市場での出来事から一週間が経った。
果樹園は順調に拡大し、収穫量も右肩上がりや。リンゴとマンゴーは市場でも評判を呼び、商売は完全に軌道に乗っとる。
朝日が木々の間から差し込み、果樹園全体を柔らかい黄金色に染めとる。爽やかな風が吹き抜け、葉っぱがサラサラと心地よい音を立てる。どこか遠くで小鳥が囀っとるのが聞こえる。
ワイは手拭いで額の汗を拭いながら、熟したリンゴの実をひとつ指で弾いてみた。手応えがしっかりしとる。ええリンゴや。
「ナージェさん、今日の出荷分、これで全部だよ!」
弾むような声とともに、ケイナが籠いっぱいの果物を抱えて駆け寄ってきた。彼女の髪は少し汗で額に張り付いとるけど、その表情は明るい。かつて怯えたような目をしとった少女が、今はこうして目を輝かせながら働いとる。
「おぉ、ご苦労さん。市場に持っていったら、今日はもう休もか」
「うん!」
ケイナの笑顔が眩しい。彼女の頬には赤みが差し、白い歯が覗いとる。最初の頃は緊張して、何をするにも怯えたような仕草やったのに、今はどうや。こんなに楽しそうに仕事しとる。ワイはその姿を見とるだけでなんや誇らしい気持ちになる。ええことや。果樹園の成長も嬉しいけど、それ以上にケイナが笑っとることが嬉しかった。
このまま、穏やかな日々が続いてくれたらええのに――。
不意に背後から声が響く。
「へぇ。順調みたいだな」
その声が耳に入った瞬間、背筋が冷えるような感覚がした。どこか馴染みのある、しかし嫌な響きを含んだ声や。反射的に振り向くと、そこにおったのはレオンやった。
「……何の用や?」
「冷たいな。一週間ぶりの再会だってのに」
レオンは皮肉っぽく笑いながら、腕を組みつつ果樹園を見渡した。少し伸びた金髪が風に揺れ、相変わらずの鋭い目つきでこっちを見とる。
「改めて見ると、凄いじゃねぇか。無能だったお前が、今やこんなに立派な農園を作るなんてよ」
「はぁ? なんやねん、今さら。ちょっと前は認めてへんかったやんけ」
レオンは肩をすくめて軽く笑った。
「気持ちの整理ができていなかっただけさ。リリィからも力説されてな。今はもう、完全な無能とは思っちゃいねぇ」
「言いたいことはそれだけか? 遅いっちゅうねん」
ワイは呆れたように鼻を鳴らしつつ、足元に転がっとったリンゴを拾い上げた。磨くこともせず、そのまま歯を立てる。シャクッという小気味いい音とともに、口の中に甘酸っぱい果汁が広がる。ええ出来や。せやけど、それを楽しむ気分やなかった。
レオンの視線がじっとワイに注がれとる。まるで何かを測るように、品定めするような目や。
「本題に入ろう。お前のリンゴ──お前が思っている以上に話題になってるぜ?」
レオンの声は低く、しかし明確な警戒を孕んでいた。
「ええことやんけ。口コミが広まっとるんやな」
ワイは気楽に答えつつ、手元のリンゴをくるりと回す。赤く艶やかな皮が燭台の光を反射し、妙に滑らかに見えた。
「そう簡単な話じゃない。個人が大きな金を動かすと、やっかみもされる。危険も大きいぞ」
レオンは冷静に言葉を継いだが、その視線はまっすぐワイを見据えとる。
ワイは思わずリンゴを噛み砕く力を強めた。カリッとした歯応えが響く。微かな酸味と甘みが舌の上に広がるが、レオンの言葉が頭の中で引っかかって、それを素直に楽しめん。
「一人ちゃうわ。ケイナがおる」
短く言い放つと、レオンの眉がわずかに動いた。
「ケイナ……? ああ、あの奴隷女か。そんなのは数に入れねぇよ」
「はぁ!? お前、なんちゅうことを言うんや!」
ワイは即座に声を荒げた。握りしめたリンゴに無意識のうちに力が入り、指の間から果汁がじわりと滲み出す。甘酸っぱい香りがふわりと鼻をかすめるが、そんなもん気にしとる場合ちゃう。喉の奥が妙にカラカラして、無性に腹立たしい。
それでもレオンは動じへんかった。むしろ、静かにワイを値踏みするような目を向けとる。その冷静さが、余計に癪に障った。胸の奥がざわざわと波打つ。
「あん? お前、まさかあの奴隷女を……?」
レオンの問いが最後まで続くのを待つ必要はなかった。何を言いたいんか、痛いほど分かる。でも、ワイは奥歯を噛み締め、何も言わんかった。
レオンみたいに思っとる奴は多い。奴隷はただの所有物で、使い捨ての道具やとな。
もちろん、ケイナは違う。ワイにとって、ただの道具ちゃう。でもな、世間はそれを認めへんのや。
所有者はワイやから解放すればええ? そんな簡単な話ちゃうねん。ケイナには保護者もおらんし、解放したところで一人で生きていくにはあまりにも危うい。
解放した後もワイのところで住んでもろたらええ? せやけど、それはただの同居人でしかない。そうなったら、関係は薄くなる。ワイがケイナを守る法的な根拠に乏しくなるんや。それなら、今は奴隷という立場のままでおってもろた方が、まだ安全や。
「…………」
レオンに言い返す言葉が見当たらん。沈黙のまま、ワイは無言でリンゴをもう一口かじった。果汁が舌の上に広がる。甘いのか酸っぱいのかも、よう分からん味やった。
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