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寝入ったリィファは、起きてくる様子がなかった。
三人は相談し、とりあえずリィファをトウゴ宅に一晩だけ泊めると決定した。話し合いが終わって、シルバは一人で帰宅した。
翌日は日曜日、週に一度の休日だった。アストーリの統治者は、休日を初めとして種々の制度を定めていた。
ただ、統治者の姿は誰も見たことがなく、その実在すら疑われていた。
シルバはジュリアにカポエィラを教えるべく、午前八時に寮を出てトウゴ宅に向かった。
トウゴ宅の敷地に入ると、笑顔のジュリアが家の建物への道に立っていた。トウゴは仕事で出掛けていた。
溌剌とした朝の挨拶に、シルバは軽く返事をした。そのまま連れ立って家の左の芝生広場に移動し、準備運動を始める。
「センセーが帰った後も様子を見てたけど、あのリィファって子、ずーっと寝てたよ。登場の仕方といい、着てた服といい、なんか不思議な子だよね。センセーとのバトルでもみょーにかくかく動いてたし」
開脚前屈をしながら、ジュリアが平静に呟いた。カポエィラ遣いゆえ身体は柔らかく、胸はぺたりと地に着けられている。
屈伸をするシルバは、昨日の戦いを苦々しく想起する。
「あの動きは、俺の知ってるどの格闘技にも見られないもんだった。身体能力の差があったから昨日は勝てた。けどこれから連中が例の技を使ってくるとなると、苦戦は免れねえな」
シルバの台詞に、「そだそだ。なんとかしないとだよねー」と真剣なのか呑気なのかわからない風なジュリアだったが、すぐにぴたりと静止した。シルバはジュリアの視線の先に目を遣る。
家の扉のすぐ前に、昨日の青い服のままのリィファがいた。シルバたちを見つけて深刻げにきゅっと口を引き結び、駆けてくる。
二歩分の距離を取ってリィファは立ち止まった。すぐさま両手を膝の前で君で、ぺこっと頭を下げる。
「昨日はああ答えたけど、わたし、今はあなたたちを襲ったってうっすら記憶にあるの。ほんとにほんとにごめんなさい。怖い思いをしたよね」
真摯な声音の言葉の後も、リィファは微動だにしない。
シルバはジュリアと顔を見合わせてから、責めていると取られないよう軽く尋ねる。
「どういう経緯で俺たちを攻撃してきたんだ? 自分の意思じゃなかったのか? 詳しく教えてくれると助かる」
「というかあたし、あなたについてほとんど知らないよ。どこで生まれて、どこで育ってきたの?」
ジュリアが質問を重ねた。リィファが姿勢を戻した。俯いた顔には、憂いの影が差している。
「わたしの記憶の始まりは、昨日の晩。宇宙から見たこの国の景色が、ぼんやりと頭にあります。自分については名前以外、覚えてない。記憶をなくしたのかもしれないし、ほんとに昨日、生まれたのかもしれない。この国の言葉はなぜか理解できるけど、ほとんどがわからないまま今ここにいるんです」
二人が返答に迷っていると、リィファの眼差しが強くなった。
「迷惑を掛けてごめんなさい。邪魔者は、すぐにいなくなります」
くるりと振り返って、リィファは歩き出した。
「どうやって生活してく気だ?」とシルバが訊こうとすると、「待って! ストップ、ストップ!」とジュリアが早口で喚いた。
リィファはきょとんとした顔で、ジュリアに向き直った。
「リィファちゃん、ここを出ても行く場所はないでしょ? あたしたちを襲っちゃったし、役所に行くわけにもいかないしね。居候しなよ。センセーの部屋に」
ジュリアの明るい提案に、「俺かよ。女子なんだから、大人の女に預けるべきだろ」とシルバは思わず突っ込んで、ジュリアを見た。
「まぁったくセンセーったら、おてんばさんのおっちょこちょいのそっこつものなんだから。その人が通報したらどうするの?
センセーの寮なら色々ゆっるゆるだからだーいじょうぶだよ。あたし、照れるセンセーにめちゃめちゃ頼み込んで、何回か泊まったことあるし。夜勤でバテバテのセンセーの、奥さん代わりだと思えば良いんだよ。うちは日中は留守にしてるしね」
ジュリアは、「完璧なアイデアでしょ?」とでも自慢したげな力強い表情だった。
「粗忽者な。肋骨みたいに言うな」シルバは冷静に突っ込む。
「本当に良いの? 迷惑をかけてしまいそうで、とっても申し訳ないんだけど」リィファが申し訳なさそうに呟いた。
「いーっていーって。だよね? センセー。あたしもバリバリ様子を見に行っちゃうからさ!」
ジュリアから快活な返答が来た。しばし考え込んだシルバは、リィファに冷静な視線を向けた。
「そこまで言うならわかった。男の一人暮らしの生活環境で良いなら、俺の部屋に泊めてやる。ただしその分、働いてもらう。家事か何かでな。それと、神に誓って妙な真似は働かんから安心しろ。口に出すのも馬鹿馬鹿しいがな」
シルバが淡々と告げると、リィファは「ありがとう」清楚な感じでにこりと笑い、再びお辞儀をした。
「そうと決まれば、準備をしないとだよね! リィファちゃん、あたし、着る物とか貸したげるよ! リィファちゃんに似合いそうな服、いーっぱいあるからさ! レッツおめかし!」
「うふふ、ありがとう。あんなに酷いことをしたわたしにこんなに優しくしてくれて……。なんかもう……ぐす。嫌だな。わたし、なんで泣いて──」
リィファの声は徐々に小さくなり、最後には瞳が潤み始めた。
「えへ、リィファちゃん、普通にしてても美人さんだけど、嬉し泣きしてる時はとてもとってもかわいこちゃんだよね! よし、そうと決まれば善は急げ! あたし、全力で探しまくっちゃうよ!」
畳みかけるように言い放つと、ジュリアは家へとダッシュを始めた。だが唐突にぴたりと動きを止めて、そろそろと振り返る。
「そういえばさ。リィファちゃん、昨日、『この世界は箱庭』とかって冷たーい感じで喋ってたけど、どうゆう意味? ……あたし、けっこう怖かったんだよね」
不安げに眉を寄せたジュリアが、囁くように尋ねた。
「え、わたしそんなこと……。ごめんね。覚えてないの。でも内容に心当たりがないから、ただの寝言だと思うよ」
リィファが自信なさげに答えた。「なら良いんだ」と軽く返して、ジュリアは今度こそ家に向かっていった。