「よし。じゃあ、セディ。景気付けに俺にチューして下さい」
「……ちょっと何言ってるか分からないです」
ほんとに何言ってんだ。さっきまでの話の流れでどうしてそうなるんだよ。突拍子がないにもほどがあるわ。ここにきてまたルーイ先生の悪ノリが始まってしまったのか…? 互いに協力してレオン様とクレハ様を支えていきましょうと、思いを強め合ったばかりじゃないか。
「だから景気付けだって。ここでセディがキスのひとつでもしてくれたら、俺の士気が更に高まること間違いなしですよ」
「そんなことをしないとやる気が出ないのなら、静かに寝ていて下さって結構ですよ。もともと怪我人なんですから」
おちゃらけているようで、先生はとても鋭いひとだ。他人の感情の機微を読み取ることに長けている。そのうえ義理人情に厚く、我々は何度も助けられている。俺はそんな先生を信頼しているし、当然感謝もしている。いくら礼を尽くしても足りないくらいだ。
先生を尊敬している。尊敬はしているのだが……彼のこういった故意に空気を読まない言動には、ほとほとうんざりしていた。真面目な雰囲気をぶち壊して俺の神経を逆撫でする。先生に対して特別な感情を抱く前の自分なら適度にあしらえただろうが、現在の自分には困難なことだった。からかいの対象がほぼ俺に限定されているのも苛立ちを増長させる要因になっている。
「セディよ、お前は言ったよな。俺が仕事頑張ったら望む褒美を何でもくれるって」
言った……でも、それを今持ち出すのか。口から溢れそうになった文句を必死で飲み込んだ。忘れてはいないが、あの時とは状況が変わっている。先生が怪我をする前のやり取りであるし、無理をしてまで遂行して欲しいとは思わない。体に差し障りのない範囲内で協力して下さればいい。それに、これまでにして頂いた助言だけでも、彼は充分褒美を受け取るに値する働きをしているのだ。
「ええ、もちろん覚えておりますよ。先生の望むものを何でも用意すると、確かにお約束しましたね。あなたは既にたくさんの協力をして下さっていますから、この仕事が終わりましたら必ずお渡し致しますよ」
ぼかしにぼかしていた御礼の内容……具体的にどういったものを想定しているのか。俺は先生が望む『料理』を何でも作って食べさせてあげようと思っていた。肉料理、魚料理……ケーキやクッキーなどの菓子類。先生が満足するまでどんなオーダーにも応えるつもりだった。
この『ご褒美をあげる』という約束は、任務中であろうが所構わずイタズラをしかてくる先生を抑制するため、咄嗟に思いついたものだった。今我慢すれば後から褒美が貰えると……彼を期待させてやり込めた。曖昧な表現を多用しまくったので騙し打ちに近いだろう。俺と先生で思い描いている褒美の内容が違うだろうことも承知の上。認識の齟齬があるのをわかっていて俺は放置していた。詐欺だと文句を言われようが知ったことかと、無視をするつもりだったのだ。
そして案の定、予想通り……というのも複雑だけど、彼はやはりいかがわしいことを要求する気満々だったようだ。キスがどうたら言ってる直後に褒美の話題を切り出したことでもわかる。
「それは良かった。でもさ、そのご褒美だけどセディがあまりにも乗り気だから変に勘繰っちゃってさ。まさか俺が好きなスイーツ何でも作ってあげます的なこと言ってお茶を濁す気じゃないかって。そんな子供騙しな真似……セディはしないよね?」
やっぱり俺の心を読んでいるんじゃなかろうか。図星を突かれ、上目遣いで威嚇するような表情を向けられて心臓が縮み上がる。しまった。逃げ道を塞がれた。
「当然です!! えーと……先生はどういったご褒美をご所望で? あっ、靴なんてどうでしょうか。私の行きつけで良い店があるんですよ。それとも宝石類? 先生ならどんなアクセサリーでもお似合いでしょうねー」
我ながら白々し過ぎる。料理がダメなら適当な物品で満足して貰いたいが……後ろめたさから先生の顔がまともに見れない。
「服とか日用品はレオンがあらかた世話してくれてるから充分だよ。必要以上に高価な物もいらない。似合うことは否定しないけどね」
「それでは何を……」
ここで聞き返すのは悪手だろう。先生に場の主導権を握らせてしまう前振りにしかならない。またしてもポンコツぶりを発揮してしまい、脳内で頭を抱えた。
「分かってるクセに」
こちらに向かって伸ばされた手を払い退けることができなかった。先生はベッドの上にいて、俺はその横にある椅子に座っている。怪我をしている先生から距離を取ることなど造作も無い。それなのに体がまるで石にでもなったかのように硬直してしまう。先生の指が頬に触れた。俺が無抵抗なのを良いことに、彼の指は好き勝手に動き回る。けれど、手付きに乱暴さは微塵も感じられず、くすぐったくなるほどに穏やかだった。
「お前は本当に狡いよね。ろくな抵抗もしないのに俺ばっかり責めてさ。照れてるんだと思えば可愛いし、見逃してるけど……無駄な足掻きはやめて素直になったら?」
「……なんのことでしょう」
「とぼけてもダメ。自分の気持ちを誤魔化すのがキツいんでしょ。開き直って正直に言ってみな。ここでお前が本音をぶちまけるなら、それを俺へのご褒美ってことにしてもいい」
頬を優しく撫でていた先生の指が顎を掴んだ。互いの視線が重なるように顔を固定され、反らすことができない。どうしてこんな展開になってるんだよ。
レオン様でもクラヴェル兄弟でも、ジェムラート家の使用人でも誰でもいい。今すぐこの場に来てくれないだろうか。先生の行動を止めてくれるだろう第三者の来訪を期待する。しかし、この他力本願な思考は簡単に打ち砕かれてしまう。こんな時に限って、ドアの向こう側はしんと静まり返っていて誰も訪れる気配はなかった。
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