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事実、私のせいでアレシュ様は倒れた。
助かったのは、近くにシュテファン様がいてくれたからだ。
大切な人を殺されかけて、冷静でいられないのは当たり前のことで、侍女に対して怒る気にはなれなかった。
――レグヴラーナ帝国にいた時と同じ。まだアレシュ様が理解してくださっただけでも、私は救われました。
だから、私からアレシュ様に申し出た。
「身支度は自分でできます。今までもそうでしたから。でも、着替えだけはいただけますか?」
帝国の皇宮でも、年老いた侍女が一人のみだった。
それに――
「体がなまっていたので、ちょうどよかったです!」
侍女はキョトンとした顔をした。
「こちらに来てから、ずっと身の回りのことを侍女たちがしてしまうので、とても退屈だったんですよ」
私はようやく自由を手に入れたのだ。
あの大勢の侍女も兵士もいなくなり、幽閉だってされていない。
すっと両手を広げて、日差しを浴びる。
「自由……!」
外の空気を目一杯、肺に吸い込んだ。
なんて空気が美味しいのだろう。
「もう最高です! では、厨房を教えていただけますか? 身支度のためのお湯か水をいただきたいので……」
「ま、待ってください! それはちょっと困ります!」
張り切る私を見て、侍女は慌てふためき、アレシュ様に助けを求める。
そんなにいけないことだったでしょうか……
私も同じようにアレシュ様を見る。
「わかった。俺が着替えと食事を持ってくる」
アレシュ様がそう言うと、侍女は顔色を変えた。
「い、いえ! そんなことをアレシュ様にさせるわけには……! 私どもがいたします!」
「いや。俺がやる。俺は一度従わなかった者に対して、同じ命令を下さない」
信用を失ったと感じた侍女は、呆然とその場に立ちつくす。
アレシュ様は怒らず、侍女に微笑み、優しい口調で言った。
「戻っていいぞ」
怒られるよりも、笑顔のほうがよほど堪える気がした。
「アレシュ様、待ってください。私の着替えや食事です。一緒に参ります」
「だが……」
「ちょうど王宮内を見て回りたいと思っていました。珍しいものばかりですし、昨晩のフルーツもとても美味しくて、後から、植えてみようと、種をとってあるんですよ!」
私の宝物となったフルーツの種を見せると、険しい顔をしていたアレシュ様が笑った。
「そんなにうまかったか?」
「ええ。オレンジの果肉、柔らかい白の果実……。甘くてジューシーで、私が育てた作物に、あれほど美味しいものはありませんでした!」
うっとりと両手を組み、昨晩の夜食を思い出す。
侍女は『思っていたのと違う』という顔をして、私を見る。
「わかった。だが、妻の寝間着姿を見られたくない。薄着すぎるからな。だから、王宮内を歩くのは許可できない」
たしかに寝間着で廊下を歩くのは、はしたない。
「残念です……。わかりました。今は厨房を覗くのは我慢いたします」
「今は!? 次は厨房にまで入るつもりですかっ?」
私のしょんぼりした姿に、侍女が激しく動揺していた。
「はい。できたら、庭にこの種を植えて、育てたいと思ってます!」
「な、なんのためにですか?」
「庭からフルーツがもげるんですよ? 素敵じゃないですか?」
――いつでも食べられて。
その言葉はさすがに皇女らしくないと思って、喉元まででかかったのを呑み込んだ。
「そうだな。部屋から珍しい果実を眺めたいのだろう? 庭師に植えさせよう」
「その時は私にもぜひお手伝いさせてください」
侍女は頬をひきつらせた。
「庭師の手伝いを? 帝国の皇女殿下がなさるとか……。偉そうだとか、無視されるって言われていた噂と大違い……」
侍女が私を見て、なにか言おうとした瞬間、扉をノックする音が聞こえた。
「遅くなり、申し訳ありません。私一人で用意したため、手間取ってしまいました」
長い黒髪に黒目の侍女が立っていて、青色の制服を着ている。
私と同じくらいの年齢の侍女は、とてもしっかりした雰囲気があった。
「ナタリー! あなた、水の宮の侍女でしょ!?」
緑色の制服が風の宮、青色の制服が水の宮というように、色で働く場所がわかるようになっているらしい。
ナタリーと呼ばれた侍女は淡々とした口調で答えた。
「シュテファン様から、お話を聞きました。アレシュ様が不届きな真似をし、毒の神から罰を受けたと」
「毒の神ですって?」
「レグヴラーナ帝国の第一皇女シルヴィエ様は、他国の人間でありながら、毒の神の加護を受ける尊き身だと聞いております」
「そんなの嘘よ! ドルトルージェ王家の人間以外で、神の加護を受けるなんてあり得ないわ!」
毒の神の加護を受けているのは間違いないけど、とても珍しいことらしく、誰も信じていないようだった。
――私の苦しまぎれの嘘と思われているようですね。
「私は自分が仕えるシュテファン様の言葉を信じております。風の宮の主、アレシュ様の言葉を信じられないのであれば、ここから去ってください」
ナタリーの黒い瞳が、冷たく光る。
その瞳に気圧されて、緑の制服を着た侍女は、泣き出した。
「主人を世話できない侍女は必要ありません」
問答無用で、ナタリーは風の宮の侍女を部屋から追い出した。
そして、何事もなかったという顔をして扉を閉めた。
「ナタリー、悪いな」
「いいえ。噂を聞いたシュテファン様が、私に風の宮へ手伝いに行くようお願いされました」
私の悪い噂が、王宮内に流れている。
シュテファン様の耳に届くほど、すでに知れ渡っているようだった。
「ナタリーさん、着替えを持ってきていただき、ありがとうございます」
「ナタリーと呼び捨てになさってください。シルヴィエ様は風の宮の女主人になられるのです。使用人に侮られず、うまく使ってくださいませ」
にこりともしないナタリーだったけど、私を心配してくれている。
私を気遣う人に出会えたことが嬉しい。
「そうですね。私は私のやり方で、みなさんと仲良くやっていくよう努力してみます」
ナタリーは深々と頭を下げた。
そして、廊下のワゴンには、洗顔用のボウルと水差し、着替え、私用のブラシや鏡などを運び入れた。
「支度が済むまで、部屋の外に出ていよう。ナタリー、頼んだぞ」
「お任せくださいませ」
アレシュ様が部屋の外へ出ると、ナタリーは手際よく私の髪をとかし、髪を結い上げる、
持ってきてくれたボウルの中のお湯には、ラベンダーが浮かべられ、紫の小花が可愛らしい。
「いい香りですね」
「こちらがドレスになります。いかがでしょうか」
「ありがとう。とても素敵だと思います」
ドレスは緑の生地に白いレースとリボン、髪飾りも緑で、手袋は薄いレース。
生地の厚い帝国のドレスとは違い、軽く風通しの良い生地で作られたドレスだった。
肌触りは柔らかく、窓から吹きこむ風が、スカートと髪をなびかせる。
「動きやすいですね」
「レグヴラーナに比べ、ドルトルージェは温暖な気候です。体を締め付けることのない軽い作りになっております」
「これなら、畑仕事も簡単にできます!」
「畑?」
ハッと我に返った。
――そうでした。うっかりいつものくせで、畑仕事をしようなんて、考えてしまいました。
でも、捨てがたい収穫の楽しみ。
それを使った料理の数々。
「皇女のたしなみとして、畑はどうでしょう?」
「聞いたことがございませんね。王宮専属の農夫や庭師がおります。なにか植えて欲しいものがあれば、彼らに命じてくださいませ」
真顔で返ってきた答えに、そうですねと小さくうなずいた。
「シルヴィエの着替えは終わったか?」
「あとは髪だけでございます」
ナタリーは緑のリボンを編みこみ、髪を結ぶ。
「まあ! ナタリー、ありがとう。とても上手なのね」
「侍女として、できて当たり前のことです」
ふわっとしたドレス、素敵な髪に、明るい日差し。
同じ世界のはずなのに、まるで光の中にいるように眩しい。
「……ありがとう」
鏡を見て。もう一度、お礼を口にする。
無表情だったナタリーが微笑んだ気がした。
そして、ナタリーもまた同じ言葉を繰り返した。
「侍女ですから、当然のことでございます」
さきほどより、柔らかな口調だった。
「シルヴィエ、よく似合っているな」
扉を開けて入ってきたアレシュ様の手には、お茶とパン、オムレツ、山のようなフルーツがあった。
銀の大きなトレイをテーブルに置く。
「緑のドレスか。ナタリー、気が利くな」
「アレシュ様の奥様になられた初日でございます。緑がよろしいかと思いました」
「色が決まっているのですね」
「これは、加護を受けた神々によって、色が決まる。火は赤、風は緑、水は青というように、神との繋がりを深め、力をより強めるためのものでもある」
神との繋がりを深め、力を強める――そんな意味があったとは思わなかった。
「ですから、王宮内の色は、そこに住まう王族がの加護を受けた神によって異なります」
それだけではなく、鳥のモチーフが多い気がした。
鳥のモチーフが噴水、柱、扉などに多く使われている。
こうすることで、アレシュ様が使う力が増幅されるということなのだとわかった。
「私を加護してくださっている毒の神様は、どちらにいるんですか?」
「今のところ、実体化したのは一度だけ。昨晩だけだ。ヴァルトルに追わせたが、途中で姿が消えた」
「そうですか……」
「がっかりしなくていい。神との繋がりを深める方法はたくさんある。そのうち、実体化できるようになるだろう」
姿は見えないけど、きっとそばにいるはずだった。
私を守っている毒の神は――
「差し出がましいことですが、おひとつだけ申し上げてよろしいでしょうか」
「ナタリー?」
アレシュ様ではなく、私のほうを見ていた。
私に関することだと気づき、アレシュ様はうなずいた。
「構わない。許す」
「はい。今回、アレシュ様が倒れたのは、わずかな者しか知りません。それなのに、一晩明けて噂が広まっているのはおかしいと感じました」
ナタリーは王宮内で働く侍女である。
日々、噂話を聞くことが多いはずで、その普段の噂と広まるスピードが違っていたと、言いたいらしい。
「つまり、誰かが故意的に噂を流したということか」
「あくまで、私の勘でございます。ただ気にかかったので、念のためご報告を」
「ナタリー。お前の勘では、誰が流したと思う?」
言いにくそうにしていたナタリーだったけれど、アレシュ様に隠す気はないらしく、あっさり教えてくれた。
「私の勘で、名前までは口にできません。ただ、アレシュ様は人気がありますから、シルヴィエ様を貶め、妃の座を狙う方は大勢いらっしゃいます。気を付けてくださいませ」
「……わかった」
ナタリーは深く頭を下げ、部屋から出ていった。
私が結婚した相手は、ドルトルージェ王国の第一王子で、お父様とラドヴァンお兄様が目障りだと思うほど優秀な方。
「俺のせいだな」
「いいえ。アレシュ様のせいではありません。私が妃として、ふさわしくないと思われたのでしょう」
帝国側の振る舞いを考えたら、そう思われて当然のこと。
お兄様たちが逃げた姿を見て、私がアレシュ様を殺そうとしたという噂も信憑性が増した。
まだ私はこの国に嫁いだばかり――
「これから、アレシュ様の妻として、認めていただけるよう頑張ります」
そして、帝国での扱いを思えば、少しも辛いと感じていなかったのだった。