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覚悟を決めて立ち上がった俺は、まず武器になりそうな物を探すことにした。
とはいえ、武器になりそうなものなんてそう簡単には見つからない。しかも、こちらは戦い慣れていないズブの素人なのだ。
ゴブリンが持っていたような包丁はリーチが短すぎるし、鉄骨なんかは振り回すのに隙が大きすぎる。
しばらく廃墟街を彷徨った俺は、瓦礫の中にあった錆びた鉄の棒を見つけた。長さは一メートルほどで、先端は鋭く尖っている。槍のように扱えば、戦えなくもないだろう。
ざらついた表面を握ると、手のひらに錆びがついた。
二、三度振ってみる。重みはあるが、振り回せないほどじゃない。STRを上げた今の身体なら、十分に扱えそうだ。
「よし……やろう」
俺は気合を入れるように鉄棒を握り直し、ゴブリンを探しはじめた。
遠くまで逃げてきたつもりだったが、ゴブリンはそう遠くない場所にいた。錆びた包丁を肩に担ぎ、廃墟の路地をうろうろと歩き回っている。あの嫌らしい嗤い声が廃墟街に響き、胃の奥が冷たくなるのを感じた。
「……っ」
正面から戦うのは無理だ。さっき逃げた時の、あの足の速さ。あんな化け物と、まともにやり合えるはずがない。たとえ武器を持っていても、距離を詰められればそれで終わりだ。
なら、気付かれる前に仕掛けるしかない。背後から、一撃で。それしか勝ち目はない。
俺は息を殺して、近くの建物の陰に身を潜めた。植物に覆われた、崩れかけた壁の隙間。そこからゴブリンの動きを観察する。
心臓が口から飛び出そうだった。耳元で流れる血潮が五月蠅い。自分の鼓動で、この居場所がバレるんじゃないかとヒヤヒヤする。
ゴブリンが路地の入り口に背を向け、別の方向を見た。
――今だ!
俺は震える足に喝を入れると、奥歯を噛み締めて物陰からそっと抜け出した。
足音を殺して背後に近づく。
まだ、気付かれない。いや気付かれるな。確実に一撃で仕留められる位置、この鉄棒が確実に届くその距離までゆっくりと近づく。
「……ッ!」
そして鉄棒を両手で握り、振りかぶる。
ゴブリンが、ふと動きを止めた。
何かを感じ取ったのか、こちらに振り返ろうとする。
――間に合えッ!
「ぉりゃあああッ!!」
全力で心臓めがけて鉄棒を突き出した。ゴッ、と鈍い音が響き、確かな手応えが両腕を伝ってくる。
なのに――。
「ぎ、げぇっ!?」
ゴブリンは倒れなかった。膝はついたものの、ゆっくりと立ち上がりこちらを振り返ろうとしている。
「は、嘘だろッ……!?」
手元の鉄棒を見ると、衝撃で半ばから折れていた。錆びていたがために、耐久力が落ちていたのだ。即席の槍は、ゴブリンの心臓を貫くことができなかった。
「ぎひひっ、ぎひっ……」
背中から血を流しながら、ゴブリンが完全に体勢を立て直した。その目に、明確な怒りが宿っている。
まずい。逃げろッ!
考えるより先に、身体が動いていた。折れた鉄棒を握りしめたまま、俺は反対方向に駆け出した。
「ぎぎぎぎぎッ!!」
今度は弄ぶような笑い声じゃない。致命傷を負わされた怒りに満ちた咆哮が、背後から追ってくる。さっきよりも、速い。怒り狂っているのか、ゴブリンの足音が地面を叩く音が一気に近づいてくる。
「クソッ、クソッ、クソッ!」
走りながら、必死に考える。
奇襲はもう使えない。鉄棒は半分に折れてしまった。こんなリーチじゃ、正面から戦えば確実に負ける。
じゃあ、逃げ切れるか?
無理だ。さっきだって、たまたま見失ってもらえただけで、こんなに怒り狂ったソイツが俺を逃がすはずがない。スタミナだって、すぐに尽きるだろう。
走りながら必死に視線を巡らせる。
何かないか、何か使えるものはないのか。あいつを一撃で仕留められる、何か――。
「ッ……!」
路地を曲がった瞬間、視界に入ったものがあった。
崩れた民家の跡地。残った壁が斜めに突き出ていて、その下に折れた鉄筋やコンクリート片が散乱している。鉄筋の断面が、鋭く尖って空を向いていた。
あの鉄筋なら、串刺しにできる。
けど、問題はゴブリンを自分から鉄筋に向かわせる方法がないことだ。
目で見て分かる危険に、自ら飛び込むヤツはいない。それでも、どうにかあの位置に誘導しなければ、今度こそ本当に、俺はアイツに殺されてしまう。
「クソッたれ!」
考えながら走り続け、視線を周囲に向けた。
鉄筋の手前には、崩れた壁の角がある。袋小路のように見える、行き止まりの一角。そこに追い詰められたフリをして、突進してきたところを避ければ――その先にあるのは、尖った鉄筋だ。
いける。それしかない。
俺は迷わず、その方向へ駆け込んだ。
「はぁっ、はぁっ……」
息を整える時間はなさそうだった。ゴブリンの足音はもうすぐそこだ。俺は壁に背中を預け、わざと怯えた表情を作った。折れた鉄棒を胸の前に構える。手は震えていたが、それを隠す気はなかった。むしろ、好都合だ。
ゴブリンが路地に飛び込んできた。
行き止まりに追い詰められた俺の情けない姿を見つけて、ソイツは口元を醜く歪めた。
「ぎひひっ、げひひひひっ!」
勝利を確信した嗤い声。怒りも忘れて、再び弄ぶような目になる。錆びた包丁を振りかぶり、こちらに向かって駆け出してきた。
「げひゃひゃひゃひゃっ!」
全速力で、獲物を仕留めるために。
近づく。近づく。あと、もう少し――。
ゴブリンが俺との距離を詰め、跳びかかるようにして包丁を振り上げた、その瞬間。
俺は地面を蹴って、横へ転がるように飛んだ。
「げッ!?」
虚を突かれたゴブリンの突進は、止まらなかった。いや止まれないのだ。突進の勢いそのままに、ソイツは俺がいた場所――その奥に突き出した鉄筋の、鋭い断面へと頭から突っ込んだ。
ズプッ。
肉と骨を貫く、湿った音がした。
「ぎ……」
ゴブリンが、びくりと身体を痙攣させた。鉄筋の先端が、ソイツの頭部を貫通して、後頭部から血まみれの切っ先を覗かせていた。錆びた包丁が、カランと地面に落ちる音が響く。
俺は地面に転がったまま、その光景を見つめていた。
ゴブリンはもう一度、小さく身体を震わせて――やがて、完全に動かなくなった。
「…………」
しばらく、何の音もしなかった。遠くで風が吹いて、廃墟の蔦が揺れる音だけが聞こえてくる。
「は……」
息を吐いた。
「はぁ……はぁ、はぁっ……」
止まっていた呼吸が、堰を切ったように戻ってくる。全身から力が抜けて、折れた鉄棒が手から滑り落ちた。
「勝った……」
声に出してみる。
「勝った……俺、勝ったのか……?」
まだ、信じられなかった。
勝ったのか? あの化け物に。あの、現実に存在するはずのない化け物に。武器もない、力もない、ただの大学生だった俺が。
「生きてる……俺、生きてるんだ……ッ」
涙が出そうになった。
その時、視界の隅で異変が起きた。鉄筋に突き刺さったゴブリンの身体が、頭の先からゆっくりと色を失いはじめていた。灰色に変わったその部分が、まるで焚き火の灰のように崩れて、空気に溶けていく。数秒も経たないうちに、ゴブリンの死体は完全に消えてしまった。あとに残ったのは、鉄筋に付着した血の跡と、地面に転がる錆びた包丁だけだ。
「消え……た?」
呆然と、その光景を見つめた。
モンスターの死体は、消える。残らない。世界がその痕跡を拭い去るかのように。
頭が追いつかない。けれど、もう驚く気力もなかった。ゴブリンが現実に出てくる時点で、何が起きてもおかしくない。今さらだ。
そのまま、俺は仰向けに倒れ込んだ。地面は冷たく、背中に瓦礫の硬さが当たる。それでも、立ち上がる気にはなれなかった。
空を見上げると、四月の朝の空が広がっていた。透き通った青と、流れていく雲。何ひとつ変わらない、見慣れた空。
その空の下で、俺はゴブリンを倒した。
≫≫チュートリアルクエストが完了しました!
≫≫報酬:新規スキル が与えられます。
≫≫スキル:未知の開拓者 を習得しました。
≫≫おめでとうございます! 選択した種族内で、あなたは初めてモンスターを討伐することに成功しました!
≫≫ボーナススキル:曙光 を習得しました。
ポケットの中で、機械音声が鳴った。
俺はぼんやりとその音を聞きながら、空を眺め続けた。