テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
駅へと続く長い坂道。陸は自転車のハンドルを片手で軽々と持ち、先頭を行く優と並んで歩いていた。
「いやー、やっぱりくるみ先輩のメニューは理にかなってるな。優、お前も今日の練習、いつもより体が動いてたろ?」
陸の声には、激しい練習の後だというのに疲れを感じさせない、心地よい張りがある。
「……まあな。合理的ではあった」
「だろ? あの人がいるから、この部は締まるんだよ。俺もさ、あの人が引退する前に、一発デカい記録出して驚かせてやりたいんだよね」
陸はそう言って、オレンジ色に染まる空を真っ直ぐに見上げた。
そこにあるのは、恋に浮ついた弱さではなく、尊敬する先輩と同じ高みを目指したいという、純粋で爽やかな「挑戦心」だ。その横顔は、あの日屋上で泉を救い出した時と同じ、圧倒的な「主人公」の輝きを放っている。
泉は、その少し後ろを歩きながら、陸の広い背中を見つめていた。
(陸くん、本当に格好いいな……)
彼に助けてもらったあの日から、泉にとって陸は特別な存在だ。けれど、今の自分はまだ「助けてもらった転校生」に過ぎない。陸が見つめる「くるみ先輩」という眩しい存在に、泉は自分でもよく分からない、小さな胸の痛みを感じていた。
それはまだ「恋」というほど重くはないけれど、彼の一番近くにいたいと願う、淡い期待の混じった「モヤモヤ」だった。
「……ねえ、瞬。泉、また考え込んでるみたい。あいつ、真面目すぎるのよね」
少し後ろを歩く紗良が、隣の瞬にぼそりと呟く。
二人は同じ美術部で、放課後を共にするようになって数ヶ月。幼馴染ではないけれど、同じキャンバスに向き合う時間が、お互いの性格を深く理解させていた。
「そうだね。でも、泉ちゃんが自分で答えを見つけるまで、僕たちが踏み込みすぎるのも良くないよ、紗良」
瞬が眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、落ち着いた声で返す。
「わかってるわよ。……でも、見てるこっちが歯痒いのよね」
「君は少し、お節介なところがあるからね。……ほら、忘れ物。部室の机に置いてあったぞ」
瞬がポケットから取り出したのは、紗良がデッサンで使うお気に入りのシャープペンシルだった。
「あ、忘れてた……。ありがと、瞬」
「どういたしまして。明日もちゃんと描けよ」
瞬の態度はあくまで「部活の仲間」としての親しみやすさだ。けれど、紗良が困った時には必ず気づいて手を貸す、そんな静かな信頼関係が二人の間には出来上がりつつあった。
「……おい、茅野」
不意に、優が足を止めて振り返った。
陸と並んで歩いていたはずの彼が、いつの間にか泉のすぐそばまで戻ってきている。
「あ、優くん。どうしたの?」
「……ぼーっとするな。足元、小石が多い。躓いて怪我でもされたら、明日からのメニューに差し障る」
優の言葉は相変わらずぶっきらぼうで、気遣いさえも拒むような鋭さがある。
彼は泉を特別視しているわけではない。ただ、陸の背中を追いかけて、今にも消えてしまいそうな顔をする泉のことが、なぜか放っておけなかった。陸のように光を振り撒くわけではないけれど、優は優なりに、泉の「不穏な気配」を敏感に察知していた。
「あ……ありがとう。気をつけるね」
「……、……フン」
優はそれ以上何も言わず、再びポケットに手を突っ込んで歩調を早めた。
陸は、太陽のような明るさで、遥か高い場所にある光を追い続ける。
泉は、その背中に手を伸ばしたいような、けれど届かない自分に戸惑っている。
優は、そんな泉の足元を、不機嫌なふりをして見守っている。
駅のホームに入ってくる電車の音が、遠くで響いた。
五人の想いは、交差しているようで、まだ決定的な何かに隔てられている。