個室の病室はウーヴェの手に付けられた心拍計が計測する機械音を時折響かせるだけで静まりかえっているが、カスパルからレントゲンについての説明を受け、包帯を解かれて姿を見せた腫れ上がって変色してしまった左足を見たリオンが拳を握り、ウーヴェが受けた痛みを追体験してしまいそうになるが何とかそれを堪えてウーヴェの横に腰を下ろして頭を抱き寄せると、身体は傾いで寄りかかってくるが先ほど感じたようにウーヴェの目はどこを見ているのがはっきりとしなかった。
嫌な汗が背筋を伝うのを覚えたリオンだが消毒をして縫合をする間も痛いだのなんだのを一切口にしないウーヴェの髪にキスをし、我慢強いんだなと感心するが本能的にそうではないことを察していた。
手当が終わりしばらくの間付き添いをしたいので許可がいるのなら申請書でも何でも提出すると告げ、書類等はまた後日持ってくるがとにかくウーヴェをベッドから抜け出させるなとヘリポートで見た光景が忘れられずに身体を震わせるカスパルに頷き、このままウーヴェに付き添いすることをヒンケルにもメールで念のため報告しておく。
それら全てを終わらせたリオンがブラインドをじっと見つめるウーヴェに気付いてどうしたと声を掛けるが、ウーヴェはただブラインドの降りた窓を見ているだけだった。
「オーヴェ」
呼びかけてベッドに腰を下ろし頬を撫でるとぴくりと肩が揺れ、何か考え事かと問いかけると首輪とケージがないと小さく答えられて衝撃にリオンの目が見開かれる。
「オーヴェ……?」
「俺はどうしようもない駄犬だから飼い主の顔を見て尻尾を振れるようになったらケージから出してくれるらしい。……でも尻尾がなくなってしまった」
尻に入っていたあれがないと尻尾を振れない、どうすれば良いと問われ、あんなものはもう必要が無くそもそも尻尾など振る必要は無いと答えるが、それよりも大切なことがあるとリオンが嫌な汗を背中に流しつつウーヴェの顔を覗き込むと相変わらず目は茫洋としていて、何度も根気強く呼び続けてようやく視線が合ったと分かると安堵に溜息を吐く。
「お前は犬じゃねぇ。ペットなんかじゃねぇよ、オーヴェ」
「でも……言うことを聞かない、から、リザードを壊された……っ……」
大人しく言うことを聞いていればリザードは壊されなかったのにとシーツを握る手が震えだし肩も震えて俯くウーヴェを抱きしめたリオンは、想像以上の衝撃からお前はペットなんかじゃねぇと繰り返すことしか出来なかった。
リオンがそこまで衝撃を受けている事に気付かないウーヴェが、首輪とケージがなくても逃げたりしないから鞭で叩かないでくれ、命令されればいつでもどこででも尻を出して咥えるからと感情の籠もらない声で呟き、答えを求めてリオンを見上げるが、己を抱きしめる腕の力が強くなった事に気付いて首を傾げる。
「リオン……?」
言うことを聞くようになったらお前が喜ぶと言われたのに嬉しくないのかと問いかけるが返事はなく、どうしたと逆にリオンを気遣うように名を呼ぶが、ただただきつく抱きしめられて苦しいと小さな声で呟いてしまう。
「オーヴェ……オーヴェ……っ!」
リオンの悲痛な声に恐る恐るその顔を見たウーヴェは怒りと悲哀と涙を浮かべた蒼い瞳にまっすぐに見据えられて息が止まるほど驚いてしまうが、両頬を優しい強さと温もりに挟まれたことに気付き、目の前にある常に思い浮かべていた双眸に触れたい一心で震える手を伸ばし、そっと目元に触れると目尻から涙が一粒だけ転がり落ちる。
「ケージでなんか寝なくても良い。お前は犬じゃねぇ」
「……で、も……」
「オーヴェ、約束してくれ」
「な、に……?」
リオンの言葉にウーヴェが躊躇うように視線を泳がせるがそんなウーヴェに約束と告げたリオンは、みっともないほど震える手でウーヴェの頬を包んだまま笑みを浮かべたかと思うと、色を無くしてカサカサになっている唇に何かを誓うようにそっと口づける。
「……っ……!!」
「約束。お前はもう二度とケージで寝なくてもいい。首輪もリードもいらない」
「……」
「お前が寝るのはこれからもずっと俺の横。繋ぐのはリードじゃなくて俺の手」
あいつらがお前のことをペット扱いしていたのだろうが、お前は俺が尊敬してやまない立派な男で、そんな男が寝るのはケージなどではなく俺と一緒に使うベッドであり、繋ぐものはリードなどではなく俺の手だと泣き笑いの顔で告げてウーヴェと額を重ねると、間近でぼやけるターコイズの双眸が限界まで見開かれる。
「オーヴェ、手ぇ貸して」
「……?」
リオンの言葉に恐る恐る手を出したウーヴェは掌に大きく温かな手が重ねられたあとゆっくりゆっくり小指から一本ずつ指を曲げられて手を組まされていくことに驚くが、最後に親指が曲げられた形で重なるともう一度唇にキスをされて目を見張る。
「約束」
もうあいつらの言葉に耳を貸したり聞き入れる必要は無い。もしも誰かの言葉を聞き入れなければ不安ならば、俺の声を、言葉を聞いていれば良い。
「オーヴェ、俺のオーヴェ」
「……っ……ゥ……ッン」
「うん。……マジでよく頑張ってくれた」
あの悪夢のような時間をよく頑張って生き延びてくれた。迎えが間に合って良かったとリオンが頬にキスをするとウーヴェの喉から堪えきれない嗚咽が流れ出す。
「うん。ずっとこうしてる。だから……」
この先必ず前を向けるようになるがその為の準備として泣けと囁き、薄くなっても絶対に消え去ることのない傷を負った背中をそっと抱きしめると言葉にならない声が流れ出す。
「痛かったな。でも良く頑張ってくれた。お前は本当に強い男だ」
前から分かっていたが本当に心の底から憧れる強い男だと背中を撫でて長い長い嗚咽を零すウーヴェを抱きしめたリオンは、ウーヴェの声が続く限りそのまま抱きしめ続け、やがて子どものように泣き続けることで一時の興奮が収まったのか、ウーヴェの身体から力が抜け腕に重みが掛かったことに気付いてそっと頬にキスをし、ベッドの角度を調整してウーヴェが寝やすいようにすると、ウーヴェの手がリオンのシャツをぎゅっと握りしめる。
「大丈夫。お前が寝るまでずっと傍にいる」
「夢……見る、の、イヤ……だ」
「そっか。でも手術もしたし疲れてるだろ? ずっとこうしてるからちょっとだけ寝てみろよ」
万が一お前のいう夢を見て飛び起きたとしても目を覚ませば俺がここにいるからと、鼻の先が触れあう距離で笑いながら告げたリオンを心から信頼していると伝える代わりにウーヴェが目を閉じるものの、誘拐されている間の出来事がウーヴェの心身を壊すものだった為、目を閉じても何をしても眠りは訪れそうになかった。
ウーヴェの様子に眠れないかとリオンが問いかけると腕を回した肩がびくりと揺れて震える小さな声が謝罪とすぐに寝るから殴らないでくれと繰り返し、ウーヴェの閉ざされている瞼にキスをしたリオンは、謝るようなことじゃないしもちろん鞭で打ったりナイフで傷つけたりましてや無理矢理するようなことはしないと根気よく伝えてウーヴェの肩を撫で、寝返りを打って痩せてしまった身体の下潜り込んで驚くウーヴェに悪戯が成功した子どもの顔で笑う。
「鼓動を聞いていたら眠くなるって聞いたことがある。試してみないか、オーヴェ?」
「……うん」
リオンの誘いに躊躇った後に頷いたウーヴェがリオンの胸に耳を当てるように顔を寄せ、強く規則正しく打つ鼓動に己の呼吸を合わせるようにゆっくりゆっくり呼吸を繰り返すが、不意に全体重を預けられたような重さに気付いたリオンがウーヴェの顔を覗き込むと、無精ひげが薄く生え窶れているウーヴェの顔にほんの少しの穏やかさを見いだす。
己の鼓動に合わせて呼吸をしている内に眠くなったのかそのまま静かに眠りに落ちたウーヴェの髪を優しく撫でたリオンは、一時のこの安穏が少しずつでも長くなり続きますようにと、ほとんど祈ることのなかった神にこの時ばかりは真摯に祈るのだった。
夢を見たくないと言ったウーヴェがリオンを信じることで何とか眠りに落ちたのを確かめた後同じように眠ってしまっていたが、ふと何かに気付いて目を覚まし、ウーヴェを抱きしめたまま眠りに落ちてまだ2時間しか経過していないことを腕時計を見て気付く。
何故こんな時間に目が覚めたと自問したリオンだが腹の辺りに柔らかな何かが触れるくすぐったさと、腹よりも下、はっきり言えば股間が生温かな何かに包まれている事に気付き眠気を一気に吹き飛ばす。
「オーヴェ!?」
何をしているのかを聞かなくても分かるそれに潜めた声でウーヴェを呼ぶと、リオンの股間に顔を埋めていたウーヴェが不思議そうに見つめてくる。
「……こうしろと言われた」
「……!!」
誘拐されていた一週間足らずの短い時間は、時間こそ短いものの常に誰かに尻や口を犯され、寝る間も与えられずにレイプされるという過酷な時間だった。
そんな日々はもう昨日で終わりを迎えたのだと思っていたが、ウーヴェの中ではまだその時間は続いていたのか、口を使うウーヴェをあの時いつも良い子だと褒めた男達とは違ってその言葉が聞こえてこなかったことからもしかして口ではダメなのかと上目遣いになるとリオンの手がそっとウーヴェの頬に宛がわれ、もうそんなことはしなくて良いと感情を堪える顔で告げられ、やらなくて良いのかと問えば小さな小さな声がうんと答える。
「……でも……」
「オーヴェ、約束しただろ。あいつらが教えたことは何一つ覚えている必要は無い」
「……」
困惑した顔で俯くウーヴェの肩を抱き髪に口付けつつあいつらよりも俺との約束を覚えていて欲しいと囁くと、約束とウーヴェがおうむ返しに呟く。
「オーヴェがもしやりたくなったらすれば良い。でもあいつらの命令でならする必要は無い」
お前にやれと命じた男達はもう誰もいないしこれは命じられてするようなことじゃないとウーヴェの顔を上げさせてにやりと笑ったリオンは、良いのかと問われてうんと答えて小さく欠伸をする。
「FKKで働いてる訳じゃねぇし。俺は命令なんてしない」
「……うん」
「な、オーヴェ。今やりたいと思うか?」
もう一度欠伸をしたリオンはウーヴェと目を合わせて今もしガマンできずにセックスをしたいと思うのならご希望に応えるがどうだと問いかけると、激しく躊躇うように視線が左右に泳ぐが身体のあちらこちらが痛いからイヤだと消え入りそうな小さな声が否定したため、うんと頷いてウーヴェの背中を抱き寄せて肩に頭を押し当てさせる。
「リ……オン……?」
「約束。……オーヴェがやりたいと思う時以外は絶対にしない。誰かにやれと言われることもない」
「……う、ん……」
「だからさ、もうちょっと寝ようぜ」
まだまだ真夜中なんだからと欠伸を堪える顔で笑いかけたリオンは、さっきと同じように己の鼓動を聞きながら寝ろと囁くとウーヴェの身体から力が抜ける。
そして、また先ほどと同じように一気に体重が掛かったことに気付くと、何とか片手でズリ下ろされている下着とジーンズを引き上げるが、穏やかな寝息を立てるウーヴェのこめかみにキスをすることで叫びたい衝動を必死に堪える。
もうこんなことをしなくて良いのだ。誘拐事件は終わりを迎え、もう誰にも強制されたり眠りを妨げてまでも抱かれる必要など無いのだ。
その悪夢は昨日で終わりを迎えたのに、ジルベルトやルクレツィオが躾けと称したそれがウーヴェの中に根付いてしまっているようだった。
ウーヴェに対する嫉妬から自尊心を文字通り根刮ぎ奪い、命じられれば嬉々として何でもするペットのようにしたのだと気付くと、今頃地獄で悪魔達と踊っているだろうジルベルトやルクレツィオに対して滅多に感じない極低温の怒りを抱いてしまう。
ただその怒りは憎しみに変貌せず、怒りは怒りで己の腹の納まるべき場所に納めようと深呼吸をする。
ウーヴェの自尊心を奪い取ったというのなら、どれだけ時間が掛かろうとも二人でそれを取り戻すだけだった。
ウーヴェのように職業でそれを行えるほどの知識も技術も無いリオンだが、ウーヴェを思う気持ちだけは誰よりもあった。
その気持ちだけでどこまで突き進めるかは分からないが、ウーヴェに伝えたようにこれからも傍にいて一緒に夜を越え朝を迎えたいのであれば出来る事だったしやらなければならない事だった。
「……良いぜ、ジル。お前がオーヴェの自尊心を奪ったのなら俺が取り返してやる」
そして、俺が愛してやまない強く優しいオーヴェに戻るよう全力で守ると、今もウーヴェをそっと抱きしめながら宣戦布告をしたリオンは、ああ、そう言えば去年の秋もウーヴェの過去から忍び寄る影にも同じ事を言ったと思い出し、あの時には出来たのだから次も出来ると己を鼓舞すると、腕の中で微かに身動ぐウーヴェの髪にキスをし、看護師が起こしに来る時間までまんじりともしないでぐっすりと眠るウーヴェを抱きしめ続けるのだった。
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