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スタジオ練のあと、片付けをしていると、同級生たちが先に外へ出ていった。
「先に出てるねー」
軽い声と一緒に、ドアが閉まる。
残ったのは、奈央と広瀬だけだった。
「……早いね」
「いつもあんな感じです」
広瀬はアンプの電源を落としながら言う。
シールドを巻く手は変わらないのに、私の前を通るときだけ、動作がゆっくりになる。
「奈央さん」
呼ばれて振り向くと、目の前に立っていた。
「次の練習、いつ空いてます?」
「え?」
「奈央さんの予定、先に押さえたいです」
「……なんで?」
そう聞いたら、広瀬は一瞬だけ目を逸らして
「いや、他の人に取られるの、ちょっと嫌なんで。」
さらっと言った。
心臓が、音を立てて跳ねる。
「え、それ……」
「冗談ですけど」
そう言いながら、目は笑っていなかった。
広瀬は機材を運ぶために廊下へ出た。
奈央はその背中を追いかける。
「あの、今の…」
覆い被せるように、広瀬が言う。
「今日の歌、良かったです」
「え…?」
「俺、奈央さんとやるのが一番やりやすいんです」
扉の向こうからかすかに聞こえる他バンドのギターの練習音が、沈黙の間を淡く揺らしていた。
「…俺、奈央さんのこと意識してますから」
息が止まったような瞬間が、ほんの一瞬、二人の間に流れる。
廊下に漂う空気は、いつもより重く、でも妙に甘く感じられた。
思わず目を逸らそうとして、でも視線は自然に広瀬の横顔へ向かってしまう。
広瀬は、特に動揺している様子もなく、淡々とギターケースを運んでいる。
それなのに、肩の距離も歩幅も、微妙にこちらに合わせてあることに気づく。
無意識なのか、それとも少し意識しているのか――考えただけで、胸の奥がぎゅっとなる。
「……どういう…」
言葉に出すつもりが、声は小さくなる。
答えは返ってこない。
返ってこなくても、視線や動きで十分伝わってしまう。
廊下の端まで来ると、広瀬くんが軽く肩をすくめた。 その仕草だけで、どうしてこんなにも心臓が暴れ出すのか分からない。
「冗談ですけど」と言った直後の、さりげない距離の近さ。 「意識してますから」とさらりと付け加えられた言葉。
どちらも、告白ではない。
それでも確実に、私だけに向けられた特別な何かを感じる。
足音を重ねながら歩くたび、奈央の頭の中はフル回転で、言葉も思考もまとまらない。
それなのに、自然に笑みが漏れそうになってしまう自分がいて、どうしたらいいか分からなかった。
ほんの少しの距離と、ほんの少しの言葉で、
広瀬は確実に、奈央の心をぐらりと揺らしている。 歩きながらも、目の端でちらりとこちらを確認するその仕草に、 奈央は気づかずにはいられなかった。
沈黙の廊下に、二人だけの空気が残る。
言葉よりも、音よりも、確かな重みを持って。