この夜明けにあなたと。

高校二年になって三回目の席替え

くじ引きが終わって、少しわくわくしながら新しい席に移動したのも束の間。

だるそうに隣の席に腰を下ろした男子を視界の端で確認した私は、心の中で「げ、最悪」と顔をしかめる。

本当に最悪だ。ついてない。まさかこいつが隣になるなんて。

私はげんなりしながらマスクをつまんで引き上げた。それでもそいつは、私の絶望など知るはずもなく、いつもの飄々としか表情で窓の外を見ている

「おっ、後ろ颯太か」

彼の前の席になった男子が、振り向いて嬉しそうに言うのが聞こえた。こんな最低人間なんかと近い席になって何が嬉しいんだか

「おー、よろしくな、涼太」

にやにやしながら答えた彼の名前は、

深川颯太

私が世界で1番大嫌いな男だ。

これからしばらくこいつの顔を見たり聞いたりしながら学校生活を送らなきゃいけないなんて、考えただけで気が重い。

自然とため息が出そうになるのを、私は必死にこ堪えた。

これからの日々に思いを馳せて暗い気分になっていると、颯太とは反対側の右隣に人が経つ気配を感じた。

「わぁ、茜の近くだ。嬉しいな」

人懐っこい笑顔で私に声をかけてきたのは、今年初めて同じクラスになって話すようになった沙耶香だ。

私はマスクの紐をいじりながら笑顔を浮かべ、

「ね、嬉しい。よろしくね」

と答えた。マスクの中で自分の声がくぐもって消えていく。

「あ、茜のおとなり、颯太なんだ。うるさくなりそうだね」

私の左側に颯太の席がある事に気づいた沙耶香がそう声を上げた。

うるさくなりそう、なんて言いながらも、どこか嬉しそうな声の色は隠せていない

沙耶香までこいつに騙されてる、と私は不愉快になったけれど、顔に出さずそっと心の中に閉まった。

「なに、俺の話してる？」

ふいに左から声がした。

こちらに向けられたその声を聞いただけで、心臓がばくばくと早鐘を打ち始める。

私はマスクの中でひっそり深呼吸をして、それからゆっくりと振り向いた。

もちろん、笑顔を貼り付けたまま。でも、とっさに言葉を出すことができなくてかたまってしまう。

「あっ、聞こえちゃったー？」

沙耶香が笑いを含んだ声で言うと、颯太は、

「聞こえるわ、バーカ」

と返した。

私もなにか言わなきゃ。じゃないと、変に思われる。

焦りが気持ちを急かし、反射的に口を開く。

「・・・颯太が隣だと、うるさくなりそうだね、って言ってたの」

なんとか声を出したけれど、不自然な言い方に聞こえていないか不安だった。

沙耶香を見ていた颯太の視線がすっと流れて、切れ長の瞳が私を見る。

真っすぐに目が合った

なんの感情も感じられない、静かな瞳。

硝子玉みたいに透明な瞳。

それなのに、不思議と責められているような気がしてしまう。

居心地の悪さに笑みを形作っていたくちもとが歪むのを自覚する。

マスクをしていてよかったと心底思った。

思わず、逃げるように視線をそらすと、

「うるせぇ」

と不機嫌さを隠せない冷たい声が聞こえてきた

「俺だって茜の隣なんか嫌だっつうの。視界に入ってくると不愉快だ」

しん、と空気が凍った

颯太の言葉は遠慮のかけらもない声量で吐かれたから、新しい席にはしゃいでる教室の中でも、はっきりと聞き取れた。

ほとんどの人にはその内容まで確実に聞こえているはずだ

どくっ、と心臓が嫌な音を立てる。

急激に上がる体感温度、激しく脈打つ音、額にじわりと汗がにじむ感覚。

私はそれらを決して表情にも仕草にも出さないように、全力で気を張りつめた。

颯太の言葉を聞いていっしゅん、沈黙した沙耶香が、唐突に「もう！」と明るい声をあげた

「まーた颯太ってばそんなこと言って！ほんとは茜の隣で嬉しいくせに。照れてるんでしょ、どうせ」

「颯太はガキだからな。女子と隣とか恥ずかしいんだよな」

亮太がからかうような口調で言い、颯太の肩を叩く。

すると颯太はむっとしたように顔をしかめた。

「は？んなわけねえだろ。照れてるとか恥ずかしいとか、あるわけねえじゃん」

沙耶香と亮太が作ってくれた空気が、一瞬にして、元通りの張りつめたものになった。

それに気づいているのかいないのか、颯太はただ真っすぐに私を見る。

窓から差し込む正午過ぎの明るい光を背に向けて、ぎろりとこちらを見る颯太は、私に威圧感を感じさせた。

マスクを引きあげて、これからやって来るであろう衝撃に備える。

「俺は本気で嫌なんだよ」

真顔でそう言いながら、颯太は人差し指を立てて私に向けた。

「茜の顔見るのが」

心の準備をいくらしていても、颯太の言葉は私の心にぐさりと突き刺さった。

でも、私はマスクから出た目を細め、笑みを作る。

「あははっ。なにそれ、むかつくー。冗談きつーい」

なんとか思い通りに笑いを声ににじませながら、私は颯太に言葉を返した。

どこかぎこちない顔つきでこちらの様子を窺っていたクラスメートたちは、私が笑って言い返したのを見て、ほっとしたように自分たちの会話へ戻っていく。

颯太は眉をよせて私を見ている。

そらから小さく舌打ちをして、

「うぜえ」

と吐きすてると、唐突に席を立った。

そのまま教室から出ていこうとするので、担任が気づいて、

「おい、深川。勝手に出るなよ」

と声をかける。颯太は振り向きもせずに、

「便所！」

と叫びかえして、乱暴に扉を開けて廊下へと出ていった。

教室の空気がふっと緩むのがわかった。

見るともなく私を見る視線が集まってくるのを自覚する。

私はみんなからの注目を全身の肌で感じながら、マスクを押えて、

「ほんと颯太って口悪いよねー、最悪」

と沙耶香に笑いかけた。

すると彼女は小さく微笑み、私の肩をぽんっとたたくと、無言のまま自分の席についた。

亮太からは「気にすんなよ、茜」と声をかけられた。

その瞬間、かっと頭に血が昇った。

なんなのよ、むかつく

そんな、慰めるようなことしないでよ。

私が傷ついたみたいになるじゃない。

私が颯太に傷付けられたみないになるじゃない。

やめてよね、本当。

さらっと笑って受け流してくれればいいのに。

不満と怒りがいっきに溢れ出したけれど、

そんな感情を吐き出す出口など私の体にはついてない。

だから私はうつむいた。

胸元に当たったマスクがずりあがり、

目のすぐ下まで覆いかくすのを感じた。

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颯太とは高二になって同じクラスになり、今年の四月なはじめて言葉を交わした。

と言っても、去年は隣のクラスで、体育の授業は合同だったし、数学の能力別授業では同じクラスだったので、なんとなく顔見知りではあった。

でも、まあ、それがなくても、彼はとても目立つ存在だから、噂くらいは聞いたことがあっただろう。

颯太は、同学年の全員に、たぶん他の学年のほとんどの生徒にも、顔と名前を知られていると思う。

その理由は、三つ。

まず。見た目だ。彼はとても目立つ容姿をしている。

どこか中性的な、整ったきれいな顔立ち。

すらりとした細身で背が高いので、立っているだけでも人目を引く。

そしてなにより、その髪色。

脱色でもしているのか、ほとんど白といってもいい銀髪をしているのだ。

真っ黒な頭ばかりの中で、その髪は異様なほど目立っていた。

うちの高校は進学校で、もともと真面目な生徒が多いので、生徒指導はあまり厳しくない。

そのせいか颯太は、こんな派手な髪色をしているのに、とくに先生たちから注意されたりはしていないらしい。

次に、その性格と振るまい。

彼はかなり変わった性格をしていて、その振るまいは常識からかけ離れている。

私はそれを勝手に、感情と行動が直結していると表現しているのだけれど、彼はとにかく、思ったことはすぐに言葉にするし、行動に移す。

たとえばそれが人に不愉快な思いをさせるようなものであっても。

大人しい生徒が多いこの学校で、颯太の自由奔放な言動は、常にみんなの注目を集めていた。

そして三つ目。

颯太はどうやら、見た目に似合わず、絵が上手いらしい。

中学の頃から、いくつもの賞を受賞しているという。

ついこの間も、なにかのコンクールでけっこう上位の賞をもらったとかで、全校集会で表彰されていた。

そういうわけで、彼はなにもしていなくても目立つ上に、人目にさらされる機会も多くて、とにかく有名だった。

そのせいだろう、クラスでも颯太はどこか特別扱いをされていて、みんなから一目置かれていて、誰もが彼の言動に注目しているのだ。

あんなにいやなやつなのに。

みんな、どうかしてる。

私はあんな傍若無人で無神経なやつ、大嫌いだ。

それなのにどうしてみんな、あいつを普通に受け入れているんだか。

いまいましさに舌打ちでもしてやりたい気分だったけれど、私はそれを顔に出すことはなかった。

だって私は “優等生” だから。

「丹羽、これ頼むな。六限のやつ」

昼休みの時間、呼び出されて職員室へ行くと、担任からプリントを渡された。

私はいつものように笑顔で「はい」と答える。

この先生が、学級委員長としての私に大きな信頼を寄せているのは、言葉の端々から伝わってきた。

努力の賜物だと思う。

私は真面目な生徒で、勉強は抜かりなくきちんとやるし、だからといってガリ勉な一匹狼でもなく、他の生徒とのコミュニケーションも欠かさない。

行事にも積極的に参加して、みんなと交流を深めている。

我ながら絵に描いたような優等生だ。

だから、クラスのみんなからの信頼も厚いし、どんな生徒でも私の話はよく聞いてくれる。

・・・ただ1人を覗いては。

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六時間目、ホームルームの時間。

「今日は、文化祭の出し物について詳細を決めていきます」

私は担任と入れかわって教壇に立ち、クラスを見まわした。

夏休みが明けたらすぐ文化祭だ。

うちのクラスは劇をやることになっている。

脚本作りからセリフの暗記、立ち回りの練習、大道具の制作や小道具、衣装の準備など、かなりの時間がかかる。

一学期のうちに細かい役割分担をして、それぞれ動きださなければいけない。

私は先生から預かったプリントを見ながら、黒板に係を書いていく。

みんながざわざわと話しはじめた。

久しぶりの学校行事だし、文化祭が楽しみだからかもしれない。

いつになく興奮しているようだ。

「ええと、まずは役者を決めたいんだけど」

大きな声を出して言っても、騒ぎはじめたクラスメートたちにはなかなか声が通らない。

「ごめーん、みんな、ちょっと聞いて」

張りあげた声もマスクの中にこもってしまう。

マスクをつまんで少しだけ浮かして、もう一度繰り返すと、なんとかみんなが話しをやめてこちらを向いてくれた。

「最初に、主薬のお姫様と王子様を演ってくれる人を決めたいんだけど、だれか立候補してくれる人、いない？」

当たり前だけれど、主役の二人というのは重要な役割だ。

セリフの量も多いし、その演技で劇の良し悪しがきまってしまう。

その重圧があるせいか、それとも恥ずかしいからか、誰も手を挙げなかった。

「誰かいない？他の子を推薦してくれてもいいんだけど」

すると、何人かがちらちらと視線を颯太に送りはじめた。

「王子は颯太がいいんじゃない？」

男子の一人が声を上げると、まわりもうなずいた。

「だよね。うちのクラスでいちばん王子っぽい顔してるもん」

「あー、王子様の格好、似合いそう！」

なんとなく認めたくないけれど、確かに颯太は色白で整った顔立ちをしていて、王子の役にはまりそうだ。

他にもかっこいいと騒がれている男子はいるけれど、彼らはたいてい運動部で、日に焼けて筋肉質な体をしているので、あまりイメージには合わない。

「お姫様は菜々美だよね、やっぱり」

「だよな」

菜々美というのは、ふわふわの髪に甘い笑顔の、誰が見ても可愛らしい女の子だ。

やってくれる？と菜々美に聞くと、少し困ったように恥ずかしそうに笑いながら、「うん」と答えてくれた。

「じゃあ、颯太」

私は大嫌いな名前を口にして、窓際の席に目を向けた。

頬杖をついて窓ガラスの向こうの空を見ていた颯太が、険しい表情で振り向いた。

「・・・なんだよ？」

「聞こえてたでしょ。王子の役は颯太がいいってみんなが言ってるんだけど、どう？」

もちろんやってくれるものだと思っていた。

クラスの行事だし、みんなからの推薦なのだから。

でも、颯太は眉をきつく寄せて、「はあ？」と首を傾げた。

「いやだよ、なんで俺が。誰か他のやつにしろよ」

それが照れかくしでも冗談でもなく本気だというのが声音で伝わってきて、私は驚きで一瞬、動きが止まってしまった。

顔にうかべていたはずの微笑みが消えてしまっていることに気がついて、慌てて笑顔を作る。

「それはそうだけど、みんなは颯太がいいって」

「うぜえ、黙れよ」

きつい口調で遮られた。

私はなんとか笑みだけは崩さずに颯太を見つめかえす。

颯太はいらいらしたように、銀色の髪をかきむしった。

「ふざけんな。なんだよ、みんなが言うからって。みんなってなんだよ、それがなんなんだよ」

聞きながら苛立ちがこみあげる。

なに、その言い方、と怒鳴りたくなる。こいつは、ちょっとくらいみんなに合わせることができないのだろうか。

張りつめた空気でクラスがしいんと静かになる。

みんなの視線が私と颯太の間を行き来するのを感じた。

「・・・あはは」

なんとか笑い声を上げることができた。

「ごめんごめん。たしかに。私の言い方が悪かったよね。」

空気を和らげるために言ったのに。

颯太は「うるせえって」と声を荒らげる。

「黙れよ。ご機嫌とりなんかすんじゃねえ、胸くそ悪い」

きっぱりと言いきって、彼は横を向いた。

それきり、ちらりともこちらを見ない。

私は少しうつむいて息を吐き、それから顔を上げた。

「・・・ってことで。颯太は乗り気じゃないみたいだから、他に誰かいない？」

なにごともなかったように言うと、みんながまた元のように周囲と会話し始める。

そのうち、元気のいいグループの中心の男子がまわりに言われて王子役を買って出てくれて、なんとか役決めを終えることができた。

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終礼の終わりの挨拶と同時に、私は颯太のほうへ顔を向けた。

彼は教科書など一冊も入っていなさそうなぺらぺらのかばんを肩にかけ、教室の出口へ向かおうとしている。

「颯太、ちょっといい？」

自分を奮いたたせて笑顔で声をかけると、案の定、颯太はいやそうな顔で「なんだよ」と振り向いた。

私だって、大嫌いなあんたなんかに声かけるのいやだよ。でも、クラスのために仕方なくやってるの。内心で毒づきながらも、笑顔は崩さない。

颯太は険しい表情のまま私をじっと見つめかえす。居心地の悪さに視線をそらしたくてたまらなくなったけれど、なんとか我慢した。

「さっきの役決めの時ね・・・。王子役は他の子がやってくれることになったけど、あの態度はちょっと、みんなの空気が悪くなるって言うか・・・だから、なんていうか、もう少しクラスのことに協力的になってくれたら嬉しいんだけど」

下手に出たつもりだった。

クラスの出し物のためなんだから協力するのは当然でしょう、と思っていたけれど、顔には出さなかった。

それなのに、颯太はやっぱり苦虫でも噛みつぶしたような表情だった。

「はあ？みんな？空気？じゃあなんだよ。お前はあれか、みんなが『お前死ね』って空気出したら死ぬのか」

小学生みたいな屁理屈に、私は舌打ちしたくなる。

どうしてわかってくれないの？と、つっかかってやりたい。

もちろんやらないけど。

苛立つ気持ちを抑えて、穏やかに話を続ける。

「颯太の言いたいこともわかるんだけど、でも、クラスみんなでやらないと上手くいかないことだし・・・。それに、颯太にはまた他の仕事やってもらわないといけないから、その時はちゃんと引きうけてくれないと」

颯太の神経を逆撫でしないように最大限の注意をしながら言ったけど、彼は苛立ちを隠さずに大きな舌打ちをした。

私は我慢したのに。

「俺の言いたいこともわかる、だって？わかってねえだろ。っていうか、わかりたいとも思ってないくせに、その場しのぎの都合のいいことばっかり言いやがって。気に入らねえ」

うぜえ、と吐きすてるように颯太は言った

どく、どく、と心臓がいやな音を立てる。

どうして颯太はこんなにもひどい言葉を次々と口に出せるのだろう。

私が傷つかないとでも思っているのだろうか。

それとも、わざと？

私はマスクを手の平で押さえながら返す。

「私のことが気に入らないのは知ってるけど、でも、これは文化祭の話だから、理解して欲しいな。私のことは置いといて、クラスのために、これからはちゃんと協力して欲しいんだけど、それでもだめ？」

顔色を窺うと、蒼太はいまいましげに顔をしかめた。

「べつにクラスの出し物の仕事やるのか嫌なわけじゃねえよ。ただ、主役なんてやったら、放課後に練習やらなんやらで時間とられるだろ。それがいやだったんだ」

私に言い聞かせるようにはっきりとゆっくりと、彼は言う。

「絵を描く時間をとられるのは我慢できない。俺にとっての部活の時間は、他のなにより大事な時間なんだ。その時間を邪魔されないんだったら、いくらでもやるよ」

それだけ言うと、颯太は迷いなくすたすたと教室を出ていった。