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《NASA本部/PDCO・作戦会議室》
大型スクリーン一面に、
青い地球と、細い線で描かれたオメガの軌道。
その途中に、ごく小さな点——アストレアA。
担当官がレーザーポインターで示す。
「現時点でのシミュレーション結果です。
オメガの直径は約220メートル。
アストレアAの衝突によって与えられるΔv(デルタ・ブイ)、
つまり“速度の変化量”は、およそ数ミリ毎秒。」
テーブルの端で、
アンナ・ロウエルが腕を組む。
「たった数ミリ毎秒。
でも、地球までの距離を考えれば——」
担当官が頷く。
「衝突までの時間スケールでは、
“地球の半径数個分”のズレになり得ます。
もちろん、うまくいけば、ですが。」
スクリーンは切り替わる。
白い円の中に、
小さな楕円が重なっている図。
「これは“bプレーン”上の誤差楕円です。
衝突の瞬間を横から見た平面だと思ってください。」
「中央の×印が、
“今の計算どおりに進んだ場合のオメガの位置”。
その周りの楕円が“不確実性”です。」
アンナが手を挙げる。
「JAXA側のデータは反映済み?」
「はい。
美星スペースガードセンターの追観測、
JAXA/ISASの軌道解も取り込んでいます。
誤差楕円は、二日前より一段階“締まった”状態です。」
画面の端には、小さな数字が並ぶ。
<成功確率: 62~74%(シナリオ依存)>
<過剰な破砕リスク: 5~10%>
国防総省の代表が口を挟む。
「“過剰な破砕リスク”とは?」
アンナが答える。
「簡単に言えば、
“殴り方を間違えると
オメガがバラバラに割れすぎて、
かえって危険になる可能性”です。」
「大きな岩が一個なら、
避難範囲は絞れる。
でも、小さな破片が大量にばらまかれたら……
“一つひとつの被害は小さくても、
世界中に降り注ぐかもしれない”。」
室内が、
わずかに静まりかえる。
アンナは続けた。
「だから、私たちは“殴り方”を選んでいる。
“どれくらいの力で、どの角度から殴れば、
一番マシな未来に転ぶか”っていう
やりたくない計算をね。」
ルース大統領から預かったメッセージが、
端末に一行だけ表示される。
<政治的にはもう後戻りはできない。
数字を、少しでもマシな方に寄せてくれ。>
数字の向こう側に、
何億人分の生活があることを、
この部屋にいる全員が理解していた。
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンスチーム室》
壁一面に貼られたタイムライン。
<Day62 最終シミュレーションセットアップ>とマーカーで書かれている。
白鳥レイナが、
前方のスクリーンに映ったグラフを指し示した。
「じゃあ、最終確認。
モンテカルロ計算、
一万ケース分の結果よ。」
若手職員が小声で呟く。
「“モンテカルロ”って、
ギャンブルの街の名前ですよね。」
レイナが苦笑する。
「そう。
“サイコロを振る計算”って覚えておけばいい。」
「オメガの密度、形、
アストレアAの衝突角度や速度に
少しずつバラつきを持たせて、
一万通りの“もしも”を試した結果——」
グラフには、
“軌道変更量”の分布が山の形をして並んでいる。
「真ん中あたりが、
私たちが“狙っている未来”。」
「端っこの、
“あまり起きてほしくない未来”では、
さっきNASAから説明があったような
“過剰な破砕”も少し出てくる。」
若手が顔をしかめる。
「“少し”って、
どれくらいですか。」
「数%。
……ゼロじゃない。」
部屋に重い空気が落ちる。
レイナは、
わざと少しくだけた口調に切り替えた。
「でもね、
“何もしない”って選択肢は、
そもそもここには並んでないの。」
「“何もしない”未来は、
モンテカルロの外側。
“全滅エリア”よ。」
「その外側と比べれば、
このグラフの中は
まだ“選ぶ余地がある世界”だと私は思ってる。」
若手の一人が、
ペンを握り直した。
「俺たちの仕事って、
結局“いいほうのサイコロを振る準備”なんですね。」
「そういうこと。」
レイナは微笑む。
「どうせサイコロを振らなきゃいけないなら、
振る前に出来ることは全部やる。
それがプラネタリーディフェンス。」
《黎明教団・信者専用オンラインチャット》
<【連絡】アストレアA打ち上げ当日の祈りの計画について>
固定メッセージが上部に表示されている。
<種子島宇宙センター前 集会:
現地参加予定 30~50名(見込み)>
<JAXA/ISAS 相模原:
“光の列”計画。
仕事帰りに1時間だけ参加も歓迎>
<アメリカ大使館前:
英語プラカード作成準備中>
コメント欄には、
不安と期待が入り混じる書き込み。
<仕事を休めないけど、夜だけでも行きたい>
<子どもを連れていくのは危ないかな>
<“暴力はダメ”ってセラ様も言ってたし、平和的にやろう>
その中に、
少しトーンの違うメッセージが紛れる。
<“平和的”だけで本当に止まると思う?>
<アストレアAの打ち上げって、
ロケット点火の何時間前から
準備するんだろう>
<“前に立つ”なら、
本当に“前”じゃないと意味なくない?>
数秒の沈黙のあと、
別のアカウントが返信する。
<詳しいことは、
“もっと深い部屋”で話したほうがいい。>
<ここは見られてるかもしれないから。>
画面の向こうで、
小さなグループが
さらに小さな“密室”に分かれていく。
《警視庁・会議室》
モニターには、
黎明教団関連の書き込みの一部が
モザイク付きで表示されている。
担当警部が説明する。
「“暴力は否定する”というメッセージが
表向きには繰り返されています。」
「しかし一部で、
“もっと深い部屋”と呼ばれる
クローズドなチャットルームへの誘導が
急に増えている。」
別の捜査官が補足する。
「打ち上げ基地周辺の地理を
詳しく質問するやり取りもあり、
“ロケットの前に立つ”という表現が
繰り返し出てきています。」
警部は腕を組んだ。
「現時点で、
“直ちにテロ準備”とまでは断定できない。」
「だが、
ロケット発射施設への侵入を試みる動きがあれば、
それは“単なる集会”のラインを越える。」
「種子島、相模原、
そしてアメリカ大使館周辺——
それぞれの所轄と綿密に連携を。」
彼は、
画面の隅に映る“ロケットのCG”を
しばらくじっと見つめた。
(これを守るために
どれだけの人と物を動かすのか——
そして、それを見て“弾圧だ”と言う人間も
必ず出てくる。)
(オメガと戦う前に、
“言葉の戦争”だけで手一杯だな。)
《総理官邸・執務室・深夜》
窓の外は、
霞が関の灯りがまばらに残るだけ。
サクラは、
机の上の資料をめくっていた。
<アストレアA最終シミュレーション報告>
<プラネタリーディフェンス国際枠組み IAWN/SMPAG 連携状況>
<国内治安・宗教団体動向>
報告の中に、
小さな一文があった。
『成功確率は六~七割。
ただし“何もしない場合”と比べれば、
その六~七割は
“まだ希望が残る側”に偏っている。』
白鳥レイナのコメントだ。
(“希望が残る側”。
なんてギリギリな言葉なんだろう。)
サクラは、
目を閉じて深く息を吸った。
(国としては
“やる”と決めた。
ルースも、他の首脳も。)
(そのうえで、
私は国民に
“六~七割の希望に賭けてください”って
言うことになる。)
誰かの声が頭の中でささやく。
——それでも、
“何もしないで終わる”よりいいのか?
サクラは、
静かに目を開けた。
「……“いいかどうか”じゃない。」
誰もいない部屋で、
独り言のように呟く。
「“それしか残ってない時に、
どうするか”の話なんだ。」
それが、
この夜の小さな決意だった。
その日も、
オメガの軌道は変わらない。
変わり続けるのは、
数字と、
シミュレーションと、
人々の心のありよう。
成功率六~七割。
残り三~四割には、
まだ名前のついていない未来が詰まっている。
アストレアA打ち上げまで、
あと七日。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.