岸田さんの前でルイの名前を出した途端、手首を掴まれ軽い内出血をしてしまい、バックヤードで手当をして貰うことになった。
本屋のバックヤードは、決して広いとは言えないが、沢山の本が積み重なっており、どこかひんやりしているように感じた。
突然のことでまだ理解できている訳では無いが、今の岸田さんを見ていると分かる。この人は決して悪い人では無いことを。
「ごめん…本当にごめん…」
「い、いえ…きっと僕が気に触ることをしてしまったせいです。僕の方こそすみませんでした…」
「…いや、だとしても大人気ないことをした。一先ず、これで冷やして様子を見ようか」
岸田さんは氷水の入った袋をタオルで覆った物を渡してくれた。 岸田さんの行動には迷いがなく、随分と手慣れている様子だ。
「…手当、慣れてますね」
「まぁ、昔怪我ばっかしてる奴が居たからね」
「そうなんですか」
この素早く適切な処置はそこからだと納得し、冷たいそれを患部に当てる。
「…それがルイなんだけどね」
僕から少しだけ離れたところに座っている岸田さんの表情はどこか寂しそうだった。
「あの…岸田さんとルイの関係って…」
また変に気に触らぬように注意しつつ、ずっと引っかかっていたことを訊いてみた。 何度かルイにも訊いてみたが、やはりハッキリとは答えてくれなかった。
「『ルイ』…呼び捨てなんだ。 僕的には、君との関係の方が気になるけどね」
「僕とルイは、普通に休み時間二人で話しているだけです」
どうしてこんなにもルイに突っかかってくるのだろうか。実は仲が悪いのでは?ルイの一方的な好意とか… いや、それは話の内容的に有り得ないか。
「え、二人で話す?ふはは、下手な冗談はよしてくれよ。もうルイは居ないのだから、そんなこと有り得ないだろ?」
「…はい?」
先程から僕と岸田さんの会話が上手く噛み合っていない気がする。 ルイはもう居ない…?何を言っているんだ。毎日ルイは隣で楽しそうに話をしているのに。
「…もしかして君…」
岸田さんは表情がコロコロと変わる人だ。眩しい程の笑顔を見せたり、突然険しい顔をしたり、ルイ以上に読めない人物かもしれない。 岸田さんが何かを口にしようとした時、もう一人の店員がカウンターから顔を覗かせた。
「岸田くん!もう少しで時間だから、もう上がっちゃっていいよ」
「店長!いやでも、 あと15分くらいあるので…」
「あー、大丈夫大丈夫!お客さんも落ち着いてるし、俺一人でいけるから!そういうことで、おつかれー」
「あ、お疲れ様です…!」
岸田さんが店長と称する男性は、黒縁メガネを掛けており、髪は短く爽やかな印象。とても優しそうな顔をしていた。
「…じゃあ、続きは僕がよく通ってるお店で話そうか」
「は、はい」
本屋を出た僕たちは今、落ち着いた音楽が流れている喫茶店の二人用席に腰掛けている。
「……」「……」
会話が無くすごく気まずい。 ここは僕から切り出すべきなのか?それとも岸田さんからを待つべきなのか…。 とりあえず岸田さんのお言葉に甘えてドリンクは注文したものの、何を話せばいいのか分からない。
「君の名前、そういえば聞いてなかったよね」
「あ、成瀬旬です」
「旬くんか。いい名前だね」
「あ、ありがとうございます…」
どことなく気まずい雰囲気から抜け出せない。 ここの喫茶店がルイの言っていたバイト終わりに来ていた場所なのだろうか。 雰囲気もよくて、客層も落ち着いており心地のいいお店だ。
「旬くんはルイのことどこまで知ってる?」
「どこまで…えと…」
こう言われると、僕はルイのことを何も知らないのかもしれない。 本当の友達ならば、スラスラと説明できる筈なのだが。 目を泳がせ黙り込んでいると、岸田さんは静かにカフェラテを口に運んだ後、何かを察したのか口を開いた。
「答えにくい質問しちゃったね。忘れて」
彼は優しい声でそう言い、黙りこくっている僕を見兼ねたのか質問を取り消した。変に気を遣わせてしまったと申し訳なくなる。
「ルイと知り合いかぁ。振り回されて苦労してるでしょ」
「そこまででは…。岸田さんの前ではどんな様子だったんですか?」
「そうだな… 一言で表すとしたら人気者…とか?」
「人気者…」
確かに人当たりがよく明るいルイには"人気者"という言葉がしっくりくると納得する。しかし、僕以外の誰かと一緒に居るところを見たことが無い。
「ところで、さっき言ってたルイから預かってる物って…」
「えと、ルイから岸田さんへの贈り物を預かったんです」
「ルイから僕へ…?」
僕は自分の鞄からメモ帳を取り出し、挟み込んでいた栞を抜き出しそのまま岸田さんの目の前へそっと置いた。
「ひまわりの…栞?」
「この栞を用意したのは夏だったそうです。しかし、理由は分かりませんが、岸田さんに渡せず仕舞いだったと、本人が言っていました」
「そっか、僕のせいで迷惑かけたね。態々ありがとう」
岸田さんが優しく微笑む。 その笑顔は全てを包み込むかのように暖かく、安心感を与えてくれる。
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