてくれ。”呆れたような声で言ったあと、何人かはつま先を向き直して部屋から出て行く。
「今は理由を言えない。いいか、“今は”だ。焦らないでくれ。坂口!今日は俺と来い!」
「⋯あっ、先輩⋯すみません⋯。」
井上の拳に力が込められ、途端、魂が抜けるように黙り込んで席に着いた。
「矢倉⋯何してんだ、クソ。」
いつもの様子からはうかがえぬほど、小さく覇気のない声で呟いた。
あれから5日。三人組を知る者の間ではコソコソと話されていた。
「井上のやつ、妙ぉに大人しいよな。ここ最近でけぇ声出してるとこ見たことねぇよ。やる気もなさそうだし。」
「あんな事があって、前と変わらずにいられる方が正気じゃねぇって。気遣ってやれよ。」
「確かになぁ。⋯いくらあいつでも⋯同情するぜ。」
───あの通報があった翌日、井上にはある事が伝えられた。
途中で会った同僚や後輩、先輩の挨拶を全て無視し、ひたすら廊下を走った。
「坂口!!!」
捜査一課の部屋に着くと、息を切らしながら名前を呼ぶ。
「なんですか先輩⋯!?」
ズカズカと歩いて行きスーツの襟を掴むと、そのまま力なく膝から崩れ落ちる。
「坂口⋯頼む⋯頼むよ⋯。お願いだ、嘘だと言ってくれ。なぁって⋯!なぁ⋯。」
声は震え、目には溢れんばかりの涙が浮かべられている。
坂口が襟を掴む手を握り、しゃがみ込んで背中を撫でると、声を上げてわんわんと泣き出す。
周りは唇を噛み締めて下を向きながら、やるせない表情を浮かべる。
“昨夜未明、警察官の男性が血を流して倒れているのを発見、通報されました。上半身は数十箇所にわたった刺し傷があり、身体の一部は切断された状態だったとの事。また───。”
───ほんの数日前までは騒がしかった廊下やオフィスもここ最近では静かすぎるほど静まり返っている。
周りから見れば普通なのかもしれないが、なんせ署内に知れ渡った三人組が所属する課だ。
一日一回はお決まりのようにあった口喧嘩のないオフィスは寂しさすらもがある。
「おーい、ここの5係に井上ってやついるだろ?」
「井上先輩がどうかしましたか?」
突然井上に人が訪ねてきたので扉付近にいた坂口が対応する。
「井上に話と、あと渡すもんがあってさ。今どこいる?」
「…あっ、すみません。井上先輩、3日くらい前から体調崩して寝込んでるみたいでして⋯。」
「そう?じゃあ、コレ渡しといてくんないかな。話は…体調良くなったら俺のとこ来るよう伝えといて!それじゃ。」
封筒を手渡されわかりました、と言いかけたが、咄嗟に呼び止めて名前を聞く。
「特命捜査対策室の広島って伝えといて。それで分かると思うから。」
よくわからないまま会話を終えると、封筒を小脇にコーヒーを淹れて自分の席へと戻る。
受け取った封筒を井上のデスクに置いてから椅子に深くもたれかかった。
「昨日からため息ばっかだぞ〜。ほれ、これでも食え。」
同じ係で、井上のさらに上の先輩がため息ばかりついている坂口を気にかけて、クッキーを差し出す。
「ありがとうございます⋯僕、そんなにため息ついてました?」
静かに頷いたあと、先ほどよりも低い声で質問する。
「あいつが心配か?」
「ええ、まあ⋯。」
「今日か、明日にでも行ってやれ、家わかんねぇなら住所教えるからよ。その封筒届けるだけでも。」
そして言われた通り、仕事終わり自分の家に帰る前に寄ってみることにした。
小さな古いアパートの一階、一番奥の部屋だと言っていた。
ドアチャイムを鳴らしてから名前を呼ぶとしばらくして鍵が開く音が耳にはいる。
「⋯お前か。俺の家なんで知ってんだよ⋯。」
「花屋さんが行ってやれって、教えてくれたので。」
「花屋って⋯ったく⋯あの人はプライバシーの欠片もねぇな。」
「そうだ、特対の広島さん⋯から渡しといてくれって、これ。」
「⋯立ち話もナンだろ、あがれよ。」
1Kの部屋の中は思ったよりも散らかっておらず、むしろ物はあまりない方だ。
家具も多くはなく、小さな机とベッドがあるくらい。
「それで、何の用?用もなしに、ただ行けと言われたので来ました、なんて奴じゃないだろ。」
ベッドに腰を掛け手渡した封筒を開けながら、チラリと坂口を見やった。
「はは、ご明答⋯。心配だったんですよ、ここ3日体調不良で欠勤って⋯。らしくないです。」
「それはすまねぇな⋯。アイツのことがあってからさ、身体が思うように動かないんだ。」
「⋯こっちでも色々進めてますけど、担当外れることもできますから。」
「そうだなぁ、アイツなんて言うかなぁ。担当は外れない。明日から俺も捜査に加わるからよろしく頼む。」
封筒に入っていた書類をめくっていると、あるページでめくる手が止まり、覇気のなかった目がギラリと光を取り戻した。
───被害者の名前は矢倉克樹(44)。右腕は肩から切り落とされ、胸から腹にかけ目視で確認できるだけでも三十箇所は刺されている。
右腕はおそらく殺害後に切り落とされた。
それ以外に、頭にも何かで殴られたような痕跡が確認できる。
井上は今ある分の資料に目を通しながら度々襲う目眩と吐き気に悪態をつく。
「先輩、汗すごいですよ。」
「大した事ない。⋯少しばかり、驚いてるだけだ。」
「あの、本当に無理はしないでください!先輩がダメなら、僕が先輩の仇討つんで!」
「坂口ならやってくれそうだな。リタイアする時はお前に託すよ。」
そう言って坂口の腕を軽く叩いて、一度席を外す。
花束と缶コーヒー片手に今回の事件があった場所へと足を運んだ。
遺体はとっくに回収されているが、まだ規制線が所々張られており、矢倉がいたであろう範囲の石や砂利は赤黒く染め上げられている。
「なんでお前なんだろうな。俺じゃ、感情に動かされすぎて、まともに野郎を追えやしない。」
赤く染まった石を撫でながら、小さく笑い、覚えてるか、とそこに居た跡へ語りかける。
「刑事なりたての頃は目先の事件ばかりに夢中になって、何も考えずに突っ込んでたよな。俺は先輩に何度もぶたれた、お前はどうだ?」
隣に腰を下ろし、上を見上げてしばらく黙り込む。橋の下なので、橋にできたシミの数を数えた。きっと、現実逃避だろう。
「その後何年かしてバディ決まった時、周りにはお似合いだって笑われたな。正直、お互い気に入らなかった。だろ?」
もう何年来のバディだったか。
持ってきた花束と缶コーヒーを側に置いた後に、手袋をはめて辺りを見渡す。
「あいつのことだ、なにも残さずに殺されるはずがない。咄嗟なものでもなんでも⋯。」
石をひっくり返していると案の定、手掛かりになりそうな物を見つけた。
出てきたハンカチは血に塗れているが、きっとここに矢倉以外のDNAが残っているはず。
絶対に矢倉の死を無駄になどしないと誓って戻る。
───捜査一課。
「坂口、コレェ、鑑識に回しといてもらえるか?」
「ハンカチ⋯どうしたんですか?コレ?」
ジップロックに入れられたハンカチを眺めながら不思議そうに問う。
「矢倉ンだよ。現場にあったから持ち帰った。」
「よく…見つけましたね。大勢が5日以上かけても見つけられなかったのに、さすがはバディ。」
まあな、と一言だけ言って井上は自分のデスクに戻り、資料漁りを再開する。
10年前の資料も引っ張り出して、今回のものと照らし合わせながら見るが、大した共通点はない。
目立った共通点といえば身体がバラされていることくらいだろう。
だが、これは同一犯である前提。
最近10年前の情報が⋯まあ、ほとんど役には立たなかったが⋯出てきた所だ。同一犯でもおかしくはない。そう、井上は思った。
「なんで片腕だけ⋯。その腕をどうするわけでもなく⋯。」
気になる点、共通点、現場の痕跡、ヒントになりそうなもの。それらを全て雑にメモ帳に書き出したあと、自分なりにまとめる。
文字を書く手は終始震えており、綺麗に書けたものじゃないので勢いでなぐり書く。
「吐きそうなのは相変わらずだけどよ、お前のせいで全く⋯。こんなの駆け出しぶりよ。」
「珍しく血眼になってますね。当たり前ですけど、でも、こう先輩ってあまり汗流しながら事件追わない人っていうか⋯。」
「何が言いたい?」
「もちろん嫌味じゃないですよ!?先輩はほぼ毎回のようにホシ挙げてますし。⋯いつも冷静なんですよ、雰囲気も。」
目を丸くしていると隣に座る花屋が肩に腕を乗せて陽気に話す。
「本当、本当ォ!口開きゃ四歳のガキかってくらいうるせぇのにな!黙って仕事してる時は見違えるほどだ!」
「始まったよ、アンタお得意のダル絡み。」
「だけどなぁ、お前、休憩挟めよ。このままじゃ、解決まで一睡もしない勢いじゃねぇの。」
「俺の唯一気が合う相棒が死んだんだ。チンタラしてられっかって。」
強めに背中を叩かれてから、震えている手について指摘されてしまった。
左手でグッと右腕を押さえ、唇を噛んで腕を睨みつける。押さえる左手も震えていて余計に力が強くなった。
様子のおかしさに気付き坂口が慌てて話しかける。
「き、今日!飲みにでも行きますか?!」
「おお、いいな。けど、今日は遠慮しとく。」
そう言うと坂口に笑いかけるが、仮面のような作り笑顔で、無理をしているのが誰が見てもわかるような顔だ。
「じゃあ⋯またの機会に⋯。」
タバコのために井上は席を立ち、外の喫煙所までゆっくりとした足取りで向かう。
以前は廊下のド真ん中を歩き、矢倉に鉢合わせた際には頭を叩かれた、そんな事を思いながら、今は一番端を威勢もなしに歩く。
「⋯少し肌寒いか。」
外は秋の風が吹いておりスーツを着ていても肌寒く感じる。
タバコを取り出し、ライターで火をつける。
矢倉は言っていた。肺に煙が回るとその瞬間だけ、心が落ち着くのだと。
嫌な事、悲惨な事件現場の事、そういった事から逃げ、心の落ち着かせるためにそのたびタバコを吸うと。
内心、たしかに、気分が落ちてるのがわかる時は大体狂ったように吸うクセがあったな、と思う。
煙を吐き出しながら自分の手を見て思わず笑う。
タバコを吸っても手の震えは止まらない。
「バカだなぁ。何もかもアイツに結びつくのがムカつく。」
憎いほど晴れた空を見つめてため息をついた。
こんな時にまで空は青く輝いている。空の下にある街ではこんなにも酷く残酷な事が起こっているというのに。
タバコを吸い終わり戻ると、坂口が何か思い出したのか、井上にコソコソと話しかける。
「広島さん⋯でしたっけ。話しました?それにあの封筒、中身が気になります。」
「ああ、話したよ。矢倉のことで、お願いしてただけ。」
ふーんと、面白くなさそうに反応して、自分の仕事へ戻る。
10年前の資料を見るついでに、他の類似事件や狂気事件のファイルを引っ張り出してきて、端から目を通していると時刻はすっかり5時を回っていた。
そんな事をしていた時だった。
突然部屋が騒がしくなり、何事かと井上らも立ち上がり、知っていそうな人間に聞くとまさかの返事が返ってくる。
「じ、自首⋯!矢倉殺したのは自分だって言ってる奴が⋯!」
「は⋯?」
井上の頭が真っ白になった。井上だけではない。坂口も同様、頭が真っ白になりしばらく二人でその場に立ち尽くす。
───自首をしてきたという男の元へ走り、男の胸ぐらを井上が掴んだ。
勢いよく引き寄せ、口を開こうとした瞬間、最悪なことに気がついた。
よく見るとその男はつい最近会った男だ。
くだらない情報を提供したアイツ。
胸ぐらを掴んだまま何もできずにいると、男は自分の胸ぐらを掴む手を優しく握る。
すると、にこりと笑って井上に話しかけた。
「この辺で出たら面白いかなって思って。⋯ちょうど、盛り上がってきてたところでしょ?」
クク、と喉で笑い心底面白そうに目を細めた。
「テメェ⋯ふざけんなよテメェ!あ!?今度は俺がお前を殺してやる!クソ野郎!!」
「先輩⋯!!先輩やめてください!!誰か先輩止めるの手伝って!!」
ガコンと音を鳴らして自動販売機が缶コーヒーを吐き出す。
「少し、落ち着いたかよ?」
頭の後ろから、先ほど自動販売機から買われた缶コーヒーが差し出されると、井上は何も言わず受け取る。
「花屋さん、俺、手出てたかな。」
「うーん。そうだな。ギリギリってところじゃねぇか?」
「そうか。」
いつも以上に気まずい沈黙の空気が流れ、堪らなくなった花屋は、静かにコーヒーを眺める男の隣にゆっくりと腰を下ろした。
井上からコーヒーを取り上げ、缶の口を開けてからまた返し、肩を叩いて話す。
「今、坂口が頑張ってくれてる。もし本当にアイツが、矢倉を⋯殺した殺人犯なら、じっくりとどうするか考えてやれ。」
「なんで俺⋯気付かなかったんすかね⋯。珍しくアイツが⋯あの短い会話だけで怪しんでたのに⋯俺⋯。」
隣で俯き涙を流す井上を慰めるように背中をさすった。
───突然見知った人間が「殺したのは自分だ。」そう、自首をしてきてから数十分後。
取調べを終えたらしい坂口はパソコンを前に首を傾げた。
井上と花屋のいる休憩所へと小走りで向かい、取調べの内容を共有するついでに、おかしな点も共有する。
「あいつ、矢倉先輩を殺した人間で間違いないかもしれないです。このあと家宅捜索令状取って捜索に入るみたいなので、また何かわかるかも。」
短く息を吸って、それから、と顎にペンを当てる。
発言するかを迷っている様子を見て、二人はどうしたのか、顔で言う。
「今名乗ってる岡崎実って、ほぼ確定で偽名ですね。」
「偽名?⋯そういう事かよ。なんで俺は気付かなかったんだよ、本当に⋯!!」
「⋯はい?」
首を傾げる坂口の背中を押して、デスクへと戻るととある人物についてについてデータベースで引っかかるか検索する。
「ビンゴ⋯!!流石、先輩!」
───1日前、坂口が帰ったあと井上は、散歩にはふさわしい公園のベンチに腰を掛け、広島から貰っていた封筒の中身のことについてどういう事なのかと、本人に詳しく話を聞いていた。
「ふと、気になったんだ。10年前殺された警官に、たしか弟がいた気がしてね。」
「それが何だよ。」
「彼の弟についてもう一度調べてみた。そしたら、これが見事に当たってね。弟は吉野巡査殺害事件後、行方をくらませている。」
黙り込む井上を見て、君は偶然だと思うかい、と目を細め唇の端を上げた。
「葬式にも顔を出していないみたいだ。当時、家にも戻ってなかったようなんだけど、お年頃なこともあってか捜索願も出されてない。」
連絡はついていたようで、それ含め心配がさほど大きくなかったのだろう。
話しながら胸ポケットから写真が何枚か入った封筒を取り出して、一枚ずつ井上に渡していく。
「顔写真も、あるにはあるけど⋯最新の物で10年前だから、どうかな。」
「お前はどっちで疑ってる。加害者か?被害者か?」
ベンチから立ち上がり、広島を見下ろす。その目は体調を崩していたとは思えないほど、刑事の目をしていた。
「俺は強いて言うなら、加害者かな。」
「矢倉殺しに関わってる確証は。 」
広島もベンチから立ち上がり、身体を伸ばしたあと、数歩前に出てからくるりと井上に振り向き、ニヤリと笑みを浮かべる。
「それを、井上、お前がハッキリさせンの。相棒のためにもね。」
───去り際に聞いた、その弟の名前。吉野正人。
思い返してみれば、渡された資料にあった写真と、男の口元がどこか似ていた。目元に関しては兄である、吉野にそっくりだ。そう、井上は思った。
「随分と顔変わったな。整形でもしたか?」
「垢抜けた、って言ってほしいですね。」
取調室、先ほどまで岡崎実だと名乗っていた男に、手元の資料を見ながら言うと、否定するのではなく乗ってきた。
「それは、お前が吉野正人である。と、認めたとみなすがいいのか。」
「まあ、事実ですし。気付いちゃってるみたいだから、隠しても仕方ないでしょ。」
随分とあっさり認めるものだから、井上は一瞬、逆に本人ではないのでは、と疑った。が、絶対にそれはないとかき消した。
資料から目を離し、両腕を組んで机へ前のめりになるかたちで、吉野と目を合わせる。
「お前、本当に殺したのか?警官。矢倉ってンだけどさ。」
少し悩む仕草を見せたあと、口元だけを面白そうに歪ませる。
「そ。俺だよ。」
「⋯先輩。彼のDNAと、矢倉先輩の私物から検出されたDNA、一致してます。」
「だからそうだって言ってるでしょ。嘘ついたところで何のメリットもないじゃん!」
「最近は目立ちたがりな若者がいるからな。」
井上が目頭を押さえていると、何が可笑しいのかクスクスと笑う声が聞こえたので、ゆっくりと吉野に視線を向ける。
「バカだよねえ。」
「どういう意味だ、それは。」
ギロリと鋭い目つきで見やる。
だが、何も言わず発言についてしらばっくれ、言う気配がないので次の質問を投げかけた。
「どうして殺した。」
「お金が欲しかったから。」
「金?はぁ⋯じゃあ次、どうして自首した。」
「飽きたから。」
「そうか。依頼主は誰だ。」
「言ったら俺もあなたも死にますよ。」
こんなような会話を五分ほど続け、最後の質問をする。
「10年前、実の兄を殺したな?」
それまで普通に答えていた吉野が、その質問だけ言葉がつかえた。
「殺したんだな?お前いくつだ?そんな若いうちから───⋯。」
黙っていた吉野が大きくため息をついた後、手を組み天井に向け、身体を伸ばす。
「もういいです。俺が殺したかったのは、兄だけ。」
「というと⋯。」
「俺に、金を渡したのは警察です。」
その場の空気が一気に凍り、重くのしかかる。
坂口は無言で吉野に近づくと胸ぐらをつかんで立たせたかと思えば、次の瞬間乾いた音が響き渡る。
「矢倉先輩は警察に殺されたとでも言いたいんですか!?お前の身勝手に巻き込まれて⋯!」
「坂口!やめろ!警察が不利になる!」
なんとかして吉野から坂口を引き剥がし、部屋の隅に座らせた。
「俺⋯あの警官は楽しくなかった。だから、片腕でやめたんです。」
「いいか、俺がお前を殺す前に黙れ。」
井上は坂口の肩をさすって落ち着かせながらポツポツと話す男を見ずに黙るように言う。
───取調べ後、廊下の途中にある椅子で花屋は泣きじゃくる坂口の背中を無言でさすり続ける。
井上は襲いかかる強い吐き気のせいで額には汗を滲ませ、吐くのを抑えるため貧乏ゆすりと深呼吸を、もうかれこれ十五分以上繰り返している。
取調べ中も、平然を装うのに精一杯で、それを見抜いていた花屋は、いつ手が出るかとヒヤヒヤしていた。
「二人とも、しばらく休みを取ったらどうだ。」
二人のメンタル面を気にしてか、休みを取ってはどうかと提案した。
実際今の井上と坂口は仕事などできたものではない。片方は涙が止まらず、もう片方は動悸が激しい。
今回の件で、誰よりも、この二人が精神的に弱っていると言っていいだろう。
それもそのはず。矢倉の一番近くにいた存在なのだ。
「俺は⋯休んでなんからんねぇって⋯。」
震える声で井上が提案を拒否する。
坂口も、ならばと続いて拒否しようとしたが、お前は休めと言われてしまい、何か言いたげな表情を浮かべながら、小さく頷いた。
「明日もう一度アイツに話を聞く。」
「あまり無茶すんなよ。これは俺と、矢倉からの頼みだ。」
「はっ、うっせ。⋯坂口、お前はしっかり休んで、気持ちの整理をしろ。いいな?」
「それは先輩もじゃないですかぁ。でも、わかりました。」
鼻声で、まだ薄っすらと涙が浮かぶ目を擦りながら言う坂口の頭を井上が、犬を撫でるようにするとふわりと柔らかな笑顔を見せる。
後日、吉野をもう一度取調室へと入れ、さらに詳しく動機や、報酬として受け取っていた金について問い詰める。
「お前、矢倉を殺すの、楽しくなかったって言ったな。」
「えぇ、まあ。」
「その割には随分とまぁ飽きずに何箇所も刺してるけど。」
事件を簡単にまとめた紙を吉野の前に出し、その中の矢倉について書かれた欄に指を置く。
吉野がそこを見たのを確認してから、井上はゆっくりと文字を指でなぞりながら、読み上げた。
「⋯三十箇所だぞ。目視で確認できるだけでも、だ。実際はもっと多い。」
「当然、恨みなんかありませんでしたよ。ただ⋯。」
「勿体ぶる必要ねぇだろうが。」
「ただ、久々の肉を切り裂く感覚が、兄を思い出させて⋯それで、それで。」
一瞬取り乱した吉野だったが、姿勢を正して深呼吸し、感情を読み取れない笑顔を作る。
「兄について、まだ話してなかったですね。」
「は⋯?」
「兄のことは、昔から大嫌いだったんです。」
ずっとどこかヘラヘラしていた吉野だったが、真顔になり視線は自身の手元に落ちている。
声のトーンもわかりやすく下がると、実の兄を殺した経緯を事細かく話し始める。
「兄とは違い、俺は望まぬ妊娠だったらしく昔から、どこか愛情の差を感じてました。」
───望まぬ妊娠、望まぬ出産により、与えられる愛に幼い頃から兄との明らかな差を感じていた。
成長とともに異様さに気付いた兄は、そこで無視するのではなく、手を差し伸べてきたのだ。
そんな正義感の強さからなのか、兄は警察官になった。
警察官になると、兄がさらに憎かった。
警察官は自分の憧れでもあったから。
弟は差し出された手にすら嫌悪感を抱き、目を背け続けていた。
それもそうだ。散々愛されに愛されたというのに、何がわかるというのだ。
きっと、これも親に褒めてもらうための、警察官という肩書を背負った、演技でしかなく、作られた偽物の仮面なのだろう。
そういう考えが頭の中を支配していき、精神的にも弱っていた頃、何を思ったのか兄を殺してしまおう、そう思った。
夜、巡回中の兄を狙い後ろから石で殴りかかり、気絶したところを引きずって人目のないところに移動。
あとはトドメを刺して終わり。それだけでも良かったというのに、好奇心からくる感情を、憎悪からくる感情を、抑えられず近くにあった刈込鋏で四肢を切断の後さらに関節で切断。
次の日にはそこら中でニュースになっており、街中どこにいても話題が目に入り心のどこかで快感を感じた。
やるからには徹底していたため居場所も身元も特定されないまま3ヶ月が経った。
このままバレずに一生暮らしていけるとさえ思っていた気がする。
ある日、一本の電話が掛かってくるまでは。
『キミとは話がしたい。港に来なさい。そこなら誰にも聞かれない。』
とだけ言うとこちらの返答も待たずに相手は電話を切る。
最初は恐怖を感じたが、そのうちどうでもよくなり大人しく港へと向う。
「キミかな。お兄さんを殺したのは。」
「⋯誰、ですか。」
「そうだね。我々はキミのお兄さんと同じ組織にいる人間だよ。」
「警察⋯!?」
一歩後ろに後ずさると何かにぶつかるのが分かり、振り向くと既に回り込まれ逃げられないように塞がれていた。
「そう焦るでないよ。何も、キミを逮捕したいわけじゃない。キミだからだ。」
「は⋯?いや、何言ってるかわからないですし⋯。」
「これでどうだ。」
手に持っていたアタッシュケースを開くと積み重ねられた一万円札が見える。
瞬時に理解した。これは口止めだと。
「なんでですか。警察殺したんですよ、俺!?」
「警察官の弟が殺人なんて、我々からしたら組織の汚点でしかないのだよ。キミの生活を保証する代わりに、どうかお兄さんの件は、絶対に話さないでもらいたい。」
無理矢理受け取らされると、最後に脅しをかけて帰っていった。
金を受け取った次の日から、捜査中止という言葉で街中が埋め尽くされた。
───話し終えるとまたにこりと笑う。話を聞いていた井上そして花屋は眉間に皺を寄せ、何も言うことができずにいる。
「本当は初めて会ったあの日、すべて話そうと思った。けれど、そうなると俺が消されるか、事件をもみ消されるかの二択しかない。」
「なんで⋯言わなかったんだよ!?言ってくれりゃ何とでもできた!!」
吉野に手が伸びると、咄嗟に花屋が井上の腕を掴んで押さえつける。
「お前の手に手錠かけて取調べするか?ん?落ち着け。」
「⋯はい。兄さんの事についてはわかった。矢倉は。」
「あなた達が去ったあと、しばらくして手紙が届いたんです。」
10年前の事件をまた今になり嗅ぎ回りだした人間を面倒なことになる前に始末しろ、という旨の手紙とともに、三人の写真が入れられていたという。
三人と聞いてすぐに誰なのか想像がついた。
おそらく矢倉、井上、坂口のものだったのだろう。
「恨んでもない人間を殺すなんて嫌だった。」
「⋯そうか。」
「片腕を切り落とした時、自分が怖くなった。兄とは全く感覚が違った。」
口元を押さえて下を向く井上をジッと見つめる。
もうその顔に笑顔は見当たらない。
「申し訳ありませんでした。自首をしたのも、面白半分なんかじゃなくて、毎日罪悪感で胸が押しつぶされそうで⋯本当に申し訳ありませんでした。」
椅子から立ち上がり、額が地面につくほど深い土下座をした。
「はは、なんかこれじゃあ、俺も共犯みてぇだよな⋯。」
「ど、どうして⋯ですか。」
「おい、井上⋯!お前落ち着けと何回!」
「だって!俺が、俺が最初に動いた。あの時動かなきゃ矢倉は死ななかった⋯!!巻き込んだんだ、俺が。」
高く乾いた音が響く。その音に思わず吉野も顔を上げる。
井上の頬が赤くなり、しばらくしてからゆっくり自分の頬を手で押さえた。
と、次の瞬間花屋の怒鳴る声が頭の奥にまで響いた。
「お前は口答えばっかりしてうるせぇくせに、何かあっとすぐそうやってへこみやがる!!何が俺のせいだだ!?もういっぺん言ってみろ!」
「⋯矢倉のより⋯痛ぇ⋯。」
痛みで涙が出ているのか、怒鳴られたことで涙が出ているのか、はたまた別の理由なのか本人にはわからなかった。
赤くなった頬を押さえて涙を流す様を見て、花屋はギュッと抱きしめる。
「悪かった。やりすぎたな。」
「いや、ちょうどいい。おかげで落ち着いた。」
乱暴に涙を拭って、地面に唖然として座る男に対し、椅子に座るよう目で指示を出す。
「お前に金を渡したヤツ、覚えてるだろ。直近のから聞く。」
「なんだか、変な人で、自分の名前名乗ってて⋯。」
「名前⋯?」
「たしか、佐々木だって、言ってました⋯。」
井上は目を見開き、口を開けたまま言葉が出ず、隣で聞いていた花屋は身を乗り出して事実なのかと問う。
「あ、あの佐々木さんが⋯!?写真⋯!花屋さん!アンタ写真ねぇかよ!?」
「あるかよそんなモン!!」
「俺似顔絵なんか描けねぇよ⋯!あぁもう!」
紙の裏にボールペンでお世辞でも上手いとは言えない佐々木の似顔絵を、こうじゃない、ああじゃないとブツブツ呟きながら完成させる。
「ほう。なかなかに特徴掴めてるじゃねえか。」
「嬉しくねぇよ。こんな顔だったか?」
「た、多分⋯?目元は確かにこんな感じだった気がします。」
二人は顔を見合わせて息を呑む。
「あの人、すごく変な人でしたよ。」
「さっきから変ってね、例えばどんなふうに。」
「名前も立場も全部言うし、金を渡すときには誰かに謝ってた。」
「佐々木⋯。わかった。取調べは終わりだ。細かい事が終わるまで、大人しくしてろ。」
取調室を出てすぐ、井上は花屋に声をかける。
「坂口には、言わないでやってくれ。」
「わかってる。俺も最初から言う気はねぇさ。」
時刻はもうすっかり夕方で、窓からオレンジ色の光が差し込み、オフィスを照らす。
何かを決心した井上は報告書を、断る花屋に押し付けて佐々木を探し回るが、どこにも姿が見当たらず屋上をまだ見ていないことに気が付いた。
夕日に目を細めながら扉を開くと佐々木の姿が見え、開口一番に。
「アンタ本当は知ってたんでしょう。⋯ふざけやがって。」
後半吐き捨てるように掠れた声で言う。
午後4時、薄いオレンジ色に照らされた屋上で佐々木の背中に向かって、少し離れた場所から井上が声を出しす。
「なんの事だ。」
「矢倉と⋯吉野巡査殺害事件の口止めの件だよ!!」
佐々木の言葉に被せ、半分叫ぶように問いかけながら、とぼける男の方へと距離を詰める。
「警部という立場の私がそんな事知るわけないだろ。」
「あぁ、そうだな。たしかに10年前は知らなかった。」
佐々木は何か言おうとしてやめる。
ただ、目の前の男を静かに見つめた。
「矢倉が死んでから、知ったんだろ。なんて脅されたか知らねぇけど⋯!こっちは聞き出し済みなんだよ!」
「⋯そうか。案外、口が軽いな。吉野は。」
「本当は、こうなる前提でいたんじゃないですか。」
聞いた途端、佐々木の顔が険しくなると、すぐに戻り井上から目が逸らされる。
井上の周りを、カツ、カツ、と革靴の音を立て歩きながら独り言のように話していく。
「10年前、警察ではすでに吉野正人が、一番に被疑者として挙がっていた。理由は⋯お前はもうわかっているだろ。」
一瞬だけ目線を送り、お見通しとでも言いたげに井上の肩を軽く叩いた。
「だが、ある人間はその事実をもみ消した。」
これも知っていることだろうが、と続ける。
「警察官の弟が、警察官を殺害など、組織の名に泥を塗るようなものだ。」
「口止めに、金を受け取ったと言ってました。」
「ああ、受け取らされた。金で脅したんだ。」
「アンタは。アンタはどうなんです。」
問いかけに佐々木はピタリと足を止める。
風が二人の間をすり抜けていく。
「ヤツらはお前たちが正人と接触していたことに気が付いた。」
「それで。」
「焦ったんだろう。けれど、ヤツらの早とちりだった。」
佐々木がため息混じりに苦笑いをする。
「部下を殺された私は、もちろん、事件を追った。そんなある日だ。」
「呼び出されたんですか。」
「その通りだ。『この事件を追うのはもう辞めにしなさい。』と言われたときは、さすがの私も我慢ならなかったよ。」
再び佐々木の革靴が音を鳴らして、今度は屋上のフェンスの方へと進んでいく。
井上は動かずその背中を目で追う。
「なぜかなど訊く暇もなしに、正人に金を渡せだの、この事を言ったらだの散々に脅された。」
「だから、吉野にわざと?」
「お前のことだ。余計な所まで嗅ぎ回るのは想定済みだった。」
井上は何も言わず、扉の方向につま先を向けて、その場から立ち去ろうとする。
すると後ろから話しかけられる。
「アイツの当時の年齢を知っているか。18だ。⋯私はすべてを告発したあと、警察を辞める。すまなかった。」
聞こえてくる声に足を止めかけたが、振り返ることなく歩き続けた。
───という事があった次の日、坂口は息を切らしてある人間の元へ走っている。
途中廊下を走るな、と注意され軽く謝ったが走ることはやめない。
怒られるのを覚悟で走り続ける。
やっとついた部屋の前で数回深呼吸をして、早足で駆け寄った。
「佐々木さんが、警察やめたって本当ですか⋯!?」
「そう、だけど⋯。大丈夫かよ、お前。もう仕事できんのか?」
息を切らす坂口を見て、驚きと困惑が混ざったように眉を下げた井上が首を傾げる。
坂口は後半の問いかけを全て無視をし、なぜなのかと聞く声は無意識に大きくなっていた。
「⋯言いづれぇけど。」
時々、大丈夫か表情を見ながら何があったか事細かく説明し、説明し終える頃には坂口の表情が曇り、今にも泣き出しそうだ。
「喜べよ!晴れて解決しんだからよ!花、買い行こう。」
「⋯はい。」
わかりやすく落ち込む男を井上と花屋が腕を引いて、あの日矢倉が見つかった場所へと足を運んだ。
最初の頃に比べると少なくはなったが、今もまだ花束が二、三個並べられている。
三人もそこに花と缶コーヒーを並べ、仲良く手を合わせた。
「先輩は、もう悲しくないんですか。僕はまだ悲しいです。」
「そりゃ、今も悲しいし、思い出すだけで吐き気がする。」
「じゃあなんで⋯。」
「アイツはきっと、いつまでもクヨクヨしてんじゃねぇよ!男のくせにダセェな!⋯って言うだろうから。」
「はは、たしかに。」
少し離れた場所にあるベンチに腰を下ろし、秋の風を感じながら、熱いコーヒーを流し込んだ。
「佐々木さん、本当は早く気付いてほしくて、助けてほしかったのかもしれませんね。」
「佐々木さんがか?ありえねぇよ。」
「いや、ありえるかもしれねぇぞ。あの男は他人にSOSを出すのが下手くそだからなあ。」
花屋がコーヒーを飲んだあとの、幸せを含んだため息を吐きながら呟いた。
「まぁ、花屋さんがそう言うならそうなのかもな。」
三人でベンチに座り、矢倉との思い出話や佐々木への愚痴を、時折落ち込む坂口の背中を叩いて、仕事のことなんかすっかり忘れて空いた穴を塞ぐように語り合った。
───吉野の判決は、警察官二名を殺害し、賄賂を受け取っていた事の罪に問われたが、二件目の矢倉巡査部長殺害は指示により半強制的に行われたこと、断れる状況になかったことにより懲役45年。
金を渡し口止めをした上層部の人間は、主に殺害した事実を知りながらも隠蔽し、賄賂を渡していた事、殺害を指示していたことなどにより懲役15年の刑が確定。
佐々木警部は警察を辞職し、謝罪の後、隠蔽と賄賂受け渡しについて罪を認め、懲役4年の刑が確定した。
刑が確定した2年後、死刑を望んでいた吉野は何度も死刑にするよう訴えたが、叶うはずもなく獄中で、自分の着ていた洋服で首を絞め自殺。
直後は、全国どこもかしこもこの事件の話題で溢れ、その後もテレビのニュースでこそ見なくはなったが、ネットでは数年このことについて騒がれた。
ー切断ー
コメント
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「切断」、一気に読み終えました。10年前の事件と矢倉さんの死が繋がっていく展開に息を呑みました。特に井上の心情の変化——最初は感情的に騒いでいたのに、バディを失ってからの震える手や無理な作り笑顔が痛々しくて。吉野が「飽きたから自首した」と軽く言うシーンと、最後に土下座するギャップも胸に刺さりました。花屋さんの「お前は口答えばっかりしてうるせぇくせに」って一喝、あれは名シーンですね。組織の闇を暴く覚悟をした佐々木警部の選択にも考えさせられました。完結したお話として非常に読み応えがありました。