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「私もっと競馬って、野球帽をかぶって赤鉛筆を耳に刺した、おじ様達が怒鳴り合っているのを想像していたわ」
「今はそんなことないよ、もっともここの主賓席には絶対に、そんな人は入れないけどね」
「山上先生のおかげかな」
「贅沢な遊びだよ」
「まぁもともと競馬は貴族の遊びだったからな」
「ねぇ!紗理奈!新作は進み具合はどう?」
不倫もの復讐系でテレビ局のドラマ枠を、かっさらったマリコが紗理奈に素っ気なく訊く
マリコは6冊のセンセーショナルな小説を発表している売れっ子作家だ、W不倫や嫁姑の復讐などを題材にした波乱万丈のストーリーを得意としている
しかし紗理奈はひそかに彼女の作風はあまりにも、復讐に凝り過ぎではないかと思っていたが、読むのはとても楽しかった
世の読者達もそうなんだろう、人は自分がとても出来ないことを、小説を読んで空想する
紗理奈自身も自分の書くものが自分の性格とは、まるで違うことが不思議でならなかった
キーボードを叩くと魂が宿り、勝手にキャラクター達が走り出してしまうのだ
これまで会ったこともないような登場人物が、知性輝き情熱的に動き出す
そういう架空の人物に特に現実にモデルがいるわけではなかった、なので彼らの感情や情熱は結局は自分自身の心から、生まれたものだと気づいていた
しかしもしこれについてじっくり考えたら、自分自身が恐ろしくなってしまうので、あまり考えないようにした
隣でシャンパンを飲むマリコに意識を戻す、紗理奈は車でここに来たのでずっとアイスコーヒーだ
作風とは変わってとてもサバサバした性格で、ゴシップが大好きなマリコは、何かの形で自分が得をする作家としか付き合わない主義だった
紗理奈はいつもマリコとの会話を楽しんだが、しかし他の人に尾ひれがついて伝わったら、困るようなことは彼女にはなるべく話さないようにしていた
「どうしても知りたいなら、正直にいうけど、私の小説はまったく進んでないの 」
紗理奈がアイスコーヒーをちびりと啜りながら言う、マリコは同情をこめて微笑んだ
「すぐ書けるようになるわ」
「そうね・・・インスピレーションなしで書くのは嫌なの・・・何か・・・あるいは誰か、私の創作意欲を駆り立ててくれるものに出会うまで、書くのはやめていたいのよ 」
神様がくれたロングバケーションさ・・・
..:。:.::.*゜:.
こんな時に彼の言葉を思い出すなんて・・・紗理奈の心がズキンと痛んだ
今はビシッとスーツを着こなして、ヘアメイクもバッチリなマリコが、優雅に3杯目のシャンパンを飲みながら言った
「創作意欲を駆り立ててくれる恋愛は?」
紗理奈は笑った
「さっぱりよ!犬を飼おうかと思っているの、大型犬の雄!、その子を彼氏扱いしようかしら」
「まぁ!だめよ!ペットを飼うとその子のお世話をしなきゃ、いけないから余計に恋愛出来ないわよ!それにペットに愛情をかけすぎると、恋人が出来た時にその子が邪魔するのよ!」
「邪魔して欲しいものだわ」
紗理奈は笑った
「今度マッスルバーへ行きましょうよ!ミナミに新しく出来たお店!私の推しがいるの!それは見事な筋肉よ!彼の体素晴らしいの、千円札を縦に折って彼のショーツの中に挟めるのよ!」
マリコは少女のようにキャァキャァはしゃいだ
素晴らしい身体と聞いて、そんなバーカウンター越しに見るだけの男性よりものすごいのがいるわよと、言いそうになってまたコーヒーを啜った
何をしていてもナオの事を思っている・・・・
「そろそろ始まるんじゃない?」
「倍率でた?」
「億万長者になったりして」
「あら!ねぇ見て!山上先生の隣にいる男・・・良い男よ!脚が長いわ!関係者かしら?」
「どこどこ?恋愛は出来なくても、良い男を見るのは好きよ 」
紗理奈は笑って言った
二階の主賓席からパドック場にいる、美しい馬の前に山上春樹がいた、そしてその隣に立っている男を見て、紗理奈は急に黙り込んだ
ドクンッ―
心臓が飛び出しそうになる、紗理奈はあまりの驚きに目をパチパチさせた、なんとグレーのスーツに身を包んだ、直哉が山上の隣に立っている
髪の毛をハーフアップに括っている、際立つ横顔、シルバーのピアス、紗理奈の家のドアを埋め尽くしたあの肩幅、楽しそうに山上と話している
間違いなく直哉だ!
「紗理奈?どうしたの?」
マリコが隣で動揺している紗理奈に困惑している
「いえ・・・何も・・・私・・・」
―見間違いじゃないわよね?―
バカな考えだ、彼を見間違えようは無い、第一印象であれほど強烈な人は知らない、そして彼は紗理奈を破滅させる力を持っている
紗理奈は不安で冷や汗が出て来た、心臓のドキンドキンという音で、他の音はすべて聞こえなくなる
キョロキョロ他に隠れる席はないかと探す
ドキン・・・ドキン・・・大丈夫よ・・・ここはかなり地上より上の席・・・彼に見えるわけないわ・・・
次の瞬間山上が紗理奈達VIP席を指さして、隣の男に何やら話しかけている
そして隣の男が振り向いた、紗理奈は飛び上がった
「アハハ、先生がこっちを向いて隣の男性に、私達の事を言ってるんだわ、指さしている!お~い!ここよぉ~ 」
マリコがヒラヒラと山上と直哉に手を振る、思わず紗理奈は膝に置いてある、バッグで顔を隠す
強烈な直哉の視線が紗理奈をじっと見据えていた
ほんのニ週間前紗理奈に愛の言葉を囁いた、あの低い声が空耳のように聞こえる
間違いない・・・彼は紗理奈の誕生日の訪問者・・・
揺れるカーテンの下で紗理奈を抱きしめ
キスし
女の喜びを教えてくれた人
記憶の中よりもっと背が高く
もっと大きく浅黒い感じがする
彼の口から洩れる、甘く深い声を思い出す
誕生日おめでとう・・・紗理奈・・・・
..:。:.::.*゜:.
「わ・・・私・・・ちょっとお手洗い! 」
思わず立ち上がり紗理奈はそこから逃げ出した
誰もいない化粧室で手を洗い紗理奈は、身の毛もよだつような場面を想像するのをやめられなかった
まさかこんな場所で彼に出くわすとは、思いもよらなかった
たしかおばあちゃんは彼が、競走馬を育てていると言った、だとしたら山上先生と知り合いでもおかしくない
紗理奈は頭を抱えた
ああっ!来なければ良かった
もし、もう一度彼と再会するとしても地元の商店とかだと思っていたのに、こんな大勢出版関係の知り合いのいる所で!
彼はたった一言で私を陥れることができる、詮索好きのマリコ先生に嗅ぎけられたら、彼との間に何があったのか、私が男娼を買ったことを知れてしまったら・・・
紗理奈はブルッと震えた
私は長年性生活の経験豊富者として、雑誌の「読者の性のお悩み相談」で連載を持っていた・・・
もしあれが全て経験ではなく、生成AIで検索した知識で、口から出まかせだとバレたら、どれぐらいの損害賠償を出版社から訴えられるのだろう
もし彼が一言でもしゃべってしまったら・・・私の評判も仕事も自活できる能力も、すべて滅茶苦茶に出来るのだ・・・恐ろしいことだ
紗理奈の膝がガクガク揺れた、でもここでうろたえてはいけない、醜態をさらしてみんなの注意を引き付けてはならない
そう・・・自活こそ私の唯一の支え、今まで誰にも頼らずここまでやってきた
マリコ先生ともよく話していたが、頭が良すぎる女と結婚したがる男は少ない
男は自尊心の生き物だ、毎日自分より優れた女と家で顔を、突き合わせれる度胸のある男は世の中には少ない
紗理奈は和樹との件があって以来、結婚などさらさらしたくないと思っていた、姉達を見ていればその意思が余計固まる
夫の収入で生きている彼女たちは、何をするにも夫に気を使い、息抜きと言えば夫の目を盗んで、こそこそへそくりをしたり愚痴を言い合ったりしている、夫の家族に気を使い、姑に気を使いまるで奴隷だ
もし自分が結婚したら自分の法的な、そして社会的な権限は夫に奪われてしまう
夫婦間で口論になっても、最後に勝つのは夫だ、その気になれば紗理奈の財産の半分を、取り上げてしまうこともできる
そして子供が出来ても彼の所有物とみなされるのだ、紗理奈は自分の得た収入で好きなようにふるまえる、自由を愛していた
どのような男性であっても、そんな権限を与えるつもりはなかった
しかし恋はしてみたかった
恋人とベッドにもぐりこんで温め合い、愛し合ってみたかった、その思いがまさかこんなことになるとは、思いもよらなかった
彼が家に来た時の事をつい昨日の事のように、思い出してしまう、彼は今だに紗理奈の心の真ん中に居座り続けている
しかしもう紗理奈は和樹の時のように、笑いものにはなりたくなかった
先ほど飲んだコーヒーが胃の中で渦を巻き、逆流してきそうだ
落ち着くのよ・・・・紗理奈・・・まずは冷静に考えましょう・・
そうだ!まずは徹底的に彼を無視しよう、自分は彼と馴れ馴れしくするつもりはないのだと、言う意思を態度でハッキリ示そう
山上先生のお誘いを蹴って今すぐ帰る事は出来ない、レースを適当に見て、頭痛がすると言って頃合いを見計らって、誰にも気づかれないようにフェードアウトする・・・
今の自分にはそれしかない、そしていつもの水谷女史の威厳を精一杯張って、彼が話しかけてきたら冷たい目線でキッと睨むのだ
「成宮直哉ってどなた?」
そう!そして今まで数々の編集部員を、凍りつかせたあの口調で堅苦しくこうも言おう!
「まぁ!嫌だわごめんなさい、あなたがどなたか思い出せませんの、人違いじゃなくて?」
完璧なシナリオが出来た
いくら彼でもこんな公の場で、あの時の出来事を暴露はしないだろう
しかし・・・もし脅迫めいたことを言われたら・・・
恐怖で身がすくむ、二人っきりになってはいけない
いつかはあの誕生日の出来事について、口外しないという約束を取り付けなければならない
でもそれは今日じゃない、キチンと書類を作成して、彼と対峙しなければいけない
とりあえず今日は彼を避けて、避けて、避けまくろう
その時バタンッとマリコが化粧室に入ってきて
「遅いから見に来たのよ!大丈夫?たしかあなたは酔ってなかったわよね?」
マリコの出現でまとまりかけていた考えが遮られた
「レースが始まるまでもうすぐよ、私はあっちでサインを頼まれた人と一緒にいるわ」
「そ・・・そう・・・じゃぁ私はフロアの隅っこにでもいるわ」
もう一度大きく深呼吸をして紗理奈は再び、主賓席フロアに戻った