続きからです!
今日中に完結させる!
「……本じゃなくて?」
いふは、ゆっくりと問い返した。
ほとけは、少しだけ頬を赤くして、それでもまっすぐ彼の目を見て言った。
「うん。本の中じゃなくて、現実の“いふ”くんの隣。ちゃんと手で触れられる場所。……ダメ?」
いふは返事をしないまま、いつものように机に座り、鞄から本を取り出して開いた。
ページの隙間から、何か小さなものが落ちた。
それは、紙で折られた小さな栞。
そこには、薄い字でこう書いてあった。
「いふくんへ
君が本を読む横顔が、あたしはとても好きです。
でもいつか、ページじゃなくて、君の心の中を読みたいと思ってしまいました。
そのとき、もし『次の章』があるなら……あたしもそこに登場していいですか?
ほとけ」
いふは栞を拾い、ほんの少しだけ目を細めて笑った。
「それ、仕込んでたのか?」
「うん。……たぶん、勇気が出る日を待ってた」
「……ずっと読んできたんだよ。本の中の台詞も、心の声も。でも、」
いふは本を閉じて、ほとけの手にそっと触れた。
「君の言葉は、声で聞きたかった。ページをめくらずに、ずっと隣で」
ほとけの目が潤む。
図書室の午後の光が、二人の手の間に差し込んだ。
「じゃあ、これからは一緒に“続きを”書いていくってことで、いい?」
「……ああ。物語じゃなくて、俺たちの話として」
その日から、図書室の窓際の席には二人分の影が並ぶようになった。
一人で読むための本は、もういらない。
彼らは少しずつ、お互いを“読んで”、
そして、お互いに“書いて”いくようになった。
たとえば、些細な言葉のすれ違いも、
笑いすぎて涙が出た日も、
全部、二人の記憶に残る「一冊の本」みたいに。
ページの端には、ほとけの小さな字でこう書いてある。
一番大切な物語は、読むんじゃなくて、誰かと一緒に生きるもの。
「図書室の君と、不思議な午後」
― 大人になった二人編 ―
春の風が、ビルの谷間を抜けていく。
窓を少しだけ開けると、ふわりと懐かしい匂いがした。
いふは小さな書店の奥、事務所のようなスペースで原稿に目を通していた。
出版社に勤めて数年――いまは文芸編集者として働いている。日々、誰かの物語と向き合う仕事だ。
「はい、お茶。コーヒーが切れてたから、代わりにほうじ茶ね」
差し出された湯呑みを受け取り、いふは顔を上げる。
そこにいたのは、エプロン姿の“ほとけ”だった。
「ありがとう。……って、何その格好」
「お昼に焼き菓子作ってたの。表の読書カフェ用に」
「……副業の顔だな。うちの書店員のくせに、だんだん本よりお菓子のほうが人気になってるぞ」
「そりゃそうでしょ。“いふくんが選んだ本と、僕が焼いたお菓子のセット”なんて、エモいって評判なんだから」
ほとけはそう言って、小さく笑った。
いふもつられて笑う。
――ああ、この空気が好きだ、とふと思った。
あの日、図書室の窓際で始まったふたりの物語は、あれから数年、しずかに、でも確かに続いていた。
卒業して、離れた時期もあった。
互いに忙しい日々の中で、会えない夜もあった。
けれど、気がつけばまた「同じ本棚の前」で、ふたりは立っていた。
「ねえ、覚えてる? あたし、高校のとき言ったでしょ。『本じゃなくて、わたしの隣を読んで』って」
「……ああ。ちゃんと読んでるよ、いまも」
「うそ。あたし、けっこう誤字脱字多いんだから」
「そこも含めて、良い物語だって思ってる」
ふたりの視線が交わる。
その瞬間、いふのポケットの中で小さな箱が震えていた。
昼休みのあと、彼はその箱を渡すつもりだった。
何年もかけて読み進めたこの物語の、「次の章」を――
一緒に開くために。
「ほとけ」
「ん?」
「今日の仕事が終わったら、ひとつ読んでほしい原稿がある。俺が書いたやつ」
「えっ、いふくんが? 編集じゃなくて?」
「うん。“これから君と過ごしたい日々の話”ってタイトル」
「……ずるい。そんなの、読む前から泣いちゃう」
「泣く前に、ちゃんと返事してくれよ」
ほとけは黙って笑い、紅茶をふた口すすった。
そしてそっと、こう言った。
「その話の“続き”、ずっと一緒に書いていこうね、いふくん」
午後の陽だまりの中、ひとつの物語が、静かにめくられていった。
「図書室の君と、不思議な午後」
― 子育て編 ―
雨の音が、静かに窓を叩いていた。
薄曇りの午後、リビングのソファの上には、絵本とおもちゃが散らばっている。
「ねえパパ、もういっかい、よんで!」
小さな女の子の声が響く。
その手には、ページの角がすっかり丸くなった絵本――タイトルは『ねこのきもち』。
いふは、目の前にちょこんと座る娘に目線を合わせて、少しだけ笑った。
「……もう三回目だぞ。ねこも眠たくなってるかもな」
「じゃあ、パパが“ねこ”になって、読んで!」
「わかったわかった……にゃー、今日はね、ねこがね、あさごはんをもらいましたー」
ほとけはキッチンから笑い声を漏らしながら、紅茶のポットを抱えてやってきた。
エプロンの前には、小麦粉のあとがうっすら残っている。
「もう、いふくん。にゃーで全部読むから、おかしな本に聞こえるじゃん」
「本ってのは、読み手で変わるんだよ」
「……そういうところは昔から変わらないね」
ほとけはソファに腰を下ろし、そっと娘の髪を撫でた。
子どもの髪は、彼女に似てふわふわで、雨の日に少し跳ねる。
「ねえ、ママは“パパのどこ”がすきになったの?」
娘の突然の質問に、いふが口を閉じる。
「えっ、それ今聞く?」
「うん。せんせいがね、“だいすきってどうしてなるの?”って聞いてたの」
ほとけは少しだけ考えて、そして静かに答えた。
「……図書室でね、すごく静かに本を読んでる人がいたの。
でも、その人の目はずっと“誰かの心”を読んでるみたいに優しくて――
あ、この人なら、いつか“わたしのこと”も読んでくれるかもしれないって、思ったんだよ」
「……」
いふは黙ったまま、本を閉じた。
でもその横顔は、どこか照れているようで、嬉しそうだった。
「じゃあ、パパは?」
「え?」
「パパは、“ママのどこ”がすきになったの?」
いふはほんの少し考えてから、こう言った。
「……本を読むより、隣にいる彼女と話すほうが“面白い”って思った日があって。
それからずっと、俺の中の“物語”は彼女と一緒に進んでる。たぶん、それがすきってことだと思う」
娘はきょとんとして、それから「むずかしい〜!」とソファに転がった。
「じゃあさ、わたしも“おはなしのなか”にいる?」
その問いに、いふはほとけと視線を合わせ、静かにうなずいた。
「もちろん。いまは君が、この家のいちばん元気な主人公だよ」
娘は満面の笑みを浮かべて、また絵本を抱えて言った。
「じゃあ、パパ。こんどは“いぬ”の声でよんで!」
「……わん。今日はね、いぬがね――」
また、小さな午後が始まった。
本のページはすぐに折れてしまうけれど、
いま、この部屋にある「物語」はずっと続いていく。
静かに、優しく、でも確かに。
「図書室の君と、不思議な午後」
― ふたりきりの夜に語る“昔話” ―
リビングの明かりを少しだけ落として、
湯気の立つマグカップがテーブルの上に並ぶ。
「やっと寝たね」
「今日はなかなかの大作だったな、絵本三冊と即興のお話まで」
いふがマグを手にとり、ため息まじりに笑う。
隣には、バスローブ姿のほとけが毛布をかけて座っていた。
雨上がりの夜。窓の外は静かで、街灯の光だけがぼんやりと差し込んでいる。
「……ねえ、いふ」
「ん?」
「昔のこと、覚えてる?」
「昔って、どのくらい?」
「……図書室の午後。あたしが“隣に読んで”って言った日」
いふは少しだけ目を細めて、マグを置いた。
「あれは――今でも、はっきり覚えてるよ。
たしか、あのときほとけ、ページの間に手紙を挟んでただろ?」
「うん。緊張しすぎて、字が震えてた」
「……読み終わったあと、手が震えたのは俺のほうだったけどな」
ふたりのあいだに、やわらかな沈黙が流れる。
それは、もう確認しなくてもわかっているという、
長い時間を共に過ごしてきた人にしかできない、穏やかな静けさだった。
「もし、あのときあたしが勇気出さなかったら、どうなってたかな」
「……きっと、君の背中を見てるだけのままだった」
「そっか。じゃあ、あの日あたしが“物語のページをめくった”ってことになるのかな」
「うん。物語の主人公は、君だったのかも」
ほとけはマグを両手で包みながら、ふっと笑った。
「じゃあ、これからの章は?」
「それは……ふたりで書いていくだけさ。
寝かしつけの合間に、夜の紅茶を飲みながら、たまに“昔話”を挟みながら」
「いいね、それ。
毎晩すこしずつ、ページをめくる感じ」
「……君となら、何ページあっても、きっと飽きないよ」
静かに、ほとけが肩を寄せる。
いふは何も言わずに、その肩にそっと毛布をかけた。
その夜、リビングには音楽もテレビもなかったけれど、
ふたりのあいだには、確かな“物語”の続きがあった。
いつか子どもが大きくなって、家を出ていく日が来ても――
この夜の記憶は、何度でもページをめくるように、きっと蘇るだろう。
なぜならこの物語は、
“読むためのもの”ではなく、
“共に生きて書きつづけるもの”だから。
「図書室の君と、不思議な午後」
― 最終章 ―
季節は、また春だった。
桜が咲いて、少し風が吹いて、空は淡い青。
古い町の外れにある小さな図書館。
その一角、誰もあまり立ち寄らない窓際の席に、白髪まじりの男性がひとり腰かけていた。
ページをめくる指は少し震えているけれど、
その目は静かで、澄んでいて、まるで初めて本に出会った子どものようだった。
「……ここに座ると、不思議と落ち着くな」
いふはそう呟きながら、手元の文庫本をそっと閉じた。
「君がいた場所だ。あの日、君が声をかけてくれた。
“隣、空いてますか?”って。
……忘れるわけないだろ」
窓の外、桜の花びらが風に乗って舞い込んでくる。
となりの椅子には、誰も座っていない。けれど――
「聞いてるか、ほとけ。
君と過ごした日々は、どのページも大切で、
一文字も消したくないくらい、俺にとっての宝物だったよ」
ふたりで暮らした家、
毎晩読んだ絵本、
笑った日も、泣いた日も、黙って肩を寄せた夜も。
全部が、全部が、物語の一部になっていた。
「子どもたちも、立派に育った。
君があんなに悩みながら作ってた“お弁当”も、
今では娘が孫に作ってるよ。……味、そっくりだ」
いふはゆっくり立ち上がると、
ポケットから小さな封筒を取り出し、机の上に置いた。
「ここに、最後の手紙を残すよ。
きっとまた、誰かがこの席に座るだろう。
そのとき、この物語の続きを、誰かが読んでくれるように」
それは、図書室から始まった愛の記録。
何十年というページをめくってきたふたりの、“記念のしおり”だった。
図書室をあとにして、外へ出る。
春の光が、まぶしくて、あたたかい。
目を閉じると、そこに確かに“彼女の気配”があった。
隣を歩く足音が、風に溶けて聞こえてくるようだった。
「……さあ、帰ろう。
まだ書き足りないページが、きっとあるから」
ふたりの物語は、“終わる”のではなく、“続いていく”。
ページの先には、まだ見ぬ空白が広がっている。
だけど――
もうひとりじゃない。
ずっと隣に、“君”がいるから。
【了】
――図書室の君と、不思議な午後
コメント
4件
青組ぃぃぃ(( 売ろっか、((は? めっちゃ良いわ......やっぱ天才だね!
大ボリューム!! これ本にしていいでしょ(((