喫茶桜の扉が閉じられると同時に
世界が静寂に包まれた。
まるで音そのものが存在しないような
深い沈黙。
ティアナが発動した結界は
空間ごと外界との〝干渉〟を遮断する。
音も衝撃も
光さえも屈折させるその結界の内側で
喫茶桜は〝異空間の静寂〟に浸っていた。
リビングのソファーでは
アリアがいつも通りの所作で
ティアナを膝に抱き
紅茶のカップを唇に運ぶ。
その瞳には焦りも驚きもない。
まるで
すべてを知っていたかのような──
静けさの中にある。
青龍は床に膝をつき、アリアの傍らに控え
そっと山吹色の瞳を伏せた。
⸻
外。
静かな夜風が吹き抜ける丘の上。
地鳴りと共に
その景色は〝非日常〟へと一変していた。
喫茶桜を囲むように
戦車が並び、兵士が配置につき
上空には編隊を組んだヘリが巡回していた。
「⋯⋯⋯⋯っは」
ソーレンが
口の端に煙草を咥えたまま
ぽつりと笑った。
そして煙を吐き出すように
小さく息を漏らす。
「なんつーか⋯⋯
物量ってのは、いつ見ても芸術だな」
目の前に展開されたのは
精鋭構成の大隊。
コンクリートを擦るような
轟音を響かせて進むのは
主力戦車と思われる車両。
その砲身が此方へと向けられている事に
恐怖よりも感嘆を覚える。
「時也、レイチェル。あれ見ろ」
ソーレンは指を上げ、一つずつ
指先で指し示す。
「右奥にいるのが、たぶん指揮車両。
前線の情報は全部あそこに集まる。
前に出てるのがIFVだな。
搭載火器は⋯⋯あー、20ミリくらいか?
歩兵を中に乗せて、ガンガン進めるヤツ」
「う、うわ⋯⋯映画みたい⋯⋯」
レイチェルが
呆然とした目でその機体を見上げた。
「上空のは、UH-60系統っぽいけど
装備が違う。
ミサイル積んでるし⋯⋯
たぶん
ヘリ自体に火力支援の指示権が降りてるな。
⋯⋯これはガチで、戦争の景色だ」
一方の時也は──というと
少し眉を顰め困惑の表情を浮かべていた。
「⋯⋯あの⋯⋯その、いわゆる
戦車というものの、どこがどう⋯⋯?」
「⋯⋯出た!時也さんの機械音痴⋯⋯」
レイチェルが呆れたように笑う。
「えっと⋯⋯
アレが車輪で、上のデカい筒が砲身で
あっ、いいや。説明になってない。
ソーレン、お願い!」
ソーレンは煙草を噛んだまま
くく、と笑うと
時也の肩を軽く叩いた。
「なあに、気にすんな。
知らなくても、壊しゃ済む」
「ふふ⋯⋯その言葉、安心しますね」
静かに笑った時也の瞳は
戦車を正面から見据えていた。
数は多い。
武器も、整っている。
あの火力が全て
アリアを狙っているとすれば
これはもう⋯⋯
一つの国家が敵になったも同然。
だが──
「アリアさんを狙うには
これでも⋯⋯足りませんね?」
「だな」
「うん、全然足りない。
アリアさんを狙うって⋯⋯
そういうことでしょ?」
三人は、無意識に微笑んだ。
「レイチェル!お前は最初は俺!
数が減ってきたら時也になれ!」
ソーレンの怒号に
レイチェルが跳ねるように頷いた。
「おっけー!」
「絶対、最初から時也になるなよ?
あいつ機械音痴すぎて
擬態しても迷う羽目になるだろ」
その一言に、時也が肩を震わせた。
「⋯⋯失礼ですね。
僕だってそれなりに努力はしているんです」
「そりゃ、知ってる。
けど努力とセンスは別だろ?」
図星を突かれ
時也はふっと諦めたように笑った。
煙草を噛みしめたソーレンが
先に一歩、戦場へと足を踏み出す。
そして、戦端は開かれた──
第一波──
機動歩兵部隊の突撃。
装甲車両のハッチが開き
武装した兵士たちが飛び出してくる。
各小隊はすでに散開。
火器はCAR-16カービンライフル
LMG-24軽機関銃
一部は榴弾発射装置付きの
グレネードランチャーを携え
喫茶桜の建物外周を中心に
〝制圧戦〟を始める構えだ。
「前衛展開、中央制圧
上空は掃射で封鎖────撃てッ!」
指揮官の命令で一斉に火線が走った。
耳を裂く銃声と爆発音が
丘の静寂を切り裂く。
その中心──
そこに立っていたのは、たった三人。
その前に、蔓が伸びた。
地面の下から植物の根がうねり
まるで生き物のように
装甲車の車輪と履帯を絡めとっていく。
金属が軋み、油が唸り、車体が止まる。
「な、なんだ!?下から!?
生えてる──ッ!?」
時也の両手は袖の中、指一本動かさずとも
足元から這い出した植物たちが
無慈悲に車体を持ち上げる。
だが
彼はその車両のどこが致命部なのか分からず
あくまで
〝止める〟ことだけに徹していた。
「⋯⋯とりあえず、動かなければ
問題はないはず⋯⋯ですよね?」
その言葉と同時、桜の花弁が舞い上がる。
数千枚の刃と化した花弁が
兵士たちの銃弾を逸らす防壁と化していた。
「はああ!?なんだこの花!見えねぇ!
撃て、撃てぇぇ!」
第二波──
上空からの掃射とミサイル投下。
AH-9重武装ヘリが
旋回しながら上空を制圧。
ミサイルポッドが開き
熱線を感知しながらロックオンを開始。
だが。
「──落ちろ」
その一言と同時に、重力が変わった。
ソーレンの瞳が細まり、両手を斜めに切る。
空中にいたヘリが揺れたように見えた瞬間
まるで糸が切れたマリオネットのように
真っ逆さまに落ちていく。
「回避不能!?
う、浮力が⋯⋯制御が⋯⋯!」
パイロットの絶叫が、衝撃と共に潰える。
地面からは衝撃が走り、破片が宙に飛んだ。
地上では
レイチェルがソーレンの姿に擬態していた。
見た目、体格
そして思考までも完全にコピー。
その口元には、あの獣のような笑み。
だが、擬態の異能能力は半分。
制御しきれない暴力性は
むしろ原型よりも荒々しく爆ぜていた。
彼女は一歩、砲火の中へと進むと
目の前にあった主力戦車に手をかざす。
「俺にとっちゃ、こんなの折り紙だな?」
返答を待つ間もなく、空間が歪んだ。
車体の装甲が
〝外側から内側へ〟折り畳まれていく。
圧潰、圧潰、圧潰。
紙のように簡単に潰れていく
戦車の内部からは 誰かの絶叫が響く。
それはまるで
〝鉄の檻の中で神に祈る声〟のように
響いていた。
戦車兵たちは逃げられない。
鋼鉄に閉ざされた空間の中
この世の理から逸脱した力に
手も足も出ず
ただ祈ることしかできなかった。
「く⋯来るな、来るなぁ──っ!」
前線は既に崩壊し始めていた。
兵士たちは状況を理解できない。
訓練も知識も
この現実を説明できる言葉を持たない。
上官は命令を繰り返すが
視線は泳ぎ、呼吸は浅くなっていく。
「奴らは三人だ!三人だけだ!
怯むな、包囲を強化しろ!!」
だがその声も
大地をうねる蔓に喉を掴まれ
上空からはヘリの残骸が落ち
戦車の車体が紙のように折れ
その全てが
〝理解不能の敵〟によって
起こっている事にやがて気付いていく。
兵士たちは銃を握りしめながらも
祈るように呟く。
「⋯⋯これは、夢だ。夢なんだ⋯⋯」
だがそれは
何よりの敗北の言葉だった。
遠くの高台から
双眼鏡を覗いていた男の口元が
静かに歪む。
アラインは眼下に展開される惨状を
まるでオペラの終幕を見届けるような
陶酔の中で見つめていた。
「⋯⋯ふふ。
ねぇ⋯⋯〝崩壊〟って言葉
こんなにも、美しい響きだったかな?」
重厚な戦力は
三人の異能により崩れていく。
だが
それこそがアラインの狙いだった。
勝たずともいい。
壊せずともいい。
ただ、
〝異能の力を持つ者たち〟に
ほんの少しの〝疲れ〟を
刻むことができれば──
それで、十分だった。
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激戦の果てに残されたのは、静かな疲弊。 撤退していく敵の背後に漂う、不可解な違和感。 仕組まれた戦場、見透かされた力── 踊らされた三人が、なおも闇の向こうを睨む。