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目黒と暮らし始めてから。
阿部の毎日は、少しずつ変わっていった。
最初は。
ただの恩人だった。
行く場所のなかった自分を拾って。
温かいご飯を食べさせて。
眠る場所をくれた人。
それだけだったはずなのに。
「ただいま。」
玄関から目黒の声が聞こえると、自然に嬉しくなるようになった。
「おかえり、めめ。」
そう言うと。
目黒は必ず笑う。
「ただいま、あべちゃん。」
その笑顔が好きだった。
三日に一度くらいしか一日一緒にいられないから。
目黒が家にいる日は、朝から少し嬉しい。
一緒に料理をして。
くだらない話をして。
ソファで映画を見て。
いつの間にか眠ってしまうと、毛布が掛けられている。
そんな日々を重ねるうちに。
阿部は。
目黒に惹かれていった。
たぶん。
もう随分前から。
好きだった。
でも。
その気持ちが大きくなるほど。
同じくらい。
罪悪感も大きくなっていった。
目黒は。
何も求めない。
家賃も。
食費も。
病院代も。
最初に買ってくれた服やスマホのお金だって。
何度返すと言っても。
「じゃあ、そのうちね。」
そうやって笑うだけ。
阿部が家事をすれば喜ぶけれど。
できなかったからといって、何も言わない。
むしろ。
「今日は休んでなよ。」
と言われる。
自分は。
目黒からもらってばかりだった。
仕事。
家。
安心できる場所。
優しさ。
そして。
好きな人と暮らせる幸せまで。
それなのに。
自分は目黒に。
何を返せているのだろう。
何もない。
(……俺、ずるいな。)
一人の時。
時々。
そんなことを考えるようになった。
___________
その日は。
珍しく二人で出かけていた。
阿部の痣もほとんど消えて。
外を歩くことへの恐怖も少しずつ薄くなっていた。
「次どこ行く?」
目黒が聞く。
「もう帰ってもいいよ。」
「まだ早くない?」
「めめ明日仕事でしょ。」
「午後から。」
「じゃあ……。」
阿部が笑う。
「どっかで甘いもの食べたい。」
「いいね。」
何でもない。
普通の会話だった。
こんな日が。
ずっと続けばいい。
そう思った。
その時。
「……おい。」
聞き覚えのある声。
身体が。
一瞬で動かなくなった。
「……。」
振り返れない。
息ができない。
忘れたことなんてなかった。
「やっと見つけた。」
その声だけで。
過去が全部戻ってくる。
「……あべちゃん?」
目黒が異変に気付く。
阿部の顔から血の気が引いていた。
「めめ……。」
震える声。
それだけで。
目黒は察した。
阿部を自分の後ろへ隠す。
「もしかして。」
目黒が男を見る。
「元彼?」
「お前誰だよ。」
「今、あべちゃんと暮らしてる人。」
その言葉に。
男の表情が変わった。
「は?」
「帰ってください。」
「お前に関係ねえだろ!」
大声。
阿部の肩が跳ねる。
目黒が振り返った。
「あべちゃん、大丈夫。」
「……。」
「俺の後ろにいて。」
優しい声。
いつもの目黒。
だから。
少しだけ呼吸ができた。
けれど。
次の瞬間。
男が取り出したものを見て。
阿部の心臓が止まりそうになった。
「……めめ!」
ナイフ。
そこからは。
一瞬だった。
男が暴れて。
周囲から悲鳴が上がる。
目黒が阿部を庇う。
「めめ!」
誰かが警察を呼んで。
男は取り押さえられた。
そして。
ようやく終わった時。
目黒の服には。
血が滲んでいた。
「……。」
阿部は。
その赤い色から目を離せなかった。
「めめ……?」
「大丈夫。」
「嘘……。」
「これくらい。」
「血……。」
「あべちゃん。」
目黒は。
怪我をした自分より。
震えている阿部を心配していた。
「もう大丈夫だから。」
そう言って。
阿部の頭を撫でた。
その手が。
あまりにも優しくて。
阿部は胸が張り裂けそうだった。
___________
元彼は逮捕された。
目黒の怪我も。
命に関わるようなものではなかった。
それでも、阿部には十分だった。
自分のせいで。
目黒が傷ついた。
家に帰ってからも。
目黒はいつも通りだった。
「あべちゃん。」
「……何?」
「そんな顔しないで。」
「……。」
「俺、本当に大丈夫だから。」
「うん。」
「あべちゃんのせいじゃないよ。」
「……うん。」
そう答えた。
でも。
阿部は一度も。
目黒の顔をまともに見られなかった。
夜。
目黒が眠ったあと。
阿部は一人で起きた。
暗い部屋。
静かに。
最低限のものだけをバッグへ入れた。
目黒に買ってもらった服。
数着だけ。
スマホは。
しばらく握って。
置いていった。
これまでにもらったものを全部返すなんて、できない。
何を返したって。
目黒からもらった優しさは。
返せないから。
「……ごめんね。」
声にすると。
涙が落ちた。
行きたくない。
ここにいたい。
明日の朝も。
目黒におはようと言いたい。
仕事から帰ってきたら。
おかえりと言いたい。
また一緒に料理がしたい。
ソファで隣に座りたい。
もっと。
一緒にいたかった。
それでも。
今日。
目黒が血を流している姿を見た。
次は。
もっと酷いことになるかもしれない。
自分がそばにいることで。
目黒の人生まで壊してしまうかもしれない。
「……そんなの嫌だよ。」
好きだから。
これ以上。
迷惑をかけたくなかった。
阿部はテーブルの前に座った。
紙を一枚。
ペンを一本。
長い手紙を書こうと思った。
伝えたいことは。
いくらでもあった。
拾ってくれてありがとう。
助けてくれてありがとう。
病院に連れて行ってくれて。
服を買ってくれて。
スマホをくれて。
家に置いてくれて。
毎日。
優しくしてくれて。
好きになってしまったことも。
本当は。
書きたかった。
でも。
書いたら。
行けなくなる。
だから。
短くした。
めめへ
今まで本当にありがとう。
めめと暮らせて幸せだった。
これ以上迷惑をかけたくないから、家を出ます。
怪我、早く治してね。
本当にごめんなさい。
最後まで。
好きとは。
書けなかった。
書いたら。
きっと。
戻りたくなるから。
___________
バッグを持つ。
玄関へ向かう。
靴を履いて。
ドアノブへ手をかけた。
そこで。
動けなくなった。
初めてここへ来た日。
目黒が言った。
『一緒に住むんだから、あべちゃんが使いやすい方がいいでしょ。』
あの時は。
変な人だと思った。
でも。
いつの間にか。
ここは。
阿部にとって。
家になっていた。
「……っ。」
声を殺して泣いた。
本当は行きたくない。
目黒と離れたくない。
目黒が好き。
それでも。
阿部はドアを開けた。
「……ありがとう、めめ。」
小さく呟く。
そして。
静かにドアを閉めた。
___________
翌朝。
目黒が目を覚ます。
いつもの時間。
リビングへ行っても。
「おはよう。」
その声が。
聞こえない。
「あべちゃん?」
返事はない。
代わりに。
テーブルの上。
一枚の紙。
目黒は手に取った。
読み終わる。
しばらく。
動かなかった。
やがて。
怪我をした身体のことなど忘れたように。
玄関へ向かう。
「あべちゃん……。」
目黒には。
阿部が勘違いしていることが分かっていた。
迷惑だったことなんて。
一度もない。
怪我をしたことより。
阿部がいなくなったことの方が。
ずっと痛かった。
そして。
手紙の中にあった。
たった一文。
『めめと暮らせて幸せだった。』
目黒はそれを握り締めた。
コメント
1件
うわ……もう、胸が苦しくなりました。阿部が「好きだからこそ離れる」って選択をするところ、すごく切なかったです。手紙に「好き」と書けなかったのも、書いたら戻りたくなるから、っていうのが本当に阿部らしくて。それに、目黒が怪我より「いなくなったこと」のほうが痛いって思ってるのが伝わってきて…二人とも優しすぎてもどかしい。続き、どうなってしまうんだろう…。
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kaede🍁
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